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『tilt at windmills 』
神薙・春日0867)&湖影・龍之助(0218)

「いいくに作ろう鎌倉幕府……」
テーブルにへにょりと懐いた湖影龍之助の、今際の際のような弱々しさで吐かれた呟きを、神薙春日は聞き咎めた。
 金と黒という異なる色彩に、力を込めれば迫力を増す眼光を炯々とさせ、問う。
「今、なんつった……?」
「農業本論、新渡戸稲造……」
春日の声は届いていないのか、意味があるよなないよな呟きは続く。
「寝てんな龍之助ぇッ!」
怒声と共に、春日が机上の紙類をざっかと纏めて抱え上げると同時にざんぶりと。
 開いた障子と同時に情け容赦ない奔流が龍之助を襲った。
「冷てぇッ!?」
飛び起きた龍之助に、春日は続けてリモコンで冷房を浴びせる…今からそんな電力の消費っぷりでは真夏の盛りに電力会社が泣く勢いで、温度は最低に設定されて16度。
 春日専属執事が勢いよく中身をぶちまけたバケツの名残の一滴をピト、んと廊下に垂らす…見事なコンビネーションプレイだ。
 濡れた体に直接浴びせられる冷風に、眠気が飛ぶよりも先に凍死出来そうな気分で、龍之助が鳥肌だらけの腕を暖めようと、摩擦熱を頼りにがしがしと掌で擦る横で、主従は黙々と濡れてしまった畳とテーブルの水分を雑巾で吸い込み、空いたバケツにまた戻す…こちらも息の合った作業、感心しつつ、それが次の機会にリサイクルされない事を願う。
「もうお家に帰してぇぇッ」
思わず泣きが入る龍之助。
「帰る家があると思ってんのか?」
悪役ちっくに邪笑いを浮かべた春日は、ヒラヒラと一枚の紙片を示した…それは、十日分の生活用品と共に宅急便で送られてきた、心の籠もったメッセージ。
『Good Luck!』
長兄の文字だ。
 龍之助はこの一週間…家族の同意の元、春日宅に文字通り監禁、もとい、缶詰となっていた。
 自宅に帰る間もなく、校門前に停められた黒塗りの外車に押し込まれ、夜も眠らせて貰えないほどに激しく勉学に勤しませられまくっていた。
 送迎付にひたすら学校との往復、級友である春日が常に目を光らせるのに逃亡も適わず、知識を噛む間も与えず呑み込まされているのは明日に控えた期末試験の為だ。
 壁に貼られた円グラフにみっしりと組まれたスケジュールを消化させる為、春日と執事が飴と鞭を使い分けつつ絶妙な連携で龍之助を間断なく追い詰める。
「お前、やる気ねぇだろ?」
春日手製の日本史予想問題の解答の惨憺たる結果に龍之助が肩を落とすに、なけなしの気力が削がれるより先、
「龍之助さんも努力はなさっているんでしょうから。夕食はお好きな物をご用意致します」
と、目先の利に浮上させ。
「へぇ、出来るようになったじゃん」
最早理解すらなくパブロフの犬状態に、近代文学の作家と代表作を仕込まれた結果に光明が見えれば、
「冒頭や序文も一緒に覚えるといいかも知れませんね」
と、助言に記憶項目を増やされる。
 なんだかんだで誤魔化されつつ、暗記物を主に詰め込まれた一週間である。
 龍之助も大変だったろうが、実際の所、もっと難を見ているのは春日と執事であった。
 暇さえかあれば「三下さんに会いたい……」だの、「あぁ、三下さん今何してるかな……」とか、「三下さん、俺が居なくて寂しくないかな……」やらのぼやきを宥め賺しながら覚える気のない知識を詰め込まねばならないのだから。
 一週間という期間で、室内には言い表すのに難な空気が満ちる…疲労と疲弊、厭倦に弛みそうな気分を義務と責任がどうにか引き締める。
 最も、細い一本の綱を命綱なしに渡るような、そんな危うい感もそれもそろそろ限界である…机に懐いてうだついている龍之助に、ピシャリと喝を入れた。
「うぉあぁぁ、アブねェッ!」
擬音は比喩ではない。
 鼻先を掠めてうねった長蛇の如き…鞭のしなりが上げた鋭い打擲音。
「なな、何…ッ!」
鞭の端を握る級友が、無感動に示したのは一枚のカード。
『甘えん坊さんをその道に目覚めさせてくれてもよくってよ♪』
愛に溢れる長姉からのメッセージ。
「華那さんからのプレゼント」
これ以上、弟を横道に逸らしてどうするつもりなのか。
 だが、春日の本気は目の色で分かった。
 するり、と障子が開く。
「疲れた時には甘い物がよいと言います」
執事が如才なく飴を差し入れる…かなりマジだ。
 龍之助はそろそろと、教科書に手を伸ばした。
「え〜ッと、次は……数学だったかなッ。数学……数学大好きなんだよなッ数字の羅列を見てると頭の中がぐるぐるになって渦を巻いて違う世界が見えて吐きそうになるぐらい……ッ」
龍之助だっていっぱいいっぱいだ。
「ワカンナイとこは聞けよ。悩むだけ時間の無駄だからな」
怒りの矛…ならぬ鞭、を納めると、春日もノートを引き寄せる。当然の如く彼だって試験だ。
 最も、春日は憂いねばならぬような成績を修めた事は皆目なく、彼にとって試験とは、龍之助に如何に及第点を取らせるか、それのみに尽きる。
 ポケットの中に残された最後のカードは『どうかお身体に気をつけて、頑張って下さいね』と、湖影四兄弟の末妹の思いやりに満ちた一枚が潜められている…試験が終わるまで、これを使わないで済めばいい、と、病人に与える薬の匙加減を悩む医師の心持ちで内心の息をつく。
 この手段まで費えたら、本当に最期の手段…絶対にやりたくないが、編集部へのホットラインを繋ぐしかなくなるだろうか、と鬱めいた思考にふと顔を上げ、教科書で顔を隠すようにそっと…早速ながら挙手している龍之助に気が付く。
「何処がワカンナイんだ?」
分からないトコなどありすぎだろう事は最早聞かずとも判っている。それに対して怒るつもりは毛頭ない為、質問を促すに、龍之助は顔の下半分を教科書で隠したまま「てへ♪」てな風に上体を傾げた。
「試験範囲おせーて♪」

