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『銀の牡丹、紅の薔薇 』
御母衣・今朝美1662)&夏比古・雪之丞(1686)


 法螺貝と太鼓の音が聞こえる。
 御母衣今朝美は、気配を感じて小屋から外に出てみた。
 人の気配ではないと踏んでいたが、その通りだ。山牡丹の下で佇んでいたのは、白く美しい妖狐であった。
「……夏比古さん?」
『御母衣』
 妖孤は呻くようにして友の名を呼ぶと、おぼつかない足取りで今朝美に歩み寄ってきた。肩に矢が突き立っていた。
「これは!」
『流れ矢だ』
 狐は忌々しそうに顔をしかめる。矢ごときで死ぬ狐ではないが、友であるから――今朝美は心配して、手早く矢を抜き、薬草を擦りこんだ。
『悪いな』
「……毛並みに傷がつきましたね。痛ましいことです」
『全くだ』
 美しい毛並みが、その部分だけ翳っている。今朝美は溜息をついた。
 しかし、この狐が傷の手当てを求めてここに来たわけではあるまい。この狐は人にも化けられる。矢を抜くなど造作もないことだ。彼は、矢を抜く暇も惜しんで駆けてきたのだろう。
「どうかしたのですか? 何が起きているというのです?」
『この山を出ろ。今すぐにだ。戦の火がじきに来る』
「戦――」
『私も一族とともに山を捨てるつもりだ。火は恐ろしくもないが、ヒトは煩わしいからな』
 法螺貝の寒々しい音色が聞こえた。
『おう、もう、一里先にまで来ている。御母衣、さらばだ。おまえは本当に「母衣」だったな』
 妖孤は別れ際ににやりと笑って、茂みの中へと飛びこんでいった。
 それに続くかのように、ばたばたと鳥や鹿が逃げていく。
 今朝美は、森に火がつくまで、何故かそこに留まっていた。山牡丹がこんなにも美しいのに、すぐに逃げろと言われても。


 長い年月を経て、ようやく日本から戦乱は消えた。
 21世紀になっていた。


「夏比古さん?!」
「御母衣か?!」
 ふたりの青年は会うなりそう声を上げた。
 都内の某スタジオである。ひとりは、浮き世離れした和装だ。しかも銀髪は長く、顔立ちも整っていて、どこか人間離れしていると思えるほどの容姿だった。もうひとりの青年もまた銀髪だった。顔立ちもまた美しかった。ただこちらの青年は、目が鋭く、近づき難い雰囲気を纏っていた。
 前者御母衣今朝美も、後者夏比古雪之丞も、冷静なたちであるために表情は乏しい青年であったが――そのときばかりは驚きを隠せなかった。
「久し振りだな! むろ……」
 雪之丞は、口をつぐんだ。周囲には人がいる。彼は咄嗟にごまかした。
「……室戸岬以来だな」
 彼らは見た目以上に、ひどく長い年月を生きていた。しかし、すっかり人間の世界に溶けこんでいる手前、とても「室町幕府の頃以来だな」とは言えない。
 だがよく考えると、本当によくぞここまで「久し振り」になったものだ。日本という国も、狭い狭いと言いながら広いものなのかもしれない。
「おふたりはお友達でしたか?」
 すっかり取り残されているスタッフの一人が、ようやく尋ねてきた。

 今朝美が今回山を下りたのは、(不本意ながらも)化粧師としての仕事を頼まれたからだった。彼はメンズファッション誌など読まないが、今回の特集の主旨と対象が気に入ったのである。特集として取り上げられるアクセサリー・ブランド『BmSf』のことは全く知らなかった。だが、その銀細工の写真をひとめ見て、心を打たれたのであった。
 銀の中に自然があったのだ。そこには銀と黒しかなかったが、作品には確かな『色』があるように見えた。今朝美にははっきりと見えたが、或いは、人間たちの目にも伝わっていたのかもしれない。だからこそ、雑誌が特集を組むほどに注目されたのではないか。
「まさか、あなたが創っていたとは……」
「私もまさか、今日来る化粧師がおまえだとは思わなかったさ」
 雪之丞はにやりと笑って肩をすくめた。
 相変らずの笑みだ。
 今朝美は嬉しかったが、いつもの調子を崩すことはなかった。今回の仕事には、俄然やる気が出てきた。もとより乗り気ではあったけれども、今は逆に金を出して仕事をさせて欲しいとまで思っている。
 スタッフやデザイナーから企画の話を一通り聞き、今朝美は袖に手を入れた。
「では、早速――」
「ああ、すまん、ちょっと待ってくれ」
 雪之丞は頭をかいた。
「実はモデルの都合がつかなくなってな……」


