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『コーブルク〜古城ホテルの夜〜 』
桐生・アンリ1439)&透海・朱璃(1567)

 快晴のフランクフルト空港に降り立ち、リヒテンフェルク駅まで鉄道で進む。
 さらに各駅の列車に乗り込み、ようやく辿り着いた小さな街の名は、コーブルクといった。
 オーバーマイン渓谷とチューリンゲンの森の間にある緑豊かな土地で、煉瓦づくりの古い建物も数多い。
「さて、ここまでは道に迷わずにこれたな」
 二人分のスーツケースを抱えて、駅から現れた背の高い男性は、町の眺めを見上げ、笑顔を浮かべた。
 小麦色の肌のがっしりとした体格の男性である。黒っぽいスーツを身に纏い、その下のシャツの襟は大きく開いている。
 人好きそうな笑顔で、視線のあった町の人ににっこりと微笑んでいると、彼の背後から日本語が響いた。
「待って、ヘンリー」
 彼を追って現れたのは、黒髪のショートヘアの若い女性だった。
「どこに行っちゃったかと思ったわ」
「ああ、すまない」
 新しい土地に辿り着き、彼の胸を躍らせた好奇心は、知らずその歩みを早くしてしまったらしい。
 彼女がふと視線を余所見した瞬間に、同伴相手はどんどん先に歩き出してしまっていたのだ。
 けれどそのくらいで機嫌を悪くするような彼女ではなかった。
 ヘンリーと名乗るこの青年、本名は桐生・アンリ(きりゅう・−)という大学教授を生業とする彼が、どれほど旅を愛し、人一倍楽しんでいるのか、彼女は説明されなくてもわかっていたから。
「さて、車を頼もうか。車だ」
 桐生は言って、近くのハイヤーを止め、顔を出した運転手に、片手に持つ絵葉書とその裏に書かれた住所を見せて話しかけた。
 英語で通じたらしく、運転手は気安く微笑んでくれる。現地の者にも有名な場所らしかった。
「朱璃くん」
 桐生は交渉を済ませ、待たせていた彼女に手のひらをあげた。
 透海・朱璃(とうみ・あかり)は、軽く微笑み、彼の側にゆっくりと近づく。そして、桐生があけてくれたドアから、車のシートについた。
 桐生も続けて乗り込む。
「……ここから二十分程らしい」
「そうですか」
 車はゆっくりと走り出した。さすが日本についでの車の国ドイツ。乗り心地は抜群によかった。 

 古く小さな町コーブルクの、まるで絵本に出てくるような煉瓦の町並みを楽しみながら、やがてハイヤーは山間の方へと向かう。
 もともと谷あいにある町だから、町の周囲はすべて自然に包まれていた。
「見えてきた、かな」
 前方の景色に見入っていた桐生がふと、朱璃を振り向いて笑った。
 彼の手に持たれている絵葉書には、とある古城の風景が描かれていた。
 丘のようななだらかな坂の上に広がる赤い屋根に、丸い塔のある、感じのいい城だった。
 そして、彼が指し示すように、前方の森の中に赤い屋根の城が見えるのだった。

◎古城ホテル
 
 やがてハイヤーは、絵葉書とほとんど変わらぬ景色の場所へと、二人をいざなう。
 小さな森の丘を抜けていくと、そこに青い空の下に広がる古城があった。ルクセンブルク家の所有する古い歴史ある古城。今はホテルとしても利用されているという。
「素敵な場所ね」
 車を降りてすぐに、朱璃が深呼吸するように大きく息を吸い込んで笑った。
「ああ」
 桐生は優しい表情でうなずいた。
 東京で知り合った友が、招待してくれた場所。彼の実家でもあるというこの城に辿り着くことが、今回のこの旅のいちばん大きな目的であったのだ。
 桐生は朱璃の分のスーツケースと自分の分を持ち、片方は肩にかけながら、ホテルに向かって歩き出した。
「自分のは持つわよ?」
「力持ちにこういうときは任せておくもんだ」
「……もう」
 彼女は桐生の横を歩きながら、もう一度辺りの景色を仰いだ。
 「ここに行ってみないか?」桐生に誘われたときに初めて見た絵葉書の景色。
 それから色々な日々があり、旅の準備があり、旅に出て、ここに辿り着くまでの経緯があり、そして今、彼女は桐生とそこにいた。
 絵葉書の中の世界に二人でいっぺんに潜り込んでしまったような気がした。
 そして、それはすごく嬉しいことだった。

