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『夏が終わるまでには』
ウィン・ルクセンブルク1588)&ケーナズ・ルクセンブルク(1481)
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夕暮れの空の下、劇場前は賑わっていた。ライトアップされた「椿姫」の看板が夜空に映える。正装した人々はチケットを片手にガラス張りのドアを潜り、次々に劇場へと吸い込まれていく。開演30分前である。ウィン・ルクセンブルクは劇場へと足を踏み入れる前に、親の敵より憎いかもしれない人物と顔を合わせて立ちすくんだ。
―――ハメられた。
脳裏にひらめいたのはまずその一言である。
イヤになるほど見慣れた美貌と顔をつき合わせて、思わず唇を噛み締める。何故兄がこんなところにいるのか。無論、彼もまた叔母によって、「椿姫」に招待されたからに決まっている。主役を任されたのだと、叔母は言っていた。是非とも観に来てくれ、と。兄も同じ言葉で誘われたのに違いない。
「お兄様がいらしているとは思いませんでしたわ!」
湧き上がった怒りに任せて、思わず口調も荒くなった。何しろ大喧嘩の末に六本木のマンションを飛び出して以来、まともに顔を合わせるのすらこれが初めてである。心の準備も出来ていなかったから、どう対応したらいいのか分からなかった。
無言のまま妹の台詞を受け止めて、首を傾げるようにしてケーナズは呟く。
「なるほど……叔母様のやりそうなことだな」
イタリア製のスーツをその長身に着こなした兄もまた、妹と劣らない仏頂面をしている。ウィンがハメられたのなら、ケーナズもまた、おせっかいとも言える叔母の気遣いに、まんまと乗せられたクチなのだ。その上開口一番妹の喧嘩腰の台詞を見舞われたのだからたまったものではないだろう。口調こそ落ち着いていたが、その言葉には棘があった。
「いい加減自分がしでかしたことを反省して、帰ってきたいというのなら、話は聞いてやるが」
「何を……!!」
言っているのだ、と反射的に腕を振り上げようとして、ウィンはどうにか思い留まった。劇場正面玄関で、不穏な空気を漂わせている二人はどうにも目立つ。これ以上騒ぎを起こしたら叔母にも迷惑がかかりかねない。
「帰りますっ!」
やりきれない怒りを持て余したウィンは、正装してきたドレスの裾を翻して兄に背を向ける。叔母の晴れ舞台を祝おうという気持ちも、久々の観劇に浮かれていた気分も霧散していた。
「……待て」
兄の声が、ウィンの背中に追い縋った。彼女が部屋を出て行く時ですら引き止めなかった男の制止である。思わず肩越しに振り返ると、ケーナズは腰に手を当ててウィンを見た。
「まがりなりにも叔母様の晴れ舞台だ。我々が欠席して恥を掻かせるわけにもいかんだろう」
言って、ため息をつく。不本意極まりないが仕方ない、と言っているように…ウィンには聞こえた。反発心が頭を擡げる。気持ちを落ち着けて声が出せるようになるまでは、3回ほど深呼吸をしなくてはならなかった。
「よろしいですわ」
搾り出すように言って、ウィンはようやく頷く。
「せっかく心を砕いて下さった叔母様の好意を、無駄にするわけにはいきませんものね」
嫌でたまらないのだが仕方がない、と言外にありありと表して戻ってきた妹を見て、ケーナズは端正な顔に微笑を浮かべた。
「二人でどこかへ出かけるのも久しぶりだな、ウィン」
悪意を感じさせないやさしげな表情が、果たして兄お得意の演技であるのか、ウィンには区別がつかない。演技でなくてなんなのだと、腹立ち紛れに兄の態度にほだされそうになる自分を叱咤した。
「今晩だけのことですからね」
「膨れ面をするな。叔母様が心配するぞ」
こと感情を隠すことに関しては兄のほうが一枚上手であった。たちまち完璧なエスコートでウィンを促して、先ほどまでのしかめ面もどこへやら、ケーナズはチケットを差し出してドアを潜る。
案内されたのは二階席である。舞台を真正面から見下ろせる位置にあり、音響効果の点から言っても、最もいい席であることは間違いない。ボックスになっているので、他の客の気配に煩わされることもなかった。
そこだけ明るく照らされた舞台で、パリの高級娼婦の衣装をつけた叔母が歌っている。「椿姫」は身分違いの恋の物語だ。娼婦と地方有力者の息子が手に入れた束の間の幸せは、身分の差という現実によって奪われていく。アイーダでも有名なイタリアのオペラ作家、ヴェルディの傑作だった。
アルフレードの父に、息子と別れるように持ち掛けられたヴィオレッタは、彼の幸せのために、彼のもとを去ることを決断する。「彼の子供に、一人の女がかつて彼のために幸せを犠牲にしたと伝えてほしい」と、舞台では叔母が扮するヴィオレッタが謳い上げていた。
舞台から視線を逸らして、ウィンは兄を盗み見る。兄の部屋を出て以来、会えば売り言葉に買い言葉の喧嘩ばかりで、こうして言葉も交わさずにいる時間を、もう長いこと持っていない。
端正な横顔を舞台の照明に浮かび上がらせて、ケーナズは舞台に視線を投げていた。表情こそ変わらないが、彼は案外観劇を楽しんでいるらしい。ウィンが隣に居るというのに嫌な顔一つしないのは、完璧な演技だろうか、それとも…。
(バカらしい)
兄から視線を剥ぎ取って、ウィンは舞台に視線を戻した。昔どおりの空気が、かえってウィンの居心地を悪くさせる。それもこれも兄のバカみたいに達者な演技のせいだと、人のせいにしてウィンは劇に集中した。
睨むように舞台に目を向けているウィンにケーナズがちらりと視線を向けたのにも、だから彼女は気づかなかった。

