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『スパークリング・ナイト 』
相生・葵1072
「じゃ、後頼んだよ」
「はい。お疲れ様でした」
時刻は深夜四時半をまわったところ。
「音葉」のオーナーが出て行った扉がゆっくり閉じて行く隙間から、遠く夜の静寂に鳴り響くクラクションが聞こえた。
相生葵は人のいなくなった店内で一つ大きく伸びをした。
今日は最後の客がなかなか帰ろうとせず、閉店時刻を三十分もオーバーしたし、ミーティングも少しばかり長引いた。
他の皆もこれから一杯引っ掛けて、という気分では無い様で掃除をし、身支度を整えると早々に帰って行った。
葵は一人最後の戸締りを確認していた。
「ん〜もうすぐ五時じゃないか……このままここで一眠りして帰ろうかな?そうすれば気持ちいい朝日を浴びて帰れるし」
カウンターに無造作に置いていたジャケットを取ると、葵は手近なソファを動かし、自分が寝られるように繋ぎ合わせた。
何度かやっている事なので、葵は欠伸を噛み殺しながら店のドアの鍵をかけ、ざっともう一度店内の戸締りを確認し明かりを落とすと手探りで簡易ソファベッドへ戻った。
弾力のあるソファに深く腰掛け、葵は大きな伸びと一緒に仰向けに倒れこんでジャケットを首まで引き寄せる。
眠気はすぐにやって来た。
トロトロとまどろみの中、どこかで小さな金属が擦り合うような音を聞いた。
深く意識が沈んでいく感覚の中、今度ははっきりガチャという音を聞いた。
葵はすぐに飛び起きると音のした方――店の表扉に目をやった。
薄闇の中、目を凝らすと静かに扉が開き外の光が差し込んできた。
ネオン光と一緒にするりと細い影がしなやかに扉の隙間から中へと入ると、同じように静かに扉が閉まった。
入ってきた人影はしばらく動かず、室内の様子を伺っているように葵は思った。
暗闇に目が慣れて来たのか、人影は壁に手を伸ばし何かを探していた。
明かりを付けるのだろう。
葵は音を立てないように体を起した。

パチっ

乾いた音と共に再び室内に真昼のような明かりが付いた。
眩しさに少し眉を寄せる葵は心の中で口笛を吹いた。
入ってきたのは黒髪の綺麗な女性だった。
艶やかな前髪が片目を隠しているが、もう一つの目が驚きに見開かれて葵を凝視していた。
葵は柔らかな笑顔を浮かべ、立ち上がり立ちすくむ女に声をかけた。
「すみませんが、もうお店は閉店したんですよ」
良く響くテノールで優しくそう言った葵だが、この女性が客であるとは微塵も思っていなかった。
女性はしばらく瞬きを忘れ立っていたが、小さく細く息を吐き出すと、そのローズレッドの唇を妖艶な笑みの形に曲げ、葵を見た。
「あら、そうなの。ザンネンだわ。ここって有名なお店なんでしょ?」
「有名かどうかは判りませんが……まぁ、お客様が多くいらして下さるのは事実ですよ」
そう言った葵の笑顔を見ながら、女はゆっくりヒールの音を響かせカウンター沿いに店内へと進む。
「なんでも、ここら辺では1,2を争うらしいじゃない。もちろん、これだってたくさんあるんでしょう?」
と、女は親指と人差し指で輪を作り、葵に見せた。
それには流石に葵も苦笑を禁じえなかった。
(最初の言葉で帰ると思ったんだけどなぁ……)
だが、女は帰る気は無い様で、カウンターの長椅子に腰掛けると、その長くスラリとした足を組んで挑発するような瞳を葵へ向けた。
「手荒な真似はしたくないのよね。売上を素直に渡して貰えれば、私はそれでいいのよ」
女にとってはそれで良いかもしれないが、葵にとっては良くない。
「……泥棒はもっとコソコソしているものだと思ってたんだけどなぁ」
苦笑交じりに軽く前髪を弄んだ葵に、彼女はにっこりと笑いクスクスと忍び声を漏らした。
「あら。誰がそんな事を決めたのかしら?それに、コソコソしてたら私の美しさが勿体無いじゃない」
肩口で切り揃えられた黒髪をうなじから掻き揚げた。
「さぁ、出すの?出さないの?」
口調は柔らかく、笑みの形の唇とは違い彼女の目は鋭く葵を捉え、葵はちょっと肩を竦めた。
「生憎ですが、売上はここには無いんですよ。オーナーがみな持ち帰ってしまったんです」
勿論、嘘であるが、これで彼女が帰ってくれるなら儲け物である。
葵にとってはもう少しこの女性とお喋りに興じたいが……
「そうなの?」
女性は肩眉を上げ、驚いたような声を出した。
「えぇ、そうなんですよ。残念ですが」
「不思議ねぇ……私の情報じゃ、ここの売上は次の日の開店前にオーナーが銀行に持って行くって事だけど。今夜だけは違うのかしら?」
目を細め、楽しそうな声色で言った彼女に葵は小さく息を吐いた。
「そこまで調べていたんですか」
「まぁね」
得意気にカウンターに肩肘付いて胸を張った彼女の隣に移動した葵は、いつも客に対してするような、自分の甘いマスクを最大限に生かした笑顔を彼女に向けた。
「……一杯、飲みませんか?」
指差したカウンター奥の棚には様々な酒のボトルが並び、女はちらりと視線をカウンター奥へ走らせ、すぐに葵の甘いマスクを見た。
「……そうね。頂こうかしら」

