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『water bug 』
朧月・桜夜0444)&瀬水月・隼(0072)

 じんわりとした気配があった。
 朧月桜夜は眠気に半眼な目を擦り、確と掴めぬ感覚に周囲を見回した。
 深夜の屋内、闇よりも濃い影が方形の空間に満ちる。
 眠りから覚めたばかりの視界はまだ闇に慣れず、不審に耳を澄ましても、家電のあるかなしかに低い稼働音が耳に届くばかり。
「……気のせい、よね」
手探りに電灯のスイッチを入れる。
 パチリと軽い手応えに、眼前の扉に小さく15センチ四方の窓が暖色に染まるのに、無意識にひとつ息をつき、桜夜はドアノブに手をかけた。
 薄く開いた扉から漏れる暖色の扇状の領域に、扇状に廊下の木目を照らし出され、切り出されたように確保される視界に自然と目が行く…最も、現況、それが不幸だったと言えようか。
 桜夜は紅色の瞳を恐怖に見開いた。
 夢だと自分を誤魔化そうとしても、その油っぽく黒光りする体はあまりのおぞましさに印象強く視界に焼き付く。
 互い違いに不快な動きを見せる細い触覚、地を這う独特の動きは素早く、桜夜が向かおうとしていた個室へ一瞬で姿を消した。
「い……」
唇が戦慄く。
「いーーーやーーーーッ!!」
桜夜の絶叫が天地を揺るがした。


 瀬水月隼が飛び起きれたのは、本能が危険を察知した為であり、その為、意識が覚醒を認識するまでに些か誤差が生じた。
 桜夜が低い響きで廊下を駆け抜けた勢いのまま扉を開け放ち、ベッドに向けてフライングボディプレスをかます、それをまさに間一髪で避け、ベッドが設置された壁に張り付いた隼は、中心が沈むにぼふりと四隅を跳ねさせた羽毛布団に、まともに喰らっていればダメージの軽減は期待出来ず永眠していたろう、と客観的な判断を下した、其処で漸く自らが眠りから覚めている事を知る。
「イヤーッ!イーヤーッ!イィーヤァーーーッ!!」
言語野が崩壊を起こしているらしく、ただ一つだけ残された日本語で何かを訴える…けれど、かけ声のようにしか聞こえない桜夜の言に、
「うん、そうか、なるほどな」
と、一言ごとに律儀に頷き、布団の端を握り締めて見上げる、桜夜の潤んだ瞳に、隼はそこで初めて受動でない能動的な台詞を厳かに告げた。
「頑張れよ」
そのままごそごそと寝具に潜りかける隼に、桜夜は握ったままの布団を勢いよく引き上げた。
「ちょっと待ちなさいよ!深夜に乙女が恥を忍んで訪問したその心意気を汲まないで寝直そうなんてそれでも男!?ついてるモンついてんの!?」
忍ぶ、と表するには派手過ぎる訪問だが。
 隼はうっそりと肩越しに、漸く日本語を回復した桜夜を見る。
「で、なんだ?」
これみよがしの大欠伸に、時間が深夜で睡眠中であった、それを言下に意思表示してみせるが、桜夜がそんな主張をこれっぽっちも気にする筈がない。
「ゴキブリが出たの!トイレに!」
「……良かったな」
隼は簡潔な感想を述べ、頭を落とそうとした枕を寸前に奪われた。
「良くないわよ!ゴキブリよ!?賤しくも食器にまでかぶりつく、『御器かぶり』が詰まって『ゴキブリ』の語源になった人類の天敵よ!?そんなのと起居を共にしたくなんてないわよ、それとも隼のペット!?寂しい夜にふと気が付けば物影から見守る眼差しに微笑みを交わし合うジェニファーちゃんだとでもいうの!?」
支離滅裂ながら微妙に詳しい。
「退治すればいいだけだろ……」
あらぬ疑いに気疲れを覚えつつ、完徹明けに眠らせて欲しい隼の投げ遣りに最もな提案に桜夜は、ゆら、と立ち上がった。
「そう……そうよね、何処に隠れてるかワカンナイけど……跡形もなく消し去っちゃえばいいだけよね、うん、ありがと隼。寝てるの邪魔してゴメンね、おやすみなさい」
桜夜の輪郭を白く、霊気が縁取って闇に浮かび上がる。
「……ちょっと待て!」
隼は立ち去りかける桜夜の手首をはっしと掴んだ。
 本気の桜夜にかかれば、ゴキブリどころかその居住環境ごと跡形なくなるだろう…家の倒壊、という形で。
「俺がやる……」
虫一匹と秤にかけるにはリスクが大きすぎる。
 隼は、家財の代わりに睡眠時間を差し出した。


