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『++ 旅立ちの日 ++ 』
ティエラ・マリーニ0594
 大量の本が積み上げられた書庫。
 薄暗いこの部屋には天井に届くかと思われるほどの高さの本棚が、幾つも立ち並んでいた。だがそれにも収めきれなかった本の数々は、結局のところ行き場を失い床に積み上げられている。本棚と積み上げられた本の狭間――人一人がようやく通れそうなそこをすり抜けた先に、大きなテーブルがあった。そしてその上には、今まさに倒壊するのではないか、というような絶妙のバランスを保った本の山。
 苦労してそこまで辿り着いた少女は、ため息まじりに本の山を見上げた。
 肩の上をはらはらと流れる長く伸ばされた赤い髪と、陶磁器を思わせるような見るからに滑らかな白い肌。いつもは穏やかな光を浮かべているであろう青い瞳も、流石に今日ばかりは少しだけ呆れるような色を宿している。
 彼女の名は、ティエラ・マリーニ。
 ティエラはテーブルの上で開いたままになっていた古書を手に取った。ざらりとした埃の感触。おそらくずっとこのまま放置してあったために、本の上に埃が積もってしまったのだろう。
「これが全部、偽物なんて――」
 この書庫にある古書の数々は全て、没落貴族であったティエラの父が残したものである。亡くなった父は財産のほとんどを古書の収集に費やしただけでなく、多額の借金を重ねてまで自分のコレクションを充実させようとしたのである。そしてティエラに残されたのは、古ぼけた屋敷とこれら古書の数々――その古書も、正式に鑑定してもらったところ、そのほとんどが偽物であったし、ごくごく稀に本物が紛れてはいたが、金額に換算すれば微々たるもので借金を完済するには程遠い。
 ティエラはぱんぱん、と本の上に積もった埃を払うと、空いた本棚に納める。彼女は父の遺品を整理していたのだ。
 馬鹿なんだから――そんな言葉を、ティエラは飲み込んだ。
 父は古書収集に情熱を傾けた挙句に、多額の借金を残した。それでもそんな父のことを、ティエラは愛していたのだ。
「でも、人を騙すよりも騙されたっていうほうが父さんらしいものね――」
 もっとも、ティエラの父に人を騙すことなどできはしなかったに違いないが。
 古ぼけた屋敷と、価値がないと判断された古書の数々。
 父の遺品である古書の整理には、かなりの時間を要するのではないかと思われた。少し休憩でもしよう――そう思いながらティエラは窓を開いた。
 吹き込んでくる涼やかな風とともに、新鮮な空気がティエラの頬を撫でていく。気持ちよさそうに目を閉じていたティエラがふと瞼を開いたその時、彼女は不意に思い出した。自分に残されたもう一つのものを。
 父の残したものは、幾つかあった。
 一つは莫大な借金。もう一つは古ぼけた――けれどティエラが慣れ親しんだこの屋敷。
 そしてもう一つは、もはやティエラにとっては大した意味を持たない――爵位という彼女にはほとんど意味のない代物であった。
 けれど、ティエラ以外の――一部の人々にとっては、喉から手が出るほどに欲しいものなのだろう。
 父が残した借金は、ティエラが必死で働いたところで完済できるような金額ではなかった。
 ティエラが、父が多額の借金を抱えていたと――それを知ったのは父の死後に、借金を取り立てにきた男たちの存在によってだった。父が収集した古書に価値がないことを知ると、彼らは勝手に屋敷に立ち入り何か金目のものはないかと探し回るようになったが、結局何一つとして見つけられないままに現在に至る。
 借金を返そうにも手段が見つからない――途方にくれていたティエラに、借金取りの男はとある不可思議な提案をした。それも不思議なことに、粗暴な振る舞いをしていた彼らが、その日を境に彼女に対してとても丁寧な応対をするようになったのもまた、ティエラには理解し難かった。
 男は言った。とある男性を紹介します、と。


「私どもの知り合いで、とある資産家の方がいらっしゃいます。その方と結婚して頂きたい――この条件を飲んでもらえるのでしたら、借金はなかったことに致しますが如何ですか? 悪い条件ではないでしょう?」


 今、ティエラの視界に映る男たちの一人は、あの時ティエラに資産家との結婚を切り出した男に間違いはなかった。おそらく彼らはティエラが逃げ出してしまわないようにと、ああして屋敷を見張っているのだろう。
 窓から差し込む光は、夕日の色を帯びた朱色。
「お嬢様――?」
 呼び声に、ティエラが顔を上げた。書庫の入り口のドアから、こちらを覗きこむような形で身を乗り出しているのメイドの少女。数年前から屋敷で働き始めた彼女は、ティエラにとって友人であり、姉のような存在でもあった。
 開いたままだった窓を、音を立てながら閉める。そして思った。


 ねえティエラ。自分の心に嘘をつくことはできる?


