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『もう1人の少女 』
灰野・輝史0996

 とある公園のベンチに、ひとつの人影があった。
 長い足を組んで座り、なにやら古めかしい洋書に目を落としている。
 10分ほど前に、犬を連れた老人が彼の傍を通り過ぎたが、それより前にも後にも、彼以外に人の姿は見られない。
 平日の朝であり、まだ静かな時間とは言えたが、今日は特にその傾向が強いようだ。
 彼を包むのは、柔らかな木漏れ日と、ときおりわずかに流れる風。遠くに聞こえる都会の雑踏……それくらいしかなった。
 ──が、
 ふと、ページをめくる手が止まり、それから端正な顔がゆっくりと上げられる。
 視線の先には、ひとつの小柄な影。
 金髪で、青い瞳の少女が、ぽつんとその場にたたずんでいた。
 この公園は、青山の外れに当たる場所にあり、土地柄外国人の姿も多く見受けられる。
 そういう意味では、この突然の登場人物も、特に不思議にはあたらない。
 問題なのは、その点ではなかった。
 近づく気配も感じさせずに、不意に目の前に現れた少女……
 ……この子は……違う。
 雰囲気から瞬時にそう感じ取ったが、顔色ひとつ変えずに、こう口を開く。
「……どうかしましたか?」
 優しい声音と、わずかに微笑んだ顔は、あらゆる年齢層の女性には実に効果的な武器だ。無論、本人はそんな事をまるで意識してはいないわけだが。
 彼の名は灰野輝史。日英クオーターの若者である。
 問いかけは、相手に合わせて流暢な英語だった。
 大体10歳前後と思われる少女は、輝史をただじっと見つめるだけで、話す素振りもなかったが、やがて……
 ──あなたにしか、頼めない。
 そう、告げた。
 口を一切動かさず、輝史の心の中に、直接意思を伝える形で。
「……」
 少しだけ目を細めただけで、輝史は何も言わない。
 一体どういうことなのか? そして何を頼むというのか……
 それを伝えてもらわないことには、なんとも返答しかねるというものだが……
「……」
 少女は生真面目な表情で、澄んだ瞳を輝史へと向けるだけなのだった。
 ……どのくらい、そうしていたろう。
 タッタッタ、と、小さな足音が近づいてきた。
 輝史が、そちらに目を向ける。
「ごきげんよう、ミスター輝史」
 すぐ横までくると、そう言ってスカートの端をつまみ、一礼してみせる。
「これはこれは、本日もご機嫌麗しゅう」
 と、輝史も優雅に礼を返して、微笑み合う二人だ。
 走ってきたのは、これもまた10歳くらいの少女だった。
 しかも、先ほど現れた少女と、まったく同じ顔、同じ姿の──である。
 チラリと目を戻すと、最初の少女は現れた時と同様、何の気配も感じさせずに姿を消していた。
 やはり、と、心の中で頷く輝史だ。
 最初の少女は、生きた人間ではなかったのだ。
 霊体──この世のものではなかった。ということである。
 目の前の少女と、それと同じ顔の霊体……この事実の意味する所とはなんなのか……
 明示された点と点が、輝史の頭の中で繋がり、ひとつの形を成していく。
 が、未だに正解への道筋は見えてはいなかった。あるのは、いくつかの可能性でしかない。
 この少女は、数日前から仲良くなっただけで、それ以上の繋がりは何もなかった。
 ここは彼女のお気に入りの通学路であり、学校へと行く途中のほんのひとときだけ、朝の読書を楽しむ輝史と挨拶を交わす……そんな関係である。
「なにか……ここに来る途中で、怖いものを見ませんでしたか?」
 いきなり、目の前の少女に向かって、輝史がそう尋ねた。
「え?」
 挨拶の次に放たれた不意の言葉に、少女が目を丸くする。
「見たのでしょう? 違いますか?」
 重ねて尋ねると、少しの間を置いて、小さな首がコクリと頷いた。
「猫が……車に轢かれる瞬間を見たわ」
「……猫」
「ええ、そう。轢かれた瞬間、その猫と目が合ったような気がして……とても怖かった。体が大きく跳ね飛ばされて……探したんだけど、見つけられなかったの。とても可哀相……生きているといいんだけど……」
「そうですか……」
 うなだれる少女の背後に、輝史はずっと何か黒いもやのようなものが張り付いて揺れているのをはっきりと捕らえていた。
 おそらく、その猫はもうこの世にはいるまい。
 そしてその魂は、最後に目に映った少女の哀れみの心にすがり、救いを求めているようだ。
