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『空に哂う月 ほろ酔いの夜 』
ケーナズ・ルクセンブルク1481)&桐生・アンリ(1439)



 六本木の美しい夜景を独り占めにするような、高台にそびえる、とある高級マンションの一室。
 アークヒルズがその景色にを加わり、街の灯はよりいっそう賑やかになった。
「まるで銀河のようじゃないか、なぁ」
 ダイニングのソファに深く腰掛けた客人が小さく笑う。
「この六本木の地に光る人口の星々。あまりの美しさに遠慮して、空の星が姿を消すほどだ」
「ふふ、もう酔われたのですか?」
 部屋の主人は、美しい唇を微かに歪めて微笑んだ。
 金色の繊細な長い髪を、背中でひとつにまとめた青年は、窓際に立ち、銀河と呼ばれた夜景を見つめる。
 その姿をまばたきを一つしてじっくりと眺めていた、客人は詩でもつぶやくかのように
「この部屋の主は、この銀河の主でもある。そして、君はそれにふさわしい」
「何をおっしゃってるのだか」
 ビールに悪酔いしたのだろうか。
 大学教授を営むという茶髪の男性を振り返り、ケーナズ・ルクセンブルクはくすくす笑った。
「どうします? 今日はそろそろやめときますか」
「まさか」
 桐生・アンリ(きりゅう・−)はうつむいてた体を起こして、にやりと笑った。
「それじゃ、今度はワインにしましょうか。先日見つけてきたばかりのがあるのですよ。お口にあえばいいのですが」
 ケーナズは微笑み、奥の部屋へと姿を消す。
 見送り、桐生は、つまみに出されていたチーズを一口かじった。

 互いに通っているジムが同じで、いつの間にか顔見知りになり、意気投合して飲みに出かけた。
 それから数回繰り返し、世代も育ちも違うのにこんなに馴染みになったものかな。
 桐生は頭をかきながら、少し思いおこした。
 三年前に愛妻をなくし、やもめ暮らしとなった冴えない大学教授の自分。
 ドイツの貴族の末裔で製薬会社の日本法人研究員として、来日している彼。
 文化人類学を研究のテーマに扱っているため、暇を見つけては海外を飛び回り、それをライフワークとしているので、海外の話はとても気があうし、古い家柄に育つだけあり、ドイツの文化にも詳しい彼と話すのは楽しいだけでなく、勉強にもなる。
 しかし、彼に惹かれるのはそれだけでないだろう。
 この美しい青年のどこかに忍ぶ、影のようなもの。それに惹かれているのかもしれない。
 しがない中年の自分に何ができるかはわからないが、もしそれが少しのさびしさであるならば、自分と飲むことも彼の救いになっているのかもしれない。

「すみません、お待たせしましたね」
 ケーナズは、桐生が既に酔いつぶれて寝ているかもしれない、と小さく予想していたが、そんなことはなかった。
 桐生は、ソファの上に片膝をたて、夜景を眺めているのだった。
「私の部屋の眺めを気に入っていただいたようでうれしいです」
 冷やしたボトルを差し出すと、桐生は気づいて、微笑み受け取った。
「フランケンのワインか。……イプフェーファー・クロンスベルク・オルテガ……おお。アウスレーゼ」
 桐生は目を細めた。アウスレーゼとは、葡萄畑の葡萄の中でも特に選りすぐりの葡萄のみを原料にした、上質のワインである。
「ええ。フランケン地方のワインがお口にあうようでしたので、取り寄せてみたのです。これは慈善病院が管理する葡萄畑で作られたワインだそうですよ」
「ほう……、こんないいものをいいのかい?」
「ええ、もちろん。教授が喜んでくれると思って、取り寄せたのですから」
「悪いな」
 ケーナズは微笑む。その笑顔に喜び、桐生はコルク抜きをとると、手早くワインの栓を抜いた。
「……ん。香りがいいな」
 嬉々としながら二つのグラスにワインを注ぐと、彼はその喉こしのよい上質なワインを口にした。
「これは美味しい」
「……ええ。私もこれは大好きなワインです」
「飲みやすい……ん、これは危険なワインかもしれないな」
「そうですね」
「まあ大の大人二人で飲む分にはかまわないだろう、ははは」
「……それは、どうでしょう」
「ん?」
 きょとんと振り返る桐生。ケーナズはただ、にこやかに微笑んでいた。
「……一瞬寒気が。なんだろうな。……っておい、さっき教授って呼んだだろう。私のことはヘンリーでいい、ヘンリーと呼んでくれ、いいな」
「はいはい」
 苦笑を浮かべ、ケーナズは目を細める。
 ちょっとした悪戯心が浮かんだが、忘れることにしよう。 