葵はすぐに準備をして来た。
「これは僕のお気に入りなんですよ。キミの口に合うと良いけど……」
そう言いながら前に置いた二つのグラスに細かい泡を立てる薄い琥珀色の液体を注ぎいれ、その一つを女性へ差し出した。
無言でグラスを受け取った女性に、葵はグラスを掲げる。
「美しい貴方との今夜の出会いに……乾杯」
軽くグラスを触れ合わせた葵に女は鼻を鳴らした。
「いつもそうやって客を喜ばせてるのね」
横目で睨みながらグラスを呷った女性の蠢く喉を見ながら、葵も一口シャンペンを飲んだ。
「……ところで、キミの名前は?僕の名前は相生葵」
「……黒蜥蜴」
「黒蜥蜴?」
軽く目を見張り、二度瞬きをした葵は目を細め微笑して言った。
「では、僕は明智小五郎なのかな?」
「あら、随分と大きく出るじゃない。……じゃあ、私は貴方に愛の告白をしなくちゃね」
クスクスと妖艶な笑みを浮かべてもう一度呷った彼女のグラスは空になった。
すぐさま次を注いだ葵にありがとう、と言うと女はカウンターの滑らかな面を指でなぞった。
「……明智小五郎なら私を捕まえて警察に突き出そうとは思わないの?」
「あーそういえば、そうですね」
言われて初めてそういう考えに気がついた葵に、黒蜥蜴と名乗った女性は呆れた様に視線を向けた。
そんな彼女の視線を真っ直ぐ受け止め、にこりと葵は笑みを浮かべ痺れるようなテノールで
「少しでも長く貴方と過ごしたくて、忘れてましたよ」
と、むず痒くなる様な台詞をさらりと言った。
「バッカじゃないの?」
これには流石に相手の方が面食らい、恥ずかしくなったようでふいっと視線を外しシャンぺンを飲むが、見える横顔の頬がほんのりと赤い。
忍び笑いを堪えながら、葵はシャンペンボトルを彼女の目の前に掲げて見せた。
黒蜥蜴は何も言わず、ただグラスだけを少し前に出し、葵はまたなみなみと注ぎいれた。
「貴方、変な人ね」
「良く言われます」
にこにこと楽しそうに酒を飲む男にすっかり毒気を抜かれたのか、呆れた顔で苦笑を漏らし、黒蜥蜴もまた目を細め微笑みを浮かべた。

「あぁ、もうこんな時間ですね」
見上げた時計は五時二十五分を指し、もうそろそろ朝日が昇り、早起きな人々が活動を始める頃だ。
「随分とご馳走になっちゃったわね」
ほんのり頬を赤らめ、立ち上がった黒蜥蜴の前には空になったボトルが一本。
それでもしっかりとした足取りで彼女はヒールの音を響かせ、出口へと向かった。
取っ手に手をかけ、彼女は肩越しに葵を振り返ると、黒髪に隠れていない瞳を楽しげに輝かせながら挑発的な笑みを浮かべ言った。
「今日のところはシャンペンで我慢してアゲル。でも、次はそうは行かないわよ、明智さん」
葵は微笑を浮かべ、仰々しくまるで女性をダンスに誘うようなお辞儀をしながら黒蜥蜴と見つめた。
「貴女にまた逢えるのなら、僕は何時までも待っていますよ」
「ふふっ……」
黒蜥蜴はひとつ、投げキスをすると扉を開け、眩しい朝日が差し込む隙間からするりと姿を消した。
「……本当に、また逢いたいですよ」
一人、小さく呟くと、葵はソファに置いたままだったジャケットを羽織ると、電気を消し店を出た。
外は夜の肌寒さが少しあったが、もうすぐ初夏の訪れを感じさせるような輝きをもつ朝の光が眩しかった。
しっかり鍵を掛け、葵は大きく伸びをすると、緑色の髪を風に揺らしながら人のいない通りへと歩き出した。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
壬生ナギサ クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年05月06日

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