 ぶっちりと何かが切れる音がした。

「馬鹿!お前ホント壊滅的に馬鹿!!」
春日が爆発した。
「なんでこんななる前に手ぇうっとかねーよ!?三下の阿呆構い倒す前にテメーの勉強しろってんだ!!」
いや、それは最早勉強以前の問題だし、とは思っても…春日も龍之助と共に寝食を共にして眠らずに居る一週間目だ。ギリギリだ。
 後頭部をはたかれて座卓と額をごっつんこした龍之助が涙目で訴える。
「痛っ!お前手加減しろよ!今ので単語10個は消えたっつーの!」
「…あぁん?んな事で忘れるくらいって事は、まだしごきがたんねーらしーなぁ〜?」
地の底から湧き上がるような怒気が、効果音付きで視認出来そうだった。
「あーわわっや、も、十分バッチリっス!」
かくなる上は、怒りを鎮める為の呪文…英単語や年表をしどろもどろにを唱えながら、嵐が過ぎるのを待つしかない…自然の猛威(?)に、人は斯くも無力だ。
「しっかりしろよ……お前がダブったら意味ねーんだよ……」
祈りが通じてか、嵐は収まった。
 三年間は短い。
 共に在れる時間は限られたもので、就職、進学、どちらの道に進んでも、今までのようには行かないだろう。
 ならば一分でも、一秒でも、褪せない思いに、その鮮やかさに切ないまでに愛しい時間を共に有りたいと願うは当然だろう。
 だのに。
「……はっ!三下さんの為にも早く社会に出なくちゃだもんな!」
どんなに心を砕いて、言葉を尽くしても…恋に邁進するに、他意なきが故に凶悪に、歴然とした差を見せつけ、龍之助は猛然と数学の教科書に齧り付いた。
「……」
春日は沈黙する…静かに。
 室内は、台風の目の無風区域から抜けようとしていた。
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北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月10日

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