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『行楽慰謝料請求日和 』
綾和泉・汐耶1449

I

 ――大安吉日。
「むぅ、終わらない、終わらない終わらない終わらない終わらなああああああああああああいっ!!」
 がたんっ! と。
 周囲にも良く響き渡る大きな音を従えて、ネットカフェの一角、一人の少女が勢い良く椅子から立ち上がった。
 その衝撃に、パソコンのマウスが、キーボードが一瞬跳ね上がり、画面の中でポインターがぐらりと揺れる。
「第一! 出しすぎなのよ! 出しすぎ! しかもこのドリル難しいってーのよ! 反則よ反則! んもぉぉおおおおお嫌!」
 声の主は、瀬名 雫――オカルト大好きで巷でも有名な、変わり者中学生であった。
 夏休みは、長いようで短い。いつの間にか、怒濤の如くに過ぎ去ってしまっていた楽しい日々に、気が付けば取り残されていたのは――
 宿題の馬鹿っ!! んもうっ! 折角楽しい話題が目の前にあるってーのに!
 シャープペンシルを握り締め、大きく深呼吸をして心を落ち着ける。あまりにも、な厚さの紙束にわなわなと震える手でマウスを操作し、開いたのはいつものオカルトサイトであった。
 情報をちらりと一読し、そのまま、キーボードの上に伏せてしまう。
 ――見に行きたいのに! 見に行きたいのにぃぃぃぃぃっ!!
 しかし、雫の目の前に積み上げられているワークの量は、端から見ても尋常では無かった。これを残りの夏休み期間で終わらせるのは、もしかすると至難の業なのかも知れない。
 自業自得と言えばそれまで。だが、
「こんなの、写したって終わるかどうか……! ああ、せめて英語だけでもやっとくんだった!」
 がばぁっ、と顔を上げる。心の中で目の幅涙を流しながら、ちらりとモニターに視線をやれば、その先では楽しそうな怪奇情報が雫をおいでおいでしているかのようだった。
 ……うぅ。
「――雫ちゃん、やっぱりいたのね」
 と。
 心底雫が、不幸に浸っているその時であった。
「汐耶ちゃんだああああああ! 聞いてよ! あたし宿題の樹海で埋もれて死にそ――って、おおおおおおっ?!」
 雫の方に鬱陶し気な視線が集中したのは、本日何度目か。しかし、今度のそれには、別の意味での視線も混じっていた。
 感嘆の、視線だ。
 せ、汐耶ちゃんっ?!
 振り返った瞬間、雫も雫で思わず椅子から飛びのいてしまう。
「どーしたのその格好! か、可愛い……ってもしかして、目覚めた?!」
「目覚めたってどういう事よ……お見合いに行って来ただけよ。全く、私は嫌だって言ったのに……第一あの男……!――いえ、ともあれね、」
 雫の後ろに立っていたのは、長身の女性――綾和泉 汐耶(あやいずみ せきや)であった。ショートカットの黒髪に、青い瞳。銀縁の伊達眼鏡はいつものことだとしても、
「付き合って」
「へ?」
 汐耶は決して、ワンピースを着て出歩くような人物ではなかった。常日頃からパンツルックを好み、スカートなど考えも及ばないような印象すら周囲に与えて歩くのだ。
 水色の、半袖ワンピース。丈は長めに、布は軽めに、更に白い上着をするりと羽織り、手元には同じ色の帽子が抱えられている――
「付き合って、とは?」
「憂さ晴らしよ。今日は全部おごってあげるから、付き合って頂戴」
 このような服が、汐耶のクローゼットの中に入っているということ自体、非常に信じ難い。
 汐耶は不意に、雫の二の腕をぎゅっと掴むと、
「ねぇ、良いでしょ?」
「……ったってごめん、あたし、宿題が……!」
「少しくらいなら手伝ってあげるから。社会科のレポートとか、ほら、良い本なら探しておいてあげる! という事で、今日は一緒に、ね?」
「――むぅ〜……」
 汐耶の様子を見る限り、どうやら本当に憂さが溜まってしまっているらしい。そこはかとない無言の圧力に、雫の遊び心がちくり、と突き動かされる。
 あと一歩。
 確信を持った汐耶は、
「数学とかも教えてあげられるし、ね? だから今日は一緒に出かけましょう?」
 さらに言い寄った。
 汐耶とて、雫の宿題の大変さには、薄々気が付いてはいた。が、しかし、
 ……最低なお見合いだったわ。
 思い出せば、吐き気すら催す程に。
 全く、あーいう男がこの世に蔓延ってるから……!
「雫ちゃん!」
 青の瞳が、少女の瞳をじっと覗きこんだ。
 ――暫く。
 しん、と、辺りが静まり返り。
「――そうだ、手土産に大きなケーキを一つでどう?」
「よしノったっ!」
 交渉成立。
 雫は信じられないスピードで宿題を取りまとめ、鞄の中へと詰め込むと、出口へと向う汐耶の後へと続いたのだった。


