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『紫煙の記憶 』
五代・真1335


 公園のベンチに寝転んで空を見上げると、そこには途方もなく広大な青が広がっていた。
 雲ひとつない、澄み渡った青空。
 俺は、口にしていた煙草を指にあずけて、ほう、と深く息を吐いた。
 紫煙がゆっくりと空に溶けていく。胸の中の嫌なものまで一緒に、何もかも全て、消えていくような気がした。

 ――いい天気だ。
 これからとりかかるつもりの仕事には、これ以上ないというくらいに、恵まれた青空。

 だが、その前に、まずは一服だ。
 仕事前に吸う、一本のラッキーストライク。 
 こいつは、俺にとっての儀式みたいなもんだった。

 俺の名は、五代真という。
 『便利屋本舗』って会社で働いてる、いわゆる何でも屋だ。
 家の掃除から荷物の運送、日曜大工から年寄りの相手まで、悪事以外のことならどんなことでも引き受ける。
 だが、ここ最近、異変続きのこの東京じゃ、まともな仕事より、得体の知れない怪異がらみの仕事の方が増えつつある。そして、そういう仕事ってのには、決まって危険がつきものだ。
 いくら労災がおりるからって、下手すりゃ命どころか魂すら奪われかねない。危険手当を含んだ会社からの給料を考えても割りに合わない話だが、不思議と俺に不満はなかった。
 どうやら、こういう生き方が性に合っているらしい。
 それに、俺にはどうやら、守り神がついているようだった。 
 俺が吸ってるこのラッキーストライクは、仕事の前の縁起担ぎ――というか、その守り神との、絆を思い返すための行為なのかもしれない。

 話せば、ちと長くなるけど……。
 初めて煙草の味を覚えたのは、まだほんのガキの頃だ。
 居間にあった灰皿の中に、親父が半ばまで吸って捨てた煙草の吸殻を見つけた俺は、醜く押し潰されたその先端に、そばに転がっていたライターでおそるおそる火をつけてみた。ほんの興味本位で。
 人差し指と中指のあいだにそいつを挟んで、気取った風に、そいつを口元にもっていく。赤くくすぶっている先端から流れる煙は、なんだか胸のむかつくような匂いがして戸惑ったが、意を決して、そいつを口にくわえた。
 そして、景気良くそいつを吸いこんで――口を通って肺の中を埋め尽くしたその煙のあまりの不味さに、次の瞬間俺は思いっきりむせて、ついでに吐きそうになった。
 よくまあ親父は、こんな不味いものを喜んで吸ってると思ったもんだ。
 その頃の俺にとっては、親父はまったく理解できない存在だった。
 便利屋なんて仕事に熱中して、いつも夜遅くまで帰ってこないことも。家にいても俺やおふくろのことなんて見向きもせずに、不愉快そうなしかめっ面で酒ばかり飲んでることも。こんなまずい煙草をうまそうに吸ってることも。なにもかもが理解できない、認める事のできない存在だった。
 そう、俺は親父が大嫌いだったんだ。

 親父が外でどういった人間として通っていたのか、俺は知らない。
 だが、家にいるときの親父は、無口な岩のような男だった。
 いつも不機嫌そうな、むすっとした面をしていて、無関心で。俺やおふくろに何かを頼むときも、言葉を発することはほとんどない。たいていは面倒くさそうな身振り手振りで、それが通じないときは、親父の意図を読み取れずに戸惑う俺やおふくろを冷たく一瞥して、億劫そうに自分で動いた。
 俺が何か悪さをしたときも、親父は口で俺の何が悪かったのか、ガキにわざわざ理解できるように説明するような真似はしない。ただ、俺を鋭い目でじっと睨んで、俺が恐怖に目をそらすと、表情ひとつ変えずに、拳で殴りつける。
 そんな親父だったから、俺はガキの頃から親父が嫌いだった。うかつに近づいて、奴の気に障るような真似をしたら、容赦なく拳が飛んでくる。だから、俺はいつも親父から距離を置いて、避けるようになっていた。そしてその分、俺は優しかったおふくろの方にひっついて歩いた。

