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『地平の果てに 』
水無瀬・麟凰1147

 逢う魔が刻――近くにいる人間の顔すら見えなくなりそうな闇の帳が辺りを覆い始めた頃。麟鳳は家路を急いでいた。帰宅時間を約束していた訳ではないが、早く帰るに越した事はない。保護者に余計な心配事はかけてはいけない。それは麟鳳自身が自分に課したルールだった。
(危ない事をしているつもりはないんだけど……)
 危険がゼロともいえない。だからこそ許可してくれる人に感謝と出来る限りの安心をと思う。何も判らない自分の面倒を見てくれた人へ今の自分が出来る事はそれくらいの事だ。役立てない自分に腹が立たないとは言わないが、焦って迷惑をかけては元も子もないではないか。
 つらつらとそんな事を考えながら彼は家路を急ぐ。帰るべき場所は角を曲がってすぐだ。他に帰る場所はないと麟鳳は思う。これまでも、これからも――。


 遠方に出たので買ってきた土産を渡すのと報告を兼ねて保護者の部屋に行くと、彼は麟鳳を待っていてくれたようだった。その日の出来事を事細かに話す。時折質問をする声に少年は真面目に頷き、言葉を返す。保護者の質問は実に的確だ。彼の言葉によって今まで思いもしなかった切り口が見える。流石だ、と素直に思う一方で自分がそれだけの事を言えたなら、と思うとやはり悔しい。
(やっぱり俺はまだまだなんだ……)
 反省を胸に少年は保護者の前を辞した。深く頭を下げた麟鳳の背中に穏やかな声がかかる。
「今日は疲れたでしょう。ゆっくりとお休みなさい」
「はい。ありがとうございます」
 いつの間にか月が晧々と照っていた。黒く沈んだ空に帰った時の夕焼けの空を重ねて、些かの驚きを覚えた。時間が立つのは早いなと少年は小さく呟いた。


