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『何も残せなくても 』
エリック・レニアートン0238
 その街は、闇の闘争の只中にあった。否、表に居る限りは、おおむね平和なのかもしれない。しかし、今彼が居るのは、その裏‥‥いや、影となるべき世界だった。
「ふぅ‥‥」
 周囲を見回しながら、エリクはそうため息をついた。場所は、日が暮れ始めた頃、再開発を待つ廃ビルの立ち並ぶ通り。
「近道しようとしたのが、不味かったかな‥‥」
 夕食の材料を買い、待ち合わせをしている恋人の待つホテルへ、早く帰りたい。そう思い、普段あまり通らない道を選んだのだが、それが間違いだったらしい。そう呟く彼の周囲には、見るからにガラのよろしくない連中が、数人で固まりながら、ニヤニヤと気分の良くない笑みを浮かべて、こちらに視線を向けていた。
(関らない方がいいか‥‥。余計な騒動起こして、目をつけられたら嫌だし)
 そう思い、エリクは、腕の中のリンゴの入った紙袋を抱え直した。そのまま、足早に歩を進める。だが、周囲のゴロツキ達も、それにあわせてついて来る。
(やれやれ‥‥。あまり綺麗じゃないのとは、戦いたくないんだけど)
 どうやら、完全に目をつけられてしまった様だ。仕方なく、歩みを止める彼。
「よう兄ちゃん。こぎれいな格好してやがるなぁ?」
「その衣装代、俺らにも少し恵んでくれないかなぁ?」
「でないと、痛い目にあわせちゃうぞぉ」
 口々にそんな事を言いながら、待ってましたとばかりに、金をせびるゴロツキ達。しかし、その口ぶりからして、どうやらACでも、エスパーでもない、生身の人間の様だった。
(これなら、黙らせられそうだね‥‥)
 そう思うエリク。彼とて、生身の人間。人、在らざる身に狙われる事も多い立場な為、いつも武器を携帯してはいる。しかし、今回の相手は、それを使わなくても済みそうだった。
「キミ達みたいなのに払うお金はないよ。使っちゃったしね」
「んだとぉ! 大人しくしてりゃあつけやがりやがって!」
 彼がそう言って断ると、そのゴロツキ達の一人が、腕をつかんで来る。エリクの外見が中性的な事に、非力な男だと、たかをくくったのであろう。確かに彼は、ゴロツキ達など足元にも及ばない程、ため息の出る容姿を誇ってはいたが、だからと言って、決して外見通りの技量しか持ち合わせていないわけではなかった。
「離してくれないかなぁ。こっちは、キミ達と遊んでいる程、暇じゃないんだし」
 そう言って、つかまれた腕を振り解いてみせる。と、獣同様の脳ミソしか持ち合わせていないらしい彼らは、それだけで怒り出し、口々に『たたんじまえ』だの『思い知らせてやれ』だのと言いながら、とたんに牙を向く。
「やれやれ。仕方がないね」
 そうため息をつくエリク。どう譲っても、彼らに遅れを取る様な、何の力も持たない人間ではない。ゴロツキが繰り出したパンチが、持っていた林檎を宙に舞わせ、踏みつけて砕けさせた。それを皮切りに、振り下ろされたナイフ。しかし、エリクは優雅にそれを避けると、その腕を捉え、勢い良く反対側へと回す。悲鳴を上げる男を前に、殴りかかる他の男達。その腹に、彼の長く綺麗な足が、回し蹴りを叩き込む。そうやって、持っていた林檎が、地面に散らばる頃、ゴロツキ達もまた、床へと伸びていた。
「あーあ。せっかく美味しいディナーを作ろうと思ったのに‥‥」
 これじゃ、買い直しだよ。とぼやくエリク。残ったのは、見るかげも無くなった買い物袋と、女達の憧憬の視線。だが、彼はそんな視線になぞ応えようともせず、身体の埃を軽く落とすと、人ごみの向こうへと歩き出していた。
「遅くなっちゃったな‥‥」
 やがて、街の中心部から離れた、湖の側へと車を止めるエリク。そこに佇むホテルが、目指す目的地だ。コテージ風で、純白の外壁でまとめられた、こじんまりとしたそのホテルへと、エリクは入っていく。
「買い物をしてたにしては、随分と時間がかかったな。何か、あったか?」
