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『ファイルナンバー:056 』
ササキビ・クミノ1166


 時間がない。
 今欲しいもの。時間。
 要らないもの。この力だ。今このときまで自分を生かし続け、そして自分に血の道を歩ませるに至ったこの力。柏餅の柏葉の如くに、ぺろりと剥がせて喰ってしまえたら――。
 どちらも叶わぬ。この世は思い通りにいかぬもの。
 欲しいものは手に入らず、要らぬものは有り続ける。
 ササキビ・クミノに与えられた時間はあと6時間。5時間59分59秒。5時間59分58秒。5時間5――やめろ、カウント・ダウンを今すぐやめろ。
 ササキビ・クミノに与えられた力は、5時間59分55秒後に生命体を即死させる『障壁』である。要らない要らない要らない、今すぐに消えてなくなってしまえ。


 18時間前、クミノはネットカフェ「モナス」に帰還した。任務を終えたその足で、まず闇医者のもとを訪れた。彼女はまたしても、苦戦する相手だとわかっていながらいつも通りの戦い方をしたのである。
 標的は狂気に捕らわれた邪神信仰者だった。こういった相手だと、クミノはいつも苦戦する。頭の中にこれまでの戦闘データはきっちり詰め込まれているずなのだが、プライドがそうさせるのか――もしかするとどこかで『終わり』を望んでいるのか――彼女は戦い方を変えなかった。
 しかしながら闇医者といえども治せるのは外傷や病名のある病気だ。最善は尽くしてもらったが、クミノはよろめきながら我が家に帰るはめになった。
 習慣でいつも世話になっている闇医者のもとに行ってしまったが、今度はネットで知った腕の立つ呪医のもとに行こう。クミノは固く決心をした。
 習慣。
 そう、彼女には習慣がある。
 こうして身体の外も内もぼろぼろに傷ついていたとしても、彼女は眠る前にあらゆる確認を怠らなかった。だが、確認までが限界だった。脳髄と身体を蝕む呪詛についにかしずき、クミノは倉庫で意識を失った。
「モナ、ミナ、クラシック、アンティーク! 倉庫の遮断を!」
 倒れこみながら彼女は血も涙も持たないメイドたちに向けて叫んだ。


 そして、18時間後である。
 スピーカーから機械的な呼びかけが降ってきている。ひょっとすると、モナたちは18時間前から呼びかけ続けていたのかもしれない。
 身体を起こしてみたが、頭痛と倦怠感は健在だった。クミノは呻きながら舌打ちをした。
「何があったの?」
『倉庫内ニ生命反応有リ。数:2』
 それを聞いた直後、クミノの視界を小さな影がかすめた。
 ヒトでは、ない。
「……確認した時間は?」
『0:03:58』
「現在時刻」
『18:02:59』
 あと6時間。
 あと6時間で、自分はふたつの命をかき消す。灯火を吹き消すつもりはない。いつのときもそうだった。彼女は彼女の意思で殺したことは無いのだ。ただ、その息吹があまりにも強いのか、それとも灯火が弱すぎるのか、彼女は生きるために呼吸をするだけで、火を吹き消してしまうのだ。
 『障壁』の範囲は半径20メートル。広すぎた。倉庫など、すっぽりと抱えこんでしまっている。
 にゃう、
 生命体が鳴き声を上げた。
「おいで」
 立ち上がることも出来なかった。クミノは跪いて、手を伸ばした。
 白と黒の生命体が、じっとその青い目で彼女を見つめていた。
「……おいで」
 クミノは無表情のまま、今一度呼びかけた。顔色は悪く、幽鬼の如し。血と汗と埃に汚れ、眼前の生命体よりもひどい有り様だ。
 しかし、黒い生命体(以下、黒)は人懐こい性分であるらしく――容易に近づいてきた。首もとで鈴が鳴っている。見れば、佇んだままの白い生命体(以下、白)の首にも、色違いの首輪と鈴があった。この2体は、他人のものであるようだ。それならば尚更殺してはならない。顔も知らぬ飼い主にとって、この黒と白はきっと大切なもの。鈴をつけたいほどに大切なもの――。
 クミノは黒を抱くと、おぼつかない足取りで窓に近寄り、ロックを手動で解除した。
 そして黒を、外へ。
『倉庫内生命反応、数:1ニ減少』
「わかってるわ、そんなこと」
 クミノは苛ついた声を漏らした。
 なぜ今、いつも頼りにしている機械たちが忌々しいと思ったのだろう。それに内心で首を傾げながら、クミノはよろよろと、残る白に近寄った。
「……おいで」
 我ながらワンパターンな呼びかけだと思ったが、彼女にはそれ以外の言葉がみつからなかった。彼女は『障壁』とともに在り始めてから、あらゆる生命体と接触を避けざるを得なかったのだ。
 この生命体の種族名を知っている。
 猫。
 なぜ知っているのだろうか。知っている必要などないではないか。23時間59分59秒しか一緒に居られないというのに。仲良くなっても、24時間以内に別れなくてはならない。

