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『【執着と魘熱の街、で】 』
久我・直親0095)&鷲見・千白(0229)

―1―
 夜の街の喧騒は、人が思う程には嫌いじゃ無い。
 如何わしい客寄せの声も、下卑た安っぽさを演出するネオンライトも。
 個々としての生命力とは違う、街そのものが帯びた熱気と、ひとつの意志。
 背中を押すかの様に満ちたそれらの純粋さや悪意、魘熱の最中を、スーツのポケットに両手を差し込んだままで男――久我直親は、敢えてのんびりと、急く様子を見せずに往く。
 些か、過ぎる程に尊大に。
 傾いだ面持ちは遠く、駅へと繋がる大通り――T字に交わるそれを仰いでいた。
 本人にその意図は無いのだろう、不機嫌そうに細められた双眸を見遣れば、彼と肩をぶつけ擦れ違い様に怒声を投げようとする泥酔のサラリーマンがその言葉を呑み込む。
 そして、そんな中年の見上げる表情を横目に、悠々と深海を泳ぐ様に男は歩む。

 眠らない街、新宿。
 不夜城の名に相応しい街だと、口端だけで久我は笑った。

「あれ、・‥…久我さん?」
 前髪にその苦笑を隠すかの様に俯いた久我の耳に、飛び込んだのは聞き覚えのある柔らかな女の声音。
 数十メートルも前からその歩調を合わせて横顔を覗き込んでいたのだろう。とっくに耳に馴染んでいた速足の軽やかな靴音はその声の持ち主のものだった様で。
「…お?」
 その面持ちだけを返し、目視したのは。
「やっぱりねー?そんな不機嫌そうな顔で、かったるそうに歩いてるのは久我さんくらいしか知らない」
 相も変わらず、その細く白い手指に新聞とハードカバーの新書を捉え。
 鷲見千白が、その前歯にパイポを咥えながら、に、と笑った。
「お前、良い加減歩きパイポは止めた方が良いと思う…ジジクサイよ」
「久我さんに言われたか無いね、あたしより若い癖によっぽどオッサンっぽいもん」
 そんな軽口の応酬に、片眉だけを情けなく吊り上げ、参ったと言う様に久我が漆黒の空を仰ぐ。
 戯けた風に肩を竦めてから、大通りの肩を顎で指し示し、鷲見を見遣った。
「そんなジジイとオッサンにぴったりの、良い店を知ってるんだが――どうだ、軽く一杯」
 態とらしく小首を傾ぎ、鷲見が緩慢な仕草で眼鏡の弦に開いた手指を這わせ――笑う。
「ジジイってのは力一杯否定するけど、まあ…こんなトコで会えたのもやっぱり因果だよね。良いよ、付きあう」

―2―
 飾り気の要らない男と女の付き合いは、掛け替えの無いそれだと思う。
 例えば、洒落たカフェ。
 例えば、夜の東京を見渡す事の出来るスウィート。
 そんな淡い色の宝石を鏤めた様な一時も素敵だと思う、けれど。
 ちょっとしたエッセンスとして存在するべきそれらの要素がメインディッシュとなってしまっては、その関係はただ燃え上がるしか選択の余地を残されない。
 その点、矢張久我は。
「――久我さんってば、ホント良いセンスしてる」
 大通りから細く薄暗い路地に入り、伴われたのは小さな屋台。
 のれんをくぐった2人を迎えたのは仏頂面の主人で、久我の顔をちらりと見上げてから小さく毎度、と告げた。
「だろ?」
 瑣末な腰掛けにどかりと座り込んで、久我は慣れた様子でコップを2つ。主人に声すら掛けないままで、ひょいと伸ばした右手でカウンターの中より取り出す。
 主人も主人で、久我のそんな仕草に慣れてしまっているのか文句の1つも言わないでいる。2人の阿吽の呼吸とも言うべき「屋台の呑屋」振りに、開口一番鷲見は感嘆の声を漏らした。
「このオヤジ、まともに口も利いてくれないけど。でも味はそこいらの料亭に負けないから」
 にやり、笑んだ久我が、主人から受け取った日本酒の瓶を受け取って2つのコップに並々と注いだ。
「まずは乾杯から。互いの生存確認を讚え合って」

 出汁が芯までしみ込んだ大根と卵、そして程よく冷やされた司牡丹。
 あの口うるさい久我が褒めるだけの事は有ると鷲見は思った。
 ちびちびとコップの中身を嚥下しながら、辿着く会話の尻口は互いの仕事の話。その情報交換。
「――最近はホント多いよね…どうしてだろう。ホラ、以前は、"格別に執念深い子"だったり、"そう在るべくして在った子"だったりした訳じゃない?でも今は違うみたい。普通に居るのよ。何ていうか――そう、延長線上に」
 箸の先で大根を小さく刻んでは、その欠片を肉感的な口唇に運び、咀嚼する。いくらコップの中身を煽っても一向に変化する事の無い顔色のまま、久我がその言葉に相槌を打つ。
「奴らが変わったんじゃ無い、と俺は踏んでる。…街だ」
「街?」
「そう、この街、が」
 都市伝説の多くは、動物やモノと言った要素が核とならない「妖」が形作っていると言う。そしてその中のさらに大半が、あやかす事を目的としない――惑いが原因でその場に留まる事が多いのだと久我は続けた。
「成程ね…自分でも、何がしたいのか判らないとか…何処に行けば良いのか判らない…だからこそ、何か大きな意志の側でそれに縋りたくなる」
「そう。だから、――」
 と。
 久我が言葉尻を切り、その秀眉を僅かに寄せた。
 ちらとその横顔を見遣った鷲見の眼差しも、数度の瞬きの後で彷徨い――ゆっくりと面持ちを俯かせ、まるで何かの距離を測るかの様にゆっくりとした呼吸をする。
「――そんなに遠く無いわよね。…さっきの大通り、ううん、もっと近い」
「1ツ、か」
 探り当てたその「気配」を、言葉短に確認しあう。
 主人は、その声音を聞くのか否か、ただ黙々と先客の皿をカウンターの内側に仕舞い込んでいた。
「・‥…これも、因果?」
「そうかもな?」
 くつり、肩を震わせ低く笑って。久我が立ち上がる。
「こんな因果イラナイ…なんて言いたい所だけど」
「鷲見と一夜を共にしたなんて言ったら、俺あいつに殺されそ」
「付きあってあげるんだから、もう少しまともなお礼を言ってよ」
 行こう、と。
 どちらがとも無く口唇だけがそう告げた後、肩を並べて向かったのは気配――「妖」に澱んだ場所。
 それぞれの懐に差し込まれたのはその利き腕で、ただ眼差しは正面、爪先の向かう先のみを見つめていた。

