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『深く眠りしモノ。 』
ケーナズ・シュミット0084)&マクダレーナ・シュミット(0124)

 爽やかな風を伴なって、初夏の日差しが静かに降り注ぐ午後。
 和風旅館「趣味人亭」の一室、清楚なつくりの和室で、豪華な金色の髪を惜しげもなく床に流し、安らかな眠りを楽しむ男が一人。
 男‥‥ケーナズ・シュミットはこの少し風変わりなアジアンテイストの午後を楽しんでいた。
 そこに、趣味の良い紬の着物に身を包んだ、この趣味人亭の若女将にしてケーナズの娘、マグダレーナ・シュミットが静々と現れた。
「お父様‥‥」
 その声を聞いた瞬間、弾かれるようにケーナズは飛び起きた。
「なんだ?マグダレーナ?」
 そう問い掛ける声も心なしかうわずる。
 ケーナズはマグダレーナの父であったが、この娘にどうにも頭が上がらない。
 過去に一度ケーナズ自身が潰してしまったこの旅館を、復興し此処まで盛り立てているのは娘のマグダレーナだったからだ。
 いわば、この趣味人亭では、ケーナズは居候の身の上。
 女将であるマグダレーナとは絶対的な権力の差が存在しているのだ。
「お茶をお持ちしましたわ。」
 楚々とした仕草で部屋に入ると、マグダレーナは木製の盆の上に載せた茶碗をガッシと掴み、そのまま父の頭上へひっくり返した。
「うわっ!わちっ!な、何をするんだっ!?」
 サイバー化されたボディを持つゆえ火傷はしないが、熱を感知するセンサーは敏感に働く。
「あら、私としたことが‥‥入れなおしましょうか?」
 そう言ってマグダレーナが取り出したのは、シュンシュンと音を立てている鉄瓶だった。
「い、いや、お茶は遠慮しよう。」
 ケーナズは滴るお茶を持っていたハンカチで拭うと丁重に断った。
「では、お菓子を召し上がります?」
 マグダレーナはにっこりと微笑むとクリームのたっぷりのったパイを、何故か肩上に構えた。
「む‥‥菓子も遠慮する。」
「残念ですわ。お寛ぎいただけるようにご用意しましたのに。」
「な、何か言いたい事でもあるのか?」
「いいえ、別に。」
 そう言いつつも、パイを構えたままのマグダレーナの目は本気と書いてマジだ。
 戦場を駆け巡るを事を生業とするオールサイバーとは言え、パイのクリームが機関や関節に入り込まれるのはたまらない。
「旅館の方が忙しいのではないか、マグダレーナ?何か手伝おうか?」
 マグダレーナの戦意を削ぐべく、ケーナズは心理戦に出た。力ばかりが武器ではない。時には甘い言葉も十分な武器だ。
「そうですわね。お風呂場のボイラーの調子を見ていただいて、あとお風呂も流してもらおうかしら?あ、お膳も運ばなくてはなりませんし、お客様のお出迎えと、荷物運びと‥‥」
 続々と用事を並べ立てるマグダレーナに、ケーナズは流石にストップを入れようとした。
 しかし、心理戦では娘の方がさらに上手だった。
 ちらりと横目でケーナズを見ると、きっぱりと言った。

「働かざるもの食うべからず。燃料電池の供給、切るわよ?」

 突き立てられた伝家の宝刀に、ケーナズは内心そっと涙を拭いながら立ち上がるのであった。



「さて。どうするかな。」
 呟くようにそう言うと、ケーナズはスコップを手に庭へおりた。
 手伝いと言っても、どうにも配膳だのお迎えだのを手伝うような気持ちにはならない。
 かと言って、適当なこと言ってサボっていては、燃料電池の供給を切られるどころか、強制的に維持モードにされかねない勢いだったので働かねばならない。
「まったく、誰に似るとあんなに気の強い娘になるんだ?」
 ケーナズにそっくりなのだが、その辺は棚に上げたらしい。
 とりあえず、ブツブツ文句をいいつつも、近隣の地図と敷地の図面を見比べながら庭の一角へたどり着く。
「この辺か?」
 スコップを地面に突き立て、こきっと軽く肩を鳴らす。
 オールサイバーであるケーナズに準備運動は必要ない。しかし、生身の体だった頃の名残か、細かな仕草が癖として残ることがある。ケーナズの準備運動もそんな癖のようなものかもしれない。
 そして、徐にスコップを掴むと、ケーナズは思いっきり地面に突き立てた。
 スコップの先はぐんと地面に沈み、あっという間にひと盛りの土をすくい上げる。
「この辺は昔温泉だったからな。ちょっと掘りゃ、出るはずだ‥‥」
 ケーナズは一心に掘りつづける。
 穴は見る間に多きく口を開き、しばらくするとケーナズの体をすっぽりと飲み込むほどになった。
 しかし、温泉が出る気配は‥‥まだない。
「‥‥これでは切りがないか‥‥」
 ケーナズは手を休め、温泉の溢れる気配のない地面を眺め考える。
「仕方ないな‥‥終れば充電もできることだし、少し娘サービスしてやるか。」
 そう言うと、動作モードを通常から高機動運動に切り替える。

