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『明日になれば 』
崗・鞠0446)&朧月・桜夜(0444)

 鞠は何気なく降りた駅の商店街を歩いていた。昼下がりの暑い日差しを避けるようにアーケード街を選んで歩く。
 目的地があった訳でもなく、散策でもなかった。一応目的と呼ぶべきものがあるにはある。ただ、目的を遂行しなければならないのを知っていても乗り気ではない。無理にどうこうすべきものではないと思っているだけだ。
(誰一人知る人のいない町でどうしているのでしょう?)
 視線がさ迷う。懐かしい親友の影を探して。
 たった一人飛び出した親友が今どこでどうしているのか。もしや大変な目にでもあっていないだろうか、そう思えば鞠は心穏やかではいられない。
(せめて、保護しろというものであったのなら、どんなにか……)
 下された命令は桜夜を連れ戻すというものだった。桜夜――大切な親友――をどうして無理矢理どうこうできるのだろう。しかし、下された以上、命令は命令だ。鞠にはそれを遂行するしかない。だから、今日も鞠はこうやって街をさ迷う。
 今日こそ桜夜の安全を確かめたいと願い、今日も見つからなければ良いと祈りながら――。
 静かに商店街を歩くと威勢の良い売り子の声がそこここで聞こえる。女性達が覗き込む店先を鞠は淡々と通り過ぎる。いつか自分にもこうやって彼の夕飯を買う為に歩く日が来るのだろうか、鞠にはそんな平和な日々は荒唐無稽な夢にさえ思えた。
「お姉さん! お魚買ってかない? 安いよー!」
「えー? うーん、確かに美味しそうだケド、もうお肉買っちゃったのよねェ、またにするわ」
 明るい声が売り子の声に答える。どこにでもある商店街の風景。しかし、鞠は目を見張った。
 心持ち高い声。陽気で人を惹きつける仕草と容姿。
「桜夜……」
 知らず唇がその名を刻んでいた。大切な大切な親友――そして追うべき対象。
 距離がかなりあった筈なのに、その声に桜夜はびくりとして振り返った。信じられないというように目が見開かれる。
「……鞠!?」
「桜夜」
 桜夜が懐かしそうに目を細めて笑顔を作りかけ、結局顔を歪めた。眉を寄せて何かに耐えるような表情で唇を噛む。歩み寄った鞠に桜夜の肩がびくりと跳ねた。
「鞠……」
 踵を返して走り出した桜夜の唇が声に出さずに言葉を刻む。ただ一言「ごめん」と――。
(桜夜、どうして?)
 どうして私たちは立場を違えてしまったのでしょう?
 やりきれない思いのまま鞠もまた、桜夜を追って走り始めた。


 追う鞠の気配を感じながら、桜夜はただ走り続けた。鞠が来た事に動揺しながらも納得していた。あの男ならば、鞠を使うだろう。何よりも桜夜を追い詰める為に。
 これがもし、鞠ではなかったのなら桜夜は術も含めてあらゆる手段を使うだろう。必要であれば躊躇わずに攻撃もするかもしれない。
 しかし、相手は鞠だ。
 大切な親友を欺く事が桜夜に出来るのか。鞠は彼女の使う術の癖をよく知っている。今の躊躇ったままの桜夜の術では、きっと鞠には通用しない。
 何よりも。
 何よりも桜夜は鞠をこれ以上裏切りたくなかった。
 一人で逃げた自分が今更と思わなくもない。しかし、これ以上はない本音だった。
 鞠を欺く術も使えず、ましてや攻撃などもっての外だ。だからこそ桜夜はただ走る。
(このまま、アタシ捕まっちゃうのかな?)
 諦め混じりにちらりと思った時、耳元で聞き慣れた声を聞いたと思った。
 ――桜夜
 低い声。聞き慣れた、でも聞く度に嬉しくなる声。
 二度と聞けないのだろうか?
 唇を噛み締めた桜夜が出かける前に事を思い出していた。今日の夕飯は何にするなんていつも通りの会話。そして、それを当り前に交わしてきた毎日。
(サヨナラも言えないなんて……。ってそうじゃなくって! そんなの言いたくないよ。だから)
 帰らなきゃ、その思いが桜夜の足を速める。ずっと一緒にいたい。いつか書いた願いが頭を掠める。
(願い事は叶える為にあるんだよね。諦めたりしない。鞠を裏切れなくても自由を諦めたりしない)
 闇雲に走った為に既に道を見失っていた。しかし、それでも走る。
 後ろからついてくる足音は遠ざかる事はなかったけれど。
 目の前に壁が現れる。
 桜夜は舌打ちして辺りを見回すが曲がり角はどこにもない。
 前の曲がり角まで引き返す時間はない。ならばここで体勢を整えておくべきだ。
 深呼吸を繰り返して息を調え、桜夜は身構える。チャンスを逃さない為に。