 白は、来なかった。

 ちりりん――
 鈴の音を響かせ、白は身を隠した。倉庫内は積み上げられた危険物質や商品で迷路のような有り様だ。
「モナ! ミナ! 生命体位置確認! クラシック! アンティーク! 捜索及び捕獲を手伝って!」
『位置確認了解。商品状態維持ノ為自走自販機ニヨル援護ハ推奨デキマセン』
「そんなに脆いものだったかしら?」
 思わず知らず、愚痴も出る。
『生命体位置、エリアC座標49‐32』
 バッ、とクミノは身を翻した。いつの間にか後ろにいる。これだから、『猫』は。
 勢いよく振り返ったために、気が遠くなった。彼女はふらつきながら商品の間をすり抜け、スキャナーが弾き出した答えの地点へと急いだ。
 鈴の音は聞こえない。『猫』は動いていないはずだ。
「……どこに行ったの?」
 残り時間、5時間28分。
「出てきて」
 彼女は哀しみも涙も忘れていた。
「お願い」
 だが――
「でないと、死ぬのよ」
 鼻がつまる。唇が震える。
「お願い、出てきて」
 どうして自分は、猫ごときのために――泣きそうになっているのだろうか。猫など居なくてもこの世は回る。自分の命が終わることも、この力が消えることもない。
 にゃう、
 ちりりん、
『生命体移動、エリアD座標56‐23』
「何もしないわ。撃ったり刺したり殴ったりなんて、しないから」
『生命体移動、エリアC座標7‐89』
「来て、お願い……!」
 にゃう、みゃう、なぁう、にゃあう――
 ちりりん、ちりりん、ちりりん、ちりりん。
 残り時間、5時間5分。

 クミノは覚悟を決めた。
 それは何故か、胸が張り裂けそうな決断だった。
「出ていきなさい!」
 彼女は、声を張り上げた。
 驚いたように、ちりりん、という鈴の音が聞こえた。
 倉庫内に隠してあったワルサーP99を装備。弾数確認。16発。
「モナ、位置は?!」
『エリアB座標5‐6』
 入口近くだ。
「北側シャッター開放!」
 倉庫が口を開けた。
 白猫がそっと、クミノの顔色を伺うように顔を出した。青い瞳には、恐怖だけがあった。その瞳が哀しかった。しかし、なぜ哀しいのだろうか?
「出ていきなさい! さもないと頭を吹き飛ばすわよ。吹き飛ばされるのよ、この、私に!」
 発砲。
 危ういところで、商品からも白猫からも弾は外れた。
 白猫は飛びあがり、一目散に走り出した。シャッターが上がった外へと。外には、黒猫がいた。ずっと今まで鳴いていた。白猫を呼んでいたに違いない。
「北側シャッター閉鎖!」
 即座に、シャッターは下りた。
 倉庫は再び、外界から遮断された。


 クミノは倒れこみもせず、身体を引きずり、黒猫を逃がした窓から外を見た。
 2匹の猫が、遠くから倉庫を――窓を――クミノを見つめていた。
「もう、来ちゃだめよ」
 彼女は震える唇で呟いた。
 また来てもいいのよ、
 いつでも来てね、
 また私を見て、
 また私の、そばに来て。
「早く、行って……」

 猫が、走り去っていった。

『倉庫内、生命反応無シ』

「私は、生きているわよ」
 クミノはがくりと膝をつき、ようやく倒れこんで、再び意識を失った。
 そして存分に夢を見た。白と黒の、青い目の、「にゃう」と鳴く生命体と戯れる夢を。
 この夢がずっと続けばいい――
 しかしその願いもまた、叶わぬさだめにあった。この世は思い通りにいかぬもの。
 ササキビ・クミノは、6時間後に目を覚ます。


(了)

PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月17日

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