II

 汐耶と歩くと、視線が気になる。
 勿論その中には、雫へと向けられた物も含まれてはいたが、
「……綺麗だね、汐耶ちゃん」
「やめてよ。冗談はよして頂戴」
 雫の言葉の、通りであった。
 振り返り立ち返り、汐耶の通るその先には視線の跡が残る。本人はどうやら、根っから気が付いていないらしいのだが、
「そうだ、あそこの店でも見て行きましょうか」
 今日の汐耶が、それだけ綺麗だという事なのだ。すらりとした美しさに、きりりとした印象が、周囲の意識を惹きつけて簡単に放そうとはしない。
 ――身なり一つで、こんなにも変わってしまう。
「雫ちゃん、ワンピースなんか欲しくない?」
「ん、そういえば暫く着てないな〜。着る機会も無いし」
「もうすぐ高校生でしょ? 彼氏ができた時の為に、一着買ってもらいましょうね」
「――誰に?」
「ん、いや、買ってあげるわよ。雫ちゃんなら、何でも似合うと思うから」
 不可思議な言動に眉を顰めた雫を誤魔化しながら、汐耶はいかにも高そうな見目の店へと入って行く。自動ドアが開き、二人は街の雑踏から一瞬にして隔離された。
 ――静かな音楽の流れる、『大人のお店』。
「でもあたし、男なんかより怪奇現象の方が――」
「そんな事言わないの。ほら、これなんか可愛いんじゃない?」
 おっとりとした女性の、いらっしゃいませ、の声を聞きながら、汐耶は早速桃色のワンピースを手に取り、雫の体へと当てて見た。
 満足気ににっこりと微笑むと、
「ほら、可愛い」
「……ん、でも、こっちの方が良いかも。ちょっとそれ、フリフリしてるんだもん」
 言って雫が取り出したのは、その近くに掛っていた緑色のワンピースであった。すっきりとしたデザインに、アクセントの白色のリボンが愛らしい。
「それも可愛いわね」
「ん、こっちの方が好きだなぁ……って、うわ、」
 前後左右と確認しながら、雫が嬉しそうにワンピースを持ち上げる。が、暫くして、思わず絶句してしまっていた。
「た、高い……!」
 いくら稼ぎのある年上の友人に、とは雖も、誕生日でもない日にン万単位の服を買ってもらうのはどうにも気が引ける。
 慌てて断ろうとしたその時、
「あ、良いの良いの。値段は気にしないで。と言うか、気にしちゃ駄目よ」
 雫の言いたい事に気が付いた汐耶が、その手からワンピースを取り上げた。綺麗にたたみ、腕に抱えると、
「それから他に、欲しいものはないの?」
「――どうしたの汐耶ちゃん。あたし、成績上がったわけでもないのに……」
「気にしちゃ駄目よ、そんな事。私も向こうでスーツを見るから、雫ちゃんも遠慮せずに色々と買ってくれて構わないから」
「……マジですか」
「マジ」
 じっと、汐耶は腰を屈めて雫の瞳を覗きこんだ。そのままにっこりと人の良い微笑をプレゼントして、自分はすたすたとスーツコーナーへと歩き去ってしまう。
 勿論向う先は、パンツスーツのコーナーであったが。
「……汐耶ちゃん、何か変」
 取り残されて、思わずぽつりと呟いた。
 一体何があったんだろ……ロトか何かでも、当たったのかなぁ?

