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『 Divine One ――【1】 』
深沢・美香6855)&(登場しない)


 青い色の間接照明に浸されて、薄暗い室内にクラブミュージックの重低音が響いている。
 ボーズのスピーカーから若い男の声が流れ出て、リズムに乗せて威勢良く美香の名を叫んだ。
 スーツに身を包んだ年若い男たちもマイクを持った男の後ろに並び立ち、声を合わせてドンペリコールを叫ぶ。
 美香は彼らの賛美のセリフを聞きながら、ソファの真ん中で肩を小さく竦めていた。
 祭りの掛け声かと言わんばかりのノリと勢いに怖じ気づいたわけではない。
 多くの人が集う宴なら幼い頃に見慣れていた。だから、単純な意味では視線を浴びることを苦手としているわけでもない。
 ただ、この場の雰囲気についていけないのだ。
 両脇に座っている同僚の女たちは、甘いマスクの男たちの身体を張ったパフォーマンスに大はしゃぎで歓声を上げているが、美香には今ひとつピンと来ない。だから楽しいとも思えない。
 コールが終わった後、そろいもそろって某芸能人にそっくりの髪型をした男たちが次々に美香のグラスに酒を注いでいったが、ドンペリを飲んでもなお感じる違和感に、美香は酔うこともできないまま、同僚たちを残して店を出た。



 冬間近の夜風は冷たく、耳元が切られるように痛む。
 店を出てしばらくすると、ついさっきまで素面すぎるほど素面だった分のツケなのかもしれない。とたんに酔いが回ってきた。
 視界に映っているアスファルトがぐんにゃり歪むような、足許が分厚い絨毯の上を歩いているような感覚を覚える。酒に弱い方ではないが、なんだかんだでけっこう飲んでいたらしい。店にいた間中、自分からは喋らなかった分、酒を飲んでいたんだな、と今更のように思い出した。
 なぜホストクラブなんかに行くことになったのか。それには理由があった。
 同僚たちに言われたのだ。
「美紀ってさぁ、いつも思うけど、付き合い悪いよね。たまには一緒に飲みにいかない?」
 とりたてて苦手としている女たちでもなかっただけに、「今夜ぐらいはいいかな」と思った。それで彼女たちの行きつけだという店に一緒に行くことにした。
 行ってみて、酷く後悔したわけではない。だが、彼女たちと自分は違う人種なのだということは、思い知らされた。
 クラブでホストにもてなされるということは、金を払って、束の間、主人の側になる時間を得るということだ。いつもは金を貰って奴隷をやっているから、その逆で傷を埋めようとする。そう考えれば、彼女たちがホスト遊びにのめりこむ理由として、至極納得がいく。
 けれど、と美香は思う。
(何も変わらないじゃない。)
 夢の時間を買っているだけで、現実は何も変わらない。
 夢の時間と現実の時間が交互に繰り返し、繰り返して、その後に、いったい何が待っているというのだろう。
(でも、どうして変わらなきゃいけないの?)
 心の片隅で、もう一人の美香が呟いた。
(生きてるってそういうことじゃないのかな。苦しいけど辛いけど、今生きているためにはやらなくちゃならないことをやって、でも、そればっかりだったらしんどいからちょっと夢の時間に逃げて、またやらなくちゃならないことをやる。それの何がいけないというの? どこが不健全だというの? どうして変わらなきゃいけないというの)
 きっと酔っているのだ、と美香は思った。
 頭の中を行ったり来たりする疑問には、答えはとうてい出そうにない。
 脇を通り抜けていった車の風にストールがほどけた。
 片方の端だけが中途半端に背へと落ちたそれを首元に巻き直して、路地を曲がった。
 シャッターの降りたデパートの建物の裏手に出た。
 歓楽街からだいぶ離れているとはいえ、駅周辺への近道になっているために、普段のこの時間ならば人通りもまったくないわけではない。
 だが、今夜の路地裏は少し様子が違った。
 美香のほかに道を行く人の姿はなく、したがって擦れ違う人の話し声もない。いやに静かに感じた。
 駅へと続く一直線の道。
 路地もなく、それだけに横合いから突然人が出てくるということも無さそうだが、逆に言えば逃げ道もそうないということだ。
 自然と足が速まる美香の向かう先、無機質な暗闇がわだかまっている路地脇のあたりに、ごく小さな灯りが見えた。
 蝋燭の灯りなのか、黄色っぽいともし火がふらふらと揺れているように見える。
 怪訝に思いながらも足は止めずにいると、だんだんとともし火の周囲が見えてきた。
 それははたして蝋燭の灯りで、布を掛けた小さな机の上でコップのようなガラスの覆いを被せられていた。机の向こうには背を丸めた人影が椅子に座っていて、厚ぼったいコートの前を合わせてしきりに手を擦り合わせている。