「来てくれたのね」
楽屋で双子を出迎えた叔母は、二人の姿を見てうれしそうに顔を綻ばせた。
「ご招待いただきまして」
ウィンの傍らに立って、ケーナズは軽く目礼する。
「いつも妹がお世話になっています。ご迷惑をおかけしていないでしょうか」
「ウィンが居てくれると、寂しくなくていいのよ」
舞台用の化粧で顔を彩った叔母は二人を見比べてそう言い、来てくれて嬉しいわ、と付け足す。それが、単純にここへ足を運んだことに対する言葉ではないと分かっているので、二人は複雑な内心を抱えたままそろって笑みを浮かべた。
「あなたたち、今日はこれからどうするんですの?」
「せっかくだから、久しぶりに二人で食事でもと話していたところです。叔母様もご一緒に如何ですか?」
嘘である。思わず表情を強張らせた妹の背を、ケーナズがさりげなく触れた。一見親しげに見えるその仕草も、ようは「下手なことをしてみろ、ただじゃおかんぞ」という脅しだ。黙っていては首を絞められそうなので、ウィンは笑みの形に顔を引き攣らせた。ケーナズの言葉に明らかな安堵の表情をしてから、叔母は残念そうに頬に手をあてる。
「ご一緒したいのだけれど……、これから出演者が集まって顔見世のパーティなのよ。せっかくだから、兄妹でゆっくりしていらっしゃいな」
「そうですね…ウィン、それで構わないか?」
「勿論構いませんわ。お兄様と食事するのも、考えてみれば久しぶりですものね」
「ああ。やはり一人で食事をしても味気ない。部屋も静かすぎて物足りないくらいだよ」
「ハ……?」
ウィンが思わず言葉を失った。いくら演技だと分かっていてもありえない台詞だ……とウィンの心の底で声がする。
真っ赤どころか真紅の嘘だ。ウィンが居なくなってせいせいしたという態度を取られたことならあっても、間違ってもこの男が寂しかったはずがない。 思わず険悪な表情をしたウィンを横目に、ケーナズが心中に語りかけてきた。
(お前が人のテレビを壊してくれたお陰でな)
「…………」
この兄はもって生まれた貴重な能力を、兄妹喧嘩に費やすか。思わず怒りに握った拳を、ウィンはドレスの後ろに隠した。隠さないと叔母の前で兄に殴りかかってしまいそうだった。
「粗相をしたら、いつでも追い出してください。いつまでも叔母様のご厚意に甘えているのもこいつのためになりません」
と話はウィンを置き去りに進んで、兄が叔母に言っている。
「ふふ…相変わらずお兄ちゃんね」
何を勘違いしたのか鈴を鳴らしたように叔母が笑い、今度ばかりは双子がそろって嫌な顔をした。