 更に、暫く買い物が続いた後のディナーも、高級な事この上なかった。
 平服のままでは入れないような、本格的な洋風レストラン。雫は先ほど買ってもらったワンピースを着て、ひたすら緊張に耐えていた。
 だってこういう場所、はじめてなんだもん……!
 まず、空気が違った。ウェイターのいらっしゃいませ、の声音の気品も違う。いかにも高そうなギャルソン服に、驚くままに席に案内され、ご丁寧に椅子を引かれて、簡単ながらにも人生初のエスコートを受けて思わずきょどきょどしてしまった。
 対照的に、穏かに椅子に腰掛けた汐耶は、今は落ち着いた様子でメニューを眺めている。
 ふ、と、彼女が顔を上げた。
「雫ちゃんは、何食べる?」
「……えっと……とりあえずステーキにする、かな……」
 正直、今日一日で金銭感覚など物見事に破壊されてしまっていた。値札も見ずに、必要なものを次々とレジに持っていく汐耶の姿に、最初は雫も唖然としてしまっていたのだが。
「そう。雫ちゃんは未成年だから、まだワインは駄目ね。――ウェイターさん?」
 既に汐耶の注文内容は決まっていたらしい。偶々近くを通ったウェイターをそっと呼ぶと、雫の分も含め、次々と名前も難しい料理をさらさらと読み上げていった。
 端から聞いていると、何語を喋っているのかすらもわからなくなりそうだった。一応イタリアンレストランである以上、
 イタリア語の名前なんだろうけど……それにしてもさすが汐耶ちゃん、だよね〜……。
 大人の女の人って感じ。
 こうしていると、まるで異国に来ているかのような気分になる。
 向かいに座る汐耶の姿が、夜景を背景に余計に美しかった。
 ……あーあ、あたしなんて……。
 住んでいる世界が違うような気すらしてしまう。雫は静かに溜息を吐くと、暫くして頭を下げ、去っていったウェイターのその背を視線で追った。
「――ねぇ、」
「ん?」
 不意に。
 窓の外をじっと眺めていた汐耶が、雫に静かな声音を投げかけた。
「何?」
 はた、と我に返ったように座りなおす雫。そういえばここは高級レストランだったのだと思うと、思わずかちんこちんになってしまう。
「……そんなにコチコチにならなくても大丈夫よ。普通にしてれば良いんだから」
「ってったって、普通って……普通に、フツーに……」
「まぁ、普通の所で食事でも良かったんだけど、折角の機会だもの。社会勉強の一環だと思って」
 冷や水を口にし、冷たいグラスをテーブルの上に置いた。
 細い指先で、グラスの曇りをそっと撫でながら、
「全くね、ロクな男がいなくて困っちゃうわ」
 不意に雫に、話題をふった。
「それって、お見合いの話?」
「まぁね。本当今日の相手は最悪だったわ。もう本当御免、って感じ」
 声音に混じる、冷たい鋭さ。
 どうやら汐耶は、本気でカチンと感じているらしい。
「……何言われたの?」
「別に。ただ、女は仕事するもんじゃないって、間接的にね」
 熱を落ち着けるかのように、冷たい水をもう一口。
 飲み下して、
「仕事はやめてくれて構わない、って。全くね、冗談ポイよ。あたしだって、嫌々仕事してるわけじゃない――」
 ある種の誇りを持って、司書の仕事に臨んでいる。
 それを蹂躙されたようで、非常に腹が立ったのだ。
 冗談じゃないわ。
「女は家にいるもんだって、誰がそんな事決めたのよ。そんなの昔の馬鹿で勝手な男どもの勝手な言い分でしょう? 真に受けちゃって、それが一番良い事だと思ってる――私の為にも、ね」
 あの男は、そういうお馬鹿なボンボンでしかないのよ。
 女の仕事に対して、決して理解をしようとしない男の典型。
「金があれば何でも手に入るって思ってるらしいけど、ちょっと懐が暖かいからって調子にのってるみたい」
 思い出すだけで腹が立つ。
 まぁ、でも、
「でも今日は雫ちゃんに付き合ってもらったから、大分憂さも晴れたわ。本当ありがとね」
 気分を入れ替えて、にっこりと微笑んだ。
 ――良いじゃない汐耶、この辺で、あの男を馬鹿にするのも勘弁しておいてあげなさい。
 自分に言い聞かせる。
 何せ、お楽しみはむしろこれから、なのだ。
 汐耶はそっと、手元の鞄の中へと手を差し込んだ。領収書で分厚くなった財布を確認し、こっそりと人が悪くほくそえむ。
 雫には、随分と行く先々で領収書を貰っている事を不思議がられたものであったが。
 ……楽しみだわ。
 見合いの時の慰謝料は、きっちり支払っていただかなくちゃあ、ね?


