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『bug fixing 』
紫宮・桐流1144)&水無瀬・麟凰(1147)

「……さて」
カラン、と氷の重なりに涼しげな音を立てたグラスを置き、紫宮桐流は一回り以上年の離れた…形式上は、弟子、という預かりとなっている水無瀬麟凰に視線を向けた。
「陰陽道と西洋神秘学を対比させて、特に顕著な部分を挙げれるかな?」
 壁面、一面を本で埋めた書斎、革張りの洋書から紐閉じの和書、果ては巻物までの取り揃えは乱雑に、けれど整然とした空間に、畏まって膝を揃えた麟凰は緊張の面持ちで背を正した。
「錬金術を礎にする西洋学では、世界を構成する元素が地水火風の四大元素が純元素されるのに対し、陰陽道では五行、木火土金水である……事だと、思います」
静かに耳を傾ける桐流に、自信がなくなって来たのか、語尾に行く程声が小さくなって行く。
「いい所に目をつけたね」
桐流は力づけるように、大きく頷いて、和装の袂に手を入れた。
「もう少し、深く掘り下げて考えてみましょうか」
麟凰は桐流の言を一つも聞き逃すまいと、耳を澄ました。
「麟凰が挙げた例にもう一つ、顕著な差を付け加えるとすれば、西洋で元素は純然たる個としてのみの存在ですが、東洋では木は火を、火は土を、土は金を、金は水を生み、また生み出すのと逆に滅するのも互いの間で為される、と考えられていますね」
身を乗り出すようにして熱心に聞く麟凰に、桐流は満足げに小さく頷き…ふと、その視線が自分の背後の一点を凝視している事に気付く。
 じんわりとした気配があった。
「紫宮さん、失礼します…ッ」
麟凰は一枚の符を取り出すと、術を放つ為の呪を口中に紡ごうとした。
「雷……」
だが、それは適わなかった。
 桐流は麦茶が三分の一程残った手元のグラスを取り上げると、絶妙な放物線で麟凰が肩口に掲げた符だけを濡らして呪を阻み、そのままくるりと返してタン、とこちらに背を向けて並べられた革表紙の背に口をつけた。
「麟凰……あなたはいつもこうしていたのですか?」
桐流の嘆息に、何が起こったのかイマイチ理解出来ていなかった麟凰が我に返る。
 目線の先…一度も背後を振り向かなかった桐流の手が押さえたカップに閉じ込められるのは一匹のゴキブリ。
「虫一匹に術を使うのは、感心しません」
やんわりと窘められ、麟凰は肩を竦めた。


