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『同じ血と違えた心 』
和紗・久遠0098)&和紗・束紗(0102)
●妹と兄
 雲が低く立ちこめる夕暮れ。
 時折、思いだしたかの様に流れる風が少女の髪を撫でるように吹き抜ける。
 乾いた絹の擦れる音だけが、少女の歩む道に聞こえている。それは彼女の纏う東洋の装束にあるのだが、黒髪の少女は意識もしていない。
 凛とした涼やかな瞳が、ただ真っ直ぐに歩む道を見つめている。
「‥‥こちらにいらしたんですか」
「‥‥」
 少女は目的の人物を見つけて通路から外に出る。エヴァーグリーンの支部の一つ、郊外に位置する廃ビルを修復したばかりの施設に、彼女は兄を訪ねていたのだった。
 彼女に似た艶やかな黒をした髪の少年は、和紗久遠の姿を見ても特に動じた風でもなく、目で久しぶりという意志を伝えるだけで遙かに眼下に広がる緑の森を見下ろしていた。
「こんな所で居ると、雨で風邪を引きますよ?」
 施設の外に出ると、髪に常以上の艶が生まれる。その艶は雨脚を運んでくる風の吹く時によく見られる物で、端正な表情を曇らせて天を仰いだ久遠には、大気に薫る雨の香をほんの僅かに感じ取ることが出来る。
「犬か、お前は‥‥そんなだから、ボーイフレンドの一人も出来ないんだぞ」
 壁に寄せていた身を起こして、和紗束紗が妹の顔を見上げている。
 何が臭うのか知らないが、久遠は小さな頃から雨の前になると匂いをかぐ犬のように空気中を漂う何かをかぎ取る仕草で辺りを見渡す癖がある――と、束紗だけは知っていた。
「まぁ、酷い」
 柳眉をひそめる久遠。
 そんな表情は母親譲りだなと、内心で止めて束紗は再び壁に背を預ける。
 雲行きが怪しげな空を見上げているだけの兄、束紗だが、何か言いたげであるのは久遠には判っていた。
「どうしたんですか?」
「‥‥チェ! 久遠がそういうって事は、判って言ってるんだろ」
 ずるい奴だと、格好だけ拗ねてみせる束紗。
 彼にも判っていた。
 決して、久遠が人の心を覗ける人間ではないこと、そして自分のこの姿勢を許してくれると言うことを。
「何のことでしょう? 今年も里帰りしなかったとか、お母様が悲しんでいるのに未だにお父様と和解されないとか、昨日出されたおかずを黙って食べている割には、実は嫌いなおかずだったから『ご馳走様』を言えずに終わったこととか、私のお気に入りのマグを不注意で割ったこととか‥‥」
「ま、待て、待て!」
「なんですか?」
 焦る兄に、しれっと返す妹の笑みは極上の物だ。
「おっかねぇ奴‥‥」
 そのまま話を続けさせておくと、昨日頼まれていた雑記を買い忘れたことまで話題に上りそうな勢いだった。小首を傾げて兄を見つめている妹に、束紗は父親と同じ‥‥ある意味で父親以上にやりづらい物を感じていた。
「親父相手なら、良いんだけどな‥‥」
「負けるのに? 先生にも言われてるでしょう?」
「う‥‥」
 束紗達の剣術の師。
 それは父親の知り合いである軍属の人物だった。父親同様、先の大戦を戦い抜いた猛者。それだけの筈なのに、彼は束紗、久遠の父だけでなく、母とも知り合いだったらしい。
 自分達の幼い頃まで知っている師という存在は、久遠にとっては両親の親族と会う機会の無かった幼少時には親戚の叔父のような存在であり、束紗にとっては父親同様手の出しにくい存在であった。
「ホント、似てきやがって‥‥」
「ん? 何ですか?」
 人が聞けば、仲の良い兄と妹の会話の筈だが、手ずから差し出されたサンドイッチのツナの香りは、束紗にとっては誘導尋問に至る一本の鋼鉄製の鎖にも感じられる。
 食べ物で釣られるなんてと、普通の女の子相手なら誰もが思うだろう。
 だが‥‥‥。
「‥‥‥」
 俺は知っているんだと、己に何度も言い聞かせながらも、空腹は束紗の理性よりも素直に妹からパンを受け取るのに働いた。