 扉を叩くと、中から開き、迎え出てくれたのは、美しく豊かな銀色の長い髪の上品そうな貴婦人であった。
「ようこそ……ミスター・キリュウね……。はじめまして」
「こちらこそ。はじめまして」
 英語で婦人は挨拶し、その後、日本語も使った。
「歓迎しますわ。さあ、どうぞ。おふたりとも」
「日本語、お上手ですね」
 朱璃が微笑むと、女主人も柔らかい笑みを見せる。
「日本からの観光客の方も多いのです。だから、安心して。リクエストいただければ、ミソ・スープも出しますわよ」
「まあ」
 朱璃が笑うと、女主人もつられたようにくすくす笑う。
 それから彼女は、ベルボーイ達に荷物を運ばせながら、自らの案内で二人を客室へと案内してくれた。
 ホテルの内装は、それはもう見事なものであった。
 白い大理石で覆われた広いフロアーには柔らかい絨毯が足元に広がり、右側には小さなカフェテリア、左側には美しいカーブを描く螺旋階段が作られている。また正面には、金の額縁に飾られた巨大な絵画が出迎えるように備えつけられ、コーブルクの豊かな自然と街並みが丁寧に描かれていた。
 二人のために用意されたのは、二階のスイートルームだった。
 螺旋階段を上がり、広い通路の曲がって二番目の部屋。
 ベルボーイたちによって開かれたその扉をくぐり、二人は感激の声をあげた。
「わぁ……」
「おお、これは」
 そこは広々とした部屋で、とても豪奢で、かつエレガントな部屋であった。
 ベランダがあり、居間があり、寝室がある。照明はシャンデリアで、調度はすべて木製であり、また白で統一されていた。絨毯は美しいデザインの織物で、けして目立ちすぎるものではない。
 窓の外の眺めは、美しいコーブルクの街と森を一望するようになっており、白いテラスにはチェアとテーブルも置かれている。
 寝室は天蓋つきのダブルベッドがあり、その部屋の窓の向こうは森を覗けるようになっていた。
「お気に召してもらえたかしら?」
 貴婦人が告げると、桐生と朱璃がそれを否定するはずもなかった。
「嬉しいわ。もしよろしければ、ご一緒に夕食を、と考えていたのですけど、いかがかしら?」
「喜んで」
 桐生は頷く。朱璃も桐生の横で微笑んだ。

◎星空の教会

 夕食の支度が整うまでと、桐生と朱璃は二人で城の外を散策していた。
 空にはいつの間にか夕暮れを過ぎ、ぽつりぽつりと星が一つずつ光り輝きはじめていた。
 どこまでが城の範囲であるのか。近隣の森もすべてこの城の所有地なのであるという話。
 女主人にこの先の道に、建物があると桐生は聞いてきたらしく、朱璃を誘い、二人は空を眺めながら、夕暮れの散策を楽しんでいた。 
「ドイツ人って主食がじゃがいもって話はデマよね……。旅行前にからかわれて、いえ、半分冗談だというのはわかってたんだけど」
「はは。それは怒られるな」
「そうね。昼間のレストランも美味しかったわ。ランプステーキも、鹿のグロシェも」
「ワインもね」
 桐生はニヤニヤと笑った。
 散策の少し前、女主人は城の地下のワイナリーを案内してくれた。
 その時に試飲代わりにといくつものワインを試してみた。その量がいささか、試飲にしては多すぎないかと、朱璃は眺めていたのである。
 自らはというと、遠慮ぶかげに量を加減してもらっていたのだが、桐生の量を試しても多分なんともないくらいの自信はあったりもする。
「ヘンリー、飲みすぎたでしょ」
 朱璃が言うと、桐生は「そんなことはない」と上機嫌に笑った。
 道が暗いためだろうか。人の気配のない森の小道。二人の距離はだんだん近づき、やがて、桐生の左腕を朱璃は捕まえて歩いていた。
 出会った時には互いが大人で、どこか影をもつ桐生との距離を縮めていくことに夢中になってた時期もあったのだな。朱璃は腕に甘えながらそんなことを少し思い出したりもする。
 今は昔より近い。ずっと。こうして触れていられるくらい。
「綺麗な星だわ」
「そうだね」
 木陰の向こうから、煉瓦つくりの壁が見えてきた。
「何かしら?」
「到着だ」
 桐生は微笑んだ。そして、朱璃の腕をほどき、代わりにそっと抱き上げる。
「きゃっ!」
「ふふ。朱璃は軽いな」
「いきなり、何するんですかっ」
「いいから」
「教授、酔ってるでしょっ」
 呼び捨てにされた。一瞬してから気づき、赤くなる朱璃。けれど、それよりも少し先にもっと驚きがあった。
 朱璃を抱き上げながら桐生は建物に近づく。
 大きな胡桃の木を過ぎ、朱璃にもそれが何なのかようやく理解することができた。
「……教会……」
「そう」
 桐生は頷いた。そして、無人の教会の扉を開く。中はもう真っ暗だったが、彼は腕に抱いた朱璃にマッチを手渡し、近くのランプに火を点させた。
 ランプの灯りだけを頼りに、教会の中を進む。
 美しいステンドグラスを背景に神の像が佇んでいた。
「……こんなところに教会があったなんて……」
「結婚式もあげられるそうだよ」
「……結婚式?」
 朱璃は桐生に問い返す。
 なるほど、そういわれてみれぱそんな感じである。それに山の上のホテルの近くの教会といえば、役割はおのずと決まってるのかもしれない。
 しかし。
 桐生は朱璃をおろすと、今度はその細い手を優しく握った。そして彼女の瞳をまっすぐに見つめながら、ゆっくりと告げた。
「いつかここにまた来ようか。朱璃」
「……教授?……いえ、ヘンリー……」
「どうかな……? 気に入らないか?」
「そ、そんなこと!」
 朱璃は慌てて叫ぶように言う。
 にわかには信じられなかったのだ。
「酔っていう冗談にしては……たちが悪いですよ?」
「……酔っ払いのたわごとに聞こえるのかい?」
「…………」
 朱璃は目頭が急激に熱くなっていくのを感じた。
 溢れてくる涙をこらえようとして瞼を閉じると、ほろりと一筋がここぼれ落ちる。
 桐生はまっすぐに朱璃を見つめながら、優しく続けた。
「……私は昔、妻がいた。……今も勿論、妻を愛し続けている。これは変わりない……。けれど、今、私の心の中には朱璃も住んでいて、妻と同じくらいに愛しているんだ……」
「……ヘンリー……こういう時、どういえばいいのかしら……。嬉しくて……言葉が出ません」
 溢れ続ける涙を隠すように、朱璃は桐生の胸に顔を伏せた。
 桐生はいつまでも、彼女を抱きしめていた。

