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『bug bomb 』
崗・鞠0446)&水無瀬・龍凰(0445)

 じんわりとした気配があった。
 ゆるりと背を撫でる手の心地よさと同時、底から這い上がる悪寒に、崗鞠は僅か首を傾げた。
 感情の籠もらない視線を、不躾にぶつけられるような…時折感じる、それに似た。
「鞠?」
水無瀬龍凰が吐息に近い距離で、緋色の瞳を瞬かせる。
 背から腰に回された手が、身体を引き寄せるのに応じて体重を移行させるのに寝台がキシリと小さく軋んだ。
 常には周囲の全てを警戒するかの如く鋭い光を宿し、けれど二人きりに彼女を見つめる時は和らぐ龍凰の目尻から頬へのラインを包むように、鞠は手を添える。
 その瞳に、触れる手に…怖れに似た躊躇を感じるようになったのはいつからだろうか?
 恋人を前にそんな想いに囚われかけていた矢先、感じた気配に気を取られてしまった多少の後ろめたさに鞠はにこりと微笑んだ。
「何でもありません……大丈夫ですから、龍凰」
私は。
 幾度同じ言葉を繰り返したろうか。
 苛烈な焔を創り出す…その能力を示す証のように鮮やかな瞳に、何処か痛むような色を浮かべる龍凰にこつり、と額を併せる。
「私を信じて下さい」
鞠の細い首筋を覆って背に流れる艶やかに長い黒髪を撫で、龍凰はそれには答えず、ただ彼女の名を呼ぶ形に唇を開きかけ…。
「ゴ……」
「ゴ?」
喉の奥から漏れた濁音は、口の形に反してか不明瞭な響きを持った。
「ゴキブリだ…!」
龍凰の手が虚空に描いた炎の線を、壁に一点の染みの如き独特に油めいた黒が照らした。


