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『魔女の箱庭 』
イアル・ミラール7523)&茂枝・萌(NPCA019)


 美男美女の失踪事件。
 大抵、オカルトスポットとして語られる場所にはこの手の話がついて回る。
 夏の夜には、ちょっとした悪ふざけで幽霊が出る、出そうな場所へと出向く者達が後を絶たない。
 そのほとんどは、空振りに終わるだろう。幽霊など全くの出鱈目で、ただ暗い暗闇が怪しげな建物を包み込み、それらしい雰囲気を演出しているばかりで、実際には幽霊などどこにも姿が見えてこない。
 ‥‥‥‥そんな中に、稀に本物が混じることがある。
 これまでに多くの若者達が悪乗りして入り込み、命を落とした‥‥‥‥そんなどこにでもありそうな噂話。だが他の噂と違う点は、実際にその場に向かい、消えていった者達が居ると言うこと。しかし探そうにもその場に辿り着くことは出来ず、誰もその真偽を確かめようとしない。
 もしくは、そうして多くの者達が消えたために、“本物”だと気付いて誰も近付かなくなったのか‥‥‥‥
 この場所、とある都内にある高級住宅街にも、そうして誰も近付かずに詮索されなくなった洋館が存在する。
 まだ自然が残り、緑生い茂る木々がちらほらと残っている住宅街。建ち並ぶ住宅はどれもこれも競い合うように大きく、見る物を威圧するかのような雰囲気を纏っている。しかしそんな威圧的な空気を持ってしても、その空気に紛れる異質なモノには近付けない。家主も家政婦達も目を逸らし、場所を訪ねても「そんな館、あるわけ無いじゃないですか」と、似たような言葉しか返っては来なかった。

「ああ、この館ね‥‥‥‥ようやく見つけられたわ」

 イアル・ミラールは、ひとまず目当てとしていた洋館に辿り着くことが出来たことに安堵の溜息をついていた。
 目の前には、古びた洋館が建っている。日に焼かれ風雨に晒されるままになっている壁は薄汚れ、屋根には周囲の木々から舞い散った枝葉が引っ掛かり、それ自体が装飾品であるかのように館の屋根を飾っている。壁には地面から伸びた無数の蔓が這い巡り、まるでこの館は自分達の物だと警告しているかのようだ。
 そんな洋館は、確かに植物に支配されているようにも思える。人の気配は一切感じられず、周囲を背の高い木々に囲まれて閉鎖されている。道からも外れ、人が寄れば食らい付いてくるのではないかと思わせる異界の匂いが漂っている‥‥‥‥
 そしてそう感じられるのならば、それは生きる者として正しい感覚だ。一刻も早くその場から離れ、平和な日常に戻るべきだろう。
 ‥‥‥‥この先には進んではいけない。この先には人を食うモノが居る。中に入れば二度と元には戻れない。好奇心という誘蛾灯を付け、踏み込んできた者達を異形の礼を持って歓迎するだろう。
 しかしそうと知っていて、イアルはこの洋館に踏み込まなければならない。
 イアルに与えられた依頼は、この館に住まう魔女を討伐し、捕らえられた若者達を解放することにこそだったのだから‥‥‥‥

「魔女の館としては‥‥‥‥お似合いなのかも知れないわ」

 お伽噺に登場する魔女の館は、まさにこんな洋館だったのだろう。
 既に百何年もの年期を感じさせる古びた洋館。壁に這う蔓も、屋根にぶら下がるコウモリも、全てが古風な魔女のイメージと一致する。もしかしたら、あえて人々の思い描くイメージと重なるように、狙ってそうしているのかも知れない。
 イアルの内心に、ここを訪れた若者達と同じく危険な好奇心が渦巻き始める。
 この建物と同様、百何年もの間放置されてきた時代の異物。しかしそのスタイルを貫く魔女は、この時代をどう思うのか。そして何を目指すのか‥‥‥‥興味は尽きない。
 ギィィィィ‥‥‥‥
 ノックをすることもなく、イアルは正面の大扉を開け放った。
 カビの生えたような暗い香り。長く扉を開けていなかったのか、外の光に照らし出された玄関ホールには冷たい石の香りが充満している。

