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『No one place is yourside 』
朧月・桜夜0444

(うちのお風呂の最大の利点は体を伸ばして入れる事よね)
 首どころか半ば顎まで湯に浸かりながら桜夜は思う。お行儀悪く足の先だけ湯の外に出しているがその涼しさがまた心地良い。
 髪はトリートメントまでフルコースで完璧だ。石鹸で丹念に洗った体も髪も入浴剤もホワイトローズの清楚な香りで鼻腔をくすぐる。実を言うと入浴剤にフローラルは止めろと口うるさく言われているのだが、今日は特別だ。依頼を見事に解決したのだからこのくらいのご褒美がなくちゃねと桜夜は思う。ふふっと自然に笑いがこぼれた。
「ふふっ、やーっぱり、こぉんな可憐な美少女があんな化物簡単に倒しちゃあ、あのごついおやじさんも立つ瀬ないわよねぇ」
 人を見下した罰だっての。
 密かに胸の中で毒づく。依頼を受けた先で既にスタンバイしていた術者が桜夜を一目見てこんな子供がと思ったのを当然彼女は見逃していなかった。ほぼ一人で退治した時の彼らの表情と言ったら……桜夜はくすくす笑った。あんまり気持ちよかったのでお裾分け代わりに体の欠片を持って帰ったら同居人にしこたま叱られたが、それも実はちょっと楽しい。
 追い出されない事――それは、ここが帰ってくる場所である事、その証明だから。
 あの頃はこんな場所があるなんて思いもしなかった。
 そう、アタシに帰る場所が見つかるなんて、そんな日が来るなんて思いもしなかった。


 それはひどく寒い日の事。
 桜夜は隙を見て家から逃げ出した。
 走りつづければ、寒さなんてすぐに感じなくなった。
 浅くなった呼吸が白く染まる事で寒い事が判る。
 どこかで落とした草履の片方の事や、重くて脱いだ上掛けの事がちらりと桜夜の脳裏によぎる。だが歩みは止めない。追手がすぐにやってくる筈だから。
 間違っても崖を滑り落ちて背中が痛い事とか、枝やガラスが足袋を破って足の裏に刺さった事とか考えたらいけない。今考えるなんて悠長な事をしてはいられない。
 ――だって、逃げ損ねたら今度こそ外になんか出られない。
 何が悪いのか桜夜には判らない。体質か、能力なのか、どちらが悪いのか。
 ――でも、そういう風に生まれちゃったんだから仕方ないじゃない。
 それなのに、ただ閉じ込められているなんてゴメンだ。だから絶対に逃げ切ってやる。
 背後に迫る気配を感じながら彼女は走る。道路を見つけてそれ沿いの闇を選んだのは、その方が追手に見つかり難いと考えたから。そして、それでも道路の側を選んで走るのは――。
(あった! あれだっ)
 赤信号で止まっているトラックの後ろの荷台が開いていた。桜夜はこれ幸いとばかりにそれに素早く乗り込み荷物の影に身を隠す。
 追っ手の姿が見えたのは気のせいだったのだろうか――?
 しかし、その影も信号が青に変わった事で走り出した車に追いつく事もなく、そして確かめる術もない。
(やった、これで自由の身だ)
 一瞬の歓喜の後、安堵が襲ってくる。桜夜は駄目だと思いつつも目を閉じてしまっていた。
 彼女が想像している以上に疲れが溜まっていたのだろう、程なく桜夜は睡魔に身を委ねてしまっていた。

「っくしょんっ、……さ、寒いっ」
 両手で自分の体を抱くようにして二の腕をさする。例えホロが被さっていてもトラックの後ろは屋外と変わりのない寒さだ。耳が痛いくらいに冷え切っていた。
(ここ、どこなんだろう? アタシ何時間寝ちゃったの?)
 外に気配がない事を確認しながらそっと外を覗く。どこかのビルの駐車場だ。――人の気配は、ない。
(LUCKY♪ じゃあ、この隙にここから出ちゃえ)
 そっと、辺りを伺いながら桜夜は道路へ飛び出した。
(木を隠すには森。人を隠すなら都会。……っとと、この格好じゃ目立つわね)
 桜夜は改めて自分の姿を見下ろした。ひどい格好だと言わざるを得ない。
 真っ白だった着物は薄汚れているわ、所々切れているわをすごい状態だったし、草履は片方だけ、足袋は一応履いていたのだが、血で汚れている事は想像に難くない。
 歩きながら桜夜は考える、まずこの格好をどうにかしなければならないだろう。幸いにも今の所、彼女とすれ違う人は彼女に興味を示していない。だから、早いうちに格好を改めるべきだ。
(でも、どうやって?)
 その時背後から声がかかった。
「おい、あんた。すごい格好だな。どうかしたのか?」
 振り返った先に男がいた。自分と同じ位の年齢だろうかと思われる少年が何故自分に声をかけたか意図がわからず桜夜は足を止めた。少なくとも追手ではなさそうだが。
「誰……?」
「人の素性聞く前に自分の格好考えろって。そんな格好で外歩くなよな。とっとと家に帰んな」
「帰る場所なんか……」
 ない、そう言いかけて桜夜は唇を噛む。余計なお世話だと言おうとして止めたのは、何か思案している男の表情に何故だか惹きつけられたからだ。例えば憐憫や下心ならば、怒るなり、利用するなりすればいい。だが、確かにそれ以外の感情が存在していたのだ。
「まあ、色々とあるわな。……お前さ、何なら来るか?」
 躊躇いがちの誘いに桜夜は即座に頷いた。信じられると思った。

