▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『【魔性 〜 world's end 】 』
海原・みなも1252)&(登場しない)





 空へ、空へ昇ってく。
 星明かりの乏しい空へ。月光ばかりが異様に輝く、夜の空へ。
 滑るように昇ってく。
 まるで闇色の硝子でできた階段を、一段一段、跳ねてくみたいに上昇する。
 腰まで伸びた、漆黒の髪が波打つ。夜闇をつまみ、引き裂いて作ったドレスが閃いている。月光に。
 光の粒は銀色に輝いている。
 透きとおるほど白い膚が、その額が、前髪を押し分けて光を浴びる。銀色に、いや、プラチナが輝くように光っている。
 眉は繊細でありながら力強く、双眸は脅えながらも嘲っている。
 まつ毛は長く豊かで整っており、まぶたの微妙な動かし方で、様々な表情を作りだす。
 すっと伸びた鼻はいやらしく風を嗅ぎわけ、頬はいつも笑みをたたえている。
 唇は鮮血のような色をして、舌先に愛撫されるがままに濡れている。
 首が、肩が、背中が白く輝いている。
 胸元が大きく開いたワンピースは、背中も腰まで開いている。背骨のくぼみや肩甲骨の膨らみが、さらさらとした膚を歪ます。
 くるぶしまであるワンピースは、左の太もも深くまで鋭いスリットが入っており、その脚線美をまざまざと見せつける――いったい誰に?
 ただ、夜に。その月に。伸ばした手の、その手のひらに乗る都会(まち)に。
 首をめぐらし、都会の明かりをぼんやり眺める。
 眠たげに、気だるげに、まぶたを半分だけ閉じる。悪戯めいた双眸を縁取っている、豊かなまつ毛は重なって、その瞳の奥は月にも見えない。
 見えないけれど、みなもは感じる。
 その目の奥で、いったい何を感じているかを。




 ずっとここで、あたしを見ていた。感じていた。
 血の中で。
 いいえ。
 血の裏側で。
 あたしはいま、混沌の中にいる。
 さまざまな感情が入り交じり、混在しているだけの場所。
 すべての気持ちがここにある。感情の吹きだまり。
 ここから気持ちが飛び立って、あたしの心に入り込む。

 気持ちとは、吹き込まれるものだから。
 心が感じる感情は、見知らぬ誰かに押しつけられるものだから。
 血の裏側から血の中に、吹き込まれてくるものだから。
 あたしには、どうすることもできないから。
 泣きたくなくても、涙は出るし。
 嬉しくなれば、笑みはこぼれる。
 大丈夫だと思い込んでも、急に不安になってしまう。
 親しくなかった友人に、不意に安堵を感じてしまう。
 それもこれも、あたしの意志とは無関係に、感情が心に入り込んでくるからだ。

 あたしは驚き、
 心をゆさぶり、
        恍惚として、
        心を浸らせ、
              無為に緩慢に時を過ごす――  
              心がなにも感じなくなる――


 すべては、吹き込まれる気持ち次第。
 ほんとうに、あたしにはどうすることもできないの?
 自分の気持ちを、自分で選ぶことはできないの?
 この感情の泉から、好きな気持ちばかりを選んで、感じることはできないの?
 ねえ。
 あたしはここから出られないの?
 あの子がずっと、ここから出てこられなかったのと同じように。いいえ。
 あの子をずっと、ここに閉じ込めていたのは、あたし。
 あたしの魔性が表に出ないように――
 それはあたしの性格のせい。感じ方のせい。
 その場、その時に受ける刺激。
 それをどう感じるかは、あたし次第。
 いつの間にか築きあげてた、あたしの感じ方次第。

 穏やかだと、よく言われる。
 他の人が怒るような時だって、心配したり、驚いたりしてばっかりだった。
 おっちょこちょいで失敗することが多くても、ちょっとへこめば、すぐに次を頑張れる。
 めげずに健気に立ち上がれる、へこたれない前向きな気持ち。
 そういう性格であることが、そういう気持ちを引っ張ってくる。
 人を傷つけたいとは思わないし、困らせたりもしたくない。気持ちを煽るだけ煽っておいて絶望させたりしたくないし。切望していたものを目の前で壊したり、掠め取ったり、これは偽物だと言ってのけたりしたくない。生きる希望を奪いたくない。
 あたしは、あの子とは根本的に違うんだ。
 根本的に違うから、あたしはここから呼ばれない。身体の中に、血の中に戻れない。
 根本的に違うけど、他の気持ちは普通に感じる。
 恐れ、寂しさ、好奇心。
 血流の裏に潜む、七色に輝く混沌。そこから気持ちが飛び立っていく。
 憧れ、悔しさ、愛おしむ気持ち。
 輝く色のすぐ隣で、光を失い暗く淀んだ色が流れる。沈んでいく。
 嫉み、渇望、引き裂きたい衝動。
 ぶち壊したい。粉々に砕きたい。
 脳天をかち割って、アスファルトに広がっていく血の海を見てみたい。
 その血の中に、どんな気持ちが潜んでいるか、確かめたい。
 同族がいるかどうかを確かめたい。
 出会いたい。
 ヒトの心に潜む魔性に。

