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『風の道標 』
スラッシュ1805)&シノン・ルースティーン(1854)&(登場しない)


 聖都エルザートの一角、ベルファ通りから少し離れた場所。薄汚れた建物が所狭しと立ち並び、様々な工房や商店がひしめき合うように存在する、スラム街。
 そこに、小さな孤児院がある。
 常ならば、表の通りから響く声に負けないような子供達の喧騒に満ちているのだが、今日はその声が聞こえなかった。
 かと言って、留守にしているというわけでもない。主である少女と共に住む子供達の姿はそろって、食堂代わりの居間の一角にある。
 そこで、ぐるりと輪のように一人の青年を囲んでいるのだった。
 息を飲む音さえ響きそうな、しんと静まり返った空間の中で、ただ一人声を発しているのはスラッシュだ。
 彼が連れて来られたのはつい先刻のこと。作業の合間の、ちょっとした休憩時間のつもりだったはずなのに、子供達はそう簡単に休むことを許してはくれなかった。
 一日の間のいつとも知れない、まさにその時間を狙ってやってきた子供達に引っ張られ、スラッシュはいつの間にやら工房の斜め向かいに建つ、この孤児院の中にいた。
 最初に言い出したのは、誰だっただろう。
「ドラゴンをやっつけた、でんせつのゆうしゃのはなしとか!」
「スラッシュ兄ちゃんの、だいぼうけんがききたい!」
「とらわれのおひめさまをたすける、おうじさまのおはなしはなあい?」
 こんな風に、子供達からそろって期待の眼差しを向けられれば、それを無碍にすることなど出来るはずもない。
 そうして、子供達の期待と笑顔と引き換えに、遠い遠い昔話の数々を先程から話して聞かせているというわけである。
 それはスラッシュがかつて暮らしていた、今はなき砂の星に伝わる伝承だった。

 曰く、一度芽吹けば、砂と化した世界に水と緑を与える青い花の種。
 曰く、過去に栄光を誇りながら、今は多くの財宝と共に砂の下で眠る王国。
 曰く、世界に選ばれた者にしか紡ぐことが出来ないという、雨を呼ぶ祈りの歌――

 それらのすべてを、スラッシュ自身が目に耳にしたわけではない。真実であるかどうかを知る者は、おそらく誰一人としていないだろう。
 憶測、想像――あるいは空想。その中にわずかばかりの実体験を交えてみてはいるものの、彼の語る言葉はどれも、総称して、ただの物語や御伽噺と言っても過言ではないものだった。
 それでも、彼の言葉に耳を傾ける子供達の瞳は、様々な想像を巡らせているのか、宝石のようにきらきらと輝いていた。
 そして、子供達に混ざって彼の言葉に聞き入る少女の瞳も、また。
(……シノン?)
 この孤児院の主であり、スラッシュにとっては妹分も同然な少女――シノン。
 彼女までもが、スラッシュの紡ぐ物語に心をときめかせている様子である。
 ふと、スラッシュは考えた。
 かつて、この少女がこんなにも生き生きとした眼差しを見せることがあっただろうか。
 もちろん、子供達と共に賑やかに騒いでいる時の彼女は、言うまでもなく生き生きとして楽しそうだ。
 だが、今、シノンが自分に向ける瞳は――それに満ちる感情は、明らかに子供達と共にある時の彼女のそれとは違っていた。





 その夜、子供達が寝静まった頃合いを見計らって、スラッシュはシノンを己の工房に呼びつけた。
 手土産と言いながら彼女が手ずから淹れてくれたチャイの香りが、薄ぼんやりとした明かりの灯る室内に広がり、やわらかく満ちてゆく。
「それで、話って?」
  カチ、コチと、規則正しく時を刻む歯車の音が控えめに響く中、そう話を切り出したのはシノンのほうだった。
 スラッシュは言葉を探すように息を飲み込んでから、おもむろに口を開く。
「いや、何と言えばいいのか……話に、ひどく、聞き入っていたようだったから」
「……そんなに?」
 スラッシュはああ、と頷く。言われて、シノンは初めてそのことを自覚したらしい。悪戯がばれた子供のように視線をさまよわせてから――ややあって、何故か観念したように小さく息をついた。
「な、なんか……兄貴の話、聞いてたらさ、こう……あたしが生きているこの世界は、本当に本当に広くて。……あたしは、本当に、何にも知らなくて。……思っちゃったんだ。ううん、たぶんずっと、思っていたことなんだろうけど」
「ああ」
「もっと、たくさんの人に出会いたい。――もっともっと、色んなことを知りたい……もっと、色んな所に行きたい……そんな風に。……でも、さ」
「……ああ」
 短い相槌で、スラッシュは静かに続きを促す。
「世界を知りたい、なんて言っても、ちょっとそこまで旅行に行くのとは、わけが違うじゃない。あたしは、あそこの一応、代表というか、責任者というか……あの子達の『お姉ちゃん』で、『お母さん』だし、あの子達だってまだ幼いし、置いていくなんて出来るわけがない……」
「……なるほど、そういうことか」
 少女が吐露するのは、いつの頃からか胸の内にひっそりと抱え込んでいたであろう、強い想いだった。
 たくさんの人々と出会い、世界を知りたいという想い。それらを通じて、己の世界を広げたいという、願い。
 それは、自身が探求者であるスラッシュにしてみれば、まるで己のことのように理解できるものだ。
 この感情は、明確な言葉にするのが難しい。
 幼子が乳を求めて泣くのにも似た、本能と言っても過言ではない。
 例えばそれは、泉のようにあふれるもの。
 どれほど手を伸ばしても、届かないもの。
 ――だからこそ、欲しいと切望してしまうもの。

