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『花狂宴 』
紫宮・桐流1144)&水無瀬・龍凰(0445)

 星一つ無い空に満月だけが浮んでいた。星が消えたのは月が明るい為だけではない、薄雲に空が覆われているからだ――まるでこれから起こる事に目を背けるように。
 ぼやけて今にも消え入りそうな月を見上げて桐流は詠嘆した。
「朧月夜にしくものぞなき……ですね」
「あァ? なんだ、そりゃ」
 不審げに先を立って歩く少年が振り返った。返事をするのも嫌なくせに、それでも振り返る辺りが龍凰の律儀な点だ。
「新古今ですよ。まあ、むしろ源氏物語のと言う方が有名かもしれませんね」
「知るかよ、俺が」
「花宴の帖ですよ。源氏物語の」
 桐流は穏やかに笑う。だが、その笑みの下に何があるのかを重々承知している龍凰にはただ不快そうに応じた。
「ああ、そうかよ」
 不機嫌な声に桐流はしばし黙り、年の離れた二人の男は暗い夜道を歩き続けた。
 角を曲がるとまず目に入ったのは大桜だった。漆喰の長い塀の向こうに端然と佇む白い桜。
 薄紅色と言うよりは白に近い色彩に龍凰はソメイヨシノを連想したがどこか違う。良く見れば八重咲きの花であった。
 花びらを幾重にも広げた花が枝の先のほうにまとまって咲く様はぼんぼりのようでもあった。淡い緑色の葉が薄い白に色彩を添える。
「八重桜か……」
 桐流はその桜の名を知っていたが龍凰には告げる事なく静かに頷いた。ソメイヨシノから改良されたこの桜が古の女神に由来する名前を持つと告げれば少年は心底嫌そうにするだろう。
「綺麗に咲いていますね」
 桐流の答えに龍凰は鼻を鳴らした。これから起こる事を思えば誰が綺麗などと思えるだろう。
「くだらねえ」
「そうですか?」
 返答を期待しない口調で桐流は言い、歩みを止めた。漸くたどり着いた門前で待つと程なく戸が開いた。桐流の放った式の仕業だ。
 当然のように邸内に入ると桐流は笑みを消した。龍凰は内心息をつく。下手に善人ぶられるよりこちらの方がよほど居心地がいい。――よほど、現実に即している。
「行きますよ」


 家人は父親と娘、そして家政婦が一人。桐流は式に指示し、既に邸内を把握していた。奥へ向かう足取りには迷いがない。
 桐流は一つ式を飛ばした。もの問いたげな龍凰の視線に彼は何も答えずに歩き始めた。その後ろに龍凰は静かに続く。
 雨戸を締め切った暗い廊下に仄かに明るく照らす存在がある。白い色彩に彩られた無貌の女人として作られた桐流の式は、彼が近付くと静かにその頭をたれた。
 音もなく障子が開いた。その部屋にはこの家の主が眠っていた。
「コイツか……」
「ええ、龍凰。起こしなさい」
 妙な事を言われたという表情の龍凰に桐流は繰り返した。
「聞こえなかったのですか? この男を起こしなさい」
 龍凰は布団の横に膝をつくと乱暴に揺すった。
「……おい、おっさん。起きろ」
 しばしの間を置いてその中年男は目を覚ました。事態が理解出来ない様子で龍凰と桐流を交互に見やって男は漸く口を開いた。
「な、なんだ、あんたたちは!? ど、泥棒か?」
「違いますよ」
「な、ならなんだ!? 人の家にこんな時間に勝手に入り込んで何をしている?」
 言葉は勇ましいが寝巻きではなんともしまりがない。その上、桐流の視線に気圧されて怯えていた。
「あなたを殺しに来た者です。あなたが邪魔だという人がいるのでね」
「な!?」
「そういう訳ですから。あなたも寝たまま訳もわからず殺されるよりはいいでしょう?」
「た、助けてくれ、金ならいくらでもだす。いくらで雇われたんだ!?」
 百万か? などと口走る男に桐流はこれ見よがしなため息をついてみせた。
「値段ですか? 生憎とこちらも信用第一なものでね」
 きしりと廊下が鳴った。
「誰かが来たぜ」
 頓着せずに黙り込んでいた龍凰が判りきった事を言う口調で会話に割り込んだ。桐流が面白そうに答える。
「おや、困りましたね。娘さん、あなたが騒ぐから起きてしまったようですよ」
「!?」
 男は息を飲むと娘の名を呼んだ。来てはいけないと叫んだ。桐流はそれに介入せずに口を閉ざした。
 桐流に向けられる龍凰の視線はひどく不快げだった。勿論桐流はその理由を知っていた。娘は騒ぎで起きたのではない。龍凰もまたそれを知っているからこそ、彼のやり方を厭い不快に思っているのだ。
(まあ、その方が得られるエネルギーが増すのでね)
 龍凰の不快は桐流にとって気にするべきものではない。事態は全て彼の計算通りに進む。それだけの事だ。
「……お父さん?」
 長い黒髪の娘は不安げに父親とそれに相対する二人を見た。龍凰は眉を顰めてあらぬ方を向いた。唇が不快げに曲げられていた。
「頼む。私はどうでもいい! 娘は娘だけは!」
 取り乱して桐流に縋った男に彼は静かに問い掛けた。
「成程。娘を助ける為には殺されても良いと?」
 殺すという単語に娘が驚いて息を飲む。真っ青になった娘は声もなく目を見開いく。哀れな父親は何度も頷き、娘の命乞いをする。
「親心という訳ですか……ですが」
 桐流は静かに手にした白い符を横にはらった。
 ――鮮血が障子を濡らす。
 咽喉を切られた少女に這い寄って娘の名を呼ぶ男に、先程までとまったく代わらぬ穏やかな口調で桐流は続けた。
「目撃者は口を封じるのがセオリーですよ。大丈夫、あなたもすぐに後を追いますから」
 白い一閃が娘の遺体を父親の血で染め上げた。悲嘆にくれた男は最期まで己の娘に縋っていた。
 桐流は呪を唱え始める。龍凰は呪の意味を知らないが、どんな効果を持つかについては聞かされていた。血の匂いがする部屋の中ただ、龍凰は黙り込む。今の彼に出来るのは目の前にいる男に従う事だけだ。何よりも大切なものを桐流に握られている以上、龍凰には選択権がない。
(畜生。気分悪ぃ……、アレさえなければ)
 目の前に立つ男を叩きのめす事も可能だろう。
 何よりも代え難く自分の命にも等しいたった一人。彼女の命が握られてさえいなかったなら。
 恋人の体に仕掛けられた爆弾を思い、龍凰は唇を噛んだ。
 龍凰の思いに構う事もなく――そんな必要もないと思っているのだろう――、桐流は呪を、韻を踏みながら唱えあげていた。
 右手を中空に差し伸べる。人差し指と中指をあわせて伸ばすと魔力によって生み出された輝きがその指先に灯る。右手が定められた手順に従い、複雑な円陣を描く。
 左手は親子に向けられていた。見るべきものを見る目を持っていれば、遺体から湧き上がる気が左手に吸収されていく様が見て取れる事だろう。
 円陣の中央に最後の印を置くと桐流は目を開く。龍凰に目を向け、静かに口を開く。
「さあ、次はあなたの仕事ですよ」
「……とっとと外に出ろよ。じゃねぇと、あんたも燃やすからな」
「怖いですね」
 言葉を裏切るような口調で言うと桐流は部屋を後にした。
「悪ぃな……。俺にはどうにもしてやれなれねえ」
 恋人と同じ長い黒髪に目を留め、龍凰はぽつりと言った。胸の中にわだかまる思いが彼の内に潜む炎を闇に染め上げていく。いつか自身も闇の染まるのだろうか。それすらも龍凰自身に選択の自由はない。
 龍凰は両手を高くかかげた。振り下ろすと同時に一言だけ告げる。
「燃えちまえ」
 苛立たしげなその言葉に従うようにどこまでも赤い炎が巻き上がった。