―3―
『――が・‥…の…マが、ママが居ないの、ママが…ママが…ママが…ママが…』
 澱みが濃くなるにつれ、明確になるその声音。次いで紡ぐ言葉すらをその耳に聞き取れる様になれば、あとはその角を曲がるのみと。
 啜り泣きを頼りに、最後の一足を踏みだした。
『ママがね、居ないの・‥…ボクきちんと待ってたのに、良い子にして待ってたのに…‥・』
 密集する、澱みの様な負の気配。深夜の闇はより一層濃密なものとなり、ともすれば僅かな息苦しささえも感じさせられる程だった。
 その闇の中心に、薄い灰色のパジャマを着た少年が――齢八から十、と言った所だろうか。膝を残飯の饐えた腐臭に汚しながらしゃがみ込み、肩を揺らして泣いている。
「・‥…また随分と、夜の歓楽街にそぐわない…」
 鷲見がやれやれと言った風に言葉を紡ぐ。が、内ポケットに差し込んだ手指は抜きださない。
 それは久我とて同様――かと、思いきや。
「…来いよ、ガキ」
 更なる半歩を進めながら、久我が「妖」にその利き手を差し出す――掌を前に、僅かその上体を屈める様にして。
「――ちょ…ッ、久我さん…!」
『・‥…来…い…?』
 背中に聴く会話の流れに、2人が自らの存在を感じ取る類の人種である事を見抜いたのであろう。少年の姿をした妖が、ゆっくりと…振り返る。
『ねえ、ママ…ママどこにいるの?どこ?ボクねママを探してここまで来たの、おじさん…ママを何処に…』

 隠したの?

「危な…‥・ッ!」
 刹那。
 ざわり、と厭な音を立てる様にして、少年を囲む澱が、歪む。
 怒気を孕んだ様な高い声音と共に鷲見が懐から銃を取り出し、少年の咽喉許に銃口を向けるのとはほぼ同時だった。
 が、それらよりも早く、あるいは濃密に次元を割った負の障壁よりも強やかに。
 久我の掌から、矢張歪んだ光の結界が勢い良く立昇り、久我本人と鷲見の身体を包む。
『・‥…ッぁ…あ…‥・!』
「鷲見、引け」
 彼女がトリガーに掛けた指は、妖の気配によりも張り巡らされた結界の鋭角的な頑強さにむしろ震えた。
 ビリビリと痺れる程の圧迫感、プレッシャーをその身に感じつつ、鷲見はゆっくりと安全装置を外す。その間にも、少年の姿をした妖――鼻先に爆ぜられた結界のプレッシャーに堪え兼ね、頬を涙に濡らしながら苦悶に面持ちを歪めるその姿を真っ向から視界に捉える。
「躊躇うな鷲見。――早く」
 
 息を呑んだ音は、自分の中から。
 次いで耳を劈いた――それは大きく打った鼓動の音だったのかも知れない――、弾丸の弾ける音。
 それはまっすぐに少年の、歪め、丸められた背中へ…そう貫いたならば咽喉許へと空気を裂き、彼の発した悲痛な叫びと共に、その影色の四肢を千々に引き裂いた。

―4―
 おそらく、ものの数分の事だったのだろう。
 が、鷲見にはその場所に佇んでいたのが数時間にも、数十時間にも感じられていた。
 空はうっすらと白やみ、やがて動き出すであろう始発電車の到来を告げる。
「おおかた、この街でろくな死に方をしなかった夜の蝶の隠し子か何かだろう。お前がトリガーを引かなかったら、アレは」
 終止符を打ってやれない所まで突き向かって行っただろうと。
 久我は言った。
「でも、出来るなら…‥」
 言葉尻を失った鷲見は、利きの手指に絡めていたままだった銃をふと思い出した様に再び懐に仕舞い込み――大仰な溜息を吐く。
「・‥…これも、因果…ってヤツなのかもしれない、かな…?」
「そう言う事だ」

 夜の新宿を支えていた喧騒と言う名の大きな絶対意志は、明け始めた空と共に息を潜める。
 眠らない街、新宿も――この数刻のみは、その鮮烈さを失い、ただそこに在るものだけを在るがままに存在させる蒼い街となり。
「…嫌いじゃないな。やっぱり」
 ポケットに両手を差し込んで、緩慢な速度で歩を進めるその姿は、平素の久我と変わりは無く。
「…そう?」
 その傍らで、パイポを口の端に咥えながら歩む鷲見の姿もまた然り。
 それぞれの日常に戻るまでの束の間の刻を、空虚の街・新宿で――
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月31日

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