 程なく影が現れた。息が上がった鞠はそれでも歩みを止めず、桜夜の目の前に立つ。
 言葉にならない思いが沈黙になった。静かに視線だけが感情を語る。
 桜夜は辛そうだがそれでも諦めてはいない。どこまでもまっすぐで、自由を求める瞳。
 鞠は静かに視線を受け止める。その真剣な表情はどこか哀しげであった。
 敵対などしたくないのに。
 桜夜も同じなのだろう。
 鞠は命令に従わなければならない。
 そして、桜夜は自由を諦められない。
 どうしようもない溝がそこにあった。敵と思いたくはないのに。
 桜夜は鞠を攻撃しようとはしなかった。本気になれば鞠を傷付ける事が出来るから。
 鞠は静かに息をついた。
 桜夜が小さく足をひく。次の動きを待つ姿勢。
 左手を庇う体勢に鞠の視線が理由を求めて動く。体全体で守るように庇っていたのはビニール袋。どこかのスーパーのマークがある。鞠は先程耳にした会話を思い出した。
(誰かと一緒なのでしょうか?)
 だとしたらどんなにいいだろう。たった一人での逃避行を辛い思いで過ごしているのではないかと心配していたのだ。鞠はしばし逡巡して口を開く。このまま別れたくはなかった。
「久々にお茶でもしましょうか」
「……お茶?」
 鞠は微笑んで頷く。
「ええ、お茶です。……駄目ですか?」
「駄目じゃないけどサ、でも、鞠」
 気遣う桜夜に鞠は首を振る。命令の事は今は忘れたかった。
「桜夜、言わないでください。ただ……」
 途切れた鞠の言葉を知っているかのように桜夜が頷いて笑顔を見せた。
「そうだね、お茶しようか」
 ――あの頃みたいに。


 テラスから明るい陽射しが差し込み、窓からの風がレースのカーテンを揺らす。
 レースのような縁の白いお皿にのった生クリームたっぷりのシフォンケーキと、新茶のペコーを囲んで二人は座っていた。
 ひとしきり味の批評をしながらケーキを平らげてしまうと、そこにいるのは昔のままの二人だった。ポットからまだ暖かい紅茶を注ぐと桜夜は切り出した。
「それで、鞠、アイツはどうなのよ?」
「彼はいつもと変わりませんよ」
「いつもとってあのまま?」
「ええ」
「もう、あいつってば。ココは一つ桜夜サンからがつんと言わなきゃダメかしらねェ」
「そうしたら、拗ねてしまうかもしれませんね」
「あら、怒るわよ。『判ったような事言ってんじゃねー!』って真っ赤になってさ」
「それを拗ねているって言うのではありませんか?」
 鞠ったらと桜夜が笑う。ころころとした笑い声に鞠の頬も自然と頬がほころんだ。
「桜夜は、今どうなのです?」
「アタシ? アタシはねぇ……」
 ふふっと桜夜の顔が緩む。
「困った奴なのよねェ、これがさ」
「困った人、ですか?」
「そう! もう、徹夜ばっかりでちぃーっっとも! 構ってくれなかったのよね、この一週間」
「まあ……」
「仕事の納期が迫っててね。まあ、アタシに構わないのはこの際イイのよ。だけど、自分の事に構わないのはねェ」
 聞いてよとばかりに桜夜は身を乗り出した。
「生活に最低限必要な時間まで削っちゃうのよ。困った奴なんだから! 今朝なんて目の下にこーんなクマが出来ててねェ、半分寝ながらトースト齧ってるのよ。味なんてわかってないわね、絶対。そのくせ『夜食の鮭雑炊は美味かった』なんてさァ!」
 きっとリップサービスよね、アレはなどと言いつつ桜夜の笑顔が輝く。
「桜夜は今、とても幸せなのですね」
 自然と言葉が口をついて出た。桜夜は照れたように視線をあらぬほうに向け、それから頷いた。
「まぁ、ね……、ウン、幸せかなァ、良いのかなって思うケドさ」
 照れて微笑む桜夜の幸せそうな様子に、鞠の胸に熱いものが広がった。桜夜はふと神妙な表情になり、口調を変えた。
「心配かけてゴメン。鞠にはホント迷惑ばっかりでさ」
「良いのです。迷惑なんて違うでしょう? 私達は」
「ウン、ゴメン、判ってる。でも、言わせて」
 沈黙を待っていたかのように壁にかけてある振り子時計が4回鳴った。
「そろそろ帰りましょうか」
 何気ない調子で鞠は伝票を手にテーブルを立った、桜夜の表情が一瞬暗くなり、それから毅然と顔を上げた。
「今日の夕飯は何にするのです?」
 鞠の言葉に桜夜が意表をつかれた様に黙った。
「……鞠?」
「元気そうで安心しました。ですから、今回はおまけです」
「おまけって……」
「早く帰らないと、夕飯の支度が遅れるのではありませんか?」
「鞠、いいの?」
 鞠はただ微笑みを返した。
 桜夜はしばしの逡巡の後、鞠の手から伝票を奪って先に立って歩き始めた。鞠の手をひいて歩きながら殊更明るく言う。あの頃も良くそうやって歩いたものだ。
「今日はアタシのオゴリね、ちょうど今フトコロ暖かいのよ。あ、下にケーキ屋あったよね、ケーキ美味しかったし、買ってく?」
「良いですね。じゃあ、あのシフォンケーキにしましょうか」
 背を向けたままの親友に鞠はそっと声をかけた。


 桜夜は家路を急ぎながら空を見上げた。
 過去に戻ってやり直す事はできない。だから後悔はしない。
 けれども。
 幸せを願う事くらい許されてもいい筈だ。
 違う道をゆく大切な人の幸せを願う事くらいは――。
 明日になればまた、日常が始まる。


 鞠もまた空を見上げていた。
 遠い空まで見渡せそうな赤い空を見上げて鞠はそっと願う。
 あの頃の幸せはもう戻らないけれど。
 明日になれば皆、幸せになれたら良いのに。
 夜の闇を抜けて夜が明けるように幸せが訪れたら良いのに――。


fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年05月31日

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