 少し物心がついて、俺は親父がやっている仕事が何なのかを知った。
 便利屋。何でも屋。文字通り、依頼があれば、どんな仕事でも引き受ける。
 それは決して、聞こえのいい商売じゃなかった。職業に貴賎はない、その言葉は正しいし、お天道様に背くような仕事じゃない。それでも、視野の狭いガキだった当時の俺にとっては、親父の仕事は友達にも自慢できない、恥ずかしいもののように思えた。
「五代、お前の親父、何でも屋なんだってな」
「何でも屋って、どんなことやるんだよ」
「決まってんだろ、みんな嫌がってやらないようなことをやるのさ。ドブさらいとか、便所のくみとりとか、人殺しとか」
 学校からの帰り道、そう言って周りではしゃぎたてるクラスメートの悪ガキどもに、俺は生まれて初めて怒りに我を忘れた。

「お宅は、お子さんに一体どういう躾をされてますの?」
 その日の夜、俺が痛めつけた悪ガキの母親が、わざわざ家に訪ねてきて、傲岸な口調でそう言った。
「うちの子が言うには、真くんがいきなり悪口を言って殴りつけてきたらしいじゃありませんか。ただでさえ傷つきやすい年頃の子なのに、どう責任をとってくださいますの!?」
 けばけばしく塗りたくった顔を怒りで醜く歪ませてそうまくし立てる眼前の女に、おふくろはひたすらに「申し訳ありません」と頭を下げた。
 一方、親父は――
 相変わらず無口なまま、表情を変えずに、俺を睨んでいた。
 その視線に気づいて、いつものように恐怖に、顔をそらす俺。
 次の瞬間、重い拳が飛んできて、俺の身体が吹っ飛んだ。
 その様をまのあたりにして、先ほどまで一方的な憤りをぶちまけていた女も、さすがに言葉を失う。
 そして、用事があるからこれで、などと適当な理由を口にして、そそくさと玄関から出ていった。
 倒れこんで胃の中身を吐き出した俺、慌てて俺の身体を抱え、心配そうに撫でながら言葉をかけるおふくろ。そんな様子を見つめながら、やはり親父は岩のように無表情だった。
 その時、俺ははじめて、親父を睨み返した。生まれてはじめて、眼前にいるこの男が嫌いだと自覚した。この男が憎い。殺してやる、とさえ思った。
 その時の俺の目は、親父にどう映っていたのだろうか。親父は背を向けると、俺とおふくろを残し、茶の間へと戻った。そして何事もなかったかのように、いつものように酒を飲み始めた。

『子供を愛さない親なんていない』
 どこかの誰かが、そんなおめでたい事を言っていた。
 そんなのは嘘だ。……それは、大人になった今でもそう思う。
 世の中には決して『子供の親』になることのできない大人もいる。自分の子供を愛情の対象として見てやれず、虐待を繰り返し、育児を放棄し、子供の存在さえ否定する親が世の中にはどれほどいることか。
 親父も、そういう男なのだと俺は思っていた。

 誰よりも優しかったおふくろが死んだのは、俺が14の時だった。
 じめじめとした梅雨の時期だったのを覚えてる。
 しめやかに行われた葬儀の最中、俺は霧雨の降りしきる外ばかりを見ていた。
 病室のベッドでおふくろが息をしなくなった時も、おふくろの実家の遺族や親類が葬儀の仕度に走りまわっていた時も、そして火葬場でおふくろの亡骸がちっぽけな骨の欠片へと姿を変えたその瞬間も――
 親父は、姿を現さなかった。
 ずっと、便利屋としての仕事に追われているのだと、親類から聞かされた。
 俺の中で、親父に対する何かが決定的に凍てついたのは、その時からだった。

『ねえ、真』
 亡くなる少し前、病室のベッドに横たわって点滴を繋がれながら、病でやせ細ったおふくろは、傍らの俺に微笑んで、言った。
『お父さんを、恨まないであげてね』
 誰よりも親父を恨んでいいはずのおふくろが、優しい微笑みを浮かべて、そんなことを言う……。
 俺には理解できなかった。
 この女(ひと)が、何故あんな男と人生を共にするようになったのか。
 どうして嫌気もささず、愚痴のひとつもこぼさずに、あの男に寄り添えるのか。
『お父さんはね、不器用なだけなの』
 俺の頬を撫でたおふくろの手は、泣きたくなるほどにか細く、弱々しかった。
『本当は、誰よりも、お前のことを――』
 嫌だ、と思った。そんな気休めなんか聞きたくはなかった。
 誰よりも俺を愛してくれた、おふくろが目の前で死んでいく。
 俺と、あの男だけをこの世に遺して。
 それなのに、そんな言葉で、俺の心を慰めようとしないでくれ。

