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『子どもの領分』
ウィン・ルクセンブルク1588)&ケーナズ・ルクセンブルク(1481)
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バーを改装して作られたレストランは、雰囲気作りを狙って照明が落とされている。薄暗い室内には異国に来たような独特の空気が流れ、テーブルを囲みながら人々はさざめくように会話に興じていた。
一足早く店に来ていた兄は、ウィンを見つけると顎を持ち上げて彼女の注意を引いた。季節を意識したモス・グリーンのスーツに、シックな色合いのストライプシャツが、店の内装と相俟って嫌味なく似合っている。
「買い物はいいのか」
ウィンが近づくと、メガネ越しの視線が彼女の手元に落ちて、ケーナズは意外な顔をした。先日の電話で、買い物をしてから出向くと言ったことを覚えていたらしい。
「ええ……まぁ」
てっきり遅刻を咎められるのかと思っていたウィンは、拍子抜けして頷いた。一言注意をされたら最低五つは返せる言い訳の言葉も、これでは使う機会がない。中途半端に開いた口をぎこちなく閉ざした。今まで通りに会話をしたいと思っているのに、兄の舌鋒が鈍いと奇妙な気分だ。
「あまり、欲しいものがなくて」
「そうか」
引かれた椅子に腰を落としながら言い訳すると、あっさりとケーナズは納得する。
実際には、叔母の家からこの店まで、タクシーで乗りつけたのだ。買い物など、もとからするつもりもなかった。
ウィンがこの日選んだのは襟ぐりのあいた袖なしのドレスで、体の曲線を強調するタイプである。派手になりすぎない程度にダイヤが散りばめられており、黒の布地だというのに陰気な感じがしない。ただし、深くスリットの入ったドレスは、女性が一人で買い物をするには不向きな服だ。
社交界のマナーに関して申し分のない教育を受けている兄だが、時として些事に疎いことがある。離れて暮らしてみて初めて、見えるようになった兄の一面だ。この時もケーナズは、妹がこの格好で一人店に入っては不自然だということには思い至らなかったらしい。
ぎこちなく落ちた沈黙の合間を縫って、ウェイターが口を挟んだ。
「お飲み物は何にいたしましょうか」
「キールで」
はっと我に返って、ウィンはウェイターを振り仰ぐ。とりあえず、兄と二人で分け合う沈黙がなくなればそれでよかった。
「……私にも同じものを」
兄の注文を聞いたウェイターがすぐに立ち去ろうとするのを、思わず引き止めかけた。彼が去ってしまうと、カクテルが運ばれてくるまでの間が持たない。しかし、ウェイターが居なくならなければ食前酒も出て来はしない。
ウィンの願いも虚しくウェイターは行ってしまい、双子は再びテーブルに取り残された。妹の目の前で兄は……笑いもせずに、世間話もせずに視線を真っ白のテーブルクロスに落としている。
重い雰囲気がまるで説教を食らっているような情けない気分に拍車を掛けた。居心地が悪いことこの上ない。
(ていうか……何も気まずい思いをする理由もないのよね)
と自分を奮い立たせて声を掛けようとしてみれば、タイミング悪くウェイターが戻ってきた。
カシス色の液体が、ワイングラスに入れられて二人の前に置かれる。空白の隙間を埋めるために口に含むと、芳醇な香りが口の中に広がって、ウィンは思わず声を漏らした。
「シャルドネ?贅沢ねぇ」
「99年ものです。ロベルト・ヴォエルツィオが造った最後の白ワインでございます」
この年を最後に、シャルドネの採れる畑は、他の品種の栽培に移行したのだそうだ。ウェイターの語るそんなミニ知識は、本来兄の領分である。その兄は、やりとりが耳に入っているはずなのに何も言わない。ウィンはますます面白くない。何のが楽しくて、兄と食事をしに来てウェイターと話を弾ませているのか。ここで話すべきは兄である。
横目で見ると、兄は黙々とグラスに口をつけて、笑いもしなければ相槌すらも打たない。理性的に考えれば、ケーナズは自分と同じように、言葉を捜しているだけなのだろう。だが、面白くもなさそうな顔をされて、会話にも参加せずに黙っていられては、そんな考えも萎んでしまう。ウィンは少しだけ、兄の誘いを断らずにここまで来たことを後悔した。
「……美味しいわね」
