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『庄内紀行 』
九尾・桐伯0332

 駅から降り立つと最初に耳に入ったのは懐かしいフレーズでした
 「雪の降る町を」のあのお馴染みのフレーズは誰しも一度は耳にした事がある事でしょう。山形県鶴岡市はその歌のテーマとなった場所なのです。
 東京から上越新幹線で二時間、特急いなほに乗り換えて更に二時間、そうして漸く、鶴岡駅に着いた時にはいい加減昼下がりでしたが、寒さを感じます。
 後で見た新聞によると本日の最高気温は十度。東京の昨日の最低気温です。
 これから桜が咲こうかという東京都違い、ここ、鶴岡ではそろそろ梅が咲き始めるそうです。桜が咲くのは四月中旬。まだまだ当分先のようです。
 念の為に羽織ってきた厚手の黒いコートの襟元を締めて、最初の目的にへと向かいました。

 山形県鶴岡市は庄内平野の西部に位置し、三方を山に、そして残る一方を海に囲まれたこの土地は大きな川にも恵まれ、古くから東北有数の米の産地でもありました。
 酒飲みにとって、良い米、良い水と来ればやはり日本酒ではないでしょうか?
 鶴岡市大山町。そこは東北の小灘とも呼ばれる日本酒の蔵元が建ち並ぶ町です。
 もっとも今となっては蔵元を続けているのは僅かになってしまいました。
 それは香り高くきりりとした味わいの深い酒です。
 ところでこの大山の蔵元は少し変わった経歴を持っています。遡れば豊臣に仕えた有名な大名の縁があるそうです。武家がどのような変遷を経て今のような名のある蔵元になったのでしょうか。もっともそれは語られるべき事ではないのかもしれません。
 白い壁に黒い屋根瓦の建物。それが今日の目的地です。
 店舗から順路にそって奥に進むとまずは井戸があります。飲むとこれが咽喉越しがまろやかで美味しい。この水からどんな美味しい日本酒が生まれるのでしょう。
 米を精米する大きな機械や、米を蒸す大きな釜、仕込み蔵では丹念にかき混ぜる作業を見る事も出来ました。「一麹・二もと・三造り」と言いますが、これらも丹念に手作業で仕上げられていくのです。
 たかが酒、されど酒、貴方の手元にある一杯の酒に一体どれだけの手間暇がかかっているのでしょうか。そう考えてみると不思議なものです。
 貯蔵蔵を通り抜け、瓶詰の作業をしている一角を抜けると元の店舗に戻ってきました。試飲のコーナーで頂いた酒はどれも非常に美味しく、店と自宅にそれぞれかなりの量の酒を送る事にしました。
 旨い酒も、気の合う友人達との語らいの中で飲めばより一層味があがるものでしょう。勿論その時の肴にはこの旅の話をするつもりです。

 蔵元を出る際に店の人から時間があるならぜひ内川に寄ってみたらどうかと言われ、少し余計に歩くつもりで川沿いを歩きました。
 川沿いの遊歩道は石畳が敷き詰められていて、また川沿いにはいくつものレトロなデザインの外灯が並んでいます。
 丁度この場所に着いたのが夕暮れ時でしたから、夕闇に染まり始めた川の様子を眺めながらしばらくベンチに座っていました。
 昔ながらの石橋が夕闇と灯ろうに照らし出されています。その石橋の上を行き来する人々、それはここでは毎日のように繰り返される光景なのでしょう。
「あのぅ。お加減でも悪いんですか?」
 その様子をぼんやりと見ていると、後ろから声がかかりました。
 年若い女性が心配そうに首を傾げていました。着物姿にまとめ髪の姿勢の良い女性です。
「いいえ、橋を眺めていたんですよ」
「ああ、それならよかった。ここから見る橋は綺麗ですものねえ」
 女性は軽く会釈をするとそのまま路地へと消えていきました。
 私も今日の宿へと向かう事にし、名残惜しく最後にもう一度橋を振り返り、川沿いの道から離れたのでした。

 その日私が選んだ宿は、一家が総出でやっているという小さな旅館です。佇まいが少し古びていて、よく手入れのされた庭が小さな灯りに照らし出されていました。
 のんびりとした時間を楽しんでいるとふすまの向うから「お布団どうされます?」と若い女性の声が聞こえました。
「お願いします。……おや、貴方は」
「先程は失礼申し上げました」
 にっこりと笑って頭を下げたのは先ほど橋のたもとで気分が悪くないかと訊ねてくれた娘さんでした。
「へぇ、東京から。今日はどこに行かれたんですか?」
「大山の方まで」
「ああ、蔵元ですか? あそこのお酒は美味しいですものねえ。じゃあ、鶴岡公園にはまだ?」
「ええ」
「もったいないわ。菅家のお庭と天主堂と公園はせっかくここまで足を伸ばしたんなら見ていってくださいな。よかったらご案内しますよ」

