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『休暇のすごし方』
ウォルター・ランドルフ1956)&ユーリ・コルニコフ(1955)
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「そうだ、京都、いこう」
明け方の東京。ようやく空が白み始めた街で、一人の外人が突然そんなことを思い立った。
「パヤパー」と始まる女性の声とともにインスタントコーヒーを飲む松本幸四郎を見て、JRのいつかの宣伝を思い出したとか、きっかけはそんなものである。ウォルター・ランドルフは、寝癖もそのままの頭と寝巻き姿で立ち上がり、ずかずかとコードレスホンのところへと歩いていった。
迷いなくボタンをプッシュする。電話の脇でさりげなく非常識を咎めているデジタル時計の「5:00」の文字も気にしない。
回線が繋がる音がして、単調な音が電話向こうの相手を呼び出している。7回、8回と鳴らして、ウォルターが「もう出かけたのか」と思い始めた頃に電話が繋がった。
「……キッド。一体こんな時間に何の騒ぎなんだ」
いつもより低く掠れた声が、妙に間延びして伝わってきた。電話口の相手……ユーリ・コルニコフは、寝ていたのである。この時間に、起きて元気に活動しているほうがむしろ珍しい。閉じかける目を必死にこじ開けながら、ユーリの声はまだ夢の中だった。それでも電話先の相手を一発で把握したのは、こんな時間に突然電話をかけてくるのが、親友以外にはありえないとわかっているからだ。
「なんだ、居るならもっと早く電話に出ればいいのに」
手前勝手な親友の言い分に、ユーリは唸っている。それよりも、とすぐに電話の目的を思い出して、ウォルターは明るい声を出した。
「京都に行くぞ。今から迎えにいくから、早く支度するんだ」
「……は?」
「今からなら、新幹線にも間に合う。ほら、早くしないか」
自分の非を詫びるどころか叱るような口調で言われて、まだ回転が遅いユーリの頭脳は完全に停止したらしい。なんなんだ、と文句を言いながらも、電話の向こうで親友がベッドから起き上がる。
「よし、では20分以内にそちらに向かう」
ユーリの反応に満足して、ウォルターはそれだけ告げると一方的に通話をきった。

■―――京都駅
眠くて油断をしたら最後、まぶたが落ちていく。どうにか見える文字は、「東京駅」とある。こんな時間だというのに、駅のホームは賑やかだ。昨日、明日は非番だと清清しい気持ちでユーリがベッドにダイブした時、一体誰が、その数時間後に叩き起こされて、挙句駅のホームに立ち尽くしていると想像しただろう。
「……一体」
とろんとした目をして、ユーリは呆然としている。まだ片足は夢の泥沼に浸かったままだ。眠りから醒める前にウォルターに連行されてきたので、まだ惰眠を貪っている頭はウォルターを責める方向に向かわない。「今日、俺非番だったよな」と、哀れを誘う自問自答が脳裏に浮かんだだけである。
彼を久しぶりの休暇から引きずり出した親友は、ホームに設置された売店で駅弁を吟味しながら、「うわォ」とか「ほほう!」とか感心している。騒がしい。
「日本紀行味めぐり。これはどうだ?美味しそうじゃないか」
うす茶のボール紙に日本列島の絵がプリントされた駅弁を取り上げて、ウォルターが危機として振り返った。動かない舌で、ぼそぼそとユーリは返事を返す。
「……やめておけよ。日本食、あんまり好きじゃないじゃないか……」
サンドイッチくらいにしておけ、というユーリの忠告を、半ば聞き入れ、半ば無視してウォルターは日本紀行味めぐり弁当と、サンドイッチを買い込んだ。要するに一つはユーリが食べるはめになるのだ。文句の一つも言ってやろうという気も起こらず、促されるまま、ユーリは新幹線へと乗り込んだ。

