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『exchange tender vows 』
朧月・桜夜0444)&瀬水月・隼(0072)

「おら、起きろー!起きないと朝から襲うぞこらー!」
シーツの端を掴んで勢いよく引き上げるのに、寝ぼけた中身が為す術なく転がり出て来た。
 朧月桜夜は一拍、転げ出てきた同居人…というか世帯主、瀬水月隼の一糸纏わぬ姿に零下の沈黙の後、一気に沸点に達して叫んだ。
「キャーッ!イヤーッ!乙女の前になんて格好で出てくるのよーッ!!」
「お前が自分で出したんだろうがッ!」
桜夜はばふばふと羽毛を散らして枕を隼の頭に叩き付け、否応なく覚醒に導かれた隼の寝ぼける間もない当然すぎる主張など意識を向ける欠片もない。
 緩まない攻撃に、隼はようようベッドからシーツを引きずり落として腰のあたりに巻き付けると、早々にバスルームへ退散する。
「んもぅ……」
パフ、と名残に枕で軽く床を叩き、桜夜は朝の光に満ちた室内を見渡した。
 PC関係と書籍が雑然とした印象を与えはするが、それを別とすれば生活に必要な最低限の家具しかない。
 シンプルと言えば聞こえはいいが、ただ単、無頓着なのだと気付くまでにそう日はかからず、一度そういうとっかかりが掴めてしまえば無関心なのではなく単に面倒臭がりなんだとか、ぶっきらぼうなのでなく照れ屋なんだとか、そういった事が理解出来たのは、桜夜が聡明であるその一点に尽きるのだろうけど。
 その身に秘めた熱は想像すらしなかった。
 昨夜の事を思い出し、羞恥に叫ぶかわりに枕をこねくり回した桜夜は、朱に染まったぺちぺちと頬を叩いて朝食の準備の為に立ち上がった。


「何だこれは」
「何って朝ご飯よ、英語で言うとブレックファースト。見て分かんない?」
テーブルの上に並んだ二人分、炊きたてに白いご飯、鯵の塩焼きに豆腐の味噌汁、納豆に生卵、極めつけは味海苔。まさしく完璧な朝食だ。
 とはいえ、湯上がりの隼が言いたいのはそうでなく。
 何とはなし、朝はパン食が不文律となっていた日本米食促進協会が勇んで普及に乗り出しそうな瀬水月さん家、何故に今日に限って和食なの?というのを問いたかったのだが、昨夜の今朝、でそんな些細な違いをわざわざ言及するのも…というような気分で隼は定位置に着いた。
 しばらくどちらも口を開くでなく、ただ黙々と栄養補給に勤しむ…動作を、ふと同じくした。
 机上の醤油差しを手にした隼と、その甲を上から押さえた桜夜の、触れ合う手と手。
 そっと交わった視線が合図であったかのように…架空のゴングが高らかに鳴り響いた。
 がっつりと肘を机上につくと瞬時に緊張する上腕二頭筋、腕撓骨筋に手首を支える掌筋までをフル稼働させ、先手必勝、力比べる間も与えず、桜夜は醤油差しを握ったままの隼の手の甲をテーブルに叩き付けた。
 勢い、醤油差しの蓋が飛び、机上に拡がる黒い液体がつ…と木目を滑ってポタリポタリと気を抜いて打つ手のような拍で床に落ちる。
「Winner!プリティ桜夜〜ッ♪」
桜夜は自らその勝利を讃えると、呆然とするしかない隼が手にしたままの醤油差しを取り上げ、僅か底溜まりに残った中身を小鉢の中の納豆に注いだ。
「あ、これで濃口醤油、最後みたい。隼、薄口でもいい?」
空になった醤油差しを流しに置き、調味料入れからすらりと長い一升瓶がどん、と現状について行けてない隼の前に据えられた。


