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『『ねものがたり』 』
天音・ウィスタリア0142)&斎樹・厳(0144)

 天音・ウィスタリアはごろりと寝返りを打った。四分の一とちょっと回って、向きを変えると、そこで止まる。以前ならばゴロゴロと一周りぐらいしても、この広いベッドの上では何も問題はなかったが、今は違う。半周もすると寝返りを遮る物体がいる。
 天音はその邪魔者の横顔を、ぼんやり薄目を開けて眺めた。
 天音は微睡みから抜け切ったわけではなく、まだ半分は夢の中。快楽の後の甘い気怠さは午睡の鎖に天音を捕えて、いまだ放すつもりはないようだった。そして更に今、何も介することなく腕に胸に触れた肌の温もりが心地よく、再び眠りの扉を開けて誘う……
 人肌の温もりは最も優秀な睡眠導入剤だ。
 それは、天音のベッドを半分占領している者にも言えるだろうか。その者の名は、さいき、いず……斎樹厳、と言う。まるで日本人のような名であるが、今、天音の視界を大幅に占領している色は赤だった。厳の髪は赤い。染めているのではなく、天然物である。
 厳の髪の色は派手なので、アジアの血が混じっていることは言われなければわからなかった。そう告げられてもなんだか嘘臭いというのが、天音の最初の感想だったが……それは、厳のほうからしても同様だっただろうか。
 天音の名も、日本人の親からもらった物である。だが天音自身はイギリス出身の片親の遺伝子が実に強かったらしく、眼も髪も肌もアジアンのそれとはかけ離れている。どちらがより名前に負けているかと言えば、天音のほうであるかもしれない。少なくとも、血筋が嘘臭いと天音に言われた厳は、そう主張していた。
 もっとも天音は、厳のルーツがどういうものなのか、詳しいことは今も知らない。厳は何も言いたがらないからだ。名前が見た目に反して日本名だから、日本人の血が入っていると、そこまでは聞いた。だが、そんなごく当たり前に疑問となる部分以外のことは、何一つ知らない。
 一つのベッドに裸で並んで横になる間柄であると言うのに、一つ屋根の下で一緒に暮らしている癖に、と言われても、知らないものは知らない。そもそも厳と天音の関係が恋人同士と言えるかどうかは、大変微妙なところでもある。
 二人の関係は、ゆきずりのそれに最も近かった。偶然に出会って、そして近しいルーツを持っているらしいということだけが、二人の縁だ。お互いに何も知らない、何も語らない。ただ何となく……こうしている。二人とも子供の年齢ではないので、自分の行動には責任が取れるから、なおのことこんなあやふやな形が成り立つのだろう。
 いつでもどうとでもできるから、どうにもしないのだ。
 ……いや、もう一つは、厳のことで知っていることがあるか……と、天音はとうとう重くて開け続けられなくなってきた目蓋を閉じた。

 厳は夢を見て、そして目を覚ました。
 夢から覚めたはずなのに、耳元に夢でも感じた暖かい息と肌の温もりを感じて、厳は薄目を開けて視線を落とす。
 そこには寝息を立てている、天音の顔があった。
 夢に見たのは、二人が初めて出会った時のことだ。だが良い夢とは、お世辞にも言えないプレイバックだった。
 ……その時、厳は自分でも、自分はそこで死ぬのかと思っていた。
 元来厳のプライドは必要以上に高いので、そんなところでそんな風に死ぬのは耐えがたい屈辱ではあったが……無駄なほど冷静で客観的でもあるので、そこで死ぬのが妥当だとも思っていた。
 雨の日だった。
 そこは、路上だった。
 そこ、というのが正確にはどこであったのかは、厳自身はよく憶えていない。行き倒れる人間が、行き倒れる場所など自分で選べるはずもないからだ。ただ、上司と喧嘩して連邦を出奔したので、故郷に帰る途中だった。プラハを通ったのは、比較的治安がいいからだ……
 だが、所詮『比較的』でしかないことを、厳は身を以て知ることとなった。
 身ぐるみ剥がされて、有り金奪われて、とりあえず生きている、という状態で道端に転がされた後のことは、よく憶えていない。そういうわけである。
 この追体験だったのだから、良い夢とは言えないだろう。
 だが夢から覚めたのは、路上に転がって雨に打たれている時にではない。巻き戻された記憶は、もう少し先までをリプレイした。それは厳を抱き起こした、天音の温もりと吐息……むろん原因は、隣に眠る天音の肌の温もりと寝息のせいだ。
 厳は文字通り、天音に拾われたのである。
 だから……そこは天音のアパルトメントの近くだったに違いない。ものぐさな天音がどれだけ気紛れを起こしても、泥だらけの厳を遠距離担いで運ぼうなどと思うはずがないからだ。
「今思えば、僕を連れてきた時は、ずいぶんと機嫌が良かったんだな」
 厳はふと、声を出して呟く。そして天音の顔を見詰めるが、天音の寝息に乱れはない。
「そうでなければ、自分も泥だらけになるような真似なんて……」
 考えられない。そこまでは声にはしなかったが。
「……バカねぇ」
 寝息を立てていた豊満な唇は、突然に微笑った。
 同時に飛び出した言葉に、厳は眉を顰る。
「狸寝入りが上手いな」
「今、誰かさんの声で目が覚めたのよ」
 それにしてはしっかりした声で、天音は答えた。
 厳の視界の中で、銀髪の妖艶な女が薄目を開ける。普段の白衣に眼鏡姿だけを知っている者だと、天音が素肌ではここまで女の匂いを放つとは思い至らないかもしれない。
「……何がバカなんだ?」
 少し不機嫌を滲ませた声で、厳は訊ねる。
「情報収集を怠って推論だけで結論を導いたところを、バカだって言ったのよ」
 天音はゆっくりと、そして今度ははっきりと、目を開けた。顔と肩を起こして、緑の瞳は厳を覗き込む。
「科学者としては失格ね」
「言ってくれるな……」
「ホントのことよ」
「黙れ。僕を連れてきた時のことを憶えているのか? 聞いても無駄だと思っていたんだ。君は、細かいことを気にしなさ過ぎるからな」
 天音は、厳の行き倒れていた正しい場所を知っているかもしれない。だが、天音はそういう細かいことに、厳からすればあきれるほど注意を払わない。だから、きっと天音の記憶野のすぐ出てくるところにそんなものはないだろう……そう思って、厳もそれを聞いたことがなかったのだ。これは本当のことである。
「失礼ね。憶えているわよ……」
 紅は落としてあるはずなのに、不思議なほど紅い唇を尖らせて、天音は不満気な声を出す。だが、すぐ気を取り直したかのように、微笑った。
「忘れるものですか」
 ……わずかに意地悪そうに。
「だって、あなた、アパルトメントの扉の前に転がっていたのよ。あなたを退かさないと、あの雨の中、私もお部屋に入れなかったの。わ、か、る?」
 厳の頬を、つんつんとつつきながら、天音はことさら甘い声で囁いた。厳はつつかれた片頬を歪ませて、寝転んだまま肩を竦める。
「初めて知ったよ、僕はバリケードを築いていたんだな。君は家に入るために、そのバリケードを退かす必要があったんだ」
 ふん、と厳は鼻で嘲笑った。
「……そうね」
 天音はあっさりと肯定して、再び枕に頭を沈める。
「最初に見た時は、本当に生ゴミかと思ったけど」
「……まあ、否定はすまいよ。あの時、もうあと少し外にいたら、本当に生ゴミになっていただろうからな」
「そう、それもちょっと困るじゃない? 私は何も悪いことはしていないのに、家の前にフレッシュな死体があって、あらぬ疑いをかけられたりしたら、ね」
「……」
 ささやかなユーモアに正直に本音を返されて、厳は音もなく溜め息をついた。
 天音も思い返す……あの日は、強い雨が降っていた。