   あたしは、肉体のない存在でありながら、打ち震えるのを感じていた。
       揺さぶられる。
              引き寄せられる。
                      押し戻される。



 きらびやかな都会の明かりを眼下に見下ろす。
 右手で左の肩を抱き、凍えるような動きをするが、寒くはない。
 感じているのだ。
 月の気配を。

   あたしは気づいた。
   満月の強烈な力に翻弄されてる。
   気持ちが、感情の泉が大きく揺さぶられている。
   泉からこぼれた気持ちが、血に入り込む。
   いつもとは違う気持ちが、いつもより激しい気持ちが、心を動かす。

    やめて!

   そう叫んだが、遅かった。
   あたしは、その企みに気がついたのに。


 細い指先で風を撫でた。
 夜に触れた。
 そして闇を爪弾(つまび)いた。
 弾(はじ)かれるのは、夜の情緒。
 月によって励起した、その雰囲気を震わせた。
 人の心を惑わす気配を、そっと奏でた。


   悪魔め。


   人や、場や、物は雰囲気を持っている。
   心を動かす、という意味では、情緒という語彙が当てはまるだろう。
   ひなびた温泉街には情緒がある。
   そこを歩くと、なんだか懐かしいような、寂しいような気持ちになる。
   目の前にいる人や、場の雰囲気に呑まれてしまい、いつもより焦ったりしてしまう。
   それもこれも、そこにある雰囲気のせい。情緒のせい。
   感情は、自分の性格だけではない。
   その場の情緒によっても左右される。
   相手によって強気になったり、引け目を感じてしまったり。
   厭になったり、恋したり。
   だから自分の気持ちは、思い通りになんてならない。
   だから、どこにいるかとか、誰と一緒にいるかとか、それがとても大切なんだ。


 恋人たちは手を繋ぎ、夜の繁華街を行き交っている。
 家路を急ぐ人々は、プラットホームで次の電車を待っている。
 テールランプが車道を彩り、オフィスビルには明かりが灯る。
 星明かりを夜空の彼方へ押し戻す、都会の明かりが夜空に月を浮かべている。淡い光の波間に浮かぶ、真円の月。
 もともと月の引力に翻弄されて、気持ちはちょっと浮かれていた。
 その浮かれた気持ちを、強烈な波動が襲った。
 いつもと違う夜の情緒が、すべての気配を侵していく。
 すべての気配が、夜の都会を形作るその雰囲気が、その情緒が狂っていく。
 愛する人と繋いだ手の、その感触が変わっていく。感じる気持ちが変わっていく。
 街から受ける雰囲気が、楽しいものから恐ろしいものへと変わる。
 自分が自分らしくあるために、築き上げた雰囲気が霧消していく。自分に自信がなくなってくる。
 自分が自分であるために、ずっと表に出さずにきたモノが、胸の奥で、のそりと首をもたげている。
 己の気配の奥底に、血の裏に、隠してきたモノが出てくる。本心が。
 愛おしさが暴走する。
 憧れが実際の行為を促す。
 怒りは破壊を肯定し、嫉妬心が悔し涙をあふれ出させる。
 押さえつけていた本心が、言葉となって叫ばれる。
 そして、狂乱の夜が始まる。
 息を飲んだ。
 夜の風はやけに冷たく、甘美な香りを持っていた。
 ゾクリとしたのは、そこここで、生きる希望が絶望へと変わっていくのが見えたから。
 衝動が、いままで大切に育て上げた希望を壊す。
 一歩を踏み出したその行為は、傷つける方が多かった。恋人を。家族を。同僚を。
 築き上げてきた絆が、二人にしか造り出せない、二人一緒にいなければ現れない、甘い甘い雰囲気が、ぼろぼろと崩れ落ちてく。
 人々は絶望に打ちひしがれる。
 壊れていく己の希望を目の当たりにして、未来への期待を捨てる。この世への執着をなくす。
 消え去りたいと願う気持ちが、人々のその気配が、夜の雰囲気を塗り替えていく。
 それがとても恐ろしかった。
 始めは、人々の魔性が見えたことを喜んで、次に、絶望する気配を舐めて心地よかった。
 だが街が、喪失という名の洪水に飲み込まれ、失望の雰囲気に沈んでいくのは見てられなかった。



