『lovebug 』

瀬水月・隼（0072）＆朧月・桜夜（0444）

「隼ぁ、一緒に眠っても、い？」
僅かに開けた扉の間から、ちょこんと顔を覗かせた同居人、朧月桜夜の要望に瀬水月隼は雑誌に落としていた金の目線を上げた。
「えへへー、ありがと♪」
否なら顔も上げずに「ダメだ」の一言で済まされる為、最早慣れ、から隼の沈黙を是と取った桜夜はいそいそと寝台に潜り込んだ。
　厄介な仕事になると部屋に籠もる隼が天の岩戸の如くに閉ざしていた扉を開いたのは、自然現象を別として実に三日ぶりの事、多少甘えたくなっても罪にはなるまい。
　だが、隼は寝間着姿の桜夜を見るに、微妙な沈黙の後に問う。
「……桜夜、なんだそれは」
「え？ピーちゃん。隼にはフーくん、貸してあげる♪」
みっしりと中身が詰まったイワトビペンギンを抱き締めた桜夜は、隼のマカロニペンギンを押しやった。
　むにりとした手触りに、円らな硝子の瞳も愛らしい。
「いらん」
押し戻そうとすると、桜夜はそれに抗するように押し返して来た。
「えーなんでよどしてよ可愛いじゃん。こーやって抱くとよく眠れるのにー」
それ以前に、俺以外の男に貰ったぬいぐるみでか？と、口に出かけた言葉を隼はプライドでぐっと堪えた。
『えへへー、買って貰っちゃった♪』
いつぞや、このペンギンのぬいぐるみを抱えて帰ってきた隼は、また妙なナンパして来たヤツの身包みを剥ぐかの如くに貢がせたのだろうと思っていたのだが、そうとするには、このペンギン'sは生活の中に入り込み過ぎている…桜夜がとても大事にしているのだ。
　食事時のダイニングテーブル、いつも空席であった二つにはこのペンギン'sが腰掛け、レンタルビデオを見るときなども両脇を固め、入浴の際は番犬ならぬ番ペンギンの如く扉の前に控え、外出の折は玄関でお見送り、帰宅の際にはお出迎え出来る位置…で、コイツ等の姿を目にしない日は珍しい。
　それとはなく誰に貰ったのか聞いてみれば、桜夜は満面の笑顔で
『オ・ト・コ♪』
とだけ答えてわくわくとこちらの反応を伺うのに、それ以上言及するのは何やら口惜しく。
『ねー、気になる？誰に貰ったのか気になる？』
と畳み掛けられて、隼が素直に頷ける筈もない。
　結局、オトコの影をちらつかせたまま何者か明確にされず、更に胸のもやつきを増す羽目となった。
　その原因に安眠が約束出来るとは思えない。
　それ以前に、ぬいぐるみと同衾する趣味は、隼にはない。
　隼はふと思いついた風で、桜夜に提案した。
「桜夜……明日、遊びに行くか？」
某、有名遊園地の名を出すのに、桜夜の瞳が輝いた。
「え、一緒に？うんうん、行く行くッ！やったー嬉しー何着てこーッ♪」
ペンギンを抱えたまま、押さえられぬ喜びに転がる桜夜は、隼がさり気なく脇に避けた雑誌が某巨大遊園地の特集を組んだ物であるのに気付かぬままだったらしい。