「あら、これじゃあ魔女の館と言うより、洞窟みたいね」

 バタンと扉を閉じながら、イアルは機嫌良く廊下を歩く。硬い石のタイルを踏み鳴らし、カツカツと堂々と身を隠すことすらなく洋館の中を進んでいく。その足音は高く、洋館全体に響いているのではないかと思わせた。
 明かりが灯されない洋館は、本当に洞窟のようだった。
 廊下には森の木々を通してしか陽の光が届けられず、全体的に暗闇に包まれている。満足に換気をさせていないのか、停滞した空気は石の冷たさに染められ、肌を刺す感触は痛みすら覚えさせた。
 こんな場所に、本当に人が住んでいるのだろうか?
 何も知らずに踏み込んだのならば、疑いもせずに否と言うだろう。
 それが普通。しかしここに住む者は普通ではなく、人の常識では量れない。たとえ人を従僕として扱っていたとしても、扱う者が人外であるならばここは異界だ。そもそも人が住むようには造られていないと言うことだろう。

「あら、洞窟とは聞き捨てなりませんね。これでも美しい館を選んだつもりなのですが‥‥‥‥それとも、王女様の目から見れば、この洋館など取るに足らない存在なのでしょうか?」

 そう、人の声がした。
 否。否である。それは人の声ではない。顔を上げる。二階へと続く大きな階段。その上に人影がある。足下まで包む長いローブを纏い、片手に身の丈ほどもある錫杖を持っている。顔は頭に被ったとんがり帽子の陰に包まれ、闇に染まっている。しかし目は見えずとも、口元は笑っていた。楽しそうに、笑っていた。
 それは人ではない。人の形を取った異形、人から人でない者へと昇華‥‥‥‥いや、変質した魔女がそこに居る。

「あら、わたしのことをご存じで?」
「勿論ですわ。我々魔女にとっては、美しい者、力を持つ者、高貴なお方‥‥‥‥そのような方々に奉仕し、この力を振るって参りました歴史がありますもの。人の歴史と違い、魔女にはどんな陰惨な歴史であろうとも摩耗することはありません。かつて歴史から姿を消して語られもしない王国、鏡幻龍の巫女の破滅の逸話は、広く語り継がれておりますわ」

 魔女は微笑みを浮かべていた。
 決して相手を嘲笑しているのではなく、挑発しているわけでもない。ただ純粋に、相手を尊敬し、茶会に招いた友人に話しかけるようにして言葉を紡ぐ。魔女にとって、人の破滅など娯楽の一つでしかないのか、語り聞かせる声は陶酔するように物語を口にする。
 ‥‥‥‥イアルは、過去の生い立ちを笑って語る魔女に対して不快感を示すようなことはなかった。
 今でも癒えぬ悲しみに満ちた物語ではあるが、それは過去のことでしかない。
 今を生きること、それに努めている者達を守るためにここに来たのだ。自分自身の過去を笑われたとしても、その為には戦えない。魔女の傍らに立つ者達が、それを許さない。

「‥‥‥‥‥‥」

 魔女の両隣に立つ人影は、身動ぎすらしなかった。
 右側に立つのは、まだ年端もいかない少女。まだ学徒としても若いのだろう。隣に立つ魔女と比べても胸元までしか背丈がなく、顔立ちも幼い。きめの細かい肌は、これからの成長次第でいくらでも磨かれていくことだろう。暗闇の中でもその輝きは衰えず、目に光りさえ宿れば、美少女として通用することだろう。
 左側に立つのは、イアルと大差ない年頃の女性だった。右側の少女とは対局に、こちらは大人の魅力が漂っている。長い年月を掛けて培われた長い髪に、手入れの行き届いた美しい指先。完成を向かえた“美女”と呼ばれるに相応しい芸術品だろう。
 しかしそんな二人の目には共に輝きが無く、意思らしい意思を感じられない。目の焦点は自身の正面を見続け、階段下にいるイアルには向けられてすらいなかった。機能美を度外視した美しいばかりのメイド服を着込み、ジッと命令を待っている。目を瞬かせる事すらないその姿は、一種の石像ではないかと思わせる。
 しかしイアルは分かっていた。
 この二人の意思を奪ったのが誰なのか、身も心も奪い、従僕として使役し、飼い慣らすことで快楽を得ている者が誰なのか‥‥‥‥考えるまでもない。二人を傍らに置いている魔女が、全ての元凶。この館に訪れた者達から心を奪い、従僕へと変えた魔女がこの館の逸話を作り上げた張本人だ。