 おふくろがこの世を去って、親父と二人で暮らすようになって。
 それからの俺は、早く大人になりたい、といつも思っていた。あんな親父の息子として、あんな親父と一緒に暮らして、あんな親父があんな仕事で稼いだ金で養われている自分が腹立たしかった。
 親父の煙草を吸って、その味を覚えたのも、その頃だ。
 あの頃はまだガキだったから煙がすっげぇ不味いと思ったけど、そのうち慣れてどうってことはなくなった。特別美味いものだとは思わなかったが、そうやって煙草を吸うことで、その瞬間だけでも、俺は大人になれたような気がした。
 もし俺が煙草を吸っていることを知れば、親父は俺を殴るだろう。あの男には、道理などない。ただ、俺を殴る理由さえあればそれでいいのだ。
 一度、俺はわざと、親父にわかるように煙草の吸殻を残しておいたことがある。親父と俺しかいない家の灰皿に、親父の吸った覚えのない吸殻があれば、吸ったのは誰か、どんなバカでも判る。
 親父は、いつもの無表情で吸殻を見つめて――驚いたことに、そのままそれを屑篭に捨てた。俺のほうを見ようともしない。
 俺が親父を見る目から畏怖が消え、軽蔑の色が濃くなったのは、それからだ。

 自分の中の『能力』に気づいたのも、ちょうどその頃だ。
 最初に気づいたのは、手にした鉛筆がやけに固いと感じた、その違和感。
 クラスメートの一人が鉛筆を二本の指で挟み、力を込めるだけで折れる、と自慢していたのを見て、俺もやってみたのだった。
 だが、指先の力であればそいつに容易く勝てるはずの俺が、手にした鉛筆にひびひとつ入れられなかった。指先に挟んだ鉛筆の存在を意識すればするほど、鉛筆はまるで鋼鉄の棒のように強度を増し、ずっしりと重くなるように感じた。
 そして俺は、触れて『念』を込めることで、あらゆる物の強度を高めることができる能力が自分に備わっていることを知ったのだった。
 ガキだった俺は有頂天になって、その能力をいろいろなもので試した。だが人にそれを自慢して見せようとすると、決まってうまくいかなかった。『念』を込めるには、精神をその物体に集中させなくてはならない。だが他人に見せびらかそうとするその慢心が集中を妨げているのだと、その当時の俺にはわからなかった。
 結果、嘘吐き呼ばわりされて、俺は自分の能力を他人に伏せるようになった。
 それは結果的に賢明な判断だったと、今の俺は思う。
 ――だが、それに気づくのが少し遅かった。
「……学校で吹聴してまわっているそうだな、自分には超能力があると」
 久しぶりに聞く親父の声は、錆ついて赤茶けた鉄を連想させた。
 俺は答えず、親父の方も見なかった。その時の俺にできる、精一杯の反抗だった。
 親父はしばらくの沈黙の後、
「自分を理解してもらおうなどと思うな」
 とだけ言った。
 まるで、自分の能力を見せつけて周囲の注目を集めようとした、自分の浅はかさを見透かされているようで、俺は不愉快になった。

 高校三年の夏。
 クラスメートの半数以上が進学を希望した中、俺は就職への道を選んだ。
 だが、どんな仕事、どんな生き方を選ぶべきなのか――俺には、まだ何もわからなかった。
 『便利屋本舗』という、親父の勤める会社から、親父が仕事中に大怪我をしたと電話が入ったのは、ちょうどそんな頃だった。
 ビルから飛び降りようとした子供を救おうとして、その少年の代わりに六階の高さから転落したのだと、電話口の声は沈んだ声音で告げた。