ウェイターが行ってしまうと、ウィンは苦労しいしい、会話の糸口を探して口火を切った。せっかくここまでやってきたのだ。何も得ずに帰ってたまるものですかと、持ち前の闘志に火がついた。
「ああ」
と答えただけで、ケーナズはグラスを傾ける。ウィンの努力を無にするような愛想のなさだ。だが、今度は彼女はへこたれなかった。
もともと、この兄を相手に二十数年間育ってきたのだ。持ち前の負けん気の強さに、滑らかでいてダイナミックなイタリアワインのアルコールも味方した。これは一言物申そうと、思わず彼女が身を乗り出しかけた時……
「半年前のことだがな」
何の脈絡もなく、ケーナズがボソリと口を開いた。手の中のグラスは、半分以下に減っている。今の一言を言い出すまでに、相当の勢いが必要だったらしい。
「……は?」
文句を言おうと開きかけた口を閉ざすのも忘れて呆然と兄を見詰める妹に、ケーナズは敢えて淡々とした口調で言葉をつむぐ。
「私も熱くなっていた」
「…………」
「おまえが自分の金をどうつかおうと、それはおまえの自由だ。私が言う筋合いではなかったと思っている」
ケーナズの台詞はいちいち冷静だ。それは兄の、感情を露にできない性格のせいであって、兄が嫌々ものを言っているからではないのだと、ウィンはよく知っている。いつもは屈折反射を繰り返して発露する本心を、ストレートに伝えようとしているだけなのだ。
それもひとえに、ウィンとの仲を修繕するため。ケーナズが謝罪する姿を、ウィンは今まで殆ど見たことがない。自分の言動に自信と責任を持って今まで生きてきた兄なのだ。
不器用な兄の不器用な努力は、不意にウィンの目頭を直撃した。ツンと鼻の奥が熱くなって、じわっと熱いものが込み上げるのを慌てて抑える。不機嫌と取られかねない真面目な顔をして言葉を探すケーナズは、ウィンの表情が歪んだのには気づかなかっただろう。
「あの時は、私も言い過ぎた」
「昔のことですわ。もう……過ぎたことは忘れました。お兄様が何を仰る必要もありません」
それ以上続けられたら、折角堪えたものが零れてしまいそうで、ウィンは口早に兄を遮る。
視線を上げたケーナズを前に、自分の動揺を気取られないようにするのは相当の努力が必要だった。そしてそれも、成功したかどうかは分からない。
ウィンの言葉にほっとついたケーナズの吐息が、妙に近くで感じられた。兄はやはり、緊張していたのだろう。
今まで、面と向かって「ごめん」だとか、「悪かった」とか、双子はそれぞれに対して言ったことがない。謝ったり謝られたりする前に、互いに互いが分かってしまって、そんな言葉もうやむやにまたよりを戻したりした。兄妹だからこそ出来ることである。
言葉を交わさなくても分かり合えるというのは、多分とても真実で、しかし都合のいい解釈なのだ。深く分かり合いたいと思ったら話さなくてはならないし、こうしてちょっと居心地の悪い思いをしながら、思っていることを打ち明けなくてはならない。
「家には、戻ってくるのか」
「いいえ」
ケーナズの問いに、ウィンは背筋を伸ばして毅然と首を振った。いつも自分の半歩先を歩いていた兄に、自分の意思を表すのは緊張する。
「六本木には、戻りません」
ウィンの言葉に、ケーナズは微妙な表情を浮かべて間を取った。ウィンの言葉の裏に隠された意図を、彼は察しているのだろうか。考え込むようなそぶりを見せたケーナズだが、ウィンを責めているようには感じられない。
自立しろ、と言われるのではないかとウィンは覚悟していたが、結局兄は顎を頷かせただけだった。
「…………そうか」
迷惑をかけるなと諭すかわりに、ケーナズはウィンに「叔母様にも宜しく伝えてくれ」と言付けた。
注文した料理が運ばれてきて、二人は一旦会話を切った。
言わなくてはならないことを言ってしまった気楽さからか、今度は皿が給仕される間の沈黙も、居心地が悪いとは思わない。
パームハートのサラダに続いて出てきたオーソブッコに舌づつみを打ちながら、双子は半年間お預けになっていた出来事を報告しあった。
「ちゃんとした生活をしてるのか」
「ええ、それなりに」
「それなり?」
兄の眉尻が上がったのでウィンは首を竦める。穏やかな空気は一瞬で、ケーナズはウィンが良く知っている兄に戻りつつあった。ケーナズは長男らしく心配性でおせっかいで、それに実力が伴っているからタチが悪い。理詰めで来られると、感情に比重が傾いているウィンには太刀打ちできないのだ。