「あら、私のお話は気に障りましたでしょうか?」
「いいえ。あなたのお話は、懐かしくすらあるわ。でも、もしもわたしの憤りを感じたとするなら、それはあなたの行いによるものよ」

 殺意を覚えたわけではない。しかしうら若い、まだまだ将来に向ける夢があるであろう少女達を従僕として洗脳し、家族から引き離した魔女を許すことは出来ない。
 憎しみはない。ただ、明確なる悪を為す魔女を相手に、親しみなど感じられるわけもない。
 ここは従順に、与えられた役目を果たすとしよう。
 イアルの決意を察したのか、魔女は残念そうに溜息をついた。

「はぁ‥‥残念ですわ。王女様には、自分から進んで私の元に来て貰いたかったのですが‥‥‥‥」
「あら、わたしもメイドとして扱われるのかしら」
「ご冗談を。石像へと変えて飾って差し上げますわ」

 明確な嘲笑を持って返答する。
 それが合図となる。イアルの体から湧き出るように出現した龍の口から雷撃が迸る。魔女の傍らにいる二人を傷つけないように規模を縮小した小規模の雷撃。しかしそれでも、常人ならば一秒と持たずに昏倒するだけの威力を持っている。それも目標に到達するまでの速度は疾風を超えて光の如く、放たれたと光を目にした瞬間には魔女の体を貫いている。

「あらあら、うふふ♪ 王女様は、激しいのがお好きですか?」

 だが魔女を貫く雷撃は、虚しく虚空へと消えていった。
 何を為されたのか‥‥‥‥魔女の眼前が傾いでいる。まるで空間をねじ曲げているかのように歪曲している。雷撃は歪曲に触れた瞬間に四散し、歪曲された空間の中へと吸い込まれて消えていった。
 それがいかなる秘術なのか‥‥‥‥見当も付かない。素人ではないが、魔女が扱う秘術とイアルの龍は一線を画している技術だ。どのような芸を凝らしているのかなど、推察の域を出ない。
 いや、推察の域を出なくとも、いくらでも戦えた。しかしそれが出来ない。どんな工夫を凝らそうと、イアルは本気で魔女を討ち果たすだけの攻撃を繰り出すことが出来ないのだ。

「しかし残念ですわ。王女様の手を、無垢な少女の血で染め上げたかったのですが」

 カラカラと笑う魔女。
 そう、魔女の言う通りだった。もしもイアルが、両隣にいるメイド達を気にすることなく雷撃を放っていたのなら‥‥‥‥結果は違っていたのかも知れない。だがそれをするわけにはいかない。それを行えば、間違いなく少女達は死に至る。魔女ならともかく、無関係な少女達を傷つけるなど‥‥‥‥それだけは出来ない。
 魔女は、今の言動の通り、迷うことなくメイド達を盾にして逃れるだろう。魔女は玩具として使役しているメイド達に対して、情というものを持っていない。だからこそ少女達の心を奪い去っているのだ。いくら死んでも代わりは用意出来る。それよりも、少女達を傷つけることで傷つくイアルの崩壊を望んでいる。
 不利を悟るイアル。人質を取られている時点で勝ち目は薄い。洋館は広かったが、この狭い廊下では少女を盾にしている魔女を狙い撃つことは難しい。

(あの子達を魔女から引き離す方法は‥‥‥‥)

 思考するイアル。
 しかし上手い解決策は見当たらない。場所も能力も状況も、あらゆる面で自分に不利と結果が出ている。
 そして、何より解決策など考える時間を、魔女が与えてくれるはずもなかった。

