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『糖衣錠 』
石和・夏菜0921)&守崎・啓斗(0554)

 外は甘いのに、中が苦いままの。結局は苦い、薬。

 誰が呼んだのだろうか、逢魔が時。燃えるような赤は全てのものを照らし、その色に染め上げている。
(大丈夫)
 緑の大きな目でその光景を見ながら、小さく呟いた。黒く長い髪が、ふわりと風に揺れる。
(大丈夫。絶対に……大丈夫なの)
 夏菜は何度も自分に言い聞かせ、すう、と一度深呼吸をしてから、隣の家を覗き込む。
(いた)
 覗き込んだ先には、良く知る顔が縁側に座っていた。まだ、胸は少し痛むけれど。だけど、胸をときめかさずにはいられない顔。風に揺れる茶色の髪に、ぼんやりと空を見上げる緑の目。守崎・啓斗(もりさき けいと)だ。どこかやりきれないような、そんな表情をしている。
(ああいう顔をさせたのは、夏菜)
 夏菜はぎゅっと唇を噛んだ。
(だから、夏菜にしか出来ないの。夏菜が、やらなくちゃいけないの)
 そう考えてから、ふと啓斗に『あんな顔』をさせてしまった出来事を思い返す。好きだと言った自分に、妹として好きだと答えた啓斗。悲しくて、悔しくて。……だけどきっと、啓斗は気付いてくれたのだ。夏菜が求めていた『好き』の意味を。
(だけどね。夏菜は啓ちゃんにそんな顔をさせたかった訳じゃないの)
 夏菜は再び現れようとする涙をぎゅっと堪える。喉の奥が熱かったが、何とかそれを抑えてからにっこりと笑った。
(うん、大丈夫なの!)
 自分に言い聞かせるように呟き、夏菜は裏の戸口から庭に入った。縁側に座っている啓斗は、ぼんやりとして虚空を見たまま、自分に気付かない。
(仕方ないなぁ)
 夏菜は小さく苦笑し、すっと息を吸った。
「啓ちゃん!」
 にっこり笑ったまま、夏菜は啓斗を呼んだ。啓斗は驚いたように顔を上げ、それからどうしていいのか分からないような表情を浮かべるのだった。

