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『銘酒を訪ねて 』
九尾・桐伯0332)&シュライン・エマ(0086)
●思い出した話
「そういえば」
 ある用件で九尾桐伯の営むバー『ケイオス・シーカー』を訪れていたシュライン・エマが、不意に思い出したように言った。
「おや、例の用件で他に何か?」
 桐伯はワイングラスについている水滴を丁寧に拭き取りながら、シュラインに聞き返した。時刻は朝、開店準備中の出来事である。
「ううん、それとは関係ないの。この間、ちょっと面白い話を聞いたのね。それを言おうと思いながら、他のお仕事に追われて忘れてたんだけどね」
 苦笑するシュライン。その後に、ぼそっとこうつぶやいていた。
「たく、いつもいつも言わないと書類出さないんだから」
「はは、相変わらずですね。で、その面白い話とは何です」
 くすりと笑いつつも、桐伯は話を先に進めた。
「そうそう、それよね。また言い忘れる所だったわ。でも、きっと興味あるんじゃないかしら」
「ふぅむ……興味ですか。すると酒に関するあれですか」
「鋭い」
 シュラインが小さく拍手をした。
「何でも、四国の方に珍しい日本酒があるらしくって。話を聞いた所にはなかったんだけど、それ」
「四国のどの辺りです?」
「確か鳴門だったかしら。ほら、うず潮で有名な」
「ほほう、徳島ですか。徳島の鳴門……」
 拭いていたワイングラスを置き、思案顔になる桐伯。それはどことなく、何かを企んでいるかのようにも見えた。

●一番札所のある国へ
 正午過ぎ――梅雨の中休みなのか、空は青く晴れ渡っていた。だが湿気が高まっているのだろう、多少蒸す気候だった。
「という訳で、我々は徳島県鳴門市にある噂の酒造に来ております」
 青空の下、まるでどこかの真面目な旅行レポート番組よろしくレポーター口調の桐伯。手にマイク、そして肩にショルダーバッグがあれば完璧なのではないかという気もする。何が完璧かはさておいて。
 そのそばでは、シュラインが辺りをきょろきょろと見回しながら、ちょっとうろたえていた。少し先には蔵元らしき建物が見えている。
「って、いつの間に!? どうやって!?」
「はっはっは、私は珍しい酒があれば何処にでも赴きますから」
 うろたえ尋ねるシュラインに対し、桐伯は笑ってさらっと答えた。
「私は移動手段を聞いたんだけど……」
 シュラインが不審気な視線を桐伯に向けた。それはそうだ、バーに居たはずがふと気付いたら徳島の鳴門くんだりまで連れてこられていたのだから。慌てたり疑問に思わない方がおかしい。
「まあまあ、細かいことは気にしないで。蔵元の方をお待たせしていますから、さっそく行きましょう」
 桐伯はシュラインの視線など気にすることもなく、さっさと建物の方に向かって歩き出した。
「ねえ、これって細かいことっ? 細かいことなのっ!?」
 目を丸くしたシュラインは、歩き出した桐伯の後を追いかけていった。