「無茶はしてません!風邪を引いちゃったから夜遊びもご無沙汰だったし、今後の予定も女同士の旅行に水族館でデート。どう、健康的だと思いませんこと?」
ほう、と面白くもなさそうな相槌を返したケーナズは、ふと思い立ったように
「親族として、お前の恋人運のなさを心配してやるべきか」
などと付け加えた。
すかさず繰り出したハイヒールのつま先は、距離不足でクリーンヒットには至らない。テーブルの広さを恨んで歯噛みしたウィンを見て、ケーナズははじめてちらりと笑った。

食事を済ませ、デザートにケーナズがオーダーしたのは「カスタードクリーム」だった。カクテルグラスにちょこんと乗っかったプリンを想像していたが、運ばれてきたのは底の浅いオーブン皿だ。
円形の皿にぐずぐずのカスタードクリームが流し込まれ、その上にココア色と透き通った蜂蜜色の、二色のソースが敷き詰められている。ココア色がチョコレートソースで、蜂蜜色がキャラメルソースだ。栄養価は見るからに高いが、兄が薦めるだけあって確かに美味しい。頬に手を当てて、ウィンは口の中でとろける甘さを堪能した。
「美味しいー。お兄様って、こういう人間ガイドブックみたいなところがモテる秘訣かしら」
「個人の魅力と言えないのか」
「あとは無駄に積んだ経験かしら」
「失敬な」
言いたい放題の妹を口で咎めながら、「冬に来るとブレッド・プディングが美味いんだ」とケーナズは付け足した。
キャラメルソースとカスタードを口に含みながら、ウィンは兄の顔色を窺う。子どもの頃やられたように、トカゲ攻撃だの、人が寝ている顔のすぐ側に汚れた靴下を放置するだのという報復を期待していたわけではないが、軽く受け流されるといっそ用心深くもなる。そろそろとウィンは兄を見た。
「それは、冬にもう一回連れて来てくれる、と解釈してもいいんですの?」
「……覚えていたらな」
滅多に妹を甘やかさないケーナズは、居心地が悪そうに視線を泳がせて頷いた。


「美味しかったわ」
後から店を出た兄を振り返り、ウィンは感謝を込めてそう述べた。無愛想ながら首肯して、ケーナズウィンの謝辞を受ける。
秋風は夜になればそれなりに涼しく、ウィンは肩に羽織ったケープをしっかり掛け直した。
「そういえば、今日のリサイタルでは何を演奏するのかしら」
待ち合わせることは前々から約束していたから、チケットは二枚とも兄が持っていたのだ。
「お母様が、『あなたたちにぴったりの選曲なのよ』って言っていたけど」
「そんなことを言っていたのか」
それを聞くなりケーナズは眉目を顰め、眉間に皺を作った。
「何?どうかしたの?」
「あの人らしい、というべきか」
「お兄様、一人で納得しないでくださらない?」
重ねて言うと、ケーナズは渋々の体で懐から封筒を取り出した。白地に金色で、リサイタル会場の名前が示されている。
封筒の中に指を入れて、中から小ぶりのチケットを取り出すと、ケーナズはそのうちの一枚をウィンに渡した。
「Debussy et Ravel……あら」
印象派として知られるドビュッシーとラヴェル。日本人でも、名前を知っている者は多いだろう。義母の趣味をうかがわせる選曲でもあった。
だが、ウィンが声を上げたのは、タイトルの下に小さく書かれた曲目である。
「Musics from Ma Mere L'oye and petite suite popur piano seul」
日本語に訳すと、「マザー・グース」に「子どもの領分」。二人の音楽家が、子どもたちのことを考えながらそれぞれの形に作りあげたピアノの連弾曲である。
「これが、私たちにぴったりの選曲、っていうことは」
「まだまだ私たちは子どもだと言いたいんだろうな」
片手をポケットに突っ込んで、兄はさっさと歩き出した。遅れないように足を速めて追いついて、「子ども」と言われた時の兄の顔を思い出して、ウィンは思わず笑ってしまう。
「何を笑っている」
「楽しみだな、と思ったの。私たち、昔良くピアノを聞かせてもらったでしょう?」
目ざとく咎めたケーナズに、ウィンはにこやかに笑顔を返した。
そして子どもだった時のように、二人は大好きな女性のピアノの音色を耳にするべく、彼女のもとへと向かうのだった。



-子どもの領分-
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2003年09月26日

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