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『繋ぎ馬、我等とともに在り 』
草壁・さくら0134


 その戦は承平・天慶の乱と銘打たれ、21世紀となった今にまで伝わっている。当初は単なる一族の内紛だった。それは時代の流れに呑まれ、国を揺るがす叛乱となった。
 この戦は、平将門の死とともに終わりを告げたと――21世紀の世には伝わっている。
 だが草壁さくらは覚えている。
 自分と伴に向けられた、陰陽師たちの祝詞、破魔矢、式神たちを。
 さくらが語ることはない。彼女は時折歴史書を紐解き、西暦935年の頁をめくる。その手は、西暦940年の頁でとまるのだ。
 ちがう、ちがうちがう、
 この戦は、このとき終わったわけではない。
 ――私たちの戦は、まだ続いていた。あの日まで続いていたの。あの日、私が『鬼』となった日まで。



 平将門のもとに身を寄せていた妖は数多かった。将門は条件付きで人も妖も分け隔てなく受け入れていたのだ。その条件というのも、「不殺生」のただひとつだけ。将門は妖が人や獣を殺める者ばかりではないことを知っていた。妖と見れば即座に討ち祓う朝廷のやり方を嘆いてもいた。都から追われた妖たちは、自然と将門のもとに集まったのである。
 桜姫――のちに草壁さくらと名乗る妖狐も、数奇な運命に流されるまま、将門のもとに身を寄せていた。聡明で美しい桜姫の友は多かった。
 その鬼の姫も、桜姫の伴のひとりであった。
 鬼姫はいつしか将門の養女となっていた。それほど、将門はこの鬼の姫を愛していたのである。
 桜姫の髪は美しい黄金色に輝いていたが、鬼姫の髪は黒曜石の如き漆黒であった。
 黄金を眺め続けては眼がつぶれる。墨で眼を休ませねばならぬ。
 将門はそう言って笑っていた。
 だが、死んだ。
 情報そのものが錯乱しているかのように、隠れ里は騒然としていた。公の眉間に流れ矢が立ったのだ、いやいや秀郷の矢がこめかみを捕らえた、わしは馬から落ちたと聞いたが――しかし、ともかく、どの噂も最後にはひとつの結果に行き着いた。
 将門は、死んだのだ。

 鬼の姫は、寝殿の奥で涙を流していた。
 桜は随分彼女を探した。里の中は昂ぶる妖たちの気が入り乱れており、伴の気を辿るのは難しいことだった。一刻余りも探しただろうか。ようやく見つけて、彼女はほっと息をついた。そばに座ると、鬼の姫はわっと桜に泣きついてきた。
「とと様は、とと様は安らかに逝けたでしょうか」
「……」
「とてもお優しい方だった。わたくしたちを……民を……此度の戦も、民のために……」
「あなたもお優しいですわ」
 桜は、黒曜石の髪を撫ぜた。香が染みついたその髪は、艶やかで温かかった。その髪の生え際からは、二対の角が生えていた。人と彼女が違うところは、その角、牙、紅い目だけだ。
「私よりも、ずっと優しいですよ」
「桜、そんな」
「私は、何故なのでしょうか――泣けないの」
 将門からの寵愛は受けていた。彼女も、彼を深く敬愛していた。だが、彼女は彼女が言う通り、訃報を耳にしてから一粒も涙を零していなかったのである。
 何故なのかわからない、というのは嘘に近かった。
 胸騒ぎがするのだ。虫の知らせというよりももっと悪い予感が背筋を撫でていく。金の毛並みを逆撫でしていく。予感が闇に溶け、新たなる闇を呼ぶ。
 この予感が、もっと具体的なものであればよかった。
 桜姫は、胸騒ぎが教えていた未来を、悲鳴で悟るはめになった。