「っしゃー、腰立たなくなるまで乗るぞーッ！」
翌日。
　片拳を上げての宣言の通り、桜夜は午前中だけで園内の絶叫系アトラクションを制覇した。
　当然の如く、言いだしっぺの隼だけが辞するワケにも行かず−一人で乗るジェットコースターほど侘びしいものはない−こっそりと腰骨のあたりを叩きながら、引き籠もりがちの日々に久々のお日様を見上げれば、サングラス越しでも目に滲みる健全な平日である。
　広大な敷地内を一巡して、ショッピングアーケードとレストランの林立する入り口近くに戻って来たのはもう昼近い。
「ねぇねぇ隼、もっかいアレ入ろ♪」
一番最初に乗った…有名ＳＦ映画を舞台背景とした映像と同期して動く座席に平衡感覚に麻痺と錯覚を与えて臨場感に溢れまくりな劇場型アトラクションを指差して、腕を絡めてくる桜夜に、隼は携帯のウィンドウの時刻表示を見せた。
「そろそろメシだろ」
「あ、ホントだ。そういえばお腹すいたー♪」
あっさりと興味が移るのに内心覚えた安堵は、ピタリと足を止めた桜夜の動きに引かれて転けそうになるのを堪えるに忘れた。
「でもパレードのが先かなー。夜のイルミネーションパレードも見たいけど……」
案内図の脇、イベントの時刻表の前で足を止めて睨む桜夜はとっとと腕を解き、胸の前で組んだ手を指でリズムをつけて打つに、逡巡を示す。
「まかせろ」
こんな事態は予測済だ。
　隼は、早朝の内にネット予約しておいたレストランへ桜夜を誘った。
「瀬水月様ですね、お待ちしておりました」
遊園地の中の飲食店もそれなりにランクがある。
　ファーストフードから簡単な軽食、コース料理まで、店と食事の選択は財布の中身と応相談、それで言えば隼が選んだ其処はかなり気合いの入った類の店だった。
　案内された席は中二階、一階は家族向けに大人数用の席が取られ子供が駆け回って賑やかなのと対照的に、カップル限定に二人がけのテーブルが整然と並ぶ間に緑や衝立が配され、他の客を気にしないで済む配慮がなされている。
　そして何よりパレードが通る大通りに面した立地に、店前面を硝子張りにして食事とパレードとを同時に楽しめる趣向に予約席は常に満席の筈が何故押さえられたのかという、軽犯罪的な方法はまあ置いておくとして。
　席につくとほとんど同時に鳴り響く音楽がパレードの始まりを告げ、運ばれてきたコースランチとに桜夜が喜色満面に胸の前に両手を組んだ。
「おいしそーッ♪」
満足げに皿の上と窓の外に目線は忙しく、パレードの感想と食事とに口の動きも一時として止まらない。
　隼はふ、と片笑んだ。
　何処の馬の骨とも知れんオトコとやらより、俺の方が桜夜が喜ぶコトを知っている…ほくそ笑む隼を、桜夜がずっぱりと切った。
「どしたの隼。なんかショクいよ？」


　パレードと食事とを堪能し、今度はお化け屋敷とショーとを中心に回る午後、合間にもう一度絶叫系を交えるのも忘れず、隼にしてみれはほぼ一週間分の運動量をこなそうかという勢いだ。
　涙ぐましい努力、といえなくもないが、本人普段のテンションを保ったままなので傍目に察しにくい。さながら水面下に水を掻く白鳥の如き痩せ我慢である。
　ので、午前中よりも小休止の度合いが多くなっても責められまい。
　隼は待ち時間の間を無駄にせず、比較的空いていそうな垂直落下に走ろうとする桜夜をなんとか止め、喫茶店へ連れ込んだ。
「ねー隼。帰りにお土産見てってもいい？」
誰への土産だ、と質したいのをぐっと堪えて、隼はメニューも見ずに桜夜に渡した。
「帰りにな」
「うん♪」
メニューを手に取り、桜夜はふと考え込んで口許に人差し指の背を添えた。
　不意に、空気が変わる…伏した目は、今、目の前の居る自分を見ていない。
「……楽しくないか？」
笑顔がなりを潜めるのに、思わず問う。
「……なんで？」
ぴたりと、全体の動きを止め、顔だけが上げられる。真っ直ぐな紅色の眼差しが隼の戸惑いを射る。
「楽しくないかってどういう事？それって自分がアタシと一緒なのが楽しくないから出てくる発想よね？」
隼は気圧されつつ、どうにか弁明しようとした。
「桜夜が楽しそうじゃないからだろ」
桜夜の額のあたりで何かが切れた。
「ミルキーココアとココナッツミルク・白玉かハチミツクリームワッフル、それにぷりぷりプリンにするか乙女の悩みに胸の痛めただけじゃない！ニコニコ笑って目の前に座ってるだけのがホシイんならマネキンでも飾って悦に入ってればいーでしょ変態ちっくに！」
ぷい、と桜夜はそっぽを向いた先にテーブルに近寄れないで居た店員を呼び、先に名を挙げた全てをオーダーした。
「あの……お客様、は……？」
桜夜の迫力におどおどと、ウェイターは隼をちらりと見る。
「……アイスティー」
何故いきなり桜夜が怒り出したのか、理由を見出すにまだ展開についていけてない。
　頭を冷やす必要があった。