◎ドイツの夜は更けて

 古城ホテルのレストランのディナーは最高であった。
 美しい女主人のもてなしのテーブルに次々と並べられるのは、ドイツの古くからの伝統料理であり、優秀なシェフたちがその能力を充分に生かした品達。
 フォアグラのソテー、ワイン蒸しのビーフにグリューネ・ゾーセ、ガチョウの胸肉の蒸し焼き、デザートにリンゴのパンケーキとアイスクリームを頂き、またワインもフランケン地方の特産のワインを満足ゆくまで飲み尽くした。
 エリザベートの話も面白く、二人の好奇心を充分に満足させてくれるものだった。
 時計の針が深夜に近づき、彼女が退席を申し出てから、桐生と朱璃も名残惜しく夕食の席を後にするほどである。
「ヘンリー、足元気をつけて歩いてね」
 彼を支えながら、朱璃は注意を促した。
 螺旋階段は急なカーブを描いていて、酔いの軽く回った彼の足では危険を感じたのだ。
 しかし当の本人はまるで意にせず、それよりも、朱璃を見つめて笑った。
「ほんとに……酔わないな。今度、勝負しないといけないな……」
「絶対に負けることはない気がしますわ」
 くすくす笑って、朱璃はようやく自分達の部屋の前へと到着したことを喜んだ。
「さあ、お部屋につきましたよ、ヘンリー」
「ああ」
 ヘンリーは扉を開くと、一人で、ふらふらと中に入っていった。
 小さく苦笑いのような息をつき、朱璃もその後に続く。
 部屋の灯りを点けると、シャンデリアが光り輝き、ここについたときと同じく、美しい豪奢すぎる程の部屋の眺めがよくなる。
 まだ自分達の部屋だなんて信じられない程。
 もう少し自分が子供なら、あのふかふかのベッドでジャンプをしてたかもしれない。などと朱璃は思って、笑顔になりながら、先に部屋に入った桐生を探した。
「ヘンリー? どこかしら?」
「……ここだ。朱璃」
 テラスの方から顔を出して、桐生が手を振った。
 朱璃は彼の後を追い、テラスに向かう。
 彼は静かなテラスの手すりにもたれ、そこからの眺めに見入ってるようだった。
 静かな森と、森の向こうに広がる美しい街の明かり。
 それは日本の東京の都会の明かりとはまるで違う。
 人が息づき生活をし、同じ温かい夜を送っているという証のような優しげな灯り達なのだった。
「朱璃……」
 桐生は小さな声で朱璃を呼んだ。
 彼女が返事をしようと身を動かした時、その暖かい腕が彼女の体を包み込んでいた。
「……好きだよ」
 桐生はそう言って、彼女の顔に自らの顔を近づける。朱璃は返事の代わりに、瞼を閉じた。
 唇が重なる。触れるだけの感触から、やがてついばむように、何度も口付けあい、やがて互いの奥まで深く深く。
 求めあい、腕に力をこめて、いつまでもいつまでも二人は抱き合っていた。
 まるで時を惜しむかのように。
 熱く熱く。
 吐息を燃やして。
 
 コーブルグの森に梟は鳴く。
 お城の大切な部屋の一つのテラスに、素敵な恋人達が素敵な夜を過ごそうとしているのを、見護るかのように。
 コーブルグの森の空の上。
 輝く星達が証人だ。二人の愛が永遠に光り輝くように。
 
                                                 ■終わり■

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年08月12日

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