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『秋の桜 』
神坐生・守矢0564)&天樹・燐(1957)

 山々の木々は、空気がキンと冷え込まないと赤く綺麗に色付かない。

 その話を聞いた時に、やっぱり紅葉は日本の風物詩だな、と思った。

 「どうして?だって、木の葉が色付くのは日本だけじゃないんでしょう?」
 「そうなんだけど、何て言うんだろう…四季ってのは日本独特ですよね?これだけ暑い夏が終わった後で涼しくなり、そして冷たく冷える秋がやってくる、その寒暖差で木の葉が色付くっていうのが、日本の風土にあっているのかな、って思ったんです」
 平日の道路、しかもこの山道は専ら山へと向かう観光の為の道路なので、自分達の前後を走る車も行き交う車も、殆どが一般の人の車のようで、ダンプやトラックを見る事は殆ど無かった。それもあって、守矢のRX−8は軽快に対面一車線の道路を快調に飛ばしていた。車内の空調よりも、自然の空気の方が心地好く、開け放した窓から吹き込む風に長い黒髪を煽られて、守矢の愛車の助手席に収まった燐は、片手でその黒髪を押さえては心地好い風に目を細めた。
 燐は、出発当時から楽しそうにシフトアップ・ダウンを繰り返す守矢を隣りから見て、クスリと笑みを漏らす。その様子が、何やら大好きなオモチャを貰って夢中で構っている子供のように思えるからだ。
 「楽しそうね、守矢さんがそんなに運転好きだとは知らなかったわ」
 「そりゃもう。何て言っても、ロータリーエンジンは日本の宝ですからね」
 そんな大袈裟な事を言って笑う守矢の表情は、まさに男の子と言った感じのもので、その様子に釣られて、燐も軽やかな笑い声を立てる。和やかな雰囲気のまま、赤い車は透き通るような秋晴れの中、エンジン音を山々へと響かせていった。

 「秋の花って何があるのかしら?それとも今は、あんまり店頭に並ぶお花には関係ない?」
 「そんな事ないですよ。まぁ、薔薇のような定番の花は、多少金額が上下するだけで、ほぼ一年中ありますけど、華道のお稽古に使われる花木はやはり季節にあったものをお求めになりますしね。そうだなぁ…今の季節なら、千日紅、ストロベリーフィールド、菊にホトトギス。撫子、薄、女郎花、萩、葛、桔梗、藤袴…ってこれは秋の七草ですね」
 「さすがに詳しいのね、その全てをお店で扱っている訳ではないのでしょうに」
 そう燐に褒められると、守矢も嬉しそうに顔を綻ばせて片手で自分の後ろ髪を撫でる。
 「確かにそうなんですけど、お客様に聞かれたりもしますしね。それに何より、ボクが花が好きだから、ってのが一番の理由でしょうか」
 「何となく判る気がするわ、守矢さんとお花って似合うもの」
 男性に、花が似合うと言うのも微妙な褒め言葉なんでしょうけど。内心でそう思いつつも、それは燐の素直な感想であったことには間違いが無かった。決して、守矢に女性的な部分があるとかそう言う意味ではなく、何て言うのだろう、優しさや穏やかさ、その真にある強さやいい意味でのしたたかさ等が、自然の厳しさに耐えて咲く花々の強さを思わせる、そんな感じで。その燐の思いが伝わったか、守矢もありがとうございますと礼を告げて、視線だけちらりと隣の燐に向けて笑った。
 「私、季節には関係無いけど、秋なら濃い茶色や深い赤の薔薇なんてのも似合うと思うわ」
 「そうですね、彩りの綺麗さだと春を思い浮かべますし実際に美しいですが、秋の方がコントラストが鮮明で、ボクはまたそれがいいと思うんですよね」
 「確かにそうね、今もそうだもの。空の濃い青、山の綺麗な黄色と赤。木の幹は濃い茶色で、春に比べれば色合いが濃いものが多いですもの。木の幹なんかは変わりがないのでしょうけど、何故か見る印象は違いますものね」
 そう言うと燐が車の窓から少しだけ顔を覗かせて遠くの風景を眺める。山ごと染まったその色彩は、春の淡い色合いとはまた違う魅力を醸し出しているようだ。
 「…春は桜。桜と言えば春。では、秋の桜と言えば、紅葉を指すのかもしれませんね」

