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『概ね平和で平穏な午後のお話 』
久遠・樹1576

 ほかほかと天気のいい日曜の午後。
 久遠・樹(くおん・いつき)は外界の喧騒とは無関係に極普通に日常を送っていた。
 東京某所あやかし荘の近くに店を構える薬屋『千種』は、そもそも薬屋、等というだけ合って、通常の街の薬局とは趣を違えている。店主である樹が気まぐれにやっている店で看板もよく見なければあるのだかないのだかわからないほどだ。
 この『千種』は樹が自分で育てた薬草や野山から採取した薬草を調合し薬として売っている店なのだ。客のオーダーに応える事もままある。真っ当な薬も扱っているが、それもどうやって入手しているものやら甚だ怪しい。
 薬事法第14条に曰く、厚生労働大臣は、医薬品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬品を除く。)、医薬部外品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬部外品を除く。)、厚生労働大臣の指定する成分を含有する化粧品又は医療用具(厚生労働大臣の指定する医療用具を除く。)につき、これを製造しようとする者から申請があつたときは、品目ごとにその製造についての承認を与える。
 要するに薬を作るには許可が要り、無許可で薬を作ってはいけませんということだが、これに照らし合わせる限り、立派に薬事法違反なのだ薬屋『千種』は。
 それでもこの店に客があるのは樹の作る薬の効能による所が大きい。法など気にしない客、法をそもそも理解していない客、そしてこの店が薬事法違反であるということなどを考えても見ない客、まあ色々だが、その色々は樹の作る薬を求めてこの店を訪れるのだ。
 その薬事法違反な店内で、樹は普段通り生活していた。自営業には土曜も日曜も試験も何にもないのである。
 手ずから淹れた紅茶を飲みつつ、やはり手作りの菓子を摘み、樹はストックの切れた薬や注文のあった薬を調合していた。出来上がった薬を紙に包んだり瓶に詰めたりしては棚にしまい込んでいく。実に鮮やかな手際である。
「あぁ、そう言えば隣のおばあさんが腰痛に効くやつをと言ってましたね……その効能がある薬草は何処でしたっけ?」
 ふと思い出した一つをまた片付けるために、樹は立ち上がりごそごそと棚を探り出した。
 全く日常どおりの時間。酔狂でやっている店だけに客の絶対数は街中のドラックストアとは比べ物にならない。(程少ない)
 樹が目当ての薬草を探し出したのと同時に、カランと鐘の音が鳴り響く。出入り口を振返って、樹は破顔した。そこに見知った顔があったからだ。
「いらっしゃいませ、三下君」
「こんにちは…あのーこないだ頼んでいた鎮痛剤を……」
 人生に苦労の多そうな男、三下忠雄は、おずおずとそう言いだした。

「ですからですね……僕だって好きで編集長や草間さんの盾になってるわけじゃないんですよう」
 涙ながらに訴える三下に、樹は一々うんうんと頷いてやる。
 毎度の事ながらこの男の話を聞いているのは面白い。
 生傷は絶えない、虐待は勿論収まらない、運も途方もなく悪い。
 これで何故己の居住空間や職場から逃げ出さないのかがまずさっぱりわからない。
 加えて、仕事はできない、お使いでさえたまに失敗する、運も途方もなくないから厄介事を山ほど引っ張ってくる。
 これで何故居住空間や職場から追い出されないのかそれもまたさっぱりわからない。
「そうですね。誰だって痛いのは嫌ですしね。耐えている三下君は立派だと思いますよ」
 ――雇い主も同居人も。
 樹は泣く三下にタオルと菓子鉢を差し出してやりながら内心クスクスと笑いを洩らす。
 三下は理解者を得たとばかりに怒涛の如く言い募る。
「分かってくれますか!? うう、なんで僕ばっかりこんな目にあわなきゃならないんでしょう……この間もちょっと暑いからって蹴られましたし、その前も危ないからこそ三下くんが逝きなさいとかって……逝くってなんですか行くでしょう!?」
「発音は同じでも微妙なニュアンスの違いを感じ取っちゃったんですねえ」
「はいいいいい〜〜〜〜!!!」
 三下は勧められたタオルで滝のような涙を拭く。樹はその肩をぽんぽんと優しく叩いてやった。
「泣いてないでお菓子もいかがですか? 今日のジンジャークッキーはいい具合に焼けたんですよ?」
 天使!
 三下が樹に向けた視線を解釈するのであれば正しくそれだろう。こくこくこくと幾度も頷いた三下はとどめとばかりにちーんとタオルで鼻をかんでから菓子鉢に手を伸ばした。
「紅茶も淹れなおしましょうね」
 神!
 柔らかく笑んで台所へと立つ樹に、三下が更なる憧憬の眼差しを向けた事など言うまでもない。
 ――差し出されたタオルが昨日戸棚の奥の埃払いに使われたものである事を勿論三下が知る由もまた、なかった。

 とっぷりと日も落ちきる頃になって漸く三下は『千種』を辞した。
「色々とありがとうございました」
 幾度も幾度も、それこそししおどしか何かのように頭を下げ続ける三下に樹はにっこりと微笑んだ。
「いえいえ、どういたしまして。では、またのご来店をお待ちしてます」

 楽しい時間を提供してくれて。
 勿論その真実の意味は口にだしはしない、樹だった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
里子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月30日

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