 シノンをこの地に縛りつける存在があるとすれば、それは、彼女にとってのかけがえのない家族――他でもない、子供達だろう。
 彼女が言うように、子供達はまだ幼い。この華やかな都の裏側で、ひっそりと身を寄せ合わせなければ生きていけないような、か弱い存在だ。
 シノンはそんな彼らの世話を一手に引き受け、あの孤児院を一人で切り盛りしてきた。
 今、シノンがいなくなったら――例えば、孤児院という『家』があるとは言え――子供達が一様に路頭に迷ってしまう可能性だって、完全に否定することは出来ない。
 幼い子供が日々の銭を稼ぐのはそう容易いことではないし、何より、働きに行ける子供達だってそう多くはないだろう。
 だからこそ、『親』であるシノンが、彼らには必要なのだ。
 シノンは、ずっとそう思っていたのだろう。
 心の奥底にずっとあって、時折不意に溢れそうになっていた渇望。
 それを誰に明かすこともなく、愛しい子供達への思いと、自身に課した義務と責任で覆い隠して――ひたすらに、彼らのために懸命に生きてきたのだろう。

 ――だが。
 心の底から湧き上がる想いを、誰に止められるというのだろう。
 そして、それが誰よりも大切な人の願いであるのなら。
 止めることを、誰が望むというのだろう。

「シノン。お前が信じる神は誰だ?」
 スラッシュは唐突に問いかけた。あまりにも唐突過ぎて、シノンも一瞬、その問いが持つ意味を理解出来なかったらしい。大きく目を瞬かせて、詰まらせた息を飲み込んでいるのがわかる。
 けれど、彼女が紡ぐ答えは、決して変わらないただひとつのそれだった。
「……っ、は、春風と恵みの神、ウルギ様だよ」
「では、お前が信じるウルギ神の教えは?」
「――風と共に生き、風の巡りを正すこと。……己だけの風を作り出し、その風を渡すこと……」
「ならば今こそ、……新たな風を作り出す時ではないのか?」
 その瞬間、シノンの表情から、ふっと、頑なにこびりついていた何かが抜け落ちた――ように見えた。
 スラッシュもそこでようやく、少し長い息を吐き出した。
「……今すぐに行けと、そんなことを言いたいわけではないんだ」
 吐き出した息を吸い込むと、チャイの香りがほのかに鼻腔をくすぐった。
 伝えたいと思った言葉が、少しだけ、形になりそうな――そんな気がした。
「お前にとって、お前を慕う子供達の存在が、かけがえのない……大切なものであるということは、わかっているつもりだよ。だが……俺は、“そういう”選択肢も、ありだと思っている」
「……兄貴……」
「……シノン。お前は今、自分の正直な気持ちを口にすることが出来ただろう? ……願いというのは、際限なくあふれはしても……それを口に、形にするのは、そう簡単なことではない。……にもかかわらず、お前はそれを言うことが出来た。……理由にするには、十分だろう。……そこまで強く願っていることを……なぜ、胸の奥に閉じ込める必要がある?」
「……えっ……?」
 スラッシュは、シノンの――どこまでも深く遠く広がる空そのものの色の瞳を真っ直ぐに見つめて、言った。
「前に、言わなかったか? ……お前には、風が似合うよ。シノン。……無理に堪えたりなどせずに、外に出したほうがシノンらしい。……と、俺は思うが」
 両手を広げ、見えない翼を羽ばたかせれば、そこに彼女を待つ世界はいくらでも広がっているのだ。
 ならば、自分に出来ることは――その背中をそっと押してやることではないだろうか。
「何より、あの孤児院は『家』なんだろう? ……シノンの、帰る場所だ。……必ず帰るという約束さえあれば、子供達も送り出してくれるのではないだろうか。……何なら、そうだな……少し長めの旅行とでも、思えばいいんじゃないか」
「…………」
 シノンはぐっと口を結び顔を俯かせ、懸命に何かを堪えているかのようだった。
 スラッシュは小さく息をつき、そっと手を伸ばし頭を撫でる。
 ぽん、とあやすように軽く動かすと、小さな肩が震えるのがわかった。
「……まあ、何かあれば……そうだな、俺が何とかするさ。大した力には、なれないだろうが」
「そっ、そんなことない! 兄貴は誰よりも頼りになるよ!」
 シノンがすかさず顔を上げて、ぶんぶんと首を横に振る。
 その様子に、スラッシュは笑み交じりの呼気をゆっくりと吐き出した。
「信頼されているというのは、嬉しいことだな。……もう一杯、いただこうか」
 空になったカップを軽く掲げると、シノンが目を瞬かせて笑うのが見えた。
「……了解」
 シノンは立ち上がり、カップを持って流し場へと向かった。その背中を、スラッシュは静かに目で追いかけた。
 見慣れた光景の一つではあったが、もしかしたら――今すぐにではなくとも――しばらくはこれも見られなくなるかもしれない。
 だが、不思議と、それを寂しいと思うことはなかった。物足りないと思うことは、あるかもしれないが。
 いつでも、どこにいても、この都に彼女の帰る『家』があるのだから。
『ただいま』と言えば『おかえり』と返ってくる――そんなあたたかな風の吹く場所が、彼女を待っているのだから。
 だから、きっと彼女なら大丈夫だろう。
「兄貴、出来たよー!」
「……ああ、こぼさないように」
 返ってくる元気な言葉。それにつられるようにして、漂ってくる紅茶の香り。
 慣れ親しんだ、そしてしばらくは会えなくなるかもしれない日常を改めて焼きつけるように、スラッシュは微かに目を細めて頷いた。



Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
羽鳥日陽子 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2009年12月16日

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