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『live by the book 』
本男0589
 神が居るとすれば導きであったのだろうし、悪魔の手に依るというのならば、間違いなく相手が憎まれていたのだろう。
 本男がその小さな街に訪れていたのは、町営のごく小規模の図書館…版を重ねられて内容的に珍しい物ではないが、さる全集の初版本が良好な状態で残されている、という情報を得た為だ。
 古書・奇書・稀覯本を好む輩の横の繋がりは馬鹿にしたものでなく、それこそ世界の向こう側の噂が三日で届くような感すらある。
 話のついでとばかりに、放火魔が横行している事を聞いたような気もしたが、覚えてなくても支障はなかった…その筈が。
 学校の敷地の間という妙な立地に迷って出た図書館の裏手…破棄予定に積まれた新聞の山を前に屈み込む男。
 その手にある火打ち石と藁の束は、国によればこれから楽しい焼き芋かな、という可能性も捨てがたいところであるのだが現在の状況を鑑みる目的の明白な。
 放火、である。
 今まさに、藁に燻る火を新聞紙の山に移そうとした瞬間、じりじりと鈍く赤い部分だけを切り落として壁に突き立ったナイフは狙いを違えず。
 けれど放火犯は投じた相手を確かめようにもそれ以上動けないでいる…何故ならば、顔の真横に鋭い殺意が突き立っている為。
「………そこで何を?」
分かっていながら敢えて問う、風にたなびく銀の髪は今まさに彼自身の手から投じられたナイフの刀身のような輝きを持つ。
「そこで、何を?」
もう一度。
 いつもと代わらぬ微笑み…大概の人間は、口を開くに皮肉に満ちた調子とのギャップに混乱に落とされるものだが、男は振り返る事すら出来ない。
 人は笑んだままで、斯様な怒気を発する事が出来るのかと目撃者が居れば思いもし、因果応報とはいえ、蛇に睨まれた蛙状態に早く逃げろと促してしまいたくなるだろう…幸か不幸か、そんな人間は居はしなかったが。
「聞こえませんでしたか?ならばそんな耳は要りませんね」
その意味する所に、男の精神がついに限界を迎えた。
 わけのわからない叫びに、壁に立ったままの本男のナイフを抜くは、めちゃくちゃに振り回しながら切り掛かって来る。
 けれど、本男は動じる事なく、一撃ずつをすいと軽い動きで避ける。
「その目も不要ですね…そのように濁った目で、本を構成する一文字ずつ、単語に込められた意味の一つずつ、それらが作り出す世界、秘められた真理の欠片すらも見出せはしないでしょう」
息すら乱さずに、後進に避けるにのみに専心していた本男だが、不意に放火魔の懐内に踏み込んで顔を寄せた。
「理解が出来ぬのなら、要りませんね…その、頭も」
そこで初めて、放火犯は己を捉えようとした人間の顔を見た…鋭く凍り付く青の瞳に宿った激しい怒りに視線は射る、を通り越して斬られるような。
 本男は言と共に、放火犯の首をすいと撫でるように視線を滑らせた。
 血も痛みもなく命だけを絶たれるような…氷で作った刃に斬られれば、きっとこんなカンジがするだろう、と思考が判じるより先に、生存本能に支配された身体はその場からこけつまろびつ逃げ出していた。
 だが、それをみすみすと見逃す本男ではない…傲然と顎を上げ、見苦しい走りに自分で思うほど進んでいない放火犯を、示すように突き出す左腕。
「行け」
慣れた口調で命ずる言葉は短く。
 その左腕から衝撃が走った…無形の力は空気を巻き、そして裂き、地を削って現れ出でる、黒狼。
 大地を駆けて獲物を駆る、漆黒の獣に人の足が適う筈もなく。
 放火犯は脹ら脛に食いつかれて、図書館裏口の階段を転げ落ちた。


 自警団を取り纏める男性によると、件の放火犯は月に入ってからも十件以上の犯行を繰り返し、一向に被害が収まる気配がなく、もし本男が阻止しなければ、隣接する施設にも類焼したかも知れない…とそれは丁重な謝意が示されたのだが、
「急いでいるので」
の一言で、騒ぎを聞きつけた人々が拍手を送るのを尻目に、本男はとっとと図書館の中に足を踏み入れる…誰も居ない空間に深々と頭を下げている団長の姿が少し悲しい。
 けれども目的の前に立ちはだかった障害物を避けただけで、本男にしてみれば人命と本を秤に乗せれば本を取る…最も人と本にもよるが。
 騒ぎの為か、司書の姿すらない館内は古い紙の持つ独特の匂い、装丁に使われる革の香りも濃く、それぞれの世界を内包して静かに開かれるのを待つ様子に時を忘れさせる。
 目当ての全集は容易に見つかり、ついでとばかりに五、六冊、よさそうな品を取ると、本男は窓際…けれど陽の当たらない席を陣取った。
 背焼けは本の大敵だからだ。
 複数の人物が手に取る施設の蔵書の為か、多少の汚れがありはするが、大切に扱われて幾度も丁寧な修繕を加えられたそれ…内容に目を通した事があり、その一言一句過たずに想い出せる…けれど。
 本男は頁を開いた。
 本は、内容や装丁だけが重いわけではない。
 それを手にした人々が何を感じ、何を得たか…それを吸収して、独自に息づいていく、そういう生き物だと本男は感じている。
 今は、商品として取り扱うでなくその思いを垣間見る、そんな心持ちで本男はゆっくりと頁を読み進んでいく。
 先とは打って変わった穏やかさ、時の流れを示すのは傍らに増える本と、傾いていく日差しのみ、本男は自分の時間を忘れて、書物の世界に幾度の昼と夜を数えた事か。
 そして、全集の最後の巻を取ろうとしてふと、妙な手触りに現実に戻された。
 手先にふにょりと柔らかくて生暖かい感触に目を上げると、積まれた本の上に丸くとぐろを巻いていた黒猫がちら、と青い目線だけを向けてまた目を閉じ…ると何処が目だか分からなくなる位に見事に黒い。
「失敬、そこを避けてもらえないか」
声をかけるが、黒猫…大きさ的にまだ子猫らしいのだが、らしくないふてぶてしさに頑固に丸いままだ。
 見れば、すっかり傾いた日差しに未読の本が晒されている…その日だまりの温もりを、何処からか入り込んだ黒猫はすっかり気に入ってしまったらしい。
「こちらなら読了しているんだが」
ころんと寝返りをうつ子猫。
「移ってはもらえないか」
隣に並べてみるも、薄目にちらりと見てわざとらしい大欠伸をしてみせるのに、本男は口を引き結ぶと、子猫に向かってゆっくりと手を伸ばし………その喉元を指で擽った。
 ゴロゴロと心地よさげに喉を鳴らす子猫に、本男は外に目をやった。
 大きく取られた窓、採光の点ではいいかも知れないが、本の為にはならないな、と呑気に考えながら、日が暮れて子猫の気が済むのを待つ心積もりで、彼は別の本を探す為に席を立った。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2003年03月03日

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