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『感情の名前 』
鳴神・時雨1323

(何なんだ、一体……)
 あやかし荘は古い。はっきり言って相当ボロい。あちこち傷んでいて危ないし、既に壊れている所もある。
 それはこの建物の修復と引き換えにここへ住まわせてもらうことになった俺にとっては、それだけ役に立てるということだからいいのだが……。
(見物人付きとは、聞いていない)
 今日はドジな住人が開けた床板の穴を塞ぐ作業をしていた。その間ずっと、こちらを凝視する視線。
「――何か用なのか?」
 幾度となく訊ねた。そして幾度となく、そいつも首を振った。横に、だ。
(確か、柚葉といったな)
 人間でないことは、生えている尻尾でわかる。おそらく狐だろう。それにしたってよく怖がらないものだ。
 俺は自分が無表情であり無感情であることをよく知っている。そのため態度も言葉もどこか冷たくなり、怖い印象しか与えない。普通の子どもなら近寄りもしないどころか、ともすれば姿を見ただけで泣き出すだろう。
 だが柚葉は違った。
 長時間飽きもせず、寝転がって俺の手元を見ていた。修復作業が珍しいのかもしれない。
「――ねぇねぇ、それって面白いの? 柚葉もやってみたいな〜」
 しばらく黙って見るだけだった柚葉が、堪えきれなくなったように言葉をもらした。
(! そうか……)
 きっと管理人に、邪魔をするなと言われていたのだろう。
 そう思い当たるが、「やってみたい」と言われ「はいどうぞ」と返せるようなことではなかった。
 あやかし荘の修復作業は、人造人間である俺の身体をフル活用して行われている。この身体があるからこそ、できることなのだ。人間ではないとはいえ、こんな子どもにできることではない。
「………………無理だ」
 それでも言葉を選んで、短く俺は答えた。
 "負"の反応を覚悟していた。いざとなったら管理人を呼べばいいと考えて。
 しかし。
「そっかぁ、そーだよね。やっぱりおとなしく見てるよ」
 残念そうにそう告げると、柚葉は起こしかけた身体をまた横たえた。特に機嫌を損ねるわけでもなく、それから俺の作業が終わるまで。
 柚葉はそこにいた。
 それ以来どこの修理をしていても、ひょっこりと現れては傍にいるようになった。



 その日は修理ではなく、掃除を頼まれていた。
 あやかし荘には数多くの開かずの間がある。開かずの間というか、正しく表現すれば"開けず"の間だろう。理由も様々で、何かを封印しているという話もあったり、開けると運が逃げるといった迷信的なものもあったり、本当に開かないだけだったり、と。
 そんな部屋がたくさん続く奥の方には、あやかし荘の住人も普段から誰も寄り付かない。しかしだからといって掃除をしなければ塵も埃も積もる一方だ。
 そこで俺の出番なのだった。
 俺なら何が起こってもそれなりの対処ができる。女・子どもよりははるかに適任といえた。
 掃除道具一式を持って奥へと向かう俺の足元に、いつものように柚葉がじゃれついてくる。
「柚葉も行っていいでしょ?」
「駄目だ」
 ついてきたのでは、俺が行く意味がない。
 いつもは一言で諦める柚葉だったが、その日は引かなかった。
「なんで? お掃除だったら柚葉も手伝えるもんっ」
(確かに)
 修復作業と違い誰にでもできることだが……。
「……危険かもしれない」
「時雨がいるから大丈夫だもん!」
 俺の両手が掃除用具で塞がっているのをいいことに、柚葉は俺の肩にぶら下がった。どうあっても行く気らしい。
(――追い払うのも、面倒だな)
 何かあったら俺がどうにかすればいいことだ。
 俺はそう考えて、それ以上は口を噤んだ。
 諦めた俺に気づいた柚葉は笑顔で告げる。
「ねぇねぇ、夕飯のおかず賭けて雑巾掛け勝負しようよ!」

     ★

 そのドアを開ける羽目になったのは、柚葉がそのドアの前で思い切りバケツを蹴飛ばしてしまったからだ。
「ごめんなさい……」
 さすがの柚葉も元気なく項垂れていた。
 バケツはドアの方を向いて倒れたため、容赦なくドアの下方が変色している。下の隙間から部屋の中にも漏れているだろう。
 何度も言っているが、あやかし荘はずいぶんと古い。そのためドアに隙間があるなど当然のことだった。
 涙を浮かべる柚葉を見下ろして、俺はかける言葉を考えていた。慰める言葉など知らないから。
「……拭けばいい」
 それが精一杯で、あとはただ水に濡れた床を拭いていった。涙を堪えて、柚葉もそれを手伝う。
「……ドアの向こうは、拭けないね……」
 隙間から部屋の中を覗くような仕草をして、柚葉は残念そうに呟いた。まだ元気がない。
(――開けるか)
 このドアを開けてちゃんと中まで拭くことができれば。柚葉に笑顔が戻るのではないか?
 慣れない心でそんなことを考えた。
"開かずの間"
 そう呼ばれていても、俺が開けるのは簡単なことだ。
 柚葉にドアから下がるよう促してから、ドアに触れる。
 その刹那。
「わぁ」
 柚葉が手を叩いて感嘆の声をあげた。
「これでちゃんと拭けるね!」
 嬉しそうに笑う。俺の読みは外れていなかったようだった。
 しかし。