 オールサイバーの特殊モードである高機動運動は、通常の数千倍の力を一気に出すことができる。四肢を素早く動かすことによって、平均時速100kmと言うスピードで移動することすら可能なのだ。

 丸一日分の電力を一回の機動で使い切ってしまうのが問題だが、この仕事が終れば充電が待っている。
 モードを切り替えると、ケーナズは体中に力が漲るのを感じる。体中が浮き上がらんばかりに軽い。
 掴んだスコップもまるで羽のように軽く、突き刺した土はプディングのようにやわらかだ。
 ケーナズはボーリング重機のような勢いで、どんどん穴を掘り下げてゆく‥‥。

 そして、その瞬間は訪れた。

 ガツッ!
 スコップの刺さる感触に、僅かに異変が感じられた。
 手ごたえのあるような、ないような‥‥。
 そんなことを思った次の瞬間には、爆発するように水蒸気と湯が溢れ出してきた。
「お、やった‥‥!」
 白く濁った湯は、硫黄の香りと共にどんどん溢れてくる。
「ん‥‥ちょっと待てよ‥‥」
 湯は見る間に膝の高さになり、胸の高さになり‥‥。
 ケーナズは穴から出ようと上を見るが、いつの間にこんなに掘ったのか、穴の口は遥か上にぽつんと点のように見える。

「!!!」

 オールサイバーであるケーナズは、生身の肉体を手放すと同時に失ったものがある。
 それは水泳能力だ。
 その重みゆえに水中での行動は著しく制限され、オキシタンクを使わなくては呼吸することは出来ない。

 要は、オールサイバーとはカナヅチなのである。

「ぐっ・・・ゴボッ・・・」
 必死に爪先立ちをして水面を避けるが、湯の溢れる勢いはおさまらず、ケーナズの口を覆い、鼻を覆った。
「‥‥!!!」
 もう駄目なのか?俺は庭で溺死するのか?
 できれば死にたくない死に方ワースト3にランクインしそうな死に方が、ケーナズの脳裏を過ぎる。
(ああ‥‥マグダレーナ‥‥)
 愛娘が、遠くなってゆく意識の中、ケーナズに微笑みかけているのが見えたような気がした。



「‥‥」
 あー‥‥白磁色の淡い輝きに包まれた天使が、俺に微笑みかけている‥‥。
 ケーナズのぼんやりと霞む視界の向うに天使が見えた。
「天使・・・」
 そう呟いて、その天使の方へと手をのばそうとした瞬間。
 顔面の中央に激痛が走った!
「んぐぅっ!」
 ケーナズは思わず悲鳴をあげて飛び起きる。
「目、覚めたわね?」
 ケーナズの目の前には、マグダレーナが座っている。
 その指先は思いっきりケーナズの鼻をつねり上げていた。
「ぷはっ!何をするっ!殺す気かっ!」
 ケーナズはマグダレーナの指を振り払うと、大きく息をついた。
「失礼ね。命の恩人に対して。」
 マグダレーナはふっと意味ありげに微笑むと、そう言った。
「恩人?・・・あっ!」
 咄嗟に今までの出来事が甦る。
「俺、庭でっ‥‥」
 ケーナズは掘り当てた温泉に溺れて死ぬところだった。
 そこを庭が騒がしくて駆けつけたマグダレーナに間一髪救われたのだ。
「メンテナンスも充電も済んでいます。もう、動けますでしょう?」
 マグダレーナはそれだけ言うと立ち上がった。
 あえて父の無様な姿を言及するようなことはしない。
 ケーナズは居候とは言え、父であり、男だ。
「マグダレーナ‥‥」
 父のプライドを重んじる娘の姿に、ケーナズもジンと来るものを感じる。
「マグダレーナ、あ‥‥」
「御礼には及びませんわ。」
 ありがとうの言葉を聞くまでもなく、マグダレーナはにっこりと微笑んだ。
 そして、一枚のポラロイドをケーナズに見せると言った。
「温泉をお風呂場まで引く工事と、お庭の始末、きちんとしてくださいね?お父様。」
「‥‥はい。わかりました‥‥」
 ケーナズはガックリと肩を落とし、畳に手をついたまま返した。
「それが終っても、まだまだお仕事はありますわ。」
 ほほほ‥‥と高く笑いながらマグダレーナは部屋を後にした。
 マグダレーナの見せたポラロイドには、見事に庭で溺れるケーナズの姿が収められていたのだった。
 こうして、マグダレーナはより旅館を盛りたてて行くのであった。

 ケーナズのその後は‥‥誰もしらない。

The Ende ?
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PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2003年05月15日

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