 この季節に赤や黄色に色付く木々を、素直に紅葉と呼べないもどかしさ。
 それは、普段から二人が心の奥底で感じている、感情の一つに似ているような気がした。

 二人が向かったこの渓谷は、紅葉の季節には観光客がどっと押し寄せるのだが、今日が平日である所為か、人の姿は然程多くはない。見掛けるのは既に第一線を退いた初老のカップル等が多く、守矢と燐のような、若くて美しいカップルは殆ど姿を見ない。この二人はただの友達同士であるが、傍目からは美男美女のお似合いのカップルと映るだろう。美しい紅葉の風景をバックに、まるでグラビアからそっくりそのまま抜け出して来たような二人だが、そんな視線も余所に、守矢と燐は白い水飛沫を跳ね上げる滝が臨める場所にある、小さな茶屋で一休みをしていた。
 「空の青、木々の黄色と赤、そして今は、水の青と飛沫の白、…コントラストの綺麗さが良く分かる風景ですわね。何だか、こうしてただ眺めているだけでは勿体無いぐらいに綺麗」
 燐が、蕨餅の皿を片手に持ち、逆の手で黒文字に差したそれを一つずつ口へと運びながら言った。蕨餅自体は夏のおやつかもしれないが、今日は天気自体は日差しが強く暖かいので、余り違和感は無いようだ。その隣、長椅子の緋毛氈に腰を下ろした守矢は、磯辺焼きをやはり同じようにのんびりと口へと運んでいた。
 「春の色は、どっちかと言うとペールカラーですからね。華やかな感じはしますけど、力強さの点では秋の方が勝っていると思いますよ。…まぁ、どっちにしても、美しい事には変わりありませんけどね」
 「守矢さんは、日本の四季がお好きなのね…」
 燐が目を細めて微笑む。自分も勿論、日本の四季の移り変わりが好きではあるのだが、守矢の言葉の端々に、その思いを特に強く感じ取ったので、そう言ったのだ。守矢も、一つ頷いて同意を示して微笑み返す。
 「ええ、好きですよ。何ヶ月ごとに変わる季節、気温や陽の長さ・強さだけでなく、視界に映る色合いも変わっていく。…変わらないのは、ボクだけですね。進歩がないとも言うのでしょうか」
 そう言うと、少しだけ守矢は自嘲的に、或いは淋しげに笑みを浮べる。その表情の理由を、燐も分かっているから、隣で同じようにそっと微笑んだ。
 「…分かっていて、それでも止められない、変わろうと思っても変われない想いだからこそ、苦しいのであり、またその苦しさ故に純粋で美しいのだと思いますわ。……こんな事を言ったら、私は自分を正当化しているみたいで心苦しいのだけど……」
 「いえ、そんな事はないですよ。燐さんの言う事は分かりますし、燐さんの想いは確かにそうだとも思いますから。…そして、ボクの想いもそうであればいいな、と願ってます」
 ただの片想いなら、何の迷いも悩みもないのだけれど。そう付け足す守矢は、空を仰いで青い色を眺めた。
 「…ただ、自分の想いが叶うか叶わないかだけを考えていればいいんですよね……ただの片想いなら。勿論、それにしたって相手の気持ちが分からずに疑心暗鬼になったりして、苦しい気持ちである事には変わりないのだから、ボクの想いだけが大変だって訳じゃないのは分かってますけど……」
 「ふふ…誰しも、自分の事が一番でいいんじゃないかしら?人の気持ちは思い遣る事は出来ても、知る事は出来ませんもの。…私達の敗因は、自分の気持ちを押し付ける事が出来ない事、かしらね」
 そう小さな声で呟く燐の顔を、首を捻って守矢は見詰める。長い睫毛を俯せた燐の表情は美しく、だがどこか儚い感じもあり、守矢はそっと笑みを浮べて燐へと頷き掛けた。
 「…大切な人だからこそ、押し付けられないんじゃないですか。確かに、自分の気持ちを相手に分かって貰いたい、受け入れて貰いたいとする所は、自分を押し付けているのかもしれません、そしてだからこそ、全力でぶつかっては砕けたり受け止めて貰えたり…そう言う事の繰り返しが、恋愛の醍醐味なのかもしれませんけど……ボクには出来ません。壊れると分かっていて、今の関係や信頼を崩壊させてまで、自分の気持ちを押し付ける事は出来ませんよ」
 壊れるとは限らないじゃない、そう返そうと思った燐だったが、その言葉は蕨餅と一緒に飲み込んでしまう。確かに、守矢の想い人は守矢が告白をしたら、兄のように慕う今の気持ちを恋に変えてくれるかもしれない。その可能性はゼロではない。だが、だからと言って、その事実を、ただの慰めに利用するのは、守矢の想いに対してあまりに軽率なような気がしたからだ。
 そしてそれはまた、燐自身の想いでもあり。もしも自分が、同じ事を守矢に言われたとしても、素直にそうねとは言えないような気がしたのだ。

 恋を恋だと、素直に認められない二人の想い。

 「美味しいわね、これ、お土産に持って帰れないかしら?」
 冬の雪空のよう、一瞬だけとは言え沈み込んだ、その場の雰囲気を吹き飛ばそうと言うように、殊更明るい声で燐が言った。その脳裏に浮かぶのは、大切な天樹の家族、そしてその中でもより鮮明に映る、大切な大切な弟達。燐の、そんな想いを恐らく、今現在一番正確に理解出来る守矢が受け止め、にっこりと微笑んだ。
 「持ち帰りのものが売っているかもしれませんよ。後で、お土産物屋を覗いてみましょうか」
 「いいわね、私、お土産物屋さんとか好きよ。ちっちゃくて可愛い小物とか見てると、ついつい余分なものまで買っちゃうんですもの」
 しっかりしていそうに見える燐だが、当たり前だがそう言う女性らしい所があると聞いて、思わず守矢も小さな笑い声を立てた。
 「分かりますよ、そう言うの。ボクも、お土産買わないといけないんですよね。今日、燐さんと紅葉狩りに一緒に行くって事がバレてしまったんです。デート?とかって言われちゃいましたよ」
 そう言って肩を竦める守矢だが、その諦めにも似た仕種の理由がどこにあるのか、言わずとも分かってしまう燐は優しい笑みを、その細面の美貌に浮べる。大丈夫よ、等と言って軽く守矢の肩を叩いた。

 ……そう言えば、秋の桜ってコスモスの事じゃないかしら?
 そう言う風に、言い換える事も、出来るかもしれませんわね。


おわり。
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2003年09月19日

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