  ――ヒュッ

「え…っ?」
 部屋の中から出てきた何かに、一瞬で柚葉を持っていかれた。
「きゃぁぁっ!!」
 遅い悲鳴が聞こえる。
(何だ?!)
 俺は室内に飛び込んだ。
 薄暗く、雨が降っているわけでもないのに妙にじめじめとした空間。その奥が、やけに黒く歪(ひず)んでいる。
《お前たちか? 神聖な場所に汚れた水をかけやがったのは》
 地響きのような低い声が歪みから聞こえてきた。柚葉はその黒い歪みに囚われている。
「やーぁ、放してよ!!」
 もがいているが歪みに明確な形がないためうまくいかないようだ。
《おかげで目覚めの気分は最悪だ。責任を取ってもらわないとな!》
 その声が終わると、歪みは徐々に何かを形作っていった。それが幾人もの人間だと気づくのに時間はかからなかった。
《思いつく限りの苦痛を与えてやろう!》
 重なる声。
 俺は無意識に戦闘形態へと変身していた。
(まずは……)
 歪みに囚われていた柚葉は、今は黒い人間の腕の中に囚われている。ためらいなくその腕を切り落とすことで助けた。安全な場所を確保し、柚葉を背に戦う。
(おそらく)
 何なのかよくわからないが、この歪みは何にでもなれるのだろう。あえて人間を形作ったのは、"人間の心理"を利用したかったからではないか?
(そんなこと――無駄だ)
 脳の一部は確かに人間。けれど俺には、本当にいちばん大切なものがない。
 ためらいなく振り下ろせるこの腕は、きっとこれまでの多くの人間を斬ってきたのだろう。それがすべてを証明していた。
 無心で襲いくる黒い人間たちを斬り続け、やっと歪みが消えた時。その部屋には、俺と柚葉しかいなかった。
 死体はない。けれど――
「生意気に、血は流れるのか」
 それも赤い。
 俺の身体は、赤く染まっていた。
 柚葉を振り返る。
 座りこんだまま、まだ震えていた。無理もないだろう。突然ワケのわからないものたちに襲われたのだから。
 近づいて、俺は手を伸ばした。とりあえず掃除は終わったのだから戻ろう。そういう意味をこめて。
 しかし柚葉は首を振った。その目は恐怖から変わらない。
(まだ残っていたか?)
 とっさに振り返ってみるが、やはり歪みは消えていたし何もいなかった。
「――!」
 少し前にも聞いた、バケツを蹴飛ばす音に再び振り返る。
 そこには――柚葉の姿はなかった。
(そうか……)
 "俺"が怖かったのか。
 やっと気づいた。
 本当は、この反応が普通なのだ。
 これまでがおかしかっただけ。
 これで柚葉はもう二度と、俺には近づかないだろう。
 あの鋭い視線の先で、作業をしなくて済むのだ。邪魔をされることもない。
(それは、喜ぶべきことだろう?)
 頭では、わかるのに。
 血に濡れた手で、存在しない心臓の辺りを抑えた。
(何故……?)
 俺の知らない種類の感情が、俺を支配しようとしていた。
 名前も知らない、感情が……
「…………時雨?」
「!」
 その意味を考えることで精一杯で、名を呼ばれるまで気づかなかった。失われたドアから顔を出してこちらを見ている柚葉に。
(戻ってきたのか……?)
 目が合うと、柚葉は笑う。
「泣いてるのかと思っちゃった」
(泣く? 俺が?)
 そんなことはあり得ない。
「考えていたんだ」
 何故戻ってきたのかと、混乱している俺に言葉を選ぶ余裕はなかった。しかしそんな脈絡のない発言にも、柚葉は気にせずに続ける。
 それは、いつもの柚葉だった。
「そうなんだ」
 近づいてくる柚葉の手には、タオルが握られていた。
「……ごめんね時雨。柚葉逃げちゃって……」
 座れというように俺の腕を引く。俺はおとなしくそれに従う。
「だって、凄く怖かったの。あの黒い人たちも、別人みたいな時雨も……」
 俺は俺の身体を拭く柚葉に身を任せて、ただ言葉を聞いていた。
「でもね、柚葉気づいたの! 時雨凄く怖かったけど、柚葉たちにはいつもあんなことしない」
「当たり前だ」
 つい口を挟んだ俺に、柚葉はまた笑顔を向けた。
「うんっ。あれが本当の時雨じゃないって、わかったよ。柚葉のためにやってくれたんだって」
(本当の――俺?)
 そうなのだろうか。
 平穏に暮らす俺と、戦いの中に身を置く俺。
 どちらが本当かと言われても、俺自身にはもう区別がつかない。
 平和な日常が物足りないと感じることは今のところない。戦いの中にあってもそれが嫌だと感じることはない。
(どちらも"ない"んだ)
 だとしたら、俺じゃない誰かの。
 柚葉の言葉が正しいのだろうか?
「――ねぇ時雨。何を考えてたの?」
「え?」
 拭き終わった柚葉が、気がつくと俺の膝の上にのっていた。俺を見上げてもう一度。
「さっき、1人で、何を考えてたの?」
「ああ……」
 そういえば答えた。"考えていた"のだと。
「――感情の名前を、考えていたんだ」
「感情の名前? それって、嬉しいとか楽しいとか?」
 頷いた俺に、柚葉は不思議そうな顔で首を傾げる。
 そして。
「時雨は今、嬉しそうな目してるよ?」







(了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
伊塚和水 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年05月12日

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