 自分自身に対する問い。その答えは、驚くほど簡単に出てしまった。自分に嘘をつくことなど出来はしない。借金取りの男が紹介した男はティエラを愛しているのではなく、彼女の持つ爵位が欲しいだけであることは明白なのだから。
 まるで、自分に言い聞かせるようにして無言で首を横に振った。少女はそんなティエラの様子に、ゆっくりと頷くと一冊の本と、小さな宝石箱を手渡す。
 その本は、ティエラが今まで読んできたロマンス小説の中でも、一番のお気に入りのもの。
 そして宝石箱の中には、母の形見でもある宝石が入っている。ティエラは宝石をぎゅっと握り締めた。
「行かれるのですね?」
 問いかける少女は、少しだけ寂しげに――けれど笑みを浮かべている。
「――ごめんね」
 何に対する詫びなのだろう? けれど言葉だけが口をついて出た。少女はティエラの言葉に首を横に振ってみせる。
「謝ることはありませんわ。お嬢様が思いのままに生きること――それがこの屋敷に勤めるものたちの望みでもあるのですから。あんな男の花嫁になることなど、屋敷の誰一人として望んではおりません。どうぞ、ご自分の道を進んで下さい」
 少女は両手を上げて、自分の首の後ろにそれを回す。僅かな音とともに彼女が纏っていたメイド服がゆっくりと床の上に落ちた。
「お急ぎください。あの男は焦っておりますわ――何かおっしゃいましたね、焦らせるようなことを?」
 くすりと微笑んだ少女に、ティエラも笑みを返す。


『全てを捨てても、私を愛しその思いを貫くことができますか? あなたが欲している爵位は、私と結婚すれば確かにあなたの物になるでしょう。けれど、私が欲しているものは私のものにはならない。いくらお金があっても、お金ではどうにもならないことは確かにあるのだと私は学びました。できることならば、いつかあなたがそれに気づいてくれればとは思います。けれど、誰も人に何かを強制することなんて、本当は出来はしないのかもしれませんね。私が、そうだったように――』


 そう告げたとき、男はしばし驚いたような顔をしていたのをティエラは覚えている。
 お金で人の思いを動かすことはできない。いつかあの男も気づく日が来るのだろうか?
「これ、借りてもいい?」
 メイドが脱いだ服を優しい手つきで拾い上げる。無論少女はそのつもりで脱いだのだろう、大きく頷いた。
「私は今日はお嬢様の服を着て、お嬢様の屋敷で休みます。夜明けまでは時間が稼げるでしょう――お元気で」
 手早くメイド服を身に纏ったティエラは、窓を開ける。窓枠に足をかけると、慣れ親しんだ――姉のように慕っていたメイドのほうを振り返った。
「いろいろ、ありがとう。私、冒険者になろうと思うの。旅をしたらきっといろいろな街に行くことがあるわ。だから、その度に必ず手紙を書くから――絶対に」
「皆、お嬢様の便りを楽しみにお待ちしておりますわ。どうぞお気をつけて――」
 旅に出よう。そして冒険者になろう。
 窓枠を乗り越えて、屋敷の周囲の植え込むをすり抜けてティエラは走り出す。
 振り返ると自分が慣れ親しみ、育ってきた屋敷。父に怒られるたびに隠れたクローゼットも、大好きだった暖炉の側のお気に入りの椅子。それらは今も屋敷の中にあるだろう。
 穏やかな空気に守られていた自分は、もういない。
 ティエラは頭の中に、しっかりと屋敷の姿を刻み込もうと振り返った。
 そして、自分が進むべき道に再び視線を戻し、首を傾げる。
「……でも、冒険者ってどうしたらなれるのかしら……」
 首をかしげ、一人考えた末にティエラはぽんと手を叩く。とりあえず自分に似合うようなセクシーなローブを買おう。杖も必要かもしれない。
 ティエラは目の前に遠く続く道を歩き出す。
 これから先、自分はどれだけの人に出会うだろう?
 これから先、自分はどれだけの人との別れを経験するのだろう?
 初めてあのクローゼットの中に隠れた時――抑えがたい好奇心と、未知の領域に踏み出すささやかな恐怖があったことを覚えている。けれど、未来はきっと輝いているに違いないのだ。ささやかな恐怖などによって、この好奇心を抑えることなど出来はしない。
 持ち出したものは結局、母の形見の宝石と大好きな小説。けれどティエラの足取りは軽い。


「だって、いつか私にも私だけの王子様が現れるんだから――」


 ぎゅっと本を握り締めてそう呟くと、ティエラは歩き出した。
 彼女の――未来へと続くであろう道を。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
久我忍 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2003年02月24日

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