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『真紅の薔薇と記憶を抱え 』
慧蓮・エーリエル0487
●銀座にて
 その日の午後、草間武彦は珍しくスーツに身を固めていた。黒スーツに黒ネクタイ、そして黒革のコート。何となくチョイスした結果がこれである。
 そんな格好でどこに居るのかというと、これまた草間には珍しい場所だ。いや、縁遠いと言い直した方がよいかもしれない。草間が今居る場所は、宝石店であった。しかも銀座の一等地に位置する宝石店。
(参ったな、こりゃ……)
 どことなく落ち着かない様子の草間。しがない貧乏探偵にとって、このような場所は仕事でなければまず足を踏み入れることなどない。
 そう、草間がここに居るのは仕事のためだ。草間に仕事を依頼した張本人がここを訪れているから、草間もそれに付き添って足を踏み入れているだけで。
 そして草間の目が依頼者を捉えた。草間の視線の先、そこに居るのは質のよい黒い絹地にレースやサテンリボンといった衣装に身を包んだ――少女。腰に届く蒼銀の髪は毛先が緩いウェーヴを描いており、足元を黒猫がくるりと輪を描くようにとことこと歩き回っていた。。
 そんな草間の視線に気付いたのだろう。少女――慧蓮・エーリエルはガラスケースから視線を外し、草間の方に振り返った。慧蓮の口元に、くすりと笑みが浮かんだ。
(こう見ると、年相応なんだがな)
 草間はつい数時間前の出来事を思い返していた。

●発端
 話は遡ること数時間前、草間興信所。不意に慧蓮が、黒猫の斗南を抱えて事務所を訪れた。
「おや……ここに顔を見せるなんて珍しいな。何の用だ?」
 読んでいた新聞から顔を上げ、草間が慧蓮に問いかけた。慧蓮は静かにソファへ腰かけると、前置きもなくこう切り出した。
「護衛を頼みにきたの」
「護衛だって?」
 予想外の慧蓮の言葉に、草間は面食らったようだった。
「新しいチョーカーに用いる宝石を、買い付けに行くの。だから草間さんに護衛をお願いしたいの。ね、斗南?」
 膝の上の斗南に話しかける慧蓮。斗南は同意するかのように、顔を上げて短く鳴いた。
「宝石か。だったら護衛も必要、か」
 慧蓮の言葉に納得する草間。内面はともかくとして、外見は大人の庇護下にあって当然な姿。それに加えて扱う物が宝石とくれば、護衛の必要もあるだろう。
「もちろんそれに見合う報酬は用意しているわ」
 そう言って慧蓮が口にした金額は、思わず草間が耳を疑ってしまったほどだった。
 そして話はまた現在に戻る――。

●黒の記憶
 慧蓮はガラスケースの中の宝石たちを、その紅き瞳でじっと検分しながら、傍らに控えていた支配人らしき中年男性に時折何か伝えていた。
 こくこく頷く支配人。そして店員たちに指示を与えると、手袋をはめた店員がガラスケースより数点宝石を取り出して、店の奥へと運んでゆく。
 その後、支配人に連れられ慧蓮と斗南も店の奥へ入ってゆく。宝石の引き渡しと、支払いを済ませるためだ。草間も後に続き、慧蓮の腰かけるソファの背後に立つ。
 慧蓮は小切手に金額とサインを書き込むと、すっと支配人に差し出した。恭しく小切手を受け取る支配人。この様子からして、草間には慧蓮がよくこの宝石店を利用しているのだろうと容易に想像がついた。
(しかし何て金額だ)
 草間の位置から、慧蓮が小切手に書き入れた金額はしっかと見えていた。仕事だから平然とした様子を繕ってはいるが、正直顎が落ちるほどの数字を目の当たりにしていた。
「行きましょう」
 慧蓮は支配人から宝石ケースを受け取ると、振り返ることなく草間を促した。
 慧蓮とともに、宝石店を後にする草間。慧蓮は草間の少し前を歩いている。と――その時、不意に草間は違和感を覚えた。
 見慣れているはずの、慧蓮の衣装。いつもと変わらないと思っていたその黒の姿。それが何故か今日は、吸い込まれそうに深く見える。例えるならそれはまるで喪服のような――。
「ニー」
 草間の足元で、斗南が高い声で鳴いた。その声に、草間は我に返った。
(……疲れてるようだな)
 静かに頭を振る草間。すると、前を歩いていた慧蓮が足を止め、草間の方に振り返っていた。いつもの不可思議な微笑みを向けながら。
 慧蓮は草間の視線に、そして抱いていた違和感に気付いていたのだろうか。慧蓮の小さな口が、ゆっくりとこう動いた。
「今日は特別の日なの」
 そうとだけ伝えると、慧蓮は再び歩き出した。