「さぁ、行きなさいな。あなた達」
「‥‥‥‥‥‥」

 無言で階段を飛び降りる少女と美女。その行動を前に、イアルは目を見開いた。
 少女達は、何ら保護具の類を身に付けているわけではない。盾にしようとしていた魔女の言動から、身体強化の類もされていないのだと読み取れる。
 そんな少女達が飛び降りた。二階へと続く階段の上から、イアルに目掛けて頭から。二階から一階までの高さは五メートル以上の落差がある。そんな高さを、頭から落ちればどうなるか‥‥‥‥

「なんてことっ!」

 二人の体を受け止めようと、イアルの体は動いていた。
 まずは美女を、続いて少女の体を受け止める。しかし華奢な王女の体で受け止められるようなものではない。一人目を受け止めた時点で体は揺らぎ、倒れ込む。二人目を受け止めた時には、あまりの衝撃に床に叩き付けられてしまった。
 幸いにも、鏡幻龍を憑依させていたお陰で傷は一切負っていない。だがそれまでだ。イアルに支えられた二人のメイドは、イアルの体の上にのし掛かり、自由を奪う。

「っ!」

 抵抗など出来ない。メイド達を傷つけるわけにもいかず、為す術など与えられない。

「お優しいのですね王女様。やはりあなたは、お伽噺に語られる哀れな王女で在られるのがお似合いですわ」

 耳元で囁かれる言葉。
 それと同時に、目の前に魔女の指が迫る。

「――――――――」

 鏡幻龍の力を使う間もなかった。
 声を上げることもなく、イアルの意識は、凍り付くように停止していた‥‥‥‥


●●●●●


 ‥‥‥‥そうして、イアルが消息を絶ってから二週間が経過した。
 魔女の洋館は、未だに健在。怪談話に盛り上がる季節が通り過ぎたこともあって新たな犠牲者は出なかったが、依然として行方不明となった者達は発見されていない。それもそうだろう。玩具は徹底的に、飽きるまで使い倒すのが魔女である。無論、飽田からと言って外に放り出すような愚は犯さない。証拠隠滅などと言うつもりはない。ただ、無駄というものを極力出さないように、実験の材料として使用するまでだ。
 そうして、素材に選ばれた少女が一人、洋館の廊下を歩いていた。

「‥‥‥‥‥‥」

 少女の体は細り、顔には青みが差している。窓から差し込む夕日に照らされているというのに、顔には赤みがまるで見られず、生気の類も消失していた。
 魔女に命じられるままに激務をこなしていた手には傷跡が残り、美しかった手は無惨にも荒れ果てている。時折ヨロヨロと左右に揺れているのは、衰弱した体にはメイド服でさえ重く感じるからだろう。まして魔女の嗜好により機能性よりも美しさのみを追求したメイド服だ。快適さなど求められるものではない。
 コンコンコンッ。
 固い扉をノックする。
 少女は魔女の部屋の前で、静かに佇んでいる。その顔には、これから待ち受ける運命への悲壮も、魔女に対しての憎しみも浮かんでいない。
 在るのはただ、空虚な心。
 恐怖も怒りも失ってしまった心は、空のままであり続ける。
 ガチャリ。
 扉のノブが回り、扉が開く。
 そしてそこには、見慣れた魔女の装束が‥‥‥‥

「あれ? まだ戻ってないんだね」

 少女を迎えたのは、見たこともない少女だった。
 年の頃は十四ほどだろうか。まだ幼さの残る体格と顔立ち。しかし表情らしい表情はなく、機械的な印象を受ける。だが、それはあくまで戦場に望む戦士であり、IO2に籍を置くエージェントだからこその姿だ。本当に機械的に感情を廃しているのではない。本当に機械的な人間ならば、洗脳された少女を前に、眉を顰めるようなことなどしないだろう。