 本棚に張り付いていたゴキブリは、講義を中断せしめた咎に於いて、審議を待つ身となった…カップの口を薄く浮かせて半紙を滑り込ませ、逃げられないよう蓋をし、そのまま机上へと移動させる。
「術はおいそれと人に向けてはいけないとは教えましたが……虫にも同じ事ですよ、麟凰」
桐流は続ける。
「もっと簡単な方法が幾らでもあるでしょう」
…軽々しく術を行使してはいけない、というような問題ではないらしい。
「はい……でも、どうしても触りたくなくって……」
麟凰の、触れた対象物の意識を読みとる能力は、時に本人の意図に関係なく発現する。
 思考形態…というより、思考する構造が同義でない生物の意識を読みとってしまうのは、気持ちが悪い以前の問題だ。
 どうしても気になるのか、チラチラとカップに目線をやる麟凰に、桐流は少し考える風で天井の隅を見上げた。
「陰陽師には、もっと多角的な視野が必要ですよ…『適切な対処法』、今日はこれで行きましょう」
言い、桐流はついと立ち上がると、書棚の一画から分厚い本を一冊取り出し、繰りながら問う。
「麟凰くんはゴキブリが苦手なようですが、それは何故ですか?」
問われてごく一般的な嫌悪の感情の理由、まで思い及ばない事に気付く。
「えーと……不衛生だし、気持ち悪いし……それに色とか、あの触覚とか足の動きがイヤで……」
生理的嫌悪感を言葉で説明するのは難しい。
「この写真を見てみなさい」
その間に探し当てた頁を、桐流は麟凰の前に戻って示して見せた。
 頁の下半分に大きく、それは鮮やかなエメラルドグリーンの昆虫が印刷されていた。
「わぁ、きれいな色ですね……」
素直な感嘆を、桐流はさらりと突き落とす。
「でも、コレもゴキブリですよ」
「えッ!?」
言われて、伏せられたカップの中で触覚を動かしているゴキブリと見比べて見れば、鮮やかな色に誤魔化されそうになったが、外観にかなりの共通項がある。
「元々、熱帯に生きる昆虫ですからね。特に南米に生息する種はそれは鮮やかな色をとりどりに纏うそうですよ」
写真にもう一度目を戻すと、日本で忌まれる姿とは確かに違う。
「そして不衛生と言う点でも生息環境が違う彼等は、特に人間に重大な疾患をもたらす菌を保有しているワケではなく、落ち葉やきのこなどを常食にするそうです」
対して、と桐流は頁を捲る。
「日本で人間の生活環境に寄生する形で生息する大体三種のイエゴキブリに分類され、アレはその一種、チャバネゴキブリ」
頁に張り付く写真を見ているだけでも、そのままバン!と勢いよく本を閉じて更に平たくしてしまいたいような衝動にかられる写真からさり気に目を逸らす麟凰。
「彼等の生態系は優秀でね、哺乳類のように体内で卵が孵化するまで抱えておく習性まであるそうだ…そして外骨格のすき間が多いのは、その隙間を縮めて体を平たくして狭い場所に入り込む為の機能だそうです」
伊達に3億年、バージョンアップもせずに生き延びてる訳ではない。
「……さて、敵をよく知ったら、次に考えられる対処方法は?」
感心している所でいきなり意見を求められ、麟凰は大きく首を捻る。
「術を使わずに…と言ったら、やっぱりハエ叩きとか新聞紙とか……」
「一番オーソドックスな手段ですね、確実であるだけに。けれど女性や苦手な方は腰が引けがちで止めを差すまでに到らなかったり、物影に逃げ込まれた時まで対応出来ないでしょう」
そう、それでどれだけの人間が臍を噛んだか知れないだろう。
「じゃぁ、殺虫剤……」
「人体に害はありません、と記されていますが、無害ですとは明記されていない日本語の罠に引っかかってはいけませんよ」
そう、殺虫剤を使用して対象と共倒れになる人間も居るには居る。
 万策尽きて、救いを求める瞳で見上げる麟凰に、桐流は軽く頷いてみせた。
「個人的な意見では、叩きつぶすのも薬殺するのも好みではないですね…ですから」
何処から取り出したのか、その手にはヘアースプレーと100円ライターが握られていた。
「こうするのです」
 桐流は伏せたカップを取り除き、半紙の上で触覚をひくつかせる対象に向かってまず100円ライターに火を点した。
 次いで、ヘアースプレーを…『火気厳禁』と明記されているスプレーを噴射し…即席の火炎放射器と化した。
 可燃性の気体は炎の筋となって対象にとりつくと、油虫の別名に恥じぬてらりと光る体を燃え上がらせた。
 逃げる間も与えぬ、流れるような動き。
「さ……」
部屋も汚さず(焦げはした)、薬害もなく、一瞬で片を付ける手際と意表を突く対処に麟凰は拍手を送った。
「流石、紫宮さん!」
桐流は袂にライターとスプレーを戻すと、惜しみない賛辞に目を輝かせる愛弟子に微笑む。
「慣れれば目を閉じたままでも可能ですよ」
…と得意そうにする前に、掃除をしろとか思われる諸氏のご意見はその胸の内に秘めておく事を推奨する。
「さて、今日はこの位にしておきましょうか」
脱線しまくったままの講義を修正する事はなく、桐流は柱時計が告げる刻に麟凰に言い渡す。
「それ、片付けておいて下さい」
示す先にはカップと…焼死体。
「は、はい……」
おそるおそると…麟凰は中心の焼け焦げに焦げ茶色の変色した半紙の端を両手で摘み上げ、そのままゴミ箱まで移動しようとした…が、当然の如く、焼けた繊維は、その上に乗せた僅かな重量にも耐えきれはしなかった。
 ぽたり、と足の甲に落ちる感触に、麟凰の声にならない悲鳴が上がった。


 耳鳴りに似て走った衝撃に眉を顰めながら、桐流は書斎の扉を開いて廊下の左右を見渡した…身辺警護に扉を左右に固め、更に等間隔に並ぶ背広姿のSPが…一人残らず、その場に倒れていた。
 白目を向いて、ちょっとイヤな感じに手足をピクピクさせているのが、何かの最期を彷彿とさせる。
 麟凰の能力…サイコメトリは時に対象物の持つ最も鮮烈な記憶を…死者であれば、その死の瞬間を読み取りやすく、意の添わずに発動した能力は、その記憶を周囲の人間にまで放射してしまう弊害がある。
 麟凰の記憶を封じる、いわばその精神を掌握している桐流にそれを防ぐは容易いが。
「やれやれ……」
痙攣を続けるSPはそのままに、真ん中に穴の空いた半紙を掲げて昏倒している麟凰をよいせと抱え上げ、桐流は苦笑した。
「まだまだ修行が足りませんね」
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年07月07日

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