 桜は鬼の姫の手を引き、走る。
 破魔矢が飛んでくる――見上げれば、美しく輝く蝶や鳥。頭痛を誘う祝詞と経文。
 妖が住む隠れ里が暴かれたのだ。将門について戦に出た武者たちの中には、戦鬼や妖狐も混じっていた。将門の下には妖もいる――朝廷にその噂が届いたのであろう。討伐軍の中に、陰陽寮の術師を送り込んだに違いない。ただの武者が、一朝一夕でこれらの術を身に付けられるものか。
 祝詞と経が紡ぐ『唄』は止まぬ。唄に動きが鈍るは妖の定め。妖たちは成す術もなく動きを封じられ、もののふの刀と槍で命を落とす――
「頭がいたい、桜、頭が、割れるわ、桜!」
 とても、この鬼の姫の他に仲間を救うことなど出来なかった。
 桜は強い妖狐だ。祝詞と経の力すら捻じ曲げるほどに。だが、捻じ曲げるだけで精一杯だ。『唄』を封じながら退けるのは難しいことだった。
 ――刹那でも、あの『唄』を止めることが出来たら。
 人間は単純だ。わずかな動揺で全体が乱れる。そしてその動揺を呼び起こすのは容易い――

「将門だ!」

 もののふの一人がそう叫び、たちまち討伐軍の統率は乱れた。

「怨霊じゃ!」
「将門の首が!」
「祟りじゃ!」
「退け、退けい!」
 馬のいななきと乱れる足並み、恐慌と怒号とが『唄』をかき消す。
「……今のうちに!」
「桜!」
 将門の首を『見せた』のは、桜姫に他ならなかった。人間の目と心を惑わすのは、彼女にとっては造作もないこと。だが幻術を見せるそのときに、『唄』の力をまともに受けた。痛む頭と燃え上がる血に、桜は顔を歪ませた。彼女の頭からは狐の耳が、単の裾の間からは尻尾が飛び出す。
「走って! もうすぐ、谷に出ます! 橋を落とせば追っては来られません!」
 また泣き出しそうな鬼の姫を引っ張り、桜姫は再び走り出した。
 彼女が力を使い続けなければ、偽りの首は姿を消す。
 人間たちが混乱から立ち戻る。
 『唄』が始まる――
 振り返り、数多くの伴の安否を確かめる余裕はなかった。

 橋が見える。
 あれは、蜘蛛の糸なのか。
 細い月が見下ろす吊り橋は、ひどく頼りない。だが同時に、光り輝く虹の橋にも見えた。
「先に、渡って下さいな。お願いです」
 桜は鬼の姫の目を覗きこみ、微笑んだ。
 どうやら、察してしまったらしい。鬼の姫は、聞き分けのない子供のように、ぶんぶんと激しく首を振った。
「……桜も一緒に! 一緒でなければ、渡りません!」
「お願いです、姫。先に渡って、お逃げ下さい」
 空を、白い鳥が飛んでいる。
 斯様な刻に飛ぶ鳥など、梟か夜鷹くらいのもの。白い鳥が飛ぶはずはない。白い、光る鳥など――自然の中に居はしないのだ。
「このお願いは、私からだけのものではないのです」
 そのことばに、鬼姫の紅い目が揺れた。
「……だから……」

 鬼の姫が、がこがこと慌しく橋を渡る。
 姫が橋を渡り終えたことを見届けて、さくらはそっと微笑み、静かに手を上げた。
「桜姫……! はやく……! 『先に』って……あなたは、『先に』って……!」
 先に、とは。
 後に続くから、ということだ。
「狐は、よく嘘をつくものです。嘘をついて、自分の都合のいいように、ひとを騙すものなのですよ」
 桜姫は囁いた。遠く、対岸の鬼には届くまい。
 優しい鬼には、届かずとも良い。
 ばっ、と吊り橋が燃え上がった。
 対岸の姫の目には、狐の姿が映っただろう。焔の向こうの美しい妖孤の姿が。狩衣と烏帽子、鎧と得物を身につけた軍勢を前にする、疲れ果てた狐の姿が!
「桜! さくら! 嘘つき! 嘘つきぃッ!」
 鬼の目にも、涙は浮かぶもの。それどころか、流すことさえあるものだ。
 それを知る人間は、その時世のその場にはもういなかった。
 もう――いなかったのだ。



 草壁さくらは、静かに歴史書を閉じる。
 これ以上思い出すと、涙が流れてしまうから。
 狐も、涙を流すのだ。誰も咎めることはないだろうに、彼女は絶対に泣きたくなかった。
 泣きたくは……
 なかったのに。


(了)

PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年08月11日

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