 目の前にひょっこり現れた顔に、啓斗は戸惑った。それもその筈。今の今まで悩んでいた対象が、突如として目の前に現れたからだ。
(夏菜……?)
 啓斗はどうしていいかわからず、にっこりと笑っている夏菜をただ呆然と見た。
(笑っている……夏菜、笑っている)
 夏菜に好きだと言われた。その事自体は心の奥底から嬉しかった。何故なら、自分も夏菜の事は大好きだったから。ただし、妹として。そしてそれは夏菜の求めていた答えとは違っていたのだ。
(傷つけた。俺が、夏菜を、傷つけたのに)
 今、目の前に現れた夏菜は笑っていた。にっこりと笑いながら。いつものような、明るい夏菜の笑顔。夏菜は、縁側に座ったまま啓斗の前に立ち、笑う。
(どうしても、妹としてしか見られない……だけど)
――傷つけたくは無い。啓斗の心を支配しているのはそれだけだ。
「あのね」
 夏菜が口を開いた。啓斗は、じっと次の言葉を待った。
「あのね。啓ちゃんはお兄ちゃんなの」
「……お兄ちゃん?」
 啓斗の問い掛けに、こっくりと夏菜は頷いた。が、すぐにはっとしたような表情になり、悪戯っぽく笑う。
「あ、でも夏菜の方が誕生日早いから……夏菜は啓ちゃんのお姉ちゃんなの」
(姉……つまり、それは)
 啓斗はじっと夏菜を見つめた。まじまじと、悪戯っぽく笑う夏菜を。
(家族として、見てもいいと言う事か……?)
 夏菜は依然として笑っている。いつものように。
(だが……夏菜が姉とは)
 小さく啓斗は眉を顰めた。
「夏菜……」
「なぁに?」
「そういう『好き』でいいのか?」
 啓斗は確かめるように夏菜に問い掛ける。夏菜は「うーん」と言って腕を組む。
「兄に妹って憧れるものなの。……啓ちゃんは、夏菜の弟だけど」
「何故、俺が弟なんだ?」
「だって、啓ちゃんよりも一週間、夏菜の方が誕生日早いもん」
「夏菜は俺と同学年じゃないか」
「でも、夏菜の方が一週間お姉ちゃんなの」
「背だって、俺の方が高いし」
 そう主張する啓斗に、夏菜はくすりと笑う。
「啓ちゃんは、身長高いからお兄ちゃんなの?」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、夏菜がもしも二メートルくらい身長あったらどうするの?」
(二メートル?)
 二メートルの夏菜。そんなものは想像もつかない。自分の目の前に立っている夏菜は、相変わらず自分よりも身長が低いのだから。
「想像出来ないな」
「ねぇ、どうする?」
 悪戯っぽく、夏菜が尋ねてくる。啓斗は真顔で暫く考え、それから至極真面目な顔で夏菜に向き直った。
「夏菜が妹だ」
「身長が二メートルあったとしても?」
「ああ」
「五メートルあったとしても?」
「夏菜が妹で、俺が兄だ」
 きっぱりと啓斗は断言した。夏菜はその言葉を噛み締めるように、にっこりと笑った。満足だといわんばかりに。
「じゃあ、夏菜は啓ちゃんの妹になる訳なのね」
「そういう事だな」
「啓ちゃんが、お兄ちゃんなのね」
「そうだ」
(それは、絶対だ)
 啓斗は何度も何度も問い掛けてくる夏菜に、一つ一つ答えていった。兄である自分と、妹である夏菜。それは崩れる事の無い、絶対の事だといわんばかりに。
 ふと、夏菜は腕時計をちらりと見た。夕日は後少しで完全に沈んでしまおうとしていた。まもなく夜が来る。
「あ、じゃあそろそろ夏菜、帰るね。お兄ちゃんが晩御飯待ってるの」
「そうか。気をつけてな」
 声をかける啓斗に、夏菜は苦笑する。
「啓ちゃん。家、お隣さんなのに」
「だからこそ、気を抜かないように」
 夏菜は笑った。それにつられて、啓斗も小さく微笑む。
「じゃあね、啓ちゃん!」
 啓斗に大きく手を振ってから、夏菜は守崎家を後にした。
「良かった……」
 啓斗は夏菜の姿が見えなくなった事を確かめてから、小さく呟いた。空をぼんやりともう一度見つめる。夕日は完全に姿を消してしまっていた。ただ空を染め上げたままの赤い色が、先程までいた太陽の存在を示しているだけだ。
「……良かった」
 啓斗はもう一度呟いた。赤く染め上げられている空も、まもなく来る闇へと変貌してしまうのだろう。そんな中、大きな安心感が啓斗の隅々まで支配した。不安な赤い空を、ゆっくりと包んでゆく夜の闇のように。

(言えたの!)
 守崎家を後にした夏菜は、自宅の玄関を閉めた直後にその場に座り込んだ。近いながらも、走って帰ってきたために息が乱れた。
(ちゃんと、言えたの!ちゃんと、笑えたの!)
 大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせて。にっこりと笑わないと、気取らせないようにと心がけて。夏菜は見事にやり遂げたのだ。
「夏菜……頑張ったの」
 喉が熱いまま、夏菜は呟いた。今はまだ、胸が苦しいけれども。それでも自分はやり遂げたのだ。啓斗は最後、笑っていた。夏菜の好きな、あの笑みで。
(ここで泣いては駄目なの!)
 夏菜は泣き出しそうになる自分を励ます。折角ここまで頑張ったのだから、最後まで頑張っていたかった。最後の最後まで。
 夏菜は顔を上げた。涙は出ていない。それからにっこりと笑ってみせた。すっかり日は暮れて、玄関は薄暗かったけれども。だけど、だからと言って泣いて言い訳ではないと必死に言い聞かせる。
「夏菜、頑張ったの」
 もう一度夏菜は呟いた。ふと溢れそうになる涙を、ぐっと堪えながら。

 外だけは甘くて、中は苦いまま薬。だけど、どんなに苦くてもいつしかそれは楽にしてくれる筈だ。甘くても、苦くても、それは薬なのだから。

<甘く苦い思いを噛み締めながら・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月16日

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