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『春眠 』
スゥ・シーン0376

『春って眠くなるわね〜』

スゥ・シーンがまだサーカス団で操り人形として使われていた頃、サーカス団でも一番幼い少女が言っていた言葉。
時々、スゥは思い出す事があった。
動くことも出来ず、ただ操られ周りの音に触れていた頃の記憶。
老いる事のないボディに染み付いている記憶。

『こういう日は広い草原でお昼寝が一番よね』

スゥは晴れ渡る空を見上げて女の子の言葉を思い出し、口に出してみた。
「こういう日はひろいそうげんでおひるねが一番よね」
そう言ってみて、スゥはにっこりと微笑んだ。
まるで本当にそうする事が一番良い事のように思えて来て、春の柔らかい日差しと気まぐれな風の吹く中、スゥは街を出た。
街道を歩き、スゥは街の近くの少し丘になっている草原へと歩みを進める。
柔らかな若葉の絨毯を踏みしめ、風がふわりと銀色の長い髪とスカートの裾を巻き上げ流れていく。
丘の上には白いラッパのような花をつける穏やかな佇まいの樹木。
スゥは風に新緑の枝を揺らす樹の根元へ腰を下ろした。
目覚めた時の事をスゥは今でもはっきりと覚えている。
正確に言えば自我を持ち、初めて自分の意思で動いた時の事。
それは夢うつつからの心地よい目覚めのような、薄靄の視界が開けた様なそんな感覚だった。
スゥは本能的にとでも言おうか、自分の周りを探し求めた。
母の――自分を造ってくれた人物の姿を。
だが、彼女の姿を見つける事が出来なかった。
彼女が目覚めた時は夜のサーカスの道具置き場のテントの中だった。
スゥ自身、母の顔をはっきりと思い出す事が出来ないが、優しくとても暖かい雰囲気の人だと知っている。
スゥはさわさわとまるでおしゃべりする様に葉を揺らす枝を見上げた。
葉々の間から差し込む春の日差しに少し目を細めたスゥは、また少女の事を思い出した。

『良い夢、見られそう……』

良い、夢。
人形のスゥは眠る事はない。
でも、そんな自分でもこの気持ちよい風に吹かれてなら眠れるかしら?と少し首を傾げた。
眠るという行為を真似た事は何度もあった。
だが、眠りがもたらす夢というものが何なのか、スゥにはわからなかった。
ゆっくり、スゥは瞼を閉じる。
視覚は闇に閉ざされ、はっきりと春の音が届く。

草原を渡る風の音。
枝葉の擦れる音。
鳥のさえずり。
遠くから流れてくる子供たちの笑い声。
……衣擦れの柔らかい音。

スゥは瞼を開ける。
一面の若草色の大地と青空の中に一人の女性が立っていた。
微かに白髪の混ざった長い髪を団子状に一束ねにした後姿。
麻の服に皮のエプロンをし、裾の長いスカートが呼吸をするようにゆっくり膨らみ、萎んだりを繰り返していた。
2、3度スゥは瞬きをした。
何時の間にあの女性はあそこまで来ていたのだろう?
スゥは不思議に思い、じっと女性を観察するようにもう一度見た。
良く見ると、女性の髪や服のあちこちに木屑が付いていた。
まるで、ついさっきまで木を削る作業をしていたような、そんな風にとれる。
エプロンには黒く油の染みがつき随分使い古され、女性の手の平は固くなった豆で一杯だったが、肉厚のある優しそうな手だとスゥは感じた。
と、女性が動いた。
ゆっくりと太陽を見上げる後姿にスゥは瞬きをした。
どこかで見たことがある。
どこだったか……
そう、とても昔。
ランプの匂い。
濃厚な木の匂い。
優しい、懐かしい匂い。
……ずっと、ずっとスゥの前に居てくれた人。

はっとスゥは目を見開いた。
その時、突然の突風が吹きつけた。
スゥは反射的に目を閉じ、耳元ではゴゥゴゥと風が唸り通り過ぎていく。
風の通り過ぎた後、周りが元通りになってからスゥはゆっくり目を開けた。
女性の姿はどこにもいない。
スゥは立ち上がって、辺りを見回したがやはり、どこにもあの女性の姿は見つける事が出来ない。
丘の下を笑いながら駆けて行く子供たちの声。
鳥のさえずり。
枝葉の擦れる音。
草原を渡る風の、音。
スゥは女性の立っていたところまで歩いた。
やはり、どこにも影も形もない。
スゥは首を垂れた。
そこには淡く黄色みがかったラッパスイセンの花が、スゥを見上げ風に揺れていた。
スゥはしゃがみ込み、花に顔を近づけた。
「お花さん。さっきたっていたのはお花さんなの?」
ラッパスイセンは答える事無く小さく揺れた。
「あのね。あの人ね、スゥの探している人ににてたのよ」
スゥは続ける。
「スゥのね、お母さんをさがしてるの。お花さん、見なかった?」
風に吹かれ、大きく茎がしなった。まるで人が横に首を振るように。
「そう。見なかったの」
少しがっかりと肩を下ろしたスゥだが、すぐに顔を向ける。
「お花さん。スゥはもう行くね。バイバイ」
手を振ったスゥに大きくラッパスイセンの葉が揺れた。
その様にスゥはにっこりと微笑み、立ち上がった。
「お母さん、待っててね!」

丘をおりて行くスゥの後ろ姿を、優しく風に吹かれているラッパスイセンが見送る。
再び、巡り会える日を夢見て。
(私の名前はスゥ・シーンよ。可愛い私のお人形さん)
穏やかな女性の声が春風に乗って聞こえた気がした。

夢か現か人形の見た麗らかな春の午後は穏やかに時が流れていった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
壬生ナギサ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2003年04月10日

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