 親父が運ばれた病院に駆けつけると、手術室の前に一人の男が立っていた。
 すらりとした長身を包んだ、くすんだ色のジャケットとズボン。灰色がかった短い髪と、淡い色のサングラスが印象的な男だった。親父よりもずっと若いが、その雰囲気にはどことなく老成したものがあった。
「親父の会社の人ですか」
「……いや。俺は草間武彦、探偵だ。君の親父さんにはよく世話になってる」
 男の表情には重く苦い影が色濃く滲んでいた。それを見ただけで、この男と親父との間にある信頼の深さと、手術室にいるであろう今の親父の状況の深刻さがすぐに理解できた。
「何があったんですか。親父の会社の人じゃないなら、あなたは、一体……」
「俺のところには、そう、なんというか、まともじゃない仕事の依頼がよく来るんだ。常識では計り知れないような、得体の知れない事件ばかりな」
 草間は、懐から煙草を取り出した。親父の吸っているラッキーストライクとは違う銘柄だった。
 一本取り出して火をつけた。俺にもすすめようと差し出して、俺が学生服を着ていることに気づき、懐に戻す。
 俺も吸いたかった。だが、この男の吸っている煙草じゃない。吸いたいのはラッキーストライクだ。
「今日も、そんな事件だった。自殺者の多発する場所で遊んでいた少年が、得体の知れないもの取り憑かれて、これまでに何度も自殺騒ぎを起こしていた。そして行方をくらましたその子を探して、俺と親父さんは東京じゅうをかけまわっていたんだ」
 そしてとあるビルの屋上で飛び降りようとしていた少年を見つけた。親父の懸命の努力によって少年は助かったが、代わりに親父は六階の高さから落下し、下にある植え込みに全身を叩きつけられた。植え込みが多少のクッションとなって即死は免れたものの、その怪我は生死に関わる深刻なものだった。
「でも、何故親父がそんな事に……? 親父はただの便利屋ですよ。そんな大事に関わってるなんて」
「君は何も聞いていないのか……。親父さんは、業界の中では名の知れた『怪異始末屋』なんだ。常人にはない特殊な能力を持ち、その能力を駆使して、危険を伴う数多の怪異事件を解決してきた。その活躍ぶりは、俺もよく知ってる」
「特殊な……能力……?」
「君も彼の息子さんなんだろう。もしかしたら、心当たりがあるんじゃないのか」
 その時、いつぞやの親父の言葉が脳裏に甦った。
 ――『自分を理解してもらおうなどと思うな』。
 まさか……親父も、俺と同じだったというのか。
 あの言葉は、俺にではなく、自分自身に対してのものだったのか。
「本当は、この仕事、俺は降りるつもりだった。嫌な予感がしてね」
 草間はそう言って、紫煙を吐いた。その息は、嘆息のようでもあった。
「……だが、君の親父さんにそう言っても、頑として首を縦に振らなかった。この仕事は降りない、と」
「親父はそんなに、この仕事が好きだった……?」 
「いや。そうじゃない。
 ……あの少年が、君に似ているから、そう言ってた」

 その時、俺ははじめて、自分が思い違いをしていたことを、悟ったのだった。
 そして、今まで理解できなかったいろいろなことの意味が、少しずつわかってくるような気がした。
 何故、親父があんなにも無口だったか。
 何故、俺が自分から目を背けると、決まって殴ったのか。
 何故、おふくろがあんな親父のことを最後まで信じつづけたのか。
 何故、目の前の男が、こんなにも親父の身を案じてくれるのか。
 ……そして何故、今こうしてこんなにも、俺の胸が痛むのか。

 親父は、助からなかった。

 空を見上げ、親父が好きだった、ラッキーストライクの味を苦く噛み締めながら、俺は思う。
 俺はあの時、親父の後を追わないと誓ったのに、親父の面影はこうして俺の中に染み込んでる。
 親の愛なんて無いと思ってた。
 そう思い込んでた。
 なのに親父の顔が心に焼きついていた。親父なんか嫌いだ、大嫌いだ、そう思いながら。
 ガキの頃に触れたあの大きな手は冷たかったが、僅かに温かい気がした。……だが、親父を憎んでいた俺は、あの僅かな温もりに気付かなかった。
 冷徹に見えたあの親父の面影は、今考えれば優しさと寂しさを抱き合わせてたように感じた。
 ずっと、睨まれているように感じていた、まっすぐに俺を見つめていたあの目は、愛し方がわからない寂しい目に見えた。
 どうして、もっと早く、それに気づいてやれなかったんだろう。

 気がつくと、煙草はすっかり短くなっていた。
 未練を断ち切るように、最後に軽く肺の中の煙を吐いてから、吸殻を携帯用の吸殻入れに収めて、ペンチから立ちあがった。
 先ほども言ったが、俺が仕事の前にこいつを吸うのには、理由がある。
 不思議なことに、ラッキーストライクを吸った時は仕事が上手くいく。何の問題も無く。
 怪我もしねぇし、事故も無い。
 何でか知らねぇけど――俺が思うに、多分、親父が俺を見守ってくれているんだろう。
 だからこいつを吸う行為は、生きてる間にはついに果たせなかった、俺と親父が真正面から向き合うこと、そのものなのかもしれない。

 さてと……。
 そろそろ、仕事にとりかかるとするか。
 俺は額のバンダナを締め直して気合を入れ、依頼された事件の調査に向かった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
風祭史紀 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月24日

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