「いたた、痛い痛いっ!」
 男は桜夜の抗議に構わず足首をしっかり捕まえいて彼女は身動きが取れない。彼はどこ歩いて来たんだよとぼやきつつ、深く刺さった木の枝やガラスを丹念に取り除いていく。それ以上何も刺さっていない事を確認すると漸く消毒液を取り出した。
 染みるぞと一言言い置いた挙句に覚悟する前に消毒液をかけるのが性質が悪い。声も出せずに必死に堪える――何しろ足の方はしっかり固定されているので逃げ出せない。
「うし、足はこれでOK。つっても無闇に歩くな、痛いぞ」
「今も十分痛いわよっ!」
「化膿するよりマシ。……次背中」
「判ってるわよって……はい?」
 思わず聞き返した桜夜に、刺抜きと消毒薬を目線で示された。背中の治療という事だ。が、女なら誰でも初対面の男性の前で肌をさらしたいとは思うまい。ましてや桜夜には特殊な事情がある。
(治療、治療! この人はお医者さんっ!)
 自己暗示をかけながら桜夜はそれでも男に念を押す。
「判ったわよ。……驚かないでよね」
 後ろを向きながら肩から着物を落とそうとしてそれが背中に張り付いてしまっている事に初めて気がついた。男がため息をついて、少し痛いぞと言いながら着物を脱がしていく。固まった血がはがれる気持ち悪さや、かさぶたをはがされる痛みに必死に桜夜が耐えていると男が手を止め息を飲んだ。
「……男だったのか」
「違うわよっ、女よ。お・ん・な!」
「あ、そう」
 曖昧な返事の後、治療が再開する。手付きは変わらず優しい。桜夜は安堵の息をつく。
「ねぇ、仮性半陰陽って知ってる?」
「知らん」
「そっか。……遺伝子的には女だけど、外見は男になっちゃうってそういうの。アタシそれなんだよね、おかげでさぁ」
 桜夜の言葉を遮るように電子音が鳴る。男は治療を終えてシャツを桜夜の肩に掛けた。
「ちょっと待ってろ」
 台所に消えた男は帰ってこない。暇になった桜夜は鏡を覗き込んだ。
「これはちょっと、いくらアタシが美人だって台無しってモノよねえ」
 髪についたゴミや顔の汚れを取っているとなんだか良い匂いが台所から漂ってきた。
(そう言えば、最後に食べたのいつだっけ?)
 その思いに答えるようにお腹がぐぅと小さな意思表示をする。思わずきょろきょろする桜夜を、台所から出てきた男が呆れたように見ていた。盆の上にはご飯とお味噌汁と卵焼きと焼き魚――なんだか朝御飯みたいと桜夜が思った――が二人分。
「座れよ」
「うん……、いいの?」
 悪かったら出さねえと言われて素直に席につく。
「いただきます……美味しい♪」
 ――あれ、なんかこの御飯しょっぱい。それに何で……視界が歪むの?
 仕方なさそうにため息。そして桜夜の前に立ち、桜夜の頭を強引に抱き寄せる。
「ア、アタシさ、こんな体質で他にも色々普通じゃない事があってさ……だから、だから、親もアタシの事、恥だと思ったのか……っく」
 何故だかひどく安心して、桜夜はせきをきったように泣き始めた。
 閉じ込めた親の事。そこから逃げ出した事。そんな事をつらつらと話し出した彼女を彼がどう思ったのか知らない。
 ただ、彼は桜夜の肩をずっと抱き締めてくれていた。


 ぴしゃんっ。
「冷たっ」
 見上げると、湯気が天井で冷えて水滴になっている。どうやらそれらしい。
 思い出から現実に戻った桜夜は上機嫌でクスクス笑い出した。
「うん、アタシもカワイイなあ。そりゃア、誰でもコロリと行くわよねェ♪」
 湯船の中でうんと背伸びをする。
「さて、あがったら色々お手入れしなきゃねっ」
 髪を乾かす事、お肌のお手入れ、爪のお手入れ。どれも手間が掛かるが、同時にちょっとした楽しみでもある。好きな男に綺麗だと言われたいではないか。

 リビングの灯りは消えていない。起きてるんだ、と思いつつソファにそっと足音を忍ばせて近寄った。
「ふっふっふ。湯上り美人さん参上っ! ……って、寝てる」
 考えてみれば今朝出かける時も帰ってきた時も起きていた。普通というなかれ、彼は昨日の夜、桜夜が寝た時も起きていたのだ。つまりずっと寝ていない。
「ったぁく、寝る時はベッドに行けって言ったのにさ」
 なんかそんな川柳あったわよね。まあ、あれは行く時も帰る時も寝てるけど、肩を竦めつつ、彼女は寝室へ毛布を取りに行く。
「んっとに、仕方ないなぁ」
 そう言いながらも、そっと毛布をかけて、そのまま桜夜は同居人の顔を眺めた。
(ここがアタシの居場所。そう思っちゃっていいよね?)
 微笑みながら桜夜は彼の頬に軽く口付けた。
(いつも、アリガトね)
 熟睡した彼が僅かに反応を返す。寝言で呼んだ名前は桜夜だけの秘密だ。

fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年03月26日

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