 庭を炎が赤く照らしていた。桐流は炎の輝きに染まる桜の袂で空を見上げていた。
 赤く照り映える桜と月。巻き上げられて舞う花びらが月を時に覆い隠す。
 その様を見つめながら桐流は庭に出てきた龍凰に告げる。
「終りましたか」
 龍凰は答えない。
「月と桜、あの子に縁の深い物ですが……伝わっていますかね」
「知らねえよ変態野郎。怒るぞアイツ」
 はき捨てるような言葉が即座に返る。そうですかとだけ桐流は返した。
(あの子は聡い子ですからね、まず気がつくでしょう)
 彼が追っている事を。
 かつての友人がそれに従っている事を。
 そして、大切な親友さえもその追手に加わっているであろう事も――。
 桐流は薄い微笑みを浮かべた。
 龍凰は嫌なものを見たと言わんばかりに顔を背けた。
「帰る。俺の仕事はもうねぇだろ?」
「ええ。……判っていますね?」
 静かな問いに含まれた幾重もの意味合いに龍凰が振り返った。怒りを隠さずに問い返す。
「どれを? アイツを追う事か? それとも……」
「判っているのなら結構。龍凰、結果を期待していますよ」
「アイツは探し出す。アイツがどう思おうが目の前に連れてきてやるよ、だから」
 手を出すな。そう言い放った龍凰に桐流は笑みを浮かべた。
「信賞必罰が世の道理というものでしょう」
 少年は舌打ちしてその場を立ち去った。桐流は見送らず桜を見上げていた。
 ふと悲鳴が聞こえた。
「ああ、結構頑張りましたね」
 炎に巻かれた家政婦の最期を一言で片付け桐流は念じた。築き上げた魔術にまた一つ力が加わった。
「朧月夜にしくものぞなき……まさしくあの子のようですね」
 記憶に残る少女は朧月夜に喩えられた姫そのままであるように思えた。
 美しく艶やかで奔放な姫とよく似ている。
 自由を求めるという過ちを犯す事もまた。
 結局はいるべき場所はひとつしかないと言うのに。
(一度位の過ちはあっても問題ないのかもしれませんね)
 己の本分を知る為には――。
 幼い頃から知るその少女はいずれ還るべき場所に戻るだろう、花宴の姫と同じく。
 桐流は笑みを浮かべた。人によっては穏やかで心温まると表現する笑みかもしれない。
 しかし、自由を求める少女になぞらえて月と桜を見上げる彼の笑みの奥にある本音を知るのは本人以外の誰がいるだろう。
 桐流は桜に背を向けた。立ち去る桐流と桜を龍凰の放った炎が赤く染め上げていた。


 次の日、屋敷の全焼とそれによって死んだ有力者の家族についてのニュースが紙面とテレビを賑わした。
 あっという間に世間の流れに押し流されたニュースを、月と桜に縁深い少女が見たかどうかは誰も知らない。


fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年06月09日

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