「参ったな‥‥‥‥時間が経てば、洗脳も解けると思うけど」

 メイドの少女を部屋から押し出しながら、向かえた少女‥‥茂枝 萌は頬を掻く。
 IO2所属の捜査官として動いている萌は、この洋館を根城にしている魔女を仕留めるために潜入し、この部屋へと忍び込んだ。そして障害らしい障害もなく魔女の寝首を刎ね飛ばした萌は、遺体の回収と洋館、そして洗脳されていた少女達に対する情報操作を外部の仲間に連絡し、撤収する段階だった。
 しかし、こうして部屋の外に出てみると‥‥‥‥魔女は消えたというのに、未だに洗脳は続いている。念のために魔女が死んだふりをしているのではないかと確かめてみるが、そうでもないらしい。ベッドの上に体を残したまま、魔女の首は確かに床に転がっている。

「呆気なく死んでくれたけど、死後まで人に迷惑掛けなくたって良いだろうに‥‥ま、専門家に任せようか」

 萌は、あくまで科学的な技術と対魔術心霊防御の術式を体に付与させているだけの戦士である。魔女の洗脳術など、危なっかしくて触れない。幸いにも、回収班にはこの状況を想定して専門のスタッフが混じっている。彼らに任せれば、少女達の洗脳、記憶の改竄も的確に対処してくれるだろう。
 ‥‥‥‥しかし、その前にまた行方不明になられても困る。
 萌は手近な別室に洗脳された少女を押し込むと、他の少女達の捜索に当たった。魔女が死しても未だに洋館の世話に明け暮れる少女達を、洋館の外に出ないようにと室内に閉じこめていく。下手に外に出られて、行方を眩ませられては堪らない。「家に帰り着くまでが遠足です」とはよく言ったもので、この少女達を回収班に引き渡すまでの間は、まだ萌の仕事の範疇である。
 やがて洋館中を歩き回った萌は、再度洋館の室内を一部屋ずつ確認する。冷静沈着な萌は、雑な仕事は行わない。二度、三度と何度でも確認を行い、完璧に仕事を達成する。それが萌の誇りでもある。
 そうして一部屋ずつ確認していた萌は、ふと、ある部屋に飾られていた石像に目を惹かれた。
 宝物庫の類だろうか。得体の知れない彫像や絵画が飾られている室内に、薄い煙を上げている石像が存在する。
 長い髪に羨ましくなる豊満な体。同性である萌から見ても「綺麗な人」と断言出来る美しい女性の石像から、薄い煙が上がっている。だが萌がその石像に目を留めたのは、何も煙だけによるためではない。
 その女性の格好は‥‥‥‥余りに彫像としては奇抜に過ぎる物だった。
 まず、体を覆っている布が余りにも少なすぎた。傷一つ無い綺麗な手足は、ほとんど抜き身のままで晒されている。細い指先から肩、胸元まで肌は晒され、脚部は足先から太腿には申し訳程度に布が張り付いている。
 どう見ても‥‥‥‥“女王様”が着ているようなボンテージ姿。
 しかしそれでも美しいと思ってしまったのは、着ている女性の素質によるものだろうか。

「‥‥‥‥趣味なのかな」

 果たして、この衣装は石像となっている女性自身の趣味なのか、それとも女性を石像に変えた魔女の趣味なのか‥‥‥‥
 出来れば後者であって欲しい。世間の流行にはとんと疎い萌であったが、こんな格好で出歩くような女性とはお近づきになりたくない。
 そんなことを考えながら、萌は静かに女性を見守っていた。
 女性から出ていた煙は、ほんの数分と掛からずに消え去っていた。それと同時に、煙に包まれていた女性は力無く跪き、床に倒れ込む。
 魔女が死に絶えた影響だろう。少女達の洗脳は解けなかったが、この女性の石化魔法は解除されたのだ。

「大丈夫ですか?」

 倒れ込んだ女性には、まだ息があった。
 そして意識も。
 肩で息をしながら、女性は薄く目を開いている。まだ石化の影響から抜けきっていないのか、視線はボーっと宙を彷徨ってから、やがて目前の萌へと集中する。

「立てますか? 気分は――――」

 倒れている女性に手を差し伸べながら、萌は後方へと跳躍していた。
 目の前を通り過ぎる業火は、熱風となって萌の全身を叩いていた。直撃を回避したにも関わらず襲いかかる熱風に、思わず目を庇う。対魔術心霊防御が付与されていなければ、この熱風だけでも大火傷を負っていただろう。それほどの熱風。しかしこの熱風は、あくまで攻撃の余波に過ぎない。本命の業火は狙いを外れ、壁を破壊して盛大に館の外へと消えていった。