「駄目ですよ、そんなに簡単に‥‥お母様のように、人を信じすぎるのは良くないことですよ?」
 真剣な表情で、袖元からハンドタオルでくるんでおいた冷えた缶ジュースを出す久遠。
「お前が言うのか‥‥お前が‥‥」
 人を食ったような言動は、父親譲りだなと言いたくなったのをぐっと我慢する。
 加えて言えば、久遠もどちらかと言えば騙されやすい。
 風は少し湿り気を帯びて、暑さも和らいでいるのだが、冷えた飲み物は有り難い。
 有り難いのだが‥‥その一杯が命取りになりかねないのが和紗家である。
 特に、父親と久遠に関しては。
「で、これの見返りは?」
 取り敢えず聞いてみる。
「見返りだなんて‥‥‥」
「‥‥‥」
 じっと、見返す束紗に、久遠も流石に待つのは止めにしたようで、口元を押さえて微苦笑する。
「何にしましょうか?」
「‥‥とりあえず、後で良いだろ?」
 嫌なことを聞いてしまったと、自己嫌悪する。言わなければ、もしかしたら久遠は何も思い出さずに‥‥と、優しい目で見上げた束紗に、現実はほんの少しスパイスが効いていた。
 兄の目の前で、懸命に考え込む様子で久遠はメモ帳に何事かを書き込んで行く。その呟きは‥‥
「隣町への物資輸送の手伝いでしょ、戦災地区に井戸を掘る手伝いに、まだ誤作動してたシンクタンク退治に、あ、そうそう。実家に帰ると‥‥」
「一番最後のだけ、除けとけよ‥‥」
 溜息混じりで返した兄に、久遠は少し困ったなという表情で束紗に顔を寄せた。
「どうして、そんなに嫌われるんですか? 私達の‥‥」
「判ってるよ。判ってるから‥‥あーー。駄目だ、うまくまとまんない‥‥」
 苛立ちのまま髪を掻き上げる束紗に、久遠は次のサンドイッチを差し出して苦笑する。
「考えながら食事をしては、消化に悪いですよ?」
「久遠、お前って‥‥‥」
 勝手な奴と、言いたいのを我慢して束紗は肩を落とした。
 溜息さえも、出やしない。
 この妹にして、あの父親がある。
 真実は逆なのだが、今の束紗には家族と言えば母親以外に頼れるものは無いように思えてくる。だからこそ、母を泣かすような男‥‥‥そんな存在に似てくる自身に腹が立つのだ。
「何か?」
 真っ直ぐな瞳で返してくる久遠に、父と母の面影‥‥そしてもう一つ、何かが重なった。
「あ、そういうことか‥‥」
 ふっと肩の力が抜ける。
 澄んだ瞳で覗き込まれたせいだろう。
 余りに真剣な久遠の表情で、束紗は忘れていたことを思いだした。
「どうしたんです? 美味しくなかったですか?」
 自分が作ってきた物である。流石に、自信たっぷりとは言わないまでも、束紗に不味いと言われるようなヘマはしていないはずなのにと、久遠の表情が曇っている。
「違うって。久遠は久遠なんだって‥‥それだけだよ」
 残っていたツナを飲み込んで、ご馳走様と立ち上がる。呆けた表情で居る久遠に手を差し出して、立ち上がらせると肌寒くなってきた曇天の空から逃げるようにして施設の中に戻る束紗。
「狡いです。私ばっかりが判ってないなんて‥‥」
「良いんだよ。別に、これ以上知られたくもないし‥‥」
 お前はお前のままでと、敢えて口には出さずに繋いだ手にほんの少し力が込められる。
「‥‥狡いです‥‥やっぱり、家に帰って貰いますから!」
「あーのーなーー」
 小悪魔の微笑みを溜めた妹に、思わず溜息の束紗。
 廊下に響く2つの足音が、重なりながら同じリズムを刻んで遠ざかって行くのだった。

【おしまい】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
本田光一 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2003年08月11日

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