カタカタと軽快な音を立てて、新幹線は午前中の田園風景を抜けていく。朝と昼のブランチを兼ねた駅弁を早速広げて、ウォルターは嬉しそうだ。
案の定というか予定通りというか、日本紀行味めぐりの純和風の弁当は、ネズミが齧った後のようにちまちまと食い荒らされた結果、ユーリの元へと回ってきた。今、親友はユーリが食べるはずだったサンドイッチを広げて、美味しそうにツナサンドをぱくついている。日本紀行味めぐりの和風おかずは、ウォルターのお気に召さなかったらしい。
苦手ならば食べなければいいのだ。そもそも買わなければいいのだ。だが、そこはウォルターに言わせると「ワビサビ」なのである。「HAGAKURE」だ。京都に向かう新幹線で食べる駅弁は、和食でなくてはいけないらしい。
「ニコフ、見るがいい!富士山だ」
「……ああ。ほんとうだ」
ようよう青さを増してきた空の向こうに、藤色の峰が映っていた。白く霞がかって裾野のほうはぼやけている。東京に居ると忘れがちだが、確かにここは日本なのだと、久しぶりに思い出した。
車内に備え付けられたデジタル時計は、7時を少し回ったところである。今日はだらだらと寝て過ごすつもりだったユーリは眠そうに欠伸などしているが、
「どうだ、こんな旅もいいと思わないか?」
「……そうだな。悪くないな」
大きく取られた窓の向こうを、富士山はゆっくりと移動していく。翌日の休みを見越した深夜二時の映画鑑賞の挙句、追い立てられて来てしまった京都旅行だが、案外こんなのも悪くないかもしれない……シートにずるずると身を沈めながら、舌たらずの口調でユーリはそんな感想を述べた。

新幹線で辿り着いた京都駅から、JR嵯峨野線に乗りついで太秦駅下車。駅から徒歩約15分歩けば、目指す観光名所が見えてくる。
「着いたぞ、ニコフ!」
老人でもないのに、早起きだったくせに、ウォルターは弾けんばかりに元気だった。肩幅の広い背中が颯爽と、アスファルトの道を歩いていく。ユーリは呆然とそれを追いかけるしかない。
「……おい」
なんとも言えない顔をして、ユーリはウォルターの背中に声を投げた。
「早く来るんだ。置いていくぞ」
肩越しに振り返り、ウォルターが手招きする。思わず足を速めて追いつきながら、おい、ともう一度ユーリはウォルターに詰め寄った。
「……京都に来て、ここなのか?」
「一度、ぜひとも来ようと思っていた。日本映画の原点、日本文化の粋を集めた村だからな」
「……だからって、京都まで来て、目当ては太秦映画村なのか」
確かに、昭和五十年に誕生して以来、太秦映画村は日本の文化資産の保存と継承を目的とした、立派な娯楽施設としての地位を確立してきた。
だからって、折角京都まで来て、金閣寺もなしか。二条城もなしなのか。他にも回れるところはいっぱいあるはずである。
「何を言う、ニコフ。知らんのか」
大仰に呆れた顔をして、ウォルターは眉を顰めたユーリに続けた。
「ここは、日本映画のふるさと、日本のハリウッドとまで言われているんだぞ」
「……ハリウッド、か」
その言葉に、ユーリは思わず懐かしげに表情を崩す。かつては西海岸で、ユーリも腕のいいスタントマンとして活躍していたのだ。車で十分も行けば、パーム・ツリーが空へと伸びる瀟洒な住宅街。逆に五分も走れば、派手な看板だけが取り得の、煤けたビルの土産物屋が並ぶ。その賑やかさとハリウッドならではの溢れんばかりのエネルギーは、やはり懐かしい。
ウォルターに踊らされた気がしなくもないが、とりあえずユーリは、文句を言うのをやめて歩き始めた。
「大人二人だ」
ユーリが思い出に浸っている間に、ウォルターはてきぱきと料金を払って、太秦村へと親友をひっぱっていく。
「どこへ行くんだ?」
「決まっているだろう」
健康的に白い歯を光らせて、ウォルターは爽やかに微笑んだ。
「郷に入っては郷に従え、だ。ローマの休日だ!」
指をさした先には、瓦拭き屋根の白い建物……入り口には「時代劇扮装の館」と書いてある。