III

「……ん、だって、養ってくれるんでしょ?」
〈それはそうと、こんな、突然――!〉
「あぁ、こんなの序の口よ。又後で別の領収書も送り付けさせていただきますので、よしなに」
〈ち、ちょっと汐耶さ――!〉
 ぷっつりと。
 汐耶は無情にも受話器を置くと、電話の向こうの男の慌てようを想像し、幸せそうに一息ついた。
 ――あれから数日後――汐耶が行く先々で貰ってきた領収書を、一枚も残さず見合い相手へと送りつけたその翌日の話だ。
 無論、この報復措置は、相手の財力、性格、全て読んだ上での行動であった。汐耶の予想によると、この後相手の男はきっちり金を送りつけてから、もう二度と自分には近寄ってこなくなるはずであった。
「……女を馬鹿にしたからよ」
『仕事を辞めて。養ってあげますから』
 見合いのあの日。ホテルの一角で、いかにも、な感じの金持ちのぼんぼんが、優雅に微笑んできたのは記憶に新しい。しかし、その身のこなしとは対照的に、あの男には裏がある事を、汐耶はしっかりと見抜いていた。
 典型的な、マザコンのような。親の財力を、自分の物と勘違いしているような。
「思い知れば良いわ」
 さて、と、と気合を入れなおすと、汐耶は鞄を手に、いつものパンツスーツで立ち上がった。
 汐耶の一日は、確かに忙しい。しかし、だからと言って暇を望んだ覚えは一度も無かった。
 だからこそ、いつまでもあんな男に腹を立てている暇は無い。
 ――さってと、今日は特別閲覧図書の整理をしなくっちゃ、ね?
 汐耶は鞄から取り出した家の鍵を手に握り締めると、玄関戸に手をかけるのだった。


Finis



☆ Dalla scrivente  ☆ ゜。。°† ゜。。°☆ ゜。。°† ゜。。°☆

 まず初めに、お疲れ様でございました。
 こんばんは、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。この度お話を書かせていただきました、海月でございます。
 今回はご指名の方、本当にありがとうございました♪
 割愛しますが、あたしもそういう男は大嫌いです(笑)是非とも今回の件で不幸のどん底に突き落とされていただきたいほどに嫌いだったりします。
 やはり、女性が職につく事が普通であってほしいですし、逆に男性が家事育児をするのが普通であるようになって欲しい、というのが個人的な意見です。いつかそういう事を、夫婦間の話し合いによって決めるのが当たり前になれば嬉しいな、と思ってみたりします。
 では、短いですが、そろそろこの辺で失礼致します。乱文にて、お許しくださいまし。
 又機会がありましたら、宜しくお願い致します。

08 agosto 2003
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年08月08日

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