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『この世の果てにて 』
荒祇・天禪0284)&紅・蘇蘭(0908)

「今回は、俺の方から紹介しようか」
 低く、堂々とした声がその場に響いた。
 木製の椅子に、恰幅のいい男が座っている。
 その前には、同じく木製のテーブル。艶やかに磨かれた表面と、精緻な彫刻、きらびやかな蒔絵の装飾からして、おそらくは相当な品……という事は確かそうだ。
「ああ、構わないよ」
 男の前で、もうひとつの人影がこたえた。
 こちらは……女性だ。男の向かいに、テーブルを挟んだ形で、椅子に腰掛けている。
 金糸、銀糸を巧みに織り込んだ華麗な中華風のドレスに身を包んだ、美女であった。
 長い髪をまとめた飾りにも、色とりどりな宝石のきらめきが輝いている。
 しかし、彼女の前に立つと、誰もそのような事は気にも止めないという。
 それ以上に美しく、そして神秘的な美貌の前では、どんな飾りも意味を成さないのだ。
 彼女の名は、紅・蘇蘭。
 一方の男の名は、荒祇・天禪といった。
「うむ、では……」
 太い首が頷き、すっと手が動いた。
 テーブルには、大ぶりな1枚の板が乗っている。
 よく見ると、それは世界地図だ。
 ただし、ただの平板な絵ではなく、実際の山の位置には盛り上がりがあり、海にはさざなみが、高山の頂には白い雲らしきものまでが薄くたなびいていた。
 天禪の指がその上の一点で止まり、何かを置く。
 見た目は翼を持った馬に似ているが……それは麒麟、伝説上の獣を模した駒のようだ。
「……銚子沖、かい」
 駒の置かれた位置を見て、蘇蘭が言う。
「そうだ。この前暇つぶしに海釣りに出かけた折に釣り上げた」
「なるほど。で、何を?」
「今にわかる」
 逞しい唇が、微笑の形を浮かべる。
 と同時に、天禪の背後で、確かな波音が響き始めた。
 周囲は、2人とテーブル以外の物が判然と見えない闇に包まれている。
 どれほどの広さがあるのかも、はっきりとは掴めない。
 蘇蘭の営む伽藍堂というアンティークショップの一室なのだが……どこか得体の知れない場所であった。
 水音がさらに大きくなり、空気を切り裂く音が混じり始める。それも複数。

