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『淡雪の出会い 』
黒東・黒斗1997)&黒東・真由子(1999)

 それはその年最初の雪の降る、静かな夜のことだった。
 流れる車のライトを横目に見ながら、赤崎・真由子(あかざき・まゆこ)は雑踏の中を歩いていた。細やかな雪が降っているが、傘をさして歩くほどではない。そよ風も吹かず、厚い雲からゆっくりと舞い降りる雪は、まるで東京の混沌全てを包み込んでいくようだった。

 コンサートからの帰り道。すっかり見慣れた路地を曲がり、陸橋のある大通りへと出ていく。いつもと変わらない町並みなのだが、今日は何故か何かが起こりそうな気がした。
 
 陸橋の階段をのぼり終えて、視線を道路から歩道に移した瞬間。
 真由子はうっかり雪に足を滑らせてしまい、その場にしりもちをついてしまった。
「……ふぇ……」
 打ち付けた体の痛みと、我慢していた気持ちがあふれ出し、真由子は目頭が熱くなるのを感じていた。流れ落ちそうになる涙をこらえて、服についた雪を払い落とそうと身を起こした。
 ふわり、と真由子の頭に黒いコートが被せられた。驚いて振り返るが、その視線の先には人の姿がみられない。ふと、隣を通り過ぎる男性に気づき真由子はあわてて立ち上がる。
「ま、まって……!」
 男性は一瞬立ち止まる。だが、振り向くことはなく、軽く手を上げてそのまま雑踏の中に消えていった。

 それが、後に真由子が生涯を共にする相手、黒東・黒斗(くろさき・くろと)との最初の出会いだった。

 あまりにも突然の出来事。突然の思い。純粋に礼をのべたいと思う気持ちとは別の想いが、日を追うごとに真由子の心をしめていった。
 真由子は心に沸き起こる不確かな思いを確かめようと、コンサートが終わった後は遠回りであろうと必ず、彼に出会った陸橋を通るようにしていた。
 だが、あれ以来、雪の日に出会った黒い衣装の男性は見当たらない。

 流れる人ごみの中立ち止まり、彼に返すためのコートが入った袋を抱きしめて、真由子は小さなため息を吐いた。
 
**********

「最近さ、あのコートあんまり着てこないじゃないか。気に入ってたんだろう、どうかした?」
 隣で作業していた友人にそう言われ、黒斗は「まあな」と短い返答をした。
「ちょっと、人にあげたんだよ」
「おいおい、冬はこれからだぜ。それとも彼女の家とかに置いてきたか?」
「そんな心配よりさっさと仕事しろ、仕事」
 これ以上話すことはないと、黒斗は顔を背けて作業にとりかかる。彼の紹介で来た臨時のバイトだったが、来てみて自分が呼ばれた理由をなんとなく理解した。
 周りの人間が働かなさすぎる。個人登録のデータ移行という単純な作業だけに、他の作業員は手より口を動かしていた。プログラムに詳しく作業が早い黒斗は、納期に間に合わせるための強力な助っ人というわけだ。
「ったく……助っ人を雇う前に、ちゃんと仕事していれば自分達で処理できるだろうが」
 文句を呟きながらも、キーボードからは軽快にタイピングの音が叩かれる。
 
 ふと、作業中であった顧客データの中に見覚えのある人物を見つけ、黒斗は手を止めた。
「……あいつ、真由子というのか……」
 ディスプレイに浮かび上がるのは楽器ショップの会員名簿の一覧だ。その中に現在の黒コートの持ち主、真由子のデータが載っていた。年齢、職業、住所……一通りデータを流し読み、黒斗は再び作業に取りかかる。
「あの辺、確か近くにコンサート会場あったよな……だとすると、コンサートの帰りだったのかもな」
 数ヶ月前の出来事をぼんやり思い出しながらも、黒斗は軽快にデータ移行の指示を打ち込んでいく。
 久しぶりにあの陸橋を通って帰ろう、運がよければまた会えるかもしれない……そう思いながら。
 
 結局、殆どの作業を自分ひとりでやったため、黒斗が帰宅出来たのは午後10時をすぎた頃のことだった。
 「眠らない都市東京」とよく言われているが、そんなことはない。行き先によっては終電列車もとうに出発してしまっているし、表通りにある店の多くはシャッターが下ろされている。
 さすがにこの時間にもなると人通りもまばらだ。時折、飲み足りないで街をさ迷うサラリーマン達や、急ぎ足で家路に向かう、塾帰りの学生達が黒斗の横をすれ違っていく。
 頬に冷たいものを感じて空を見上げると、いつのまにか雪が降り始めていた。細やかで溶けやすい雪だ、おそらく積もりはしないだろう。
「そういえば、前もこんな天気だったな」
 黒斗はマフラーを巻きなおし、歩調を速めた。いくら厚着をしているとはいえ、やはりコートがない真冬の夜は辛い。早く帰って身体をやすませよう……そう思い地下鉄の入り口へ足を向けた時、背後から声をかけられた。
「あの……」
 振り向くと、紙袋を手にした真由子が立っていた。長い間外にいたのだろう、指先と耳たぶが赤く染まっている。
「……このコート、違いますか?」
 真由子が差し出した紙袋の中には1枚の黒いコートが入れられていた。見覚えがないわけはない、それは以前、彼女に貸した黒斗のコートなのだから。
 だが、黒斗はそれを受け取ろうとせず、ふいっと横目に見ながら一言だけ呟いた。
「しらねー……」
「えっ……? で、でも私……あなたのこと覚えてます。2ヶ月前、私にこれを……」
 真由子は言葉に嗚咽が混じる。ようやく会えたことへの喜びか、それとも思いもよらぬ返事のためか、それは本人自身も分からないでいた。ただ言えるのは、ここで彼女を無視することだけは出来ないということ。
 仕方ないといった様子で、黒斗は奪うように真由子から紙袋を受け取った。コートはきちんとクリーニングされてアイロンまで掛けられている。
 しわのないコートを羽織り、黒斗はそのままきびすを返そうとした。が、袖元を何か引っ張られる感覚がして思わず立ち止まる。
「……あ……」
 2人の視線が重なった。
 そのままゆっくりと、自然に2人の唇は寄せられていった。

**********
 
 凍えるような冬も終わりに近づき、穏やかな春が訪れようとしていた。
 あの日以来、黒斗の家に住むことになった真由子は、もうじき姓も同じくとする。
「おはようございます、黒斗さん。朝ごはんは何にします?」
「ん……? ああ、いつものでいい」
「目玉焼きは両面ぽくぽくがいいですか?」
「……ぽくぽく……」
 そんな会話を交わしながらも、2人は日々の生活を送っていた。
 純朴で穏やかな性格の真由子は、人見知りの多い黒斗にとって、心安らげる貴重な相手だったのかもしれない。それほどに2人の生活は親密で平凡なものだった。
 
 2人で暮らすようになってから、忙しい仕事の合間をぬって、黒斗は真由子の出演するコンサートを覗きにいっていた。

 もちろん、あの日初めて出会った陸橋を通って。

文章執筆:谷口舞
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年09月29日

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