 車に轢かれた際の痛みや恐怖……それを忘れるために。
 ──やめなさい。
 と、輝史は「それ」に言った。口に出さぬ言葉で。
 それに反応して、今まさに少女に取り憑こうとしている動物霊が、初めて輝史へと意識を向けてくる。
 黒々とした霞の中に、敵意の炎が生まれ、揺らめいた。
 霊は、自分を苦しみから救ってくれると信じて、少女に憑こうとしている。輝史は、その邪魔者というわけだ。
 ──気持ちはわからないでもないですが、その子はやめなさい。幼なすぎます。貴方の負の感情に押されて、不幸に巻き込む恐れがある。憑依するなら、大人にしなさい。普通の健康的な大人なら、何の害も及ぼさず、貴方も満足して旅立てますから。
 諭すようにそう告げたが……
「やだ……なんか急に頭が……」
 少女が額に手をやり、みるみる顔色を青くしていく。
「……」
 どうやら、言っても無駄のようだ。
 輝史の言葉に嘘はなく、この程度の動物霊ならば、大人であればたとえ取り憑かれたとしても、深刻な害とはなり得ないだろう。霊による害──霊障というのは、取り憑かれた側より霊の方の力が勝っていた時、初めて害という形で現れるものなのだから。
 この霊は、大した力などは持ってはいない。が、相手が子供ならば……その限りではない。要するにそういう事だった。
 輝史が、ゆっくりと立ち上がる。
 この霊も可哀相な存在だとは思ったが、仕方がないだろう。黙って見ているわけにもいくまい。
 ただ、彼女に張り付いた今の状態で無理矢理に浄化するのは避けたかった。
 一瞬でいい、少女の身体から引き離すことができれば……
 そう思った時、だった。
「……?」
 キラリと、彼女の首元で何かが光った。
 よく見ると、先に飾りのついた銀色のネックレスを巻いているようだ。
 ……なんとなく、言葉にはできないものを感じて、輝史が彼女の前にしゃがみこむ。
「綺麗ですね、これ」
「え? ああ、これ? これは……形見だから」
「形見?」
「そう、私には双子のお姉さんがいたんだけど、3年前に病気で死んじゃったの。これはその前の誕生日に、パパにお揃いで買ってもらったプレゼントなんだ……」
「そうですか……」
 それを聞いて、輝史は全てを悟っていた。
 先ほど現れた、目の前と同じ顔を持った少女の事も。
「ちょっとだけ、触れてみてもいいですか?」
「え? うん……いいけど……」
 頷くのを待って、そっと指先を当てる。
 その瞬間、ネックレス全体が淡い光に包まれ、怯えたように黒い霧が離れた。
「ありがとう、とても良い物ですね」
「えへへー、そうでしょう。私も気に入ってるんだ」
「お姉さんの事、好きだったんですね」
「そうだね……喧嘩ばっかりしてたけど、好きだったよ」
「お姉さんも、きっとそうですよ」
「そうかな……」
「ええ」
 自信を持って頷いてやると、照れたように微笑んで、うん、とこたえる少女だった。
「じゃあ、今日はもう行くね」
「はい、車に気をつけて」
「また明日ね。約束だよ、ミスター輝史!」
「ええ、よろこんで」
「じゃあねー!」
 弾ける笑顔で手を振って、少女は走っていった。
 微笑しながら手を振り返し、姿が見えなくなるまで見送ってから、再びベンチに腰を下ろす。
 読みかけの本を開くと、黒いもやが足元から上がってきて、その上を覆ってしまった。
「そこじゃなくて、できれば肩の上あたりにいてもらえますか?」
 そう告げると、おとなしく従う。
 どうやら、霊の方も無事(?)輝史の身体に居着く事にしたらしい。
 輝史の方も特に気にした風もなく、気が済んで自分から成仏するまで、いさせてやるつもりだった。
 無論、彼の能力で祓う事もできるのだが、そんな考えもないようである。
 やがて、何事もなかったかのように、再び読書を始める輝史だった。

 次の日も、少女との約束を守ってここを訪れたのは、言うまでもない。
 しばらくの間、彼はこの場所で1人の少女とその姉に、朝の挨拶を送ることが日課となったという。

■ END ■
PCシチュエーションノベル(シングル) -
U.C クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年04月04日

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