 ──キィン。

 美しい金属質の響きが上がった。
 飛燕の速度で自分へと飛来した何かを、蘇蘭がそれ以上の速さもって、手にした銀の長キセルで弾き飛ばしたのだ。
 常人の目には決して映らぬほどの高速の攻撃であったが、蘇蘭は相手の姿もはっきりと捉えていた。
 紫色がかった長い触手……先端には、硬質の鋏のような部分がある。明らかに、なんらかの生物のようだ。
「……」
 チラリと天禪に目を向けると、彼にも攻撃が及んでいた。
 ただし、数え切れぬ程の触手の群れが彼へと向けて唸りを上げると、身体に当たる前に雷光が閃き、ひとつ残らず弾き返してしまう。天禪本人は、まるでどこ吹く風といった表情で、平然としていた。
「”深きものども”だ。聞いた事はあるだろう?」
「ふうん……深遠の底、死せる都の王様の眷属、かな」
「その通りだ」
「興味ないね。だいいち可愛くもないし、綺麗でもない」
「……そうか」
 簡単に言う蘇蘭に、苦笑する天禪。
 それが聞こえたのか、また蘇蘭へと向けて、触手が飛来した。
 が……
「……」
 彼女が目を向けると、その瞬間に空中でピタリと静止する。
 一点の曇りもない、美しき紅い瞳……
 そこから放たれる『何か』に、呪縛されたかのようであった。
 暗闇の向こうに沈んだ触手の本体からも、動揺ととまどい、そして恐怖の感情が伝わってくる。
「こんなものを釣り上げるなんて、餌は一体なんだったのかしらね」
「なに、俺手製の疑似餌だ。特に変わった物でもないさ」
「……どうだか」
 ふっと薄く微笑むと、蘇蘭の手が動いた。
「じゃあ、今度はこっちの番だね」
 盤上に、蘇蘭の駒が置かれる。
 そちらは、白い毛並みを持った狐の形をしていた。
 ただし、ただの獣ではなく、尾が幾つにも分かれている。
「……雲南省か」
 置かれた位置に目を向けて、呟く天禪。
「見つけたのは、うちの手下がやってる新宿の店の事務所なんだけど、出身地はここ」
「ふむ」
 天禪の顔が、上がった。
 蘇蘭の背後の空間に、何かの気配がじわじわと浮かび上がってくる。
 爛々と輝く眼光と、全身を包む金色の毛並み……
 それは、恐ろしく巨大な猫の姿をしていた。
 ただし、全身から放たれる鬼気は、決して愛玩動物としてのそれではない。
「猫鬼……隋の高祖文帝の頃に書かれた当時の公文書、『隋書』や『北史』なんかにも記録がある、由緒正しい奴だよ。実際は蠱毒──呪詛の産物なのだけれど、今でもその呪法を伝える一族が山の中の隠れ里に住んでいるというわけ」
「ほう」
 天禪に向かって牙を剥き出す猫鬼だったが、それに反して足はじりじりと後退している。
 自分の半分にも満たない大きさの男に、完全に警戒しているようだった。この世ならざる存在としての勘が、この者には触れてはならぬと危険を感じているらしい。
「呪詛というからには、これを操っていた者がいたのではないのか? そいつはどうした?」
「ああ……」
 問われて、蘇蘭は平然と、
「この世にはもういないよ。術者も、そいつを雇っていた連中も、1人残らずね」
 そう、言ってのける。
「……怖い話だ」
 天禪が、肩をすくめた。
「とはいえ、何も殺したってわけじゃないよ。この世にはいない。そしてあの世にもいない。今頃他のどこかでさ迷っているんじゃないかしらね」
「そうか、それを聞いて安心した。知り合いが人殺しでは寝覚めが悪いからな」
「ふふ、それは言えるね」
 微笑した顔は、例えようもなく美しい。
 が、それは陽の光の下ではなく、闇の中でこそ真価を発揮する美しさなのかもしれなかった。
 そんな2人の傍らを、一陣の烈風が走り抜ける。
 猫鬼が、深きものどもへと襲いかかったのだ。
 刃と化した爪が振られると、一気に数十本の触手が分断され、宙に舞った。
 が、しかし、それ以上の数の触手が四方八方から押し寄せ、猫鬼の四肢に、身体に、首に絡みついて締め上げる。
 動きを封じられた巨大な獣は、口から緑色のガスを吹き出し、対抗した。
 それは、毒か、あるいは強い酸だったかもしれない。
 霧状の塊に触れた触手は、たちどころにもがき、しおれ、次々と床に落ちてのたうち、苦しむ。
 が、戦闘不能に陥る以上の数が、絶えず暗闇のどこかから押し寄せて、敵へと挑みかかるのである。
 無数の触手が、先端の鋏をどすどすと猫鬼の身体に突き立て、肉を抉った。
 負けじと、猫鬼は爪を閃かせ、牙で噛みちぎり、口からは毒煙を絶えず吐き出しては反撃する。
 海の深淵に潜む異界の眷属と、1500年以上の長きに渡って連綿と伝えられてきた呪いの産物。
 おぞましい叫びを上げ、毒々しい血を撒き散らして戦う2つの異形。
 この世ならざるもの達の戦闘は、いつ果てるともなく続くかと思われたが……
「……うるさいね、おやめ」
「少々行儀が悪いぞ、お前達」
 そんな声がかけられると、両者の動きがまるで死んだかのように停止する。
 命令口調でもなんでもなく、むしろ静かとすら言える言葉の響きだった。
 が、血と戦いに狂った魔物が、従わずにはいられなかったのである。
「新入りなのだから、もう少し態度には気をつけた方がいいかもね……」
 蘇蘭の台詞と共に、新たな気配が周囲にいくつも湧きあがる。
 大きなもの、小さなもの、見えるもの、見えざるもの……その数は数千、数万、いや、それ以上に上ったろう。
 全て、天禪、そして蘇蘭がこれまでに捕獲し、この場に連れてきたもの達である。
「ここは広いから、好きなだけ遊ぶといい。仲間もたくさんいるから、寂しくはないはずだよ」
「まあ、そういう事だ。では達者でな」
 そんな言葉を残して、2人の姿がすぅっと消えていった。
 同時に、テーブルも、椅子も消え失せる。
 この場所は、彼等がたまたま出合った凶悪なものどもを封じる為の場所なのだ。
 いずれも人に害を成していた魔性の者共であるわけだが、別に天禪も蘇蘭も、正義を気取っているわけではない。
 何故か彼等の周囲ではそういうものどもが多く見られ、いちいち滅ぼしたりするのも面倒なので、捕まえてはこの場に放り込んでいるという……ただそれだけの理由だった。
 両者が出会い、互いの力を認めた時、同じような困り事を持っていたので、共同でなんとかする場を創り、それを利用している。そういう事である。
 結果として、彼等は数え切れぬ程の魔物を捕まえ、封じてきた。
 それがどのくらいの年月続いているのかは……想像するしかないだろう。
 強い力を持つものは、味方も多いが敵も多い。
 おそらくは、この場のもの達は、今後も増え続けていく事だろう。
 結果として、それが人の世の平穏にも繋がってはいるのだが……
 天禪も蘇蘭も、決してそんな気構えなどはないのである。
 自由に生き、自由に過ごす。
 そして、それがまたなんとも絵になる。
 そんな両名なのだから……

■ END ■
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東京怪談
2003年07月29日

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