数十分後……。
衣装係に右へ左へとひっぱられて時代劇の扮装に着替えさせられた二人は、屋敷の目の前で顔をあわせた。ウォルターは着物の裾を端折った火消し姿。ユーリはくすんだ着物に刀を差した浪人姿である。
「似合っているな」
「……お互いにな」
見たことのないお互いの和服姿に、二人の外国人はしばし感動して(あるいは呆れかえって)お互いの姿を観察した。体格が良く、豪快を絵に描いたようなウォルターには、江戸の華と言われた火消しの衣装はよく似合っている。一方で、スタイルはいいが細身のユーリは、やや栄養不足な浪人の風情が、なかなかぴったり合っていた。
「なかなかいいな。ニコフ、きみは牛若丸も似合っていたかも知れん」
「……そういうお前は銭形平次でも十分通じただろう」
「これでトム・クルーズに張り合えるな」
サムライか、ラスト・サムライだと賑やかに、二人は映画村を歩き出した。火消櫓に屋敷町・中村座と、歩く街並みは時代劇などで見かける建物そのままである。
すれ違う人々も着物姿だったりするわけで、まるで江戸時代にタイムスリップしてきたような気になった。
「ユーリさん、ユーリさん!!」
ぶらぶらと歩くそんな和服姿の外人二人を、背後から呼び止めたものがある。
ン?とウォルターが振り返り、そのまま歩きかけていたユーリも足を止めた。
「知り合いか、ニコフ」
「……あぁ……」
こんな所に知り合いがいただろうかと、怪訝そうにしていたユーリも、走りよってくるジーパン姿の日本人を見て、ようやく眉間から皺を消した。
「……撮影仲間だ。何度か、仕事で一緒になったことがある」
「ふぅん」
のんびりと二人が会話を交わしているうちに、小柄な男は二人に追いついて、何してるんですかこんなところで、と口元に笑いを浮かべて言った。
「いや……ちょっと。観光を」
「そうですか。僕らは向こうで、撮影してるとこなんですよ。時代劇」
「おおっ!」
ウォルターの目が輝いた。日本に来て以来、ウォルターは時代劇の勧善懲悪ものに大ハマりをしている。生来の熱血漢が疼くのか、とにかく時代劇が大好きなのだ。撮影と聞いて、血が騒がぬはずがない。
そんな友人の熱意を知っているユーリは、つぶらな瞳で二人の外人を見上げる男に苦笑してみせた。
「……彼は俺の友人で、時代劇が大好きなんだ。もし迷惑じゃなかったら、撮影現場を見せてもらうことはできないか?」
「全然問題ないですよ!」
丸めた台本を持った手をせわしなく振って、男は頬を緩ませて笑った。
「なんなら、エキストラで出演してみます?ディレクターのKさんと、ユーリさん親しいでしょう」
「は!?……いや、しかしそれは」
自分たちは外人である。一般のドラマ撮影ならばともかく、時代劇に果たして自分たちの出る幕があるのだろうか。エキストラなら尚更である。
着物を着ているとはいえ、金髪に色素の薄い瞳。明らかに二人は時代劇向きではない。流石に固辞したユーリだったが、スタッフの方は、東京から遠く離れたこの地でユーリと出会えたことが感動だったらしい。とにかく監督と話してみたらいいですよ、ダメもとですよと、何度となく言って二人を撮影現場に招いたのだった。

一体、撮影スタッフの間でどんな会話があったのか知らないが、とにかくユーリとウォルターはエキストラとして、群集に紛れることになった。
「いいのか。俺の見る時代劇のエキストラに、外人は見かけなかったぞ」
「……さぁ。でも、江戸時代だったら、外人は少しくらい……居た……のかもしれない」
単語の知識だけはある鎖国とか、黒船来航とか、文明開化とか。都合の悪そうな記憶は、一時的にユーリの脳裏から追い払われた。知らぬが花、というではないか。製作に携わるスタッフがいいというのだから、自分たちが何も肩身の狭い思いをする謂れはないはずである。
えい!やぁ!とう!とお決まりの台詞とスタントマンたちの振り回す刀が、上りつつある太陽に照らされてキラリと光る。
そんな見せ場の中、他のエキストラから頭一つははみ出た二人の外国人のほうが、主役よりも目だっていたとかいなかったとか……。

「いやぁ、面白かったな!」
「……そうだな」
ちりちり、とそれぞれが買ったキーホルダーの鈴を鳴らしながら、二人は歩きつかれて京都駅のベンチに腰を下ろしている。ユーリが手にする小さな小判型のキーホルダーは、映画村で過ごした名残を漂わせてちりちり言った。ウォルターは十手のキーホルダーを早速家のキーに装着し、ついでに買ったチャンバラ刀を、楽しそうに手の中で転がしている。
「ちょうちんも買ってくれば良かったな」
「……火の用心、ってあれか」
「小判も買えばよかった」
構内放送が、東京行きの新幹線の到着が近い事を知らせる。
キーホルダーを手のひらに包んだままポケットに突っ込み、欠伸をかみ殺してユーリは微かに笑う。
「……また、来ればいいさ」
ただし、今度はせめて数日前に連絡をくれ……と、休日を京都旅行に取って変えられた哀れなスタントマンは付け足した。
「あぁ、わかったさ」
「……わかってくれて嬉しいよ」
「そういうわけで、明日は日光江戸村に行こうと思うんだが」
「……キッド。お前、本当に俺の言ったこと、分かったのか……?」
情けない声を、入ってきた新幹線の風と轟音が吹き飛ばした。



-「休暇のすごし方」-

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2003年09月29日

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