 バカね。
 あたしは思いきってそう言った。
 あの子に言った。
 自分がしでかしたことから目を背け、都会に背を向け、海の上へと飛び去っていく。
 そんな、子どもなあの子に声をかけた。
 ちょっと、してみたかっただけなんでしょ?
 分かってる。
 もしかしたら、大事(おおごと)になるかもしれない。
 そう思ったことを、あたしはずっとできないでいた。
 些細なことかもしれないことでも、あたしはずっとできないでいた。
 それを、あなたはやっただけ。

 月は、涙に滲んで見えなかった。
 嗚咽して、涙を流す。
 しゃっくりでもするように、胸の奥から涙を流す。心から涙を流す。

 気持ちが涙でいっぱいね。でも。
 これ以上、申し訳ない気持ちを持ってかないで。
 感情の泉から、謝罪の気持ちを吸い上げないで。
 あたしがここで、それを感じられなくなっちゃうから。
 混沌に浮かぶあたしの周りから、気持ちがどんどん飛び去っていく。
 そしてどんどん湧き出てくる。
 感情の泉は気持ちを、けっしてなくしたりしない。
 どんなに泣いても、悲しんでも、その気持ちがなくなることはないと分かった。
 だから、きっとあなたは悲しみ続ける。
 ごめんなさい。 
 あなたを、ひとりにしてごめんなさい。
 心からそう思った。
 あたしのすべてが、泣きたい気持ちに満たされた。
 だからだろう。
 あの子の泣きたい気持ちとして、あたしが心に入り込んだ。心の中に吹き込まれた。

  ごめんね。

 膝を抱えて泣いている、あの子を抱いた。
 一緒に泣いた。
 姿は少しづつ違う、もうひとりのあたし。
 抱き合ってると、溶け合うように、ひとつになった。


  大丈夫。
  みんな、元に戻ってる。
  たしかに破局した関係はあったかもしれない。昨日には戻れない進展があったかもしれない。
  でもあそこにいた人たちは分かってる。
  自分たちが、なぜあんなことをしたか。
  魔が差した。
  ただ、それだけだって。
  みんな、自分に戻って、やり直してく。やり直せるから。
  だから、大丈夫。安心して。




 気がつくと、海の中に沈んでいた。
 暗黒が支配する夜の海。
 あたしは海上を目指して泳ぎ、水面に顔を出して月光を浴びる。
 海面に仰向けに浮かんだあたしは、いつの間にか手に持っていた、小さな石を月に掲げた。涙滴型の輝く石を。
 石と月を重ねて見ると、石はまるで、月がこぼした涙のようだ。
 赤みがかった真珠のように、見る方向によって色を変える不思議な石。
 まるで幾億もの気持ちをたたえた、血の裏側に拡がっている、感情の泉のようだ。
 とても強い魔力を感じる月の雫。
 この石に願ったら、あの子はまた、この世に現れることができるだろう。
 また、あの子と会えるだろう。
 あたしはあの子になれるだろう。

   石がなくても。

 胸騒ぎがする。
 潮の香りが鼻につく。厭な香り。
 水が膚にまとわりついた。そう感じるのは、気のせいだろうか。
 ああ、厭だ。
 海が厭だ。
 いったいなんなの、この水は。この圧倒的な存在は!
 恐ろしい、この重さが、この存在感が恐ろしい。
 こんなもの!
 あたしは暴れた。
 ばしゃばしゃと水を打ってもがいてみせた。
 出ていきたい。
 圧迫される。
 水に押され、身体が苦しい。
 早くここから出ていきたい。
 土に、陸に戻りたい。戻りたい!
 「こんなものっ!」
 叫んだとたん、落ち着いた。
 あたしは気づいた。
 夜の気配が、満月の強い魔力が、あの子に力を与えていた。 
 血の裏側で、感情の泉が揺れる。
 月の魔力に。その気配という名の引力に、気持ちが昂ぶる。
 そしてするりと、あの子があたしに入り込む。
 血の中に溶け込んできて、心を侵す。
 甘美な嫌悪と、他愛もない嘘を囁く。

   身体が変わらなくたって
   あたしはあなたに会えるから
   だってあなたは
   あたしを認めてくれたから

   ねえ、みなも?


 あたしの心に、するりと悪魔が入り込む。





     (了)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
秋月 淳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年12月07日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.