 恋人が、そう言いながら出迎えてくれる。既に、夕食の時間にしては、かなり遅い時間帯だった。
「ちょっと絡まれて。でも、ノして来たから大丈夫」
 その事を詫びながら、彼は事情を説明し、備え付けのミニキッチンへと向かった。バラバラになってしまった材料を再びそろえ直したのだが、やはり全てと言うわけには行かず、ありあわせの物でディナーを作る彼。
「すぐ、ディナーにしますから。待ってて下さいね」
 組織の中では、一応上司に当たる為か、つい口調が敬語になってしまう。
「二人きりだ。そんな風に話さなくてもいい」
「ええ‥‥」
 恋人を前にしていると言うのに、エリクの表情はあまり明るいとは言いがたい。別に自分が悪いわけではなかったが、せっかくの逢瀬は、コレでは台無しである。それが彼には哀しかった。
「そんな表情をするな。せっかくの綺麗な顔だ。冷たい憂いなど似合わない」
 恋人は気にした風でもなく、そう言ってエリクの肩を抱く。そんな優しい態度が、彼の心に重くのしかかっている。
「あ、痛‥‥ッ」
 余計な事を考えていたら、指先を切ってしまったらしい。
「ほらほら、ぼーっとしているから」
 血の流れるそれを、ぺろりとなめとられて、彼の胸がどきりとなってしまう。
「大丈夫。大した事はないから‥‥」
 この程度では、怪我のうちに入らない。医術に長けた彼にとっては、相当の傷を負ったとしても、何とかする事は出来る。
「ならいいが。今のお前は、決して一人の身体じゃないんだからな。あまり無理はするなよ」
「はい‥‥」
 だが、それほどの腕を持ちながらも、彼が足を踏み入れて居るのは、生かそうとする世界ではなく、死と奪い合いが交錯する世界だ。数年前、この組織に入るまでは、考えられなかったと言うのに。
「手がおろそかになってるぞ」
「ダメです‥‥ってば‥‥ッ。大人しく待ってて下さい〜」
 夕食を待つ間、手持ち無沙汰なのか、ちょっとした悪戯を仕掛けてくる恋人に、そう言いながら、エリクは作業を再開する。それでも、やはり気分は晴れない。
(女みたいな顔‥‥か)
 路地裏で、ゴロツキ達に言われた台詞が、脳裏に蘇る。確かに、キッチンに立てかけられた鏡に映る自分の顔は、その辺りの女性には負けないと言う自負はある。けれど、自分の性別が男性である以上、どんなに女性めいていても、本当の女性の様に、その血筋を残す事は出来ない。他人を傷付けて、その血を糧にする様な世界なのに、自らが誰かにその生命の絆を与える事さえ、今の彼には出来はしないから。
「そうだな。なら、早く夕食が出来上がるように、おまじないだ」
「ん‥‥」
 恋人は、いつもキスをくれて、自分を愛してくれる。その愛が、自分一人に向けられているわけではないことも、充分判って居るつもりだけれど、せめて、今こうして居る間だけは、彼を独占していたかった。
「こんな所に踏み込まれたら、なんて言われるか判らないね‥‥」
「大事な逢瀬だ。誰にも邪魔などさせん。安心しろ」
 そう。邪魔などさせない。例え、誰かに殺されるような目にあっても、この人だけは、身を挺しても守ろう。この人のそばに仕えると決めた時から、すでにかの人の腕の中に預けているから。
「おいで」
「はい」
 食事を取った後、恋人に手ずから全身を洗われ、清められながら過ごす時は、至福以外の何者でもない。
(あなたを‥‥愛しています‥‥。だから、ずっと側に‥‥)
 エリクは、その温もりに包まれながら、せいめて自分の生ある限りは、恋人の為に全てを賭そうと、心に誓うのだった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
姫野里美 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2003年03月20日

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