 ワインに続き、桐生が土産に持ってきていたフランス産のブランデーまで開けてしまい、ケーナズさえも酔いをさすがに感じはじめていた。
「そういえば、ケーナズ、家族は皆ドイツに?」
 頬を赤く染めた桐生が尋ねた。
「いえ、双子の妹がいますよ。お台場に叔母が住んでいて、そこに居候してます」
「そうなのか……ケーナズの妹さんなら、さぞかし美人だろうな」
「さあ、どうだか。じゃじゃ馬で困ります」
 苦笑を浮かべるケーナズ。
 それを微笑んで見つめながら、ふと桐生は気がついた。
「ケーナズ、……ウィン。ふむ」
「どうかしましたか?」
「いや、この名前は君達の母さんがつけてくれたのかい?」
 彼の母は、ドイツで古城を利用したホテルを経営しているという。
 桐生も一度、その写真を見せてもらったことがあった。小さな森に囲まれた煉瓦造りの美しい城だった。
 ドイツには貴族が住んでいた城を改築し、ホテルとして営業してある施設がいくつもあるのだが、その中でもけして引けをとらない。
 一度寄ってみたい、と純粋な願望を桐生はもっていた。
 この美しい青年の母君を拝謁したいのもある。
「いえ、違います……この名前は」
 ケーナズは桐生の明るい気持ちを打ち消すような、どこか重苦しい声で言った。
「ん」
「この名は父が……、父がつけてくれたものです」
「父さん? そうなのか」
「顔も知りませんが。……私にとっての父は、この命と名前を授けてくれた存在、それだけのものです」
「それだけって……」
 綺麗な青い瞳には、怒りとも悲しみともつかない暗い光が宿っていた。
「いい名だと思うけどな」
 桐生は、ケーナズの肩に手を乗せると、微笑んだ。
「君達の名前はルーン文字という古代の文字の響きを持っている。知っていたかい?」
「?」
 テーブルの上にあった紙ナプキンを引っ張り、万年筆を取り出すと、桐生はそこに記号のような文字を描いた。
「これがケーナズ。…………こっちがウィン。それぞれ意味があるんだ。ルーン文字は占いにも使われる」
 「ケーナズ」には「希望」
 「ウィン」には「喜び」
 紙ナプキンにそれぞれ書き込み、桐生はにっと笑ってみせた。
「……いい名だ」
「……」
 ケーナズはしばらく紙ナプキンの上の、少し崩れた文字を見つめていたが、突然大きなため息をついた。
「知りませんね。……父は、母に私たちの養育費さえ払わなかった。……父と認めることはないでしょう、これからもずっと」
「そうか……」
 桐生は小さくうなずくと、ケーナズのすねたような横顔をただ黙って見つめた。

 六本木の夜景も深夜を過ぎると、華やかなネオンも数少なくなり、かわりに忘れ去られたような空の星たちが輝きを取り戻し始めた。
「ほう、今夜は満月だったか」
 桐生は目を細めて、窓の外に見えてきた月に見入る。
 伸びをして、大きく息をすると、「ちょっと飲みすぎたかな」と小さく笑って、ケーナズを振り返った。
「そうかもしれませんね」
 ケーナズも小さく苦笑する。
 そして、共に月を見上げながら、ふとつぶやいた。
「ヘンリー、今度、私の実家のホテルにいらっしゃいませんか? 招待しますよ」
「本当かい? それはうれしいが」
「朱璃さんとぜひ二人でたずねてみてください。母には話しておきますから。以前帰国したときに、ヘンリーのこと話したら、ぜひ会いたいと申してましたし」
「願ってもないことだが、……そうだな、ぜひ都合をつけるようにしよう」
 恋人の名を出され、少し照れたように頬をこすり、桐生は明るくうなずいた。
「ええぜひ。私も楽しみにしています」
 目を細めてケーナズは告げ、それから桐生を真似するように、窓の外の大きな月を見つめる。

 それは、眠れる都会を支配せんと、舞い降りた天女のように美しい月であった。




                                  +++++ おわり



 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
鈴 隼人 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月17日

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