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『贖 罪 』
御子柴・荘1085

 カラン…。
 手元を揺らすと、グラスの中の氷が音を立てた。
 落ちた氷はアルコールと交じり合い、じんわりと広がる。
 薄暗いバーのカウンターで、一人グラスを傾ける荘は、それをじっと見つめていた。
 一年前の今日という日に、何が起きたのか…。
 それはつい昨日の事にように思い出せる鮮明な出来事であった。
 否、忘れたくても忘れる事の出来ない。
 暗く沈むその胸にあるのは、悲しみであり、絶望であり、そして後悔だった。
 どうすることも出来なかった事への憔悴感―。
 まるで落ちるような感覚に、思わずギュッとグラスを掴んだ。
 草間がバーのドアを開けたのは、その時の事だった。
 店の片隅に見慣れた姿を見つけた草間は、歩み寄ると親しげに肩を叩いた。
「めずらしいな。こんな所で。どうしたんだ?」
 荘の横に腰掛けると、微かに笑って荘の顔を覗き込む。
 その様子はどこか屈託がなくて、荘は思わず口を開いていた。
「……。少し、付き合ってもらえませんか?」
 本当なら、誰にも話すつもりはなかった。
 それでも口を開いてしまったのは、無意識のうちに救いを求めていたのかもしれない。
 自分とは違い、罪を知らない草間へと。
 この罪を聞いてほしかったのだ。
 まるで贖罪のように。
 そんな荘にいつものと違う何か感じたのか、草間は何も言わずに頷いた。
 頷いた草間に、荘は微かに微笑み口を開く。
「実は…今日が命日なんですよ。俺の友達の。その友達を殺したのは俺ですけどね」
 何も言えない草間に、荘は微かな自嘲の色を浮かべると、最後の決意を示すように一気にグラスを煽る。
 そして目を閉じると、そっと語りだした。


 荘がその友人が出会ったのは、大学時代の事であった。
 最初に話したきっかけが何だったのか、今となっては覚えていない。
 それでも、彼とはいつも一緒だった。
 大学の授業に、ようようなイベント。
 その中で、一緒に図書館に調べモノをしに行った事もあるし、終電近くまで一緒に飲んだりもした。
 いつだって二人肩を並べて歩いた。
 明るくて、愛嬌が良くて、誰にも好かれる、そんな友人であった。
 彼の髪は生まれつき色が薄く、茶色い髪をいつも気にしていたのを今でも覚えている。
 進学や面接のたびに苦労したと、彼は嘆いていた。
 いや、愚痴だけじゃなくて、いろんな話をした。
 故郷のこと、親のこと、学校のこと、これからのこと。
 二人でいつまでも取りとりとめのない話をした。
 荘はそんな時間を過ごすのが大好きだったし、そんな友人が出来た事が嬉しかった。
 ただ一つ気になっていたのは、友人が時折見せる悲しそうな顔の事。
 まるで目の前ものすべてを通り越して、遠くを見つめるその目が痛々しくて、何も言えなかった。
 出来る事なら力になってやりたかったが、荘は何も聞けずにいた。
 今となっては、聞いておけばよかったのかもしれないと思う。
 そうすれば、あんな事は起こらなかったのかもしれない。
 だが、そのまま二年が過ぎた。
 荘は大学を辞めて、何でも屋を始めていた。
 出きる事ならずっと一緒に大学で学び、共に卒業したかったのだが、それぞれ歩む道というものがある。
 荘は大学を辞める道を選び、友人は残る道を選んだ。
 道を違えはしたが、一生の別れになるわけではない。
 いつもで会える。
 荘はそう思っていた。
 あんな再会を果たすとはつゆとも思わずに。


 それは何でも屋の仕事を始めてしばらくたった頃の事であった。
 荘は依頼された一件の犯人を追って、夕暮れの町中を走っていた。
 時はすでに太陽も沈み、暗闇が訪れようという時間。
 先行して走る男を追って荘も走る。
 逃げる男の足は速かったものの、荘は迷うことなく男の後を追っていた。
 幾つもの路地を抜け、曲がり角を曲がった。
 その時である。
 荘は何かに気づいて、思わず足を止めた。
 ぐるりと周りを見渡す。
 取りあえず止まってみたものの、そこには何の変哲もない町並みが広がるばかりであった。
 しばらくいぶかしげに見つめていたが、やがてある事に気づいた。
 つんと鼻につく、鉄のようなにおい。
「これは…」
 まさか?
 何事かが起きていることは確実だった。
 荘は慎重に曲がり角に近づいて行く。
 微妙に曲がりくねった道は、まるで迷路のように入り組んでいた。
 そして、曲がりきったそこに、それは居た。
 太陽のかげる薄暗い闇の中で、何かが蠢いている。
 闇の中で何者かが、道端にかがみ込んでいるのだ。
 一体何をしているのだろうか?
 聞こえてくるのは咀嚼音。
 それは不気味にあたりに響き渡る。
 次に目に入ったのは、何か白いもの。
 その生白さがやけに目についた。
 そして広がるあたり一面の黒い染み。
 一歩踏み出すと、靴にぬるりとしみこむそれは…。
 もしや…血?
 では、あの生白いものは?
 その時である。
 立ち尽くす荘の気配を察したのが、その人がゆっくりと立ち上がったのだ。
 発せられる殺気。
 一気に緊張が走る。
 頭の隅で危険信号が点るが、それでも動けない。
 油断なく構える荘の前で、その人はゆっくりと振り返った。
 朱に塗れた歯茎をむき出しにして、口元を血で滴らせたその姿はまるで獣のごとく。
 それは人でない証のように、低くうなり、荘に牙をむいた。
 にたりと、それが笑う。
 だがそれを見た瞬間、荘は愕然と立ち尽くした。
 振り向いたその顔に、記憶が刺激される。
 変わり果てたその顔に見出した面影は、かつての…友。
「まさか!そんな…!!」
 何故彼がこんなところに?大学に残ったはずでは…?
 いくつもの疑問が一気に頭を走った。
 それは一瞬であったようにも思えたし、永遠であったようにも思えた。
 狂喜に満ちた瞳には理性の欠片もなく、かつては友だった者の目に荘は映らない。
 まるで獣のような殺気が荘に向かって放たれる。
 二人は正面から対峙した。
 じりっと、それが一歩を踏み出す。
 強い予感に、荘はぎゅっと目を閉じた。
 ピーンと張った空気があたりを包み。
「……っ!」
 それはほんの一瞬の事であった。
 気づいた時、荘は血に濡れた己の手を見つめていた。
 目の前には、息絶えたかつての友の姿。
 この手で殺した、友の姿があった。


 荘は、その手をそっと見つめた。
 友を殺した、その手。
 あれからどれほどの時が過ぎたのか…。
 消して消えることのない荘の罪を示すかのように、今なおその手が赤く染まっているような錯覚を覚えて、荘はサッと目を逸らした。
 忘れたくても忘れられない思い出。
 あれほど楽しかった学生生活が嘘のような、悪夢の出来事であった。
「なんでああなったのか、分からないんですけど…。切ないですね」
 そう言った荘の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちる。
 草間はそんな荘を声もなく見つめていた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
しょう クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月15日

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