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『汚れた子猫と大切な場所 』
草壁・さくら0134

「ごめんください」

 新宿駅のほど近く、入り組んだ路地裏の古ビルにある『草間興信所』。
 所長の意志に反して、なぜか奇妙珍妙な依頼ばかりが舞い込む事務所に、和服姿の美女が訪れた。
 外はあいにくの雨で、美女は古風な和傘を片手にしている。
「こんにちは、草壁さん」
 彼女を出迎えたのは主ではなく、その義妹の草間零だった。
 いつも通りの笑顔を浮かべて――そういう風に造られているためだ――零は草壁さくらの傘を預かると、そっと傘立てに立てた。
「こんにちは。お久しぶりですね、零様」
 さくらも微笑んで応える。
 その瞬間、
 
「ニャア……」

 可愛らしい鳴き声が零の足下から聞こえてきて、さくらはそちらに目をやった。
 そして思わず相好を崩す。
「まぁ……」
 そこには、薄汚れてやせ細った、しかし可愛らしい面影を残した白い子猫が、ポツリと座っていた。
 さくらは両の手をそっと口元にあて、零に問う。
「この猫ちゃん、一体どうなさったんですか?」
 さくらの記憶によれば、草間興信所では猫など飼ってはいないはずだった。
「さっき買い物に行ったときに、偶然見つけたんです。どうしても放っておけなくて……」
 しゃがんで子猫の頭を愛おしげに撫でる零に、さくらも深く頷いてみせる。
 こんな雨の日に捨て猫を見つけてしまったら、さくらだって絶対に連れて帰ってしまうだろうから。
「捨て猫でしょうか?それとも迷い猫……?」
「もしかしたら迷子かもしれないです。首輪が付いてるから」
 零の言うとおり、よく見ればすっかり古くなった赤い首輪が付いている。
「ねぇ、零様。この子、一旦洗ってあげたらどうでしょうか」
 さくらが提案すると、少女はコクリと頷き、洗面所の方へと消えていった。
 その間にさくらは興信所の入り口から、応接室の方に移動する。
 主の姿は、彼がいつも使っているデスクの上に山積みにされた書類のせいで、見えなかった。 
「今日は忙しいらしくて……」
 洗面器にお湯を入れ、ボディーソープとタオルを抱えた零が戻ってくる。
「繁盛なさっているのは、とても良いことですわ」
「違うんです。カクテイシンコクの準備だって言っていました」
 微笑するさくらに、零はふるふると首を振ってみせた。
「でしたら今日は、うちの店主から預かった物を持ってきただけですから、すぐに失礼いたしますね。どうぞお構いなく」
 クスクスと小さく笑うさくらの足下には、子猫がぴたりと身体を擦り寄せている。
 さっそく子猫を綺麗にしようとするが、一体どこにそんな力が残っていたのかというくらいの勢いで、子猫は抵抗を始めた。
「……痛っ」
 捕まえようとした零が、手をひっかかれて小さく悲鳴をあげる。
「大丈夫ですか?」
 眉根を寄せて、さくらは零の手をとった。傷はほんの小さな物で、出血もほとんどない。消毒すれば大丈夫だろう。
「先に食べ物やミルクをあげて、落ち着かせたほうが良いかもしれないですね」
「そう、ですね。たしか冷蔵庫に……」
 零は頷き、今度はキッチンへ消えていった。

 さくらのアイディアは功を奏した。
 目論見通り、お腹いっぱいになった子猫はぐっすりと眠ってしまい、無防備に彼女らの足下で丸まっている。
 そっと首輪を外すと、裏に名前が書いてあった。
「『山本マル』……マルちゃんというみたいですね」 
 さくらが読み上げると、零は小首を傾げる。
「山本なんて何処にでもある名前ですね。お家に帰してあげるのは、難しいでしょうか」
「そう、ですね……でも、零様は帰してあげたいと思っているのでしょう?」  
 優しく問いかけるさくらに、零はコクリとかたく頷く。
 ああ、これはもしかしたら……と、さくらは思い出した。
 かつては、中ノ鳥島という孤島に、たったひとりで置き去りにされていた零のことだ。
 自分の境遇と、この子猫を重ね合わせているのかもしれない。
「では零様、まずはマルちゃんを見つけた辺りに行ってみませんか?もしかしたら飼い主の方も、今頃探しているかもしれませんから」
 そう提案すると、驚いたように零は瞳を瞬かせた。
 だが、やがてそれは喜びに変わる。
「……はい。ありがとうございます、草壁さん」
「いいえ。困ったときは、助け合わなくてはいけませんものね」
 笑顔で頷く零は、そっと子猫を抱き上げた。
 そしてふたりは、確定申告書類と戦う草間を残し、興信所を後にする。

 まだ降り続く雨の中、さくらと零は並んで歩いた。
 興信所からいちばん近いスーパーへ行く道の途中、ちょうどビルの谷間になっている辺りで零は足を止めた。
「ここです」
「近くに、人が住んでいそうな家はありませんよね……」
 もしかしたら迷い猫ではなくて捨て猫だったのかも、と不安になるさくらに、零がいぶかしげな視線を向ける。
 零を元気づけるように微笑むと、さくらはゆっくり踵を返した。
「もう少し歩いてみましょう。なにか手がかりが見つかるかもしれません」
 ――と、零の腕の中で目をさました子猫が、ニャアと一声鳴いて、元気良く飛び降りる。
 あっという間に子猫の姿は角を曲がって消え、ふたりは慌ててそれを追った。
 だが、すぐにさくらは安堵の表情を浮かべる。
「ここが、マルちゃんのお家みたいですね」
「『山本ビル』……」
 ふたりの目の前に現れた小さなビルには、そのような看板がかかっていた。
「よかった、捨てられたんじゃなくて……」
 ほとんど無意識のうちに口をついたのであろう。微笑む零に、さくらもまた慈愛に満ちた優しい視線を送った。
「さあ、帰りましょう。草間様が、零様の帰りを待っていますよ」

 一度、零とともに興信所へと戻ったさくらは、そのあとすぐに我が家へ帰ってきた。
 家に戻れば、骨董品の手入れをしている主が、お帰りと声をかけてくれる。
 いつもの風景だが、今日はどうしてかそれが無性に嬉しくて――クスクスと笑みをこぼすさくらに、主はけげんそうに首を傾げてみせた。
「ふふ……帰る場所があるというのは、本当に幸せなことですね……」
 ますます解らない、と首をひねる主を、さくらは穏やかに見つめていた。
 いつまでも、いつまでも――。  
PCシチュエーションノベル(シングル) -
多摩仙太 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年02月19日

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