「おやめなさい、龍凰!」
鞠の行動は早かった。
 お嬢様然とした口調と物腰に優雅に、慌ただしさのない鞠だが、いざとなればそのツッコミは迅雷の如き速度を誇る。
 焔を壁に叩き付けかけた龍凰は、スパコーン、と小気味のよい一撃を後頭部に食らって力を散じさせた上、鞠に頭突きを喰らわすワケにはいかないと首の筋肉にあらざる力を込めて抗した為、首の筋がピシリと音を立ててヤバい感触を走らせた。
「龍凰、昨日ちゃんと生ゴミは出しましたか?」
そんな龍凰を尻目に、鞠はゴキブリから目を離さない…その、眼力に止められているかのように、ゴキブリは壁に張り付いたまま動かず、触覚を互い違いに絶え間なく動かし続ける。
「だ、出した……」
筋が正常な動作を拒んでどこか人形めいた動きに、律儀に首を縦に振る龍凰。
「餌になる物もないのに何処から入って来たのでしょう…ご近所で忌避剤でも使用したのかも知れませんね」
鞠はゴキブリの発生状況を冷静に判じるが、二人きりの時間をたかだか虫一匹に邪魔された龍凰には、原因など関係ない。
「潰せ」
求めるのは結果だけだ。
 邪魔者は一刻も早く始末して、続きを…などと思えど、動かそうとするだけでビキバキと張る首に行動が容易でない。
「ダメですよ、龍凰。一寸の虫にも五分の魂というでしょう?生き物の命を無碍にする事は出来ません」
動植物と意思の疎通を可能とする鞠だけに、人が感じるそれよりも命を重く受け止める。
 植物から、草食の動物へ、それは更により強い肉食の者へ…一見、残酷な程に容赦のない連鎖。
 だが、植物も、動物も次の命を生かし続ける為に…己が命を悼むも惜しむもなくただ受け止める者の心の有り様を近しく知る、それだけに、摂理から外れる形で、ただ奪う、を目的にしたくはない。
「燃す」
だが、鞠の言を聞き入れぬ程に龍凰は不機嫌に、虫一匹に覚えるにしては明確すぎる殺意を目線に込めながらどうにか首の筋を戻そうと苦心する。
「困りましたね……」
鞠は柳眉を寄せた。
 龍凰は感情が激するに任せて、往々に能力の発現が過剰となる傾向がある。
 虫一匹の為に壁…否、家を犠牲にする訳にも行かない。
「ネズミさんはいらっしゃいませんか?」
鞠の呼び掛けに、何処からか一匹のネズミがちょろりと姿を見せた。
 寝台に腰掛けた鞠の足下、後ろ足で器用に立って『お呼びですか?』と問うかのように鼻をひくつかせて見上げる小動物に、鞠は笑みかけた。
「少し手伝って頂きたいのですが…貴方を通して、ゴキブリさんと話したいのです。お願いできますか?」
『お任せ下さい』とでも言うかのように、はゴキブリが止まる壁に意気揚々と進んで…見上げるネズミに応じてか、ゴキブリはそろそろと床に下りる。
「お願いですから、この家から出て行ってくれませんか?」
まずやんわりと、鞠は呼び掛けた。
 ゴキブリはそれだけでは動こうとしない。
 鞠は吐息に少し肩の力を抜いた。
「さもないとあの人に燃やされますよ?」
……次に入ったのは、脅迫だった。
『え、いいの?』と言った風で通訳を務める鼠が鞠を振り返ったが、それに構わず続ける。
「最悪の場合この家が近隣区画ごと燃えようと町中で大火事が起ころうと龍凰と一緒であれば私は一向に構いませんし」
その脅しに信憑性を持たせて、首を傾けたり回したり、をしていた龍凰の動きがスムーズになって来ている。
 脅えからか、ゴキブリは触覚を動かす事すら止めている。
 鞠は、ふわりと笑んだ…内なる優しさが溢れ出したかのような、慈愛に満ちた、と評するに相応しく穏やかな微笑みで。
「私達の邪魔は許しませんよ」
……実は、鞠も怒っていた。
 人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られてなんとやら、というが、恋する者にとってそれは人類だけでなく昆虫にまで適用範囲が広まるらしい。
 見つめ合って(?)膠着状態に陥った鞠とゴキブリ、どちらも動かない…その間にも町内大火災の危機は刻々と迫り来る。
 それに、真っ先に耐えられなくなったのは、間で板挟みになっていたネズミだった。
 落ち着きなく交互に両者を見遣っていたネズミだが、鞠の背後で龍凰が腕を掲げたと見るや、龍凰が焔を創るより先、鞠が声を発するより先、彼はおもむろにゴキブリへと走り寄り、がぶりと。
 食らいついた。
「ネズミさ…」
呼び掛けが果たして制止であったのかさえ、鞠に判じさせる間も与えず、モ゛リモ゛リと表記に難な咀嚼音と共に瞬く間、ネズミは胃の腑に納めてしまった…何を、と明記したくはない、それを。
 声を失う人間を見上げ、気分としては『ごちそうさまでした』と頭を下げたネズミは何事もなかったかのようにちょろりと姿を消した。
 だが、残された6本の足が、惨劇の証拠を示している。
 都市部において、ゴキブリの天敵は蜘蛛…そして、鼠である。
「龍凰……」
鞠は、両肩に手を置いて沈黙する龍凰を見上げた。
「鞠……」
当惑したような…鞠の表情を受けて、龍凰は艶やかな黒髪の一房を掌に掬い上げて口付けた。
「終わったなら、もういいだろ?」
ねだる口調に軽く髪を引く…それに合わせて、鞠は龍凰の胸に体重を預け、しなやかな繊手を伸ばして恋人の首に絡める。
「えぇ、終わりました」
あっさりと、命の尊厳は何処かへ行った。
 龍凰が鞠を胸に緩く抱いたまま、背側に身体を傾けると二人分の体重を受け止めて寝台が沈む。
 手段はどうあれ、邪魔者さえ居なくなればそれでいい。
 残酷なほどに容赦のない恋人達は、中断されてしまった甘い時間を再開すべく、互いの吐息を寄せ合った。
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東京怪談
2003年06月18日

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