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『雷歌、隠匿 』
紅蓮の鬼姫・雷歌1428
●彷徨い歩きし
 黒きアスファルトの上に、ぽたりと雫が落ちた。時は真夜中、街中が闇に覆われし頃だ。
 同じ場所に、再び雫が落ちた。アスファルトの染みが、若干大きくなった。それが何の染みなのか、太陽の下であれば立ち所に分かることだろう。
 けれども闇の中にあっても、朧げに分かる。紅き染み――血だ。染みは次第に大きくなっていた。
「う……」
 染みがあるのと同じ場所で、小さな呻き声が聞こえた。女性の声だった。すなわち、血の雫を垂らしている張本人である。
 声の主は、炎を思わせる柄の着物に身を包んだ若き女性だった。しかし、着物はあちこちがまるで鍵爪で引っ掻かれたかのようにぼろぼろになっており、赤黒い血の染みがべっとりとついていた。
 女性は血が流れる右腕を押さえ、点々と鮮血のついている顔を苦痛に歪ませていた。この様子だけでも、何やら尋常でない事態が起こったのだろうという想像はつくが、それだけではない。女性の頭には角が生えていたのだ。そう、まるで鬼のような角が。しかしその角も、半分ほど砕けており傷付いている。
「……油断しました……」
 女性――紅蓮の鬼姫・雷歌が呻くようにつぶやいた。直後、激しく咳き込む雷歌。口元を覆った手を見ると、そこにも血がべっとりとついていた。
 どうやら右腕や角だけでなく、肋骨の数本くらいは軽くやられてしまったらしい。人間の姿に化ける余裕もないのだから、ダメージが浅からぬ物であると容易に想像がつく。
 雷歌は物の怪狩りを生業とするダークハンターだ。つい先程までも、物の怪と対峙してきた所だった。だが普段であれば、これほど酷く傷付けられはしなかっただろう。
 全ては雷歌の些細なミスが原因だった。それにより、普段であれば喰らわないであろう物の怪の攻撃をまともに受けてしまったのだ。
 もちろん雷歌もやられっぱなしでいる訳がない。物の怪にはきっちりとお返しをしておいた。自分と同じくらい、もしくはそれ以上の攻撃を与えて。止めは刺せなかったものの、今頃は向こうも雷歌同様の状態のはずだ。
「もう少し行けば……」
 呼吸するのも苦しいのか、息も絶え絶えな雷歌。それでも何とか、身体をふらつかせながら再び歩き出す。血の跡が、アスファルトに点々とついていった……。

●真夜中の訪問者
 同じ頃――草間興信所。しんと静まり返った事務所にて、草間武彦は渋い表情で1人黙々と溜まっていた調査報告書を記していた。
 くわえた煙草から、ゆらゆらと煙が立ち上っている。灰皿を見ると、吸殻がこんもりと山を作っていた。とその時、玄関の方でコトリ……っと物音がした。ペンを握る草間の手が止まる。
「……うん?」
 玄関に視線を向ける草間。だが玄関の扉が開かれる様子はなく、物音もそれきり聞えはしない。
(気のせいか)
 草間は調査報告書に視線を戻した。が、どうも先程の物音が気になるのか、ペンを机の上に置くとすくっと椅子から立ち上がった。
 そしてすたすたと玄関の方へ歩いてゆくと、扉そばの壁にぴたっと張り付いて口を開いた。
「誰だ?」
 相手が何者か分からない以上は真正面に立つのは危険、そう判断しての行動だった。ややあって、扉の外から呻き声が聞こえてきた。
「……うう……っ」
 草間は怪訝な表情を浮かべた。そして、すぐさま扉を開く。すると扉が開かれると同時に、中へ倒れ込んでくる女性の姿があった。雷歌だ。傷だらけの中、どうにかここへ辿り着いたのだ。
「おいっ!?」
 そのまま床に倒れそうになった雷歌の身体を、咄嗟に草間が腕を出して支えた。

