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『華・向 =ハナ・ムケ=  』
鳴神・時雨1323

 バイクを飛ばし、夜の海へと走らせた。

(さくらになりたいと言い、逝った娘がいた)

 その手に握られているのは、小さな紫色の包み。

(電車の窓から流れる景色を、楽しそうに見ていた)

 包みの中は、もうすべて流れてしまった、命の砂。

(水族館の魚を見て、喜んで笑っていた)

 家族に頼みこんで手に入れた。俺自身、自分の行動が理解できなかった。

(けれど今はもう、どこにもいない)

 ただこうすることが、正しいように思えた――。



 人の心や魂。そう呼ばれるものたちは、何処から来て何処へゆくのだろう。
(俺にはそれがわからない)
 わかる必要がなかったから。
 多分、心が感ずるべき情を失くしてしまったから。
(では心とは何だ?)
 神経細胞を流れる電流や臓器で生成される化学物質の働き。
 俺にはそんなふうにしか認識できない。
 それは機械的に、置き替えられるもの。
(そんなものに、どれ程の価値がある?)
 そう――思うのに。
 俺の中で何かが失われていた。何かが足りなかった。その感情を何と表現するのかさえ知らないが、それは確かにあった。
(新しい感情)
 ただはっきりとわかることは、同じ心はもう2度と生まれないということ。
 "心"はいくらでも替えがきくが、100%同じものはできない。
(あれは唯一無二の)
 最期だったのだ。
(華、だったのだ)
 治すことはできた。
 治す自信があった。
 けれど俺には、その機会は訪れなかった。
(無理にでも治してやればよかったか?)
 ――否。
 それで治ったとしても、きっと喜ばない。
 流れ始めてしまった砂を勝手にとめてしまっても、結局はあふれて流れてゆくのだろう。
(何故さくらになりたがっていたのか)
 考えればわかること。
 おそらくずっと以前から、散り逝くことを覚悟していたのだ。「いつか自分も」と思うことで、生き延びてこれたのだろう。彼女にとってそれだけが、”楽しみ”だったのだ。
(そう前向きに捉えでもしなければ)
 苦しんでまで生きたいと願う自分を、肯定できなかったのではないか?
 もしあの時俺が、彼女を救っていたら。
 彼女は生きた。
 だがきっと。
(心は死んだ)
 最初から死を覚悟していた彼女の中では、心と命、どちらをも両立させることは不可能になっていたのだ。
(だから、さくらになるしかなかった)
 それは決して、賢い選択ではなかったのかもしれない。
 それでも貫いた彼女の意志を、俺たちにとめる権利はなかった。残された道は、ただ見守ることだけ。
(冷たくなっていく身体から)
 自由へと飛び出した魂が、迷わぬように。
 導いてやるだけ。
 ――いつまでも、歌っていた。
 あの日。
 闇に包まれた公園で目を瞑ると、いくらでも咲き誇るさくらを見ることができた。
(美しく散り逝くさまを)
 見ることができたのだ。

     ★

 岸壁へたどり着いた俺は、バイクをとめることなくそのまま海へ飛び出した。重力制御でバイクごと浮かせ、バイクのジェットエンジンを使ってできるだけ遠くに出る。
(岸に近い海なんて)
 汚いだけだから。
 "世界"を知らずに逝った彼女には、より美しくより広い世界を知ってほしい。
(どうか自由に)
 駆け回ってくれ。
 そんな願いをこめて。
 目的のポイントまでやってきた俺は、バイクをとめることなく紫の小さな包みを広げた。
 風に乗って灰の1粒1粒が遠くへと流れる。月の光がそれを照らすと、キラキラと輝いた。海に落ちても、水は輝いている。
(これも1つの華か)
 俺はそんなことを思った。
 舞い散る灰の行方を知っているのは、きっとこの月だけ。
(――最初は)
 さくらの下に埋めてやろうと思っていた。
 けれどそれではさくらに縛られるばかりで、自由にはなれないから。
 もしそうしていたら、こうして月に見守られることもなかっただろう。
(月が許している)
 死を選んだ彼女のことを、誰よりも許している。
 いつまでも照らす光が、そんなふうに思えた。
(――俺自身)
 どこか羨ましさがあるのかもしれない。
 それは俺には絶対に不可能なことだから。
 俺は月と同じなのだ。
(余程のことがなければ)
 死ぬことはない。
 それはある意味理想であって、ある意味拷問だ。
(そんな俺でも)
 いずれその時が来るのなら。
 どうか同じように、美しく、跡形もなく。
(散れますように――?)
 自分が本当にそれを望んでいるのかもわからぬまま、そんなことを考えた。心はきっとその時になってみなければ、わからない。
(今はただ)
 思うまま逝った彼女に。
「……おめでとう――」
 最後の灰とともに、紫の布が散った。







(了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
伊塚和水 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月22日

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