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『come out of a dream 』
直弘・榎真0231

 眠りから覚めるのに時間がかかる。
 夢を揺らしてけたたましいベル音に、直弘榎真は『また電話かよ、早く誰か出ろよもう〜』との心中に、意固地に毛布にくるまった。
 布を介してくぐもったベル音は和らいだが、まだ続く。
 ベッドの更に奥深くに潜り込み、耳を押さえてどうにか遠のくが、音は間断のない振動として空気を震わせ、主張を続ける。
 眉間に皺を寄せ、無理矢理に瞼を閉じる…そのうち庭では犬が、扉の外では猫が騒ぎ出した…それでも出ない。誰も出ない。
「誰か出ろよ!」
声にばふりと布団をはねのけると、心地よい温みと眠りの残滓が空へと逃げる。
 榎真は至福の時を破られた鬱憤を電話の主にぶつけようと、音源を睨んで…肩を落とした。
「…目覚ましかよ」
誰も出る筈がない。
 ジリリリリリ、と変わらずにけたたましいベルを鳴らし続けるその頭を叩くと、チン♪と可愛い音に漸く騒音の元は沈黙した…屋内外で騒いでいた飼い犬猫フェレットも、主人が起きたと知るや静かになっている。
「ん、フェレット?」
ワンワンニャーニャーの合唱の合間にその声を聞いた覚えはあまりない…が、あの長い身体でぐるぐるとその場を回って精一杯の主張をしていたろう事は想像に堅い。
 前世紀の遺物であるまいし、直弘家の電話は普通のコールだというのに、この目覚ましのベルを未だに電話と認識してしまうのは、某興信所の影響か、と長く布団の中で耐えていたわりには寝起き特有のとりとめのない思考で目覚ましを前に据えて腕を組み、ふと気付く。
「なんだ、今日休みじゃん」
平日と同じ時間に、何故目覚ましをかけたのか自分。
 原因も結果も己にあっては、怒りの持って行き所がない。
「………寝直そ」
即決だった。
 時計を前に腰を落ち着けて1秒、朝食を食べるとか、外出するかとか、遊ぶとかの選択肢はないようだ。
 春の長期休暇の一日目くらい、自堕落に過ごしてもいいだろう…と、社会人が耳にすれば殺意が芽生える学生の気楽さで、榎真はベッドの足下に固まった布団を抱え込んだ。
 朝の透明な日差しに程よく暖まった室温にもう暖房も要らない…陽の香りを吸い込んだふわふわの羽毛布団を抱き枕よろしく、ごろんと転がる。
 眠る前にブラインドを閉めるのを忘れてたか…と、瞼の裏に赤い日差しのぬくもりを感じつつ、うとうとと。
 微睡みは浮遊感に似る。
 ホントの空は、心地よいだけでなく上空を渡る風は強く冷たく体温を奪って予断がならないが、一対の翼で以て高き空を行くは歓びに似た感情を胸に湧かせる。
 最も、人として、大地を生きる道を選んだ天狗の身、そうそうに空翔る真似が出来よう筈もなく、己を律するに、夢に空を見るばかり。
 余程に詮無き事情…それこそ遅刻しそうな時とか遅刻しそうな時とか遅刻しそうな…。
「………やべ!」
眠りに思考が不吉な渦を巻くに、榎真は飛び起きた。
 自分が春休みであれば、然るに神戸の全寮制女子高に通う妹も…春休みである。
 帰省する彼女を空港まで迎えに出る約束の為、いつもと同じ時刻に目覚める必要があったのだ。
「やっべー、アイツ待たせっとうるせーんだよな」
寝間着を脱ぎ捨て、考える間すら惜しんで手近な学生服のズボンに足を通し、パーカーを着る。
「こっから正味一時間で…ギリか、間に合うかッ?」
こん位は許して貰おう…果たして誰の許可が要るのかは知れないが、榎真は自室の窓を開くとひょいと身軽く飛び降りた。
 と、思ったが飛び上がってもう一度、同じ窓から榎真は室内に戻った。
 鍵と靴を忘れたのだ。