 隼はしばし悩んだ後、自室から持ち出したスプレーを左手に、ハエ叩きを右手に隼は決戦に望む。
 手にしたスプレーを、トイレの影…ゴキブリが隠れていそうな隙間に向かって吹き付けた。
「隼、アタシ、まだ使うんだから殺虫剤はやーよ」
発射音を扉越しに聞きつけた桜夜の声に、影と隙間に注意を向けたまま隼は答える。
「瞬間冷却剤だから安心しろ」
およそ10秒の噴射で対象の温度を−20度まで下げる…本来、電子部品の冷却を目的としたスプレーだが、隼は昆虫類が苦手とする冷気に隠れ場所から追い出し、かつ動きを鈍らせる目的で使用する。
 冷気に白く靄ついた空気が床を這うように消える…中、ぽたりと軽い音を立て、タンクと壁との隙間から黒い影が落ちた。
 逃れようとするそれは、よろめくように緩慢に床を這う…隼は、それがハエ叩きを振るえる位置に移動するまで待てばよいだけだった。
 動きを目で追い、頭上に振り上げた武器を迅速に迷いなく。
 目測に過たず、命の消える手応えがした。


「隼、お疲れ様♪」
ゴキブリを処分する間に、入れ替わりに個室に入っていた桜夜は、廊下で鉢合わせるにそう労いの笑顔を見せた。
「……あぁ」
短く答えて隼は欠伸を噛み殺す。
 これで安眠が得られるだろう、と自室に向かい、ドアノブに手を伸ばし…
「……まだ何かあるのか?」
ぴったりと背中にくっついて、自分の部屋に戻ろうとしない桜夜に声をかけた。
「一緒に寝る」
「ダメだ」
「ヤだッ!」
即座に却下されるに、桜夜は背後から隼に抱き付いた。
「一匹見たら30匹居るってゆーじゃない!隼があと29匹退治してくれるまで怖くて一人じゃねーむーれーなーいーッ!」
語尾は絶叫に近く、拒否し続ければそのトーンを保ったまま耳元で騒がれ続ける事は必至…眠るどころの騒ぎではないだろう。
 キィン、と鼓膜がおかしくなりそうな耳鳴りに、隼は諦めの息を吐く。
「……静かにするなら、寝てもいい」
「うんッ♪」
喜色を浮かべて早速ベッドに潜り込む桜夜の嬉しげな様子に、隼は苦笑すると背を向ける形で自分も床につく…その背にまたもや桜夜がしがみ付いた。
「おい、桜夜……」
「おやすみ、隼♪」
苦情を申し立てようとした言を制するかのように、桜夜の息が一瞬で寝息に変わる…抱き枕よろしく、隼を抱き締めたまま。
「おい……」
かける声が、何故か小さくなってしまう。
 耳元の安らかな吐息に、桜夜が安心しきって熟睡しているのが分かる。
 だが、隼は寝るに寝れない…桜夜の腕はしっかりと隼に回され、体温と、鼓動が伝わりそうな近さに意識が冴える。
 体は眠りたい筈なのに…別の意味で、安眠どころの話ではない。
「人の気も知らねぇで……」
呟きに、ふと緩まった腕に寝返りを打つ。
 至近に安らかな寝顔を見せ、隼の頭を胸に抱くように再び力を込める桜夜に、最早諦めから、好きなようにさせてやる。
 そして心中に思う。
 明日、買うべきはゴキブリホイホイかホウ酸団子か…後の始末をつけなければならないのは面倒だし、目の届かぬ場所で死んでいるのも気持ちのいい話ではない。
 どちらを仕掛けるかは、桜夜の意見を聞いてからの方がいいだろう…眠れないのは、そんな事を悩んでいるからだと、自分に言い聞かせつつ。
 隼は遠い夜明けをまんじりとせずに待ち続けた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月18日

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