一般客の絶えた劇場を出ると、途端にウィンは兄から距離を取った。叔母の前で装って見せた仲のよさが、そのまま居座ってしまうのを恐れたのだ。妹のそんな心の機微を、きっとケーナズは気づかないだろう。
「―――で」
掌を返したようなウィンの態度も気にせぬ風で、ケーナズは妹を振り返った。正装に合わせて整えた髪型が気になるのか、指で梳き上げてからウィンを見る。そこにあるのは、今までの当たりの良い柔和な顔ではなく、見慣れた兄の無愛想だ。まあもともと無駄に愛想など振りまかない兄だから、これで普通といえば普通である。
「本当に食事でもするか?」
「しません!」
「まあそうだろうな」
あっさりと引き下がるから余計に腹が立つ。「側を歩かないでくださいませんこと?」と皮肉を言ったら、「どっちにしろ別方向だ。すぐに離れる」と至極真っ当な答えが返ってきた。ますます気に食わない。
「それより、おまえそろそろ意地を張るのを止めて帰ってきたらどうだ。いつまでも叔母様に迷惑をかけるわけにもいかんだろう」
「……余計なお世話よ」
大仰に息をついて、ケーナズはウィンを見下すように顎を上げた。振り返ったその顔は、ウィンが家を出ようと決めた、あの時のままの容赦のない表情だ。
「子どもじゃないんだ。我侭を言って、他人に迷惑をかけるのは止せ」
「迷惑って、もとはといえば、お兄様が私の恋人に手を出したのが……!」
「混同するな」
ぴしゃりと妹の言葉を遮って、ケーナズは形の良い眉を寄せた。整った顔をしているから、そうして見つめられると妙に凄みがある。とはいえ、兄の冷たい視線にはいい加減慣れているウィンには、火に油を注ぐ結果にしかならなかったが。
「私が彼女に手を出したのが悪かったというなら、それは構わん。だが、振られたことまで私のせいにするんじゃない」
「でも、彼女をその気にさせておいて捨てるようなこと……」
よりにもよって、ウィンから恋人を取り上げておいて、ケーナズと彼女は長く続かなかった。詳しいことは知らないが、ケーナズは至極あっさり彼女を振ったのだと、風の噂に聞いている。とにかく腸が煮えくり返って、自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。
「お前はあの女を引き止めておきたかったのか、私の恋人にさせておきたかったのか、どっちだ」
呆れたようにケーナズはため息を付き、僅かに肩を竦めると歩き出した。言い訳も弁解もするつもりはない、というところらしい。
振り返りもせずに、兄の長身はきらびやかな明かりの下に沈んだ雑踏に紛れて見えなくなった。
やり場のない怒りを抱えて立ち竦むウィンのむき出しの肩を、夏の風が撫でていく。
「昔は、私もお姉様がいつも私の好きな人を横取りしているんだと思っていたわ」
そう、叔母が笑いながら話してくれたのはいつだっただろうか。妹の恋人を奪っておきながら、悪びれもしない兄。何も仕返しが出来ない自分が悔しくて仕方がなかった頃だ。
「……お兄様の馬鹿」
兄はウィンに対して、優しいんだが、容赦ないんだか分からない。
いっそもっと憎まれるようなことをしてくれれば、こちらも気が楽だというのに。
「……ばか」
本当は、わかっているのだ。
何も兄が自分に悪意を持っているわけではない。ただ、そうなってしまうだけだ。気がつけば同じ人を追いかけている。
趣味が、似すぎているだけなのだ。
嫌がらせで、ケーナズが自分から恋人を奪ったわけではない。ウィンが彼女を愛したように、彼もきっと、心を込めて彼女を愛したのだろう。遊び半分で手を出されて、人はそう簡単になびいたりはしないものだ。だから、きっと。
(……本当は)
本当は、わかっているのだ。奪い合いたいわけでも、いがみあいたいわけでもない。
ただ、趣味が似すぎているだけなのだ。
「兄妹、なのにねえ……」
むしろ兄弟だからこそ……だろうか。

ため息のような呟きは、吹いてきた夏の風に紛れて、消えた。


「夏が終わるまでには」
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年08月12日

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