●真紅の疑念
 買い付けを無事に済ませた慧蓮。これでお役御免かと思っていた草間だったが、そうは問屋が卸さなかった。
 慧蓮はそのままショッピングに出かけてしまったのである。もちろん草間もそれに付き合わされることになる。
 場所は銀座、一流の高級店に事欠くことはない。付き合わされる草間としては、困惑し通しであった。だがそのうちに、草間の心の中にある疑念が浮かんできていた。
 結局夜になるまで、延々とショッピングに付き合わされた草間。付き合わせた慧蓮が最後に立ち寄ったのは、銀座に古くからある花屋だった。
 慧蓮はそこで、真紅の薔薇を購入した。両手一杯に抱えるほどの薔薇の花束を。
「草間さん。悪いけれど、もう少し付き合ってもらえるかしら。そうね……今日が終わるまで」
 慧蓮がそう言うと、草間は何を問うこともなく静かに頷いた。そしてタクシーを拾うと海の見える場所――お台場へと向かった。

●遠き記憶に
「どういうつもりだったんだ」
 お台場から東京湾を眺めながら、草間が慧蓮に言った。慧蓮は真紅の薔薇の花束を抱えたまま、ぎゅっと唇を結んで遠く水平線を見つめていた。
「ただ単に、護衛に付き合わされただけには思えないんだがな。今日の様子を見ていると」
 再び慧蓮に言う草間。そこでようやく、慧蓮の口が開かれた。
「今日は特別の日、そう言ったわね」
「ああ」
「私が覚えている一番古い友人が私を置いて逝ってしまった日」
 慧蓮は何の感情を込めることもなく、静かに言い放った。それに対し草間は、
「そうか」
 と答えただけだった。こちらも、何の感情を加えることもなく。
 沈黙がその場を支配する。数分後、それを破ったのは慧蓮の方だった。
「いつか私にも死が訪れるのかしら」
 慧蓮は遠い目をしてつぶやいた。それはまるで、永遠にも似た記憶を辿るかのように。
「どう思う? 草間さん」
 草間は慧蓮の問いに、なかなか答えようとしなかった。斗南が2人の間に鎮座し、再び沈黙が空間を支配する。
 次第に風が強くなってくる中、時間は砂時計のように確実に流れていた。やがて今日が間もなく終わろうとした時、草間の口が僅かに動いた。
「答えるぞ」
「ええ」
 慧蓮が短くつぶやいた。
「例え肉体が滅んでも、そいつのことを忘れない限り、生き続けている……と俺は思う。この世の誰もがそいつのことを思い出しもしなくなった時、それこそが『本当の死』なんだろう。永遠の別れだ」
「草間さん。あなたはそう答えるのね」
 草間の答えを聞いた慧蓮は、両手一杯の真紅の薔薇の花束を抱え上げた。表情はそれに隠れ見えなかった。
 花束からこぼれかけていた1本の薔薇が、強くなっていた風に吹かれ舞い上がった。薔薇はしばらく空中を舞い続けた後――暗い海の上に舞い降りた。
 薔薇が次第に暗き海の中へ沈んでゆく。慧蓮と草間の姿は、薔薇が完全に海の中へ没してもなお残っていた。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年03月04日

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