●大人の社会科見学
「わざわざ遠い所からようこそ」
「どうぞ存分にご覧になっていってください」
 桐伯とシュラインを出迎えてくれたのは、その蔵元の専務と杜氏の2人だった。2人とも人がよさそうで、訪れた桐伯たちを見てにこにこと笑顔を浮かべていた。
「お忙しい所、本日はお世話になります」
 ぺこりと頭を下げる桐伯。もちろんちゃんとアポイントメントを取っての訪問である。
「お世話になります」
 シュラインも桐伯に続いて頭を下げた。表情はまだどこか釈然としないようだったが。
「それでは蔵に案内いたしましょう」
 杜氏に促され、ついてゆく桐伯とシュライン。その後ろを専務が歩いていた。向かった所には、昔ながらの蔵と近代的な蔵が向かい合って建っていた。
「はあ……随分昔からなのねえ」
 2つの蔵を見比べて、シュラインが感想を口にした。すると専務がそれに反応した。
「ええ。何しろ創業は19世紀初頭ですから」
「なるほど、文化・文政の頃ですか。いい頃合ですね」
 納得するように頷く桐伯。たぶん他に自分の知っているいくつかの酒造も、この辺りの創業であるのだろう。
「……どうしてすぐに元号が出てくるの?」
「常識でしょう」
 不審に思うシュラインに対し、桐伯は短くきっぱりと答えた。
「常識かしら?」
 首を傾げるシュライン。4人はそのまま昔ながらの蔵の方へと入っていった。最初に昔ながらの蔵にて伝統的な酒造りの様子を見学し、その後で近代的な蔵にて現在の新しい酒造りの様子を見せてもらうという流れである。この様子をテレビカメラで撮影していたなら、きっとそのまま放送出来たに違いない。
 工程の大きな流れは別に異なる訳ではない。けれども細部で色々と異なってはくる。まあ、どちらが優れていてどちらが劣っているという話ではないけれど。
「ところで、仕込水は何を使われているんですか」
 案内してもらっている最中、桐伯が杜氏に尋ねた。
「うちはですね、山脈からの伏流水を使ってます。精米も自前でやってるんですよ」
「とすると、この辺りだと軟水ですかね」
「おお、よくご存知で。軟水なんですよ」
 嬉しそうな杜氏。分かってるな、といった様子である。
「よくそこまで……」
 その様子を始終首を傾げっぱなしのシュラインが見つめていた。

●見学の後はこれが付き物
 一通り見学を済ませた後、桐伯とシュラインは事務所で日本酒を味見させてもらえることになった。
 小さめの湯飲みにここで仕込まれた酒が注がれ、2人の前に差し出された。
「どうぞどうぞ。じっくり味わってみてください」
 専務の言葉に促され、2人は湯飲みを手に取って口をつけた。
「ほう……これはまろみのある辛口ですね。徳島では珍しいのでは?」
 一口飲んで感想を言う桐伯。専務が笑って答える。
「そうですね。どちらかといえば、徳島は甘口指向の所が多いようですから珍しいんでしょう。ですが、味には自信ありますよ」
「ほんと、美味しい……これ」
 少しずつこくこくと飲んでゆくシュライン。深い所までは分からないけれども、美味しいことははっきりと分かる。
「いい酒をご馳走になりました」
 湯飲みの中の酒を飲み干し、桐伯が専務に礼を言った。
「いえいえ、こちらこそどうも。ああ、そうだ。あなたは酒がお好きそうだから、いい話をお教えしましょう。きっと役立つんじゃないですかね」
「はあ、どのような内容でしょう」
「この間ひょんなことから飲ませてもらう機会があったんですけどね。確か旭川の酒で……」
「ほう。旭川ですか」
 専務の話に興味を覚えた桐伯の目の奥が、きらんと輝いたような気がした。

●北の国から
 夕方近き頃――晴れ渡った高い空の下に、桐伯とシュラインの姿があった。湿気は少なく過ごしやすいのだが、多少冷えてきたようにも感じられる。
「という訳で、今回は北海道は旭川市にある某酒造に……」
「だから移動手段は何なの!?」
 数時間前同様に喋り始めた桐伯に対して、シュラインからの厳しい突っ込みが入った。
 2人の後ろには、やはり蔵元らしき建物が見える。そう、鳴門で聞いた旭川の蔵元を訪れていたのである。つまり2人は、梅雨のない北海道の空の下に居た訳だ。シュラインだけが気付かないうちに。
「さて、蔵元の方をお待たせしていますから、さっそく行きましょう」
 相変わらずのシュラインの不審気な視線も何のその。桐伯はさくさくと話を進め、建物のある方に歩き出した。
「ねえっ、聞いてるっ? 移動手段は何なのよぅっ!?」
 慌ててシュラインが桐伯の後を追いかけた――。

 余談だが、バー『ケイオス・シーカー』はその夜も通常営業していたとの話である。ちなみに、シュラインがなおも移動手段を追求していたのかどうかは定かではない。

【了】
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年07月07日

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