「……ちょっと」
 声をかけて返事があるとは、実は思っていなかった。その時、天音の目には、本当に死体が転がっているように見えたのだ。
 なので天音から厳への第一印象は、行き倒れるなら隣の家の玄関でして欲しかった、という非常にドライな物だ。
「……う……」
 だから、厳が何も反応しなかったなら、多分天音は厳を横に退けて、アパルトメントに入ってから然るべきところに連絡をしただろう。その間に本当に、厳は死んでいたかもしれなかった。雨が体温を奪っていたから、厳の体は冷えきっていたし……
 だが、ふとかけた声に、厳は反応した。
 たまたまかもしれなかったが。
「……生きてるの?」
 何にせよ、それは厳にとっては幸運だっただろう。天命が尽きていなかったということかもしれない。
 天音にとってみれば俄に目の前に落ちてきた厄介事だったが、それでも自分の家の玄関先で死に逝く者を放置するほど非情ではない。仮にも医者のはしくれである。面倒臭がりというのとは、また別の次元の問題だ。
「しょうがないわね……まったく……」
 それを引き摺って中に入れ、蘇生させて、温めて、そして名前を聞き出したのは、翌日のことだった。


「それに、まさかここに居着くとは思わなかったのよ」
 記憶の泉から帰ってくると、天音は微かな笑みと共に言った。
 厳は、そこで、更に顔を天音の方へと傾けた。その顔は真剣そうにも見えたし、どこか投げやりにも見えた。
「出ていって欲しかったか……それは悪いことをした」
 それでも、天音は唇から笑みを消さずに答える。
「……別に? それでいいのって聞きたいのは私の方ね」
 天音は手を伸ばし、厳の赤い髪を一房、つんと引っ張る。
 厳は黙っていた。
「私は別に、あなたがいて損はしてないし?」
 髪に絡めた指は、するりと厳の耳を伝い、その頬を包む。
「別にあなたも、損はしてないと思うけど……それで、いいのかしら?」
 黙ったままの厳の唇を、ぺろりと紅い舌が嘗める。
 囁きは頭蓋骨の中で反響しているようだった。
「……別に」
 だが、厳は面倒臭そうな声で答えた。
「……それだけ?」
 天音は、少し不満気に、けれど甘い声で促す。その声を喰らうように、厳は天音の唇を奪った。そして、ゆっくりと離しながら含み笑いで囁く。
「君の子守は、結構骨だぞ。見返りはあるが……本当に損していないと思っているのか?」
「ま」
 反論を塞ぐように、また厳は唇を塞いだ。
 そのまま、今度は長く甘く、口づける。
「……イズ」
 厳がようやく離れようとすると、天音はその首に腕を回し、離れないように繋ぎ止めた。
「損してるなんて言わせないわ。でも、今はもうこの話は止めましょ……後で、ゆっくりとね……」
 今度は自分から、天音は唇を重ねる。
「今は……ね、イズ……」
 ベッドの中では、もっと他の言葉があると……
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黒金かるかん クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2003年06月10日

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