 いつもの衣類の他に、シーツとついでとばかりにカーテンの大物まで洗濯して、家中の埃を叩き出して、磨き上げて。
 昼食にはオムライスにスープとサラダ、その後なんとなしにお昼のワイドショーを観て、と華麗なまでの家事に勤しんだ日の締めくくりはやはり夕飯の買いだしだろう。
「女の子に一升瓶持たせるつもり!?一升イコール1.80391リットルよ?この細腕にそんな無体な労働を強いるつもりじゃないでしょーねまさか!」
生鮮食料品店への桜夜の誘いに渋面を見せかけた隼に、そう先手を打って同行を承諾させ、ここぞとばかりにかさばる日用品を買い込んだ帰り道である。
 公園のベンチに腰を下ろし、トイレットペーパーや醤油瓶、ネギなんかを覗かせて生活感溢れるビニール袋を横に、桜夜は飲み物を買いに行った隼を待つ。
 晴天に恵まれた休日、子供達が歓声を上げながら噴水の前を転げるように駆けていく。
 沈む陽に、空は青から赤へ独特のグラデーションに色づきながら色を変え、家路を急ぐ者の為の薄明を残していた。
 その千変万化な色彩を飛沫に映しとって、きららかな玉を生み出すが如く、噴水は光を弾く。
 桜夜は空を仰いだ。
 西に沈む陽…そして、真円の月は東に。
 白く鏡のような輝きを放つそれは、今の桜夜にとって一人の人間を思い出す為の縁だ。
 目を閉じれば、黒い姿と真紅い瞳、不吉な印象を与える姿で惜しまない笑顔が、簡単に瞼の裏に蘇るのに胸が詰まる。
「大陸の方の、出身だったのかなぁ」
ぽつりと呟いて、目を開く。
 戯れに月に向かって手を伸ばし、掴む動作に…けれど掴める筈がない。掌には、何も遺らない。
 不意の問いかけに興味を惹かれ、危うさに放っておけずにその姿を追い…そしてもどかしいまでの切なさで、思いを寄せずにいられなかった青年の。
 あの、命を絶った瞬間は間違いなく、存在全てが桜夜のものであったのに。
「どうした?」
思考を破って不意に落ちかかった影に、桜夜は瞬きをした。
 差し出された缶コーヒーを何気に受け取ると、隼はどさりと桜夜の隣に腰を落とした。
 気怠げに足を投げ出す隼は、既に口をつけていた無糖のコーヒーの缶の縁を器用に噛んだ歯だけで支え、両手をベンチの背もたれに預ける。
 その金の瞳の横顔をしばし眺めた桜夜は、傍らに缶コーヒーを置くと、おもむろに隼の頬に手を伸ばした。
 桜夜の指先が触れる感触に、隼が視線だけをこちらに向けようとするのに、そのまま両手で頬を包み込むように…無理矢理、自分の方に顔を向けさせる。
「ね、アタシのこと好き?」
至近には真摯な桜夜の眼差し、そして唐突な問いかけに隼は思考が真っ白になった。
 口を動かす事すら出来ない隼に即答が適う筈もなく、桜夜は少し寂しげに笑うと、目を伏せて赤い瞳に睫の影を落とす。
「その……昨日の夜、あんな事になったでしょ?アタシの身体普通じゃないし、結構いっぱいいっぱいで、ヤじゃなかったかなとか、アタシの為に無理してたんじゃないかな、ちゃんと隼は良かったのかなぁって、思って……」
続ける言葉にゆっくりと手が下り、きゅ、と膝の上でスカートの生地を掴んだ手が、心中の不安を表すかのような。
 緊張にか、頬に朱を上らせた桜夜のいつにない様子に隼が慌てる。
「いや、先に手ェ出したのはこっちだし、ほとんど脅して無理矢理だったようなってか、そのイヤなんかじゃ絶対ねぇってか、ごちそうさまってカンジで俺のがあんま余裕なくてキツかったんじゃとか……ッ」
元々に隼はその心中を吐露するのが不得手だ。
 しどろもどろな弁明、に近い言を項垂れて聞いていた桜夜が、微かに肩を震わせた。
「桜夜……?」
一生懸命なあまり、しばらくそれに気付かなかった隼だが、その顔を覗き込んで叫んだ。
「笑うなァッ!」
その一喝に堪えきれなくなった桜夜は、腹部を腕で押さえて品も何もない大笑いに身を折った。
「だって……隼、すごい可愛い…ッ!」
惚れた相手に真意と違う場所を笑われ、心情を無碍にされた心持ちで、隼は荒い動作で席を立つ。
「もう知らねえからな!帰る!」
言い、しっかりとスーパーの袋を手にするあたりが涙ぐましい。
 そのまま背を向け、ビニールをガサガサと擦り合わせながら数歩を進み…きっと「ゴメンゴメン」と軽い謝罪に笑って後を追って来るだろうと踏んだ桜夜が、いつまでも動かない様子を訝しんで足を止めた。
 肩越しに振り返れば、隼の背を見送る位置で桜夜はベンチに腰を下ろしたまま。
 落ちかけた日に、かろうじて保たれた明度に…泣き出しそうな、表情が見えた。
「……何処にも行かないで」
呟きは微か、噴水の水音に紛れそうな程。
 けれど、一言だけの重みは胸に響いた。
 隼は、がさりと音を立てて袋を持ち直すと、投げるように返した。
「ずっと一緒にいるって言ったからな」
何を今更、と。
 溜息に肩を落とし、隼は言を重ねた。
「……そう言う、お前はどうなんだよ。俺の事……好きか?」
視線を逸らしてぶっきらぼうに…けれど、桜夜にはそれが照れているのだというのが理解出来る。
 それだけに近い心の距離。
「いや、あんまり?」
どさりと音を立てて、隼の手から血の気と一緒に荷物が落ちた。
 あまりに衝撃に動けないで居る隼に、桜夜は立ち上がると鉄仮面の如くに表情を強張らせた顔を覗き込んだ。
「……でも、昨日、忘れないでいいって言ってくれたでショ?アレに、すごい惚れた」
唇に、啄むように軽く口吻る。
「好きだけじゃ全然足りない」
相手に反応を伺うように微笑んだ桜夜に、がっくりと隼は今度は肩を落とした。
「……殺す気か……」
心臓に悪すぎる。
「ね、隼は?アタシのコト……好き?」
頬に人差し指をあて、首を傾げた桜夜の腰を隼は抱き寄せた。
「好きだけで……足りるワケねーだろ、全然」
ほとんど吐息のような…言を、聞き取れるだけ距離に金と緋の眼差しが混じり合う。
 そして重なる唇に……それ以上の言葉は不要であった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月24日

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