 で、
「何で私なんだ?」
 モデルが着るはずだった黒いシャツに黒革パンツを履き、ドレッサーの前に座っているのは、渋い顔をした雪之丞であった。今朝美は袖から出した絵筆を眺め、間延びした返答をする。
「あなたが創ったものです。あなたが身につけると説得力も増します」
「自分のために創ったわけじゃない」
「まあ、そう言わずに。体型も顔形もぴったりですよ」
 今朝美が、モデルに雪之丞を推したのだった。
 彼の顔には、珍しく、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。

 白い肌は、どこまでも白く。水芭蕉の白で一層の白さを。
 少し大きめの薄い唇には、野薔薇の紅を。
 すこし吊り上がった目もとに、雄宝香の黄を。
 目蓋に姥百合の灰を。
 蒼い瞳に、血の赤を落とす。

 渋い顔のまま、雪之丞はドレッサーから離れた。そこに居るのは、白兎。どういった芸当なのか、彼の瞳は白子の如く、真紅のものになっていた。
「御母衣、おまえは神か仏か? 狐を兎に変えるとは」
 誉め言葉を口にしているわりには、不機嫌そうな顔ではあった。
「……まあ、女装させられなかったことには感謝しとこう」
「夏比古さんは嫌がると思いましてね」
「化粧自体嫌だったぞ!」
「そのわりには大人しくして下さいましたが?」
「くそ」
 不機嫌な兎はしかし、素直に自らが手がけた銀のアクセサリーを身につけた。
 躑躅のブレスレット、
 羊歯の指輪、
 上弦の月のペンダントに、
 満月の輪郭を模したフープピアスを。
 どこか不機嫌な顔のまま、雪之丞はカメラの前に立った。
 しかし、狐は兎になっている。すこし吊り上がっているはずの目が、慈しみでも湛えているかのような、穏やかなものになっていた。
 それは今朝美の化粧がもたらしたものなのか、
 数百年ぶりの再会がもたらしたものなのか――



「他の方々は?」
「他?」
「白狐神の方々ですよ」
「方々と言えるほどの数はない」
「……ということは……」
「そうだ。私で最後だ」
「何故です?」
「さあな。……時とは移ろい、留め置けぬものだ。我らは時に傅くもの。時とともに移り変わるさだめにある。おまえと違い、永遠ではないのさ。何かに殺されねば死なないおまえは、時を手懐けているとみえる。羨ましい限りだな」
「狐の一族は他にもありますよ? まだ、絶えてはいないのです」
「わからん奴だ。どの一族と結ばれたとて、白狐神という血は絶えるだろうが」
「しかし、あなたという存在を絶やすことはないでしょう」
「絶やすも生かすも、時次第だ」
「何故抗わないのです?」
「みっともないからな」
「はあ……」
「私は美しくありたい。おまえのように」
「あなたは充分美しいですよ。そう気張らずとも」
「それに、終わりがあると覚悟しているからこそ、今日この日の油揚げを旨いと感じられるのさ」
「そう聞くと……」
「ん?」
「すこし羨ましいかもしれない。不謹慎だとは思うのですが、あなたが羨ましい」
「おいおい」
「あなたはさだめを手懐けているのですよ」



 雪之丞は、撮影が終わるなり顔を洗った。自然の色はいとも容易く落ちてしまった。赤い目は蒼い目になり、狐のような鋭い目が帰ってきた。
 スタッフたちが「勿体無い」「あああ」と嘆息するのも構わずに、雪之丞はてきぱきと帰り支度を始めた。すでに記事のためのインタビューは受けている。あとは帰るだけだ。今朝美も別段、今日の『作品』が消えたことには特に落胆の色も見せず、ただ満足そうに雪之丞を見ていた。
 雪之丞はむっつりとしたまま、今朝美に歩み寄った。
「御母衣、今日は世話になった」
 今朝美の白い手に、雪之丞は銀細工を載せた。
 それは彼が今日持ってきた作品だったが、撮影に使ったものではなかった。
 山牡丹のペンダントだ。
「あの日の山牡丹は、美しかったな」

 法螺貝の音色に震えていたあの色が、今朝美の脳裏に蘇ってくる。
 嗚呼、片時も忘れたことはない。
 燃えてしまったあの日の牡丹。
 牡丹の奥に消えた白狐。

 今朝美の手の中にある山牡丹は、銀と黒。
 だがその美しさは、あの日の牡丹とは比べるべくもない。
「ええ、美しかった」
 今朝美は、山牡丹の色を過去のものにした。


(了)
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2003年07月18日

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