 机にごちゃごちゃと置いてあるものが見えた。
 それらは露天商のアクセサリーの類ではなかった。頁が開かれたまま文鎮で留めてある本のようなものがいくつかと、虫眼鏡と筆置き、そして「相談内容に関わらず 二十分 三千円」と筆文字で書かれた張り紙。
 どうやら占い師らしい。
 ふっと肩から力が抜けた。占い師ならばよく見かける。仕事熱心なのか、客の入りが悪くて粘っているだけなのか、いずれにせよ、このような夜の遅い時間まで風の当たらない場所で机ひとつ分の店を開いている占い師の姿は、これまでにも何度となく見たことがあった。
 そんな美香の視線に気付いたのか、足元までのダウンコートにすっぽりくるまって、まるで寝袋に入っているように見えた占い師がふと顔を上げた。
「やってくかい?」
 髪の短い皺深い顔も、しわがれた低め声も、男のものなのか女のものなのかよくわからない。年を取っているらしいということだけはわかる。
「3000円?」
 美香が聞くと、占い師は語調も強く張り紙のおもてを指で叩いてみせた。
「3000円。相談内容一切関係なし。やってくかい」
 占っていけ、とばかりの言い方に、客がなくてよほど自分をつかまえたいんだなと思ったが、何となく今夜は占ってみてもらいたい気がする。
「お願いします」
「じゃ、そこ。座って」
 丸い木の椅子を指さして、占い師が顎をしゃくった。
 言われたとおりに腰を下ろすと、木の椅子は脚の長さが違うのかそれとも置いてある位置が悪いのかガタガタと揺れる。
 落ち着かないので椅子の位置を直そうとしていると、咳払いが聞こえた。
「3000円」
 見ると、占い師が枯れ木のような手を差し出して手のひらをヒラヒラさせている。
「……先払いなんですか?」
「ウチは先払いなの。相談内容一切関係なし」
 よほど「相談内容一切関係なし」が売りと見える。
 占ってもらおうとか思ったのは失敗だったかな、と内心で呟いて、しぶしぶ財布から札を抜いて渡した。何も3000円を払うことが惜しいわけでもなかったが、占い師の無愛想な態度は少し気に食わない。
「手、出して。両手。ちゃんとしっかり開いて。……あんた、手相見てもらうのははじめて?」
「あ、いえ」
 占い師におきまりのセリフを聞いて、美香は首を振った。
「そう」
 はじめてではない。今までだって、何度となく占い師には見てもらったことがある。
 知り合いと遊び半分で見てもらったこともあったし、必死な、縋る思いで見てもらったこともあった。けれど、どちらにしても、占ってもらおうかなと思う時には多少の共通点があった気がする。
「ははあ」
 虫眼鏡をかざして美香の手のひらをためつすがめつしていた占い師が、低く唸った。
「あんた、なかなか波乱に満ちた感じの人だけど」
 美香の手のひらの皺を芯を引っ込めたボールペンの先で、なぞるようにたどっていく。
「あんた、頑固だね。素直じゃないね」
 ボールペンの先が手のひらを軽くつつく。
「で、頭がそんなに硬いくせに、相当ヤワかったりユルかったりしないとできないことやってんだね。ストレス溜めてんでしょ。どうなの」
 たたみかけるような口調に、美香は思わずうなずいた。
「え、ええ。まあ……」
「外見はおっとりした気の弱い兎みたいに見えるけど。あんた、いざとなったら向こうッ気が強いんだよ。自分でわかってるかどうかしらんけど」
 なるほど、と思った。同僚からは物静かな人間と見られているんだろうなと、彼女たちの自分を見る目からも感じる。だが、時折、爆発的な感情に駆られて、玉砕覚悟で体当たりする気性が自分にはあるのも知っている。そうでなければ、今、私はこの街にいない。
「頑固で、そのくせ情に流されやすくて、なのに変なところで慎重だ。だから、そのせいで次に進めない。……まあ、慎重になる気持ちはわからんでもないけどさ」
 そう言って占い師は、コートの中を探り、
「あんたにこれ、貸してやるよ」
 開いたままの美香の手のひらの上に丸くて小さいものを置いた。
「方位磁針?」
 体温がうつったのか、少し生暖かいそれを見つめて美香は呟いた。
「そう。特別だよ」
「特別って……」
「ああ、レンタル料はタダ。あんた、タダだよ? 凄いよ? なんせこれっきりしかないからね。あとは私がいるだけ。だから、ホントこれっきり」
 占い師の言ったことは美香にはよくわからなかったが、「これっきり」と強調されたそれは、方位を表す文字盤の上に赤と黒で塗られた針が据えられていて、その上にガラス製らしい蓋が嵌めこまれていた。思ったより重厚な作りだ。そして何より不可解なのは、その針がくるくると回り続けていることだ。震えているというのとは違う。一瞬も止まることなく回転しているのだ。