●夜明け前に
 窓の外から吹く穏やかな風に、カーテンがゆらりゆらりと揺れていた。空は白々となり、間もなく夜も明けようという時刻だ。
 雷歌は草間の部屋のベッドで眠っていた。ぼろぼろになっていた着物は脱がされ、身体のあちこちに包帯が巻かれていた。額には濡れタオルが置かれ、顔についていた血も草間が拭いてくれたのだろうか、全て消えて綺麗になっている。
 その草間は雷歌の眠るベッドの近くに椅子を持ってきて、煙草をくゆらせながらどっかと腰を降ろしていた。
「……そろそろ取り替えてやるか」
 雷歌の額のタオルを取り替えるべく、草間が腰を浮かした。と、不意に雷歌の口が動いた。
「ダメ……それは出来ない……」
 雷歌に近付こうとしていた草間の動きが止まった。無言で悲しそうな顔の雷歌に視線を向ける。
「……1人だけ置いてゆくなんて。皆……皆居なくなってゆくのに……死なせる訳には……」
 雷歌の顔が草間の方を向いた。その拍子に額の上のタオルが、ぱさりと枕の上に落ちる。目が覚めた訳ではなさそうだ、雷歌の両目は閉じられたままだったのだから。
 溜息を吐き、草間は落ちたタオルを取り上げた。すると、また雷歌の口が動いた。
「……どこ……? どこへ行くの……? 何も言わずに……そっちは危な……」
 タオルを手に、雷歌の寝言に耳を傾ける草間。そのうちに、ふっと雷歌の両目が開かれた。
「……あ……」
 目を覚ました雷歌の第一声がそれであった。
「気が付いたか。真夜中に血だらけで転がり込んできたから、さすがに驚いたぞ」
 苦笑しながら言う草間。雷歌は包帯の巻かれた右腕に目をやった。
「この包帯は……?」
「安心しろ、医者にやってもらった。『事情』が分かってる医者だから、心配はいらない。ま、数日は安静にしてろって話だ」
「……ありがとう」
 雷歌はベッドに横たわったまま、草間に感謝の言葉を伝えた。
「礼なら医者に言ってくれ。それから……」
「?」
「俺は何も聞いてないからな。聞く気もない。それだけだ」
 はっとする雷歌。だが雷歌は何も言わず、こくんと頷いた。そうすることが一番いいと判断して。

●置き手紙
 草間の所に転がり込んでから数日間、雷歌は言われた通りにベッドでおとなしくしていた。
 草間は出入りする者たちにも雷歌のことは言わなかったようで、草間以外の誰かが部屋にやってくるようなことはなかった。
 また、事務所まで続く血の跡を不審に思ったらしい警官も訪れていたようだが、階下から漏れ聞こえる草間の言葉を聞いていると、上手く誤魔化してくれてもいた。
 そしてようやく身体の傷も癒えてきた頃、雷歌はベッドに腰かけてさらさらと手紙をしたためていた。
 やがて書き終わると、雷歌は枕元にその手紙と何やら緑色の石を置いて窓のそばへと近付いていった。
「調子はどうだ?」
 30分後、草間が部屋にやってきた。だがそこには雷歌の姿はなく、開け放たれた窓から入ってくる風にカーテンが揺れていた。
「……行ったのか」
 ぼそっとつぶやき、ベッドへと近付いてゆく草間。部屋にはぼろぼろになった着物もなくなっていた。
 枕元の手紙に気付いた草間は、それを手に取るとすぐに中に目を通してみた。草間の顔に笑みが浮かぶ。そこには雷歌からのお礼の言葉と、挨拶せずに消えることの非礼を詫びる言葉が記されていたのだ。
 草間は手紙のそばに置かれていた緑色の石を手に取った。よく見れば、孔雀の羽のような美しい縞がある。それはマラカイト――孔雀石とも呼ばれる子供を守り邪眼を防ぐと言われる宝石であった。
「礼なんてよかったんだがな」
 草間は苦笑してつぶやくと、窓の外に目を向けた。
「ま……一応預かっておくさ。いつ来てもいいようにな」
 マラカイトをぐっと握り締め、草間はふっと笑ってみせた――。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年05月26日

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