 白いページに文字を埋めていく作業は終った時に達成感があると麟鳳は思う。飾り気のないノートに几帳面な文字が並んでいる。今日は特別長い。事件があった日はいつもそうだが、今日は特にそうだ。事件のまとめを兼ねて書き連ねていくと止まらなくなった。ページのきりが良い辺りで漸く彼はシャープペンを置いた。
 ため息を一つ。そして、軽く腕と肩を動かす。椅子の背中にもたれるようにして背伸びをすると漸く人心地ついた。
「なんか、すっきりしないよなぁ……」
 そのまま行儀悪く椅子の上にあぐらをかく。誰かの目がある時には出来ない仕草だ。
 シャープペンを机において腕を組む。瞑目してつらつらと思い出すのは事件の事だった。
 すっきりしない理由はよく判っている。真実と虚構、それがずっと頭に残っているのだ。
 見えている情報だけでは真実は捉えられない。わかっていた筈の事を明白につきつけられた気分だった。与えられた情報を吟味し、その真偽を判断して積み重ねていく、それこそが真実にいたる道のりだ。それには正しい筈の情報を疑う事から始めなくてはならない。
「矛盾だよな……」
 眉を寄せて麟鳳は呟く。それが恐ろしいのだ。正しい筈の情報を疑うという事が怖い。
(僕の記憶の中にあるものが偽りだなんて思いたくないよ……)
 麟鳳には記憶がない。だからこそ、怖くて仕方がない。
 なぜなら彼が持っている記憶のほとんどが保護者から与えられたものだからだ。
「……記憶を失う前の俺ってどんな奴だったんだろう?」
 そんな事誰に尋ねれば良い?
 そして、答えを信じて良いのか?
 麟鳳は自分の中の問いに答えを出せなかった。
 写真一つ残ってはいない、失われた記憶の全て。彼が覚えている記憶は彼が生きてきた時間の何分の一かに過ぎない。
(以前の俺はどこにいるんだろう? 以前の俺と今の俺、同じなのか?)
 部屋を見回してもあるのは与えられたものばかり。彼が自信を持って記憶を失う前から持っていると言えるのは自分の身一つだ。以前から持っていた物もあるかもしれない、しかし、麟鳳には区別がつかなかった。
 幼い日の記憶さえ与えられたものなのだ。兄がいた事も兄の死さえも教えられた記憶でしかない。大切な人の筈なのに、消えた記憶の中にしかいない人。彼は一体どんな人だったのだろう?
 体が震えた。椅子の上で背中を丸める自分は一体どんな風に見えるのやら、ふと浮んだ思いに自嘲の笑みが浮ぶ。
 自分を抱きしめている腕を緩めて、麟鳳は手袋に包まれた自分の掌を見つめた。
「俺の能力……、これで見えるなら」
 麟鳳は手袋を外す。瞑目して深呼吸を繰り返してから目を開く。日に少しも焼けていない白い掌が目の前にあった。
 掌をそっと組み合わせる。祈るように。
(俺に見せてくれ、昔の俺を)
 そして兄を――。
 それは祈りに近い想いだ。そのまま額に押し当てて彼は能力を開く。
 普段ならばそこに広がるのは記憶という広い地平。
 地平の彼方から去来するものを麟鳳は受け取り、時に呼び寄せる。
 強烈な記憶は時に彼の制御を超えて飛び込んできたりもするが、それは慣れ親しんだ感覚でもあった。
 しかし――。
 今の麟鳳の前に広がるのは真っ白な何もない地平。
 彼が求めているものは何一つ存在しない。真っ白で無機質な場所。
 諦めきれずにしばしそれでも念じて、麟鳳はそのままがっくりと肘を机についた。
「……駄目だ。どうして……」
 悔しげな声が知らず咽喉をつく。
 見えないのは自分のせいなのだろう。記憶を失った時にあった何かが彼を邪魔しているのだとわかっていた。保護者である人が言っていた言葉が脳裏に甦る。
 ――人は時に自身を守る為に見る事が出来ないものがあるのです。
 自己防衛の本能のなせる技だろうと彼は言う。
 ならば、自分の中にある筈の思いはその本能が記憶を見せないのか?
(何故だ? 俺には覚悟も出来てるのに)
 どんなものを見たって良い。今のままよりはずっと良い。
 それとも何か別の要因があるのだろうか? まさか!
(きっと力が足りないんだ。力を伸ばせば)
 いつかきっと見える筈だ。麟鳳は自身に言い聞かせる。
「だから大丈夫だ」
 ふと目を落とすと自分の書いた文字がなんとなしに目に入った。
 ――与えられた情報が全て真実だとは限らない。
 与えられた情報は虚偽かもしれない。
 それが今の麟鳳を構成しているのに――。
 与えられた情報がもし虚偽だったのなら?
 誰が情報を与えた? 今の俺を作ったのは誰だ?
「……違う。違う違う違う!」
 あの人が俺を騙す理由なんてない。
 何も判らなかった自分の面倒を何くれとなく見てくれる保護者。彼が嘘をつくなどどうしてありえるだろう。
 彼を疑うなんて馬鹿な話だ。
「そう、俺の力が足りないだけなんだ」
 何度か深呼吸を繰り返す。深い呼吸の度に新しい空気と一緒に冷静さが戻ってくる。
 最後に大きくため息をつくと彼は日記を閉じた。
 机の引出しに日記を入れると少年は立ち上がって窓際に歩み寄る。
 大きく開け放った窓に肘をついて見上げると上弦の月がそろそろ地平へと沈みつつあった。
「頑張らなくちゃな」
 力を磨いて一日も早く一人前の陰陽師になろう。
 麟鳳はそう決意する。
 それが保護者の為にも自分の為にもなる。
 陰陽師になれば彼の役に立てる。今みたいに世話になるだけじゃなく恩が返せるようになる。
 そして、力を磨けばきっと――。
「うん、なんか希望がでてきたな。よし、明日から頑張ろう」
 窓を閉めてカーテンをひいて、麟鳳はベッドに潜り込んだ。
 いつか一人前の陰陽師になる日を迎える為に。
 失った記憶を見つける日を迎える為に――。

fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年05月26日

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