 人目につかない場所では、遠慮のない全力疾走に駅へと急ぐ道すがらだというのに。
「なんだよ、あんた」
僧形…というには薄汚れて巨躯な男が細い小路を防ぐ形で立ちはだかり、不躾に眺め回すのに、榎真は不機嫌を顕わにした。
「待て、小僧」
人の足を止めておいて待ても何もないだろ、とこちらが苦情を述べるよりも先に男はジャラと数珠と呼ぶにはごつい玉を連ねたそれを鳴らした。
「儂には分かる…その髪、その目、お前は人でないだろう」
眉間に寄せた皺を山のように盛り上がらせた男は数珠を、というよりそれだけで充分凶器、な拳を榎真に向かって突き出した。
「退魔師である儂の目を誤魔化せると思うな!」
「…またかよ」
こっそりと溜息を吐き、榎真は自らの限りなく黒に近い濃紺の髪の一房を摘んだ。
「イマドキ何言ってんだよ、あんた。髪は染めてんだし、目はカラコン入れてるに決まってんだろ?」
当然、嘘八百だ…生来の色でない、が、今はそれが榎真の自前の色合いである。
「ぬ……」
返す言葉を失って唸る…外見だけで人を人外呼ばわりするとは、大して力を持つ者でもない。
 姿形に虚仮威しもいい所だ。
 それ以上の力を持ち…持つが故に、人非ざる存在を認める者を知るに、榎真は男が退魔師を名乗るに不快感を覚える。
「バッカじゃねー?そんな時代劇みたいなナリしてさ、テレビの見過ぎ?それとも見なさすぎ?」
鼻でせせら笑う…のに、退魔師を自称する男は禿頭を怒りに赤く染め上げた。
「おのれ、愚弄するか!」
「してんだよ」
ニィ、と榎真は笑うと男に向かって駆け出した。
 男が構える…が、榎真は軽く地を蹴ると男の両肩に手を突き、側転の要領でその巨躯を飛び越えた。
「悪ィけど、あんたと遊んでる暇はねーんだ。じゃぁな」
赤い瞳で肩越しに笑い、榎真は勢いのままその場を逃げ出す。
「その身のこなし…やはり貴様、人間ではないな!」
榎真が体操選手だったらどう申し開くつもりなのだろうか…男は猛然と榎真の後を追い出した。
「げ!?」
陸上部で鍛えていた健脚は未だ健在で、充分に距離をとった…筈だというのに。
 思いこみの一念に土を蹴立てて追ってくる男に、榎真は慌てる…それこそ、天狗の能力を使えば逃げるのも簡単だが、しっかりきっぱり顔を見られている上に、火に油を注ぐ事態になるは必至である。
 かくして、住宅街を大人げない鬼ごっこが展開する羽目となる。
 榎真は細い小路や余所様の庭先など、男の巨躯が障害となるような小回りの要る場所を選んで逃げる…のだが、最早榎真しか見えていない様子で塀を薙ぐわ、盆栽棚を倒すわ…。
「ジョーダンじゃねぇ!」
腕時計を見る暇すらない。
 住宅街をめくらめっぽうに、何処をどう走り回ったのか見慣れぬ駅前に出たのに、榎真が視線を走らせた…先には、交番。
 若い駐在が暇そうに欠伸をしているのを視認した時には背後から、
「待ぁてぇ…!」
とドスの効いた低い声が追ってきている…迷っている暇はなかった。
「おまわりさん…!」
「どうしたんだ!?」
息を切らせて駆け込んできた少年に、駐在は何事かと問う。
「痴漢なんです…!道を歩いてたら、あのお坊さんが稚児になれって…!」
普通なら、そんな馬鹿なと一笑に付すだろう…けれども榎真の不安に青ざめた顔と走り回って乱れた息、額に流れる汗…そして道の向こうから凄まじい形相で迫り来る僧形の巨漢に、真実味を増す。
「キミは奥に入っていなさい!」
熟考の間を与えなかったのが幸いしたか、やおら職業意識に燃え上がった警官は榎真を背に庇う形で奥にやり、果敢に職務質問に向かった。
 後ろ手に扉を閉めて丁寧鍵までかけ…先までの脅えた様子は何処へやら、榎真は片手で拝む仕草に…扉の向こうから声と何やら破壊音がする。
「………貴い犠牲だった…」
けれど背に腹は替えられない。
 ここぞとばかりに公僕としての本領を発揮してもらうと後を任せ、榎真は裏口から駅へ向かってダッシュした。


 ……約束の、時刻からきっかり一時間。
 つまりは1時間も榎真はあの退魔師とおっかけってこをしていた計算になる。まったくどっちが人外だか。
 けれど、今はそんな事に思いを払っている余裕はない。
 空港のロビー、帰省の度に何でそんな荷物が要るのか不思議なスーツケースを抱えた妹が、表情なく兄を迎える。
 設えられたソファに腰を下ろしたまま無言に、下から目だけで見上げるのに気圧され、言い訳も何も許されずに榎真は沈黙するしかない。
 何よりも誰よりも、待たされるのが嫌いなのだ。
 それを為すならば、死を覚悟しろと言わんばかりの勢いで、大嫌いなのだ。
 みのも○たの台詞を待つ時のような緊張感で、榎真は妹の一挙一足投、見逃さない心積もりでいる…まず、来るとすればあのスーツケースが脛にか立ち上がる勢いを利用して頭突きか。
 直接的な攻撃を受ければ自分がただで済まないが、かといって避ければ更に怒りを増すだけ…どれだけダメージを軽減出来るかのシミュレーションしていたのだが。
「お兄ちゃん…帝国ホテルのケーキバイキングこれから奢ってくれるよね…」
攻撃は間接的だった…そして軽減は決して出来ない技だった。
「……はい」
それでも頷くしかない…命の比べれば安いものだ。
 2ヶ月ぶりに会う可愛い妹の為、次の小遣いまで水を飲んで耐える覚悟を榎真は決めた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年04月09日

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