　以降の時間は重苦しい物となった。
　隼の三歩先を行く桜夜は口を開こうとせず、興味を覚えたアトラクションがあれば声もかけずにとっとと入場して行ってしまう。
　慌てて追っても家族連れや友人同士、カップルで来ている他の客に間に入られ、席を離れてしまう事も少なくない…ウォータースライダーで次のボートになってしまった時は慌てて辞退し、周囲の失笑を買ってしまってから、外で桜夜が出てくるのを待つようにした。
　周囲に電飾が点り始める頃、桜夜の背にかかる長い髪が夕焼けを受けて赤みを増して見えるのに溜息をつく。
　まだ勘気が解ける気配はない。
　桜夜の気まぐれはいつもの事だが、隼に理由が分かっていないだけに、こちらが折れるのも癪に触る…否、理由は分かっている、多分。何よりも人の思う型に嵌められるのを嫌い、また自分を否定される事を嫌う。それだけにいつでも正直に自分を晒すのを臆しない、それを疑ってしまったのは…認めたくはなく持て余した嫉妬にかられた自分の失態だ。
　甘えてくるのに遠慮はないくせ、掴もうとすればするりと逃げる。気まぐれにも程がある…それだけに、目が離せずにいつのまにか姿を追ってしまう。
　それだけに、いつ自分の元から居なくなってしまわないか、そんな不安がつきまとう。
　素直に謝ればいいのだろうが、三歩の距離が遠い。
　夜のパレードが始まった。
　陽気な音楽に、子供向けの物語世界を鮮やかな電飾に浮き上がらせる幻想の夜を、桜夜は一番楽しみにしていたのに、人混みの後ろで感情を見せない背を向けたままだ。
　隼は諦めの息に、道の端に置かれたベンチに腰を下ろした。
　データの世界を構成するのは０と１、人間の心情もそんなもので解読出来たら難はないのに、などと益体もない事を思う。
　自分と他人、それだけで構成されていた世界が変わったのはいつからだろう？
　物思いに沈む隼の着も知らず、仙女が山車の上から光の粉を散らしてくるりと回った。
　それも見る気にならず、隼はぐっりたと背もたれに体重を預けて空を見上げた…ぽつりとささやかな星の光の方が、眼に優しい。
　それが不意に翳るのに目を瞬かせれば、横から桜夜が隼の顔を覗き込んでいた。
「何だ」
桜夜は答えず、のしりと隼の腿に片膝を乗せ体重をかける…訝しく思う間もなく、唇に触れた柔らかい感触は認識した途端に離れた。
「ゴメンね、アリガト」
桜夜の表情は逆光に暗く掴めない。ぱっと身を翻した桜夜は今度は最前列でパレードの続きを楽しむつもりか、はたまた照れ隠しか人混みの中、最前列目指して潜り込んで行った。
「……どこまで本気か判ったもんじゃねえな」
隼は片手で口許を押さえた。
　大した収穫だと、こんなささやかな謝意に満足してしまう自分に苦く笑う。
　胸の内に巣くう思いはまるで厄介なバグだ。
　食い荒らすように本来のデータを改竄し…姿を変え、形を変え、プログラムの奥深くで起動のワードを待っている。
　除去の術は、きっとない。

PCシチュエーションノベル（ツイン）

北斗玻璃

東京怪談

2003年06月04日