 次の日の朝も天気が良い。細細とした心づくしの朝食が部屋に並ぶ、焼き魚や自家製の漬物、佃煮などが並ぶ如何にも和食といったメニューはどれも美味しいものでした。
 食事を済ませ宿を引き払うと出口の所で彼女は待っていた。
「さ、お客さん、案内しますよ」
「ありがとう……、もう宿は引き払ったからお客様じゃありませんよ」
「じゃあ、九尾さん、行きましょう」
 にこにこと彼女が先導してまず案内したのは城跡の公園に程近い旧家老家の屋敷であった。細細と手入れの行き届いた日本庭園は居心地が良いものです。ほころび始めた梅や、大きな老松を見て回っていると何か古い時代に迷い込んだような気分になってきます。
「良いお庭ですね」
「遠州流のお庭ですよ。江戸時代から全然変わらないんですって」
 言われて改めて見ると古くて立派な木が多い。さて、あの松は庭が出来た頃はどんな風だったのだろうかなどと想像を巡らすと、若々しい姿の綺麗な松の姿が浮んでくるような気もするから不思議です。
 もっともそんなタイムスリップも長くは続きません、何せ近くには二つも高校があるのですから、春休みといえども学生達の声が聞こえてくるような気がします。
「そろそろ行きましょうか」
「次はどこがお薦めですか?」
「致道博物館から鶴岡公園の大宝館へ」
 致道博物館は様々な歴史的建築物が立ち並びます。正面の建物は警察庁舎だそうで生憎と中には入れませんでしたが、右手にある古いお屋敷は大名が隠居する時の屋敷だとかです。
「民家ですね」
 奥に茅葺屋根のがカブトをを思わせる形をしている家をしげしげと見上げていると、高い位置に窓があるのに気付く事が出来ます。
「あの窓は?」
「田麦俣は……えぇっと、湯殿山の山麓にある村なんですケド、11月に雪が降って5月までずっと積もるんです。すごい豪雪地帯なんで高い位置に窓を設けているんですよ。だから天井を高くして高窓を作ったりしてるんです。これってもう二百年近く前に建てられたんですよ」
「成程、豪雪地帯なら、低い位置の窓は開けられませんね」
「ええ。中も見る事が出来ますよ。囲炉裏とか当時のままですし」
「しかし詳しいですねぇ」
「実はボランティアの観光案内やってるんです」
「ボランティアで?」
「ええ、どうせならここの良い所たくさん知って帰ってもらいたいですしね」
「ここが好きなんですねえ」
「ええ。自慢の町です」
 明るく笑う彼女は、公園にお城が残っていない事が一番残念な事だという。成程、確かに天守閣はない。城の後は鶴岡公園になっている。
「まあ、御隠殿があるから、プラスマイナス0かな。それにお城がなくならなかったら建たなかった建物もあるんですよ。明治の結構雰囲気のある洋風建築が主ですケドね」
「洋風建築、ですか」
「ええ。明治維新以降に建てられた物がほとんどですから」
 言われてみれば正面にあった警察庁舎もなかなかに洒落た建物で、そこここに細細とした細工が施されています。白いペンキに塗られた板張りの壁や、随所に細工が施されたバルコニーは明らかに洋風で、屋根方はと言えば瓦で鶴の絵の入った飾りなどがあるという和を意識させる造りになっています。しかし、これがまた違和感がなくしっくりときているのが美しい。まあ、御隠殿の静かな佇まいもまた魅力的なのですが。
「公園の向うにある天主堂も綺麗ですよ。あ、御隠殿の中に鶴ヶ岡城のジオラマがあるんです。行きましょう」
 楽しげに言って先を歩き始めたその後を追う形になって、これではどちらが観光しているのか判らないと密かに思いました。ですが、これもまた旅の醍醐味と言うものでしょう。

 彼女に案内されて鶴岡公園や天主堂を見てまわるとあっという間に時間は過ぎ、特急の時刻が迫っていました。駅まで送ってくれるという彼女と連れ立って駅まで行くと、彼女は少し待つようにと言い置いてどこかへと走っていきました。
 ホームで列車を待っていると今日一日で聞きなれた足音が聞こえてきます。
「これ、うちの駅で一番美味しい駅弁なんです。やっぱり旅行と言えば駅弁でしょう?」
「ありがとうございます」
「鶴岡が良い思い出になれば一番です。また遊びにきて下さいね」
「その時はまた泊めてくださいね」
「はい、喜んで。その時はまた案内させてくださいね。ってあの、退屈でした?」
「いいえ」
「よかった! 私ここが好きだから自慢したくてつい色々引っ張ってまわっちゃうんですよね。迷惑じゃないなら本当によかった」
「自分のいる所を自慢したいのはすごく良い事だと思いますよ」
「九尾さんはどうなんですか? 東京好きですか?」
「そうですねぇ」
 少し間を置いて私は答えました。
「好きですよ。綺麗なばかりじゃありませんが、大切な人たちが沢山いますから」
 会釈して別れると早くも心は四時間先の東京にいる面々の顔が浮ぶのでした。
 土産話をどんな風にするかを考えているだけであっという間に帰途は過ぎていってしまう事は間違いないでしょう。

fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年03月26日

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