「あの、これ……?」
「ウン。見りゃわかるだろうけど、ソイツはちょっと普通の方位磁針とは違ってね」
 占い師が机の上の道具を片付けはじめながら言う。
「ま、簡単に言えば狂ってるんだよ」
「……はぁ」
 思わず気の抜けた返事をしてしまった。
 もっとたいそうなものかと思って見ていれば、狂った方位磁針とは。
 そんなことは、言葉通り、見ればわかることだ。
「けどね」
 占い師は机を覆っていた布や本を仕舞いこんだ道具入れらしい大きな鞄の蓋を、ばったんと閉める。
「私ゃ、人生の方針なんてモンは、そんなもんだと思ってるよ」
「は?」
 意味を捉えかねて首を傾げていると、占い師は自分が座っていたパイプ椅子を畳みだした。美香にも椅子から腰を上げさせてさっさと折りたたんでいく。
「こうして占いなんてやってると、恋人と喧嘩中なんだけどこのあとどうなると思うか、だの、どこの大学を受験したらいいですかだの、次の仕事で成功すると思うかだのってね、お客さんは聞いてくるわけよ。これからどうしたらいいですか、って」
 机の脚を何度か曲げて平たい形にすると、鞄へと二脚のパイプ椅子もあわせて器用に括りつける。慣れた手つきだった。
「そりゃあ、お客さんにとっては占いってのはそういうモンだからね。当然っちゃ当然で、私らもそれでオマンマ食ってるわけでさ」
 片付けをそこまでやり終えると、占い師は一度、ううん、と唸って腰を伸ばした。
「けど、その実、良い未来やら悪い未来やらってのはあるようでないようなもんだ。なんでって、良いとか悪いとかいうのは人間の主観、しかも個々人の主観だからね。私に言わせりゃ未来ってのは、その方位磁針みたいなもんだ。人は、それが止まって見えたときに、ともかくも自分の未来を決める」
 相当重そうに見える道具鞄の取っ手を掴んでよいしょとばかりに持ち上げて、それから美香を見た。
「だからあんたもさ。それが止まって見えたらその時は、あんたの未来を決めるといい。……煮詰まってるんだろ?」
 そして片手をひらひらと振り、
「じゃ、ウチはこれで店じまいだから。気ィつけて帰んなさいよ」
「あ、はい。ありがとう、ございました……」
 美香が頭を上げ終わらないうちに、占い師は背を向け歩き出していた。
 なんだかよくわからない。占い師の言葉も、この方位磁針も。
 だがそこにそのまま立ち尽くしているわけにもいかず、第一いくら早くクラブを出て来たとは言え、終電も迫っていた。慌てて占い師とは反対方向の駅方面へと歩き出した美香だったが、どうにも手の中にあるものが気になった。
 占い師がくれた方位磁針。見ると、美香の手の中であいかわらず針をくるくると音もなく回している。針が止まりそうになど見えない勢いだ。けれど、あの占い師は何と言っただろう。未来というのはこの狂った方位磁針のようなもので、人はそれが止まって見えたときに自分の未来を決める、とか言っていた。でも、止まって見えた時に? 止まった時に、ではなく?
 それに、だ。
 たしか占い師はこれを「貸す」と言った。たしか、「あげる」ではなかった。ということは、返さなければならないということだろうか。ならばうっかり無くしてはいけないし、いずれ返しに来なければならないということだ。あの占い師はいつもここにいるということだろうか。何曜日の何時頃からどれくらいいるのだろう。
 どうにもキツネにつままれたような気持ちが拭えなかった。聞きたいこともある。しかも、大切なことだ。大切なことを聞きそびれた。でも今なら追いかければ間に合うはず。
 しかし、駅とは反対の方向へと歩いて行ったはずの占い師の姿は、どこへ行ったのか見当たらなかった。しばらくは横に入る路地もない一直線の道だったはずだのに。
 手の中に感じる方位磁針の硬い感触だけが、「彼」か「彼女」か結局わからなかったあの占い師との時間が、本当にあったことだと物語っていた。
 妙なことを言う占い師だったが、少なくとも自分のことについてはハズレの占い師ではなかった。ということは、この一見役にも立たなさそうな方位磁針も、もしかしたら、私の未来を決めてくれるのだろうか。
 どこか違う世界とすれ違ってしまったような不思議な感覚につつまれたまま、美香はふたたび歩き出した。
 急がなければ。
 終電が出るまで、あと10分と少し。





<続く>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
工藤彼方 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年11月09日

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