「‥‥‥‥‥‥」

 コメントを差し挟むような余裕はない。萌は体を包む熱風を払いながら、相対する女性に神経を集中させる。
 女性の体からは、湧き出るようにして龍の頭が出現していた。それも五つ。その一つの口から炎が湧き出で、他の口には灰色のガスが溜め込まれ、バチバチと雷光が走り、凍て付くような冷気が籠もり、触れる物を分解しようと牙を鳴らしている。

(‥‥‥‥冗談じゃない!)

 萌は迷うことなくその場を跳躍した。
 放たれる雷撃。室内から飛び出した萌の背後を雷光が走り、窓ガラスを盛大に撒き散らす。冷気のガスは床に散らばった硝子片を氷柱のように逆立たせ、灰色の石化ブレスは逆立った氷柱を石へと変貌させている。
 ほんの一瞬、跳躍するのが遅ければ巻き込まれていた。その事実にゾッとする。
 いくら対魔術心霊防御を付与されているとしても、今放たれた攻撃の一つでも喰らえば死んでいた。万が一耐えられたとしても、追撃されてゲームオーバーだろう。あの龍のブレスの一つ一つが必殺の威力を持っている。命中しなければどうと言うことはないのだろうが、この狭い室内で何時まで躱せるか‥‥‥‥メイド達を部屋に押し込めておいたのは幸いだ。こんな時に出てこられたら堪った物ではない。
 ドゴォォ!

「ひゃっ!?」

 壁を砕き、分解しながら迫る龍の牙を、咄嗟に伏せて回避する。
 龍の一頭によって砕かれた壁は、まるで砂に還るかのようにさらさらと宙を舞っている。もしも掠りでもすれば‥‥‥‥想像もしたくない。あの魔女がどんなつもりでこの女性を石像にしていたのか知らないが、実に厄介な相手を残してくれたものだ。

(回収班が来るまで時間がない‥‥‥‥何とか決めないと)

 元々、魔女が暗殺されてから来る予定だった回収班。
 脅威が消えてから事後処理のために訪れる回収班に、戦闘力など期待出来ない。もしもこの女性が萌を倒し、回収班に襲いかかるようなことになったら‥‥‥‥その後の被害は想像を絶する物となるだろう。
 タチの悪いことに、魔女の洗脳が残っているため、交渉の余地すらない。萌は戦う以外に選択の余地がないことを認め、女性が廊下に姿を現すのを待ってから窓の外へと飛び出した。
 ガシャァン‥‥!
 窓を突き破って外へと飛び出す萌。ここは洋館の二階、ただ飛び降りるだけならば投身自殺に過ぎない。しかしそれでも良い。萌の狙いは自分が外に出ることによって、追撃してくる女性にこそある。
 ガシャァン!
 すかさず硝子の破裂音。洗脳された者に、人並みの知能など望めない。ただ決められた事柄を果たす機械と同じなのだ。命令されれば、如何なる命令にも従ってしまう。そう、例えば敵を倒すためならばどこまででも追跡するように設定されれば、相手が窓の外に飛び出してしまっても後を追うのだ。萌を追って窓の外から飛び出した女性は、視線を走らせて萌の姿を捕捉する。
 ‥‥‥‥しかしそこに、萌の姿はない。
 確かに窓の外に飛び出した萌は、どこを探しても見付からない。
 それもその筈‥‥‥‥萌は窓から飛び出した瞬間に窓枠を掴み、体を反転させ、洋館の屋根の上に飛び上がっていた。

「はぁっ!」

 女性に気付かれるよりも速く、萌は洋館の壁を蹴って突進した。まだ宙に浮いている女性を上空から襲い、背後から蹴り付け、そのまま地面に叩き付ける。普通の人間ならば、重傷は避けられない。しかし龍の加護を受けている女性は、傷一つ無く起きあがる。

(これでも無傷なんだ‥‥‥‥やっぱり、洗脳を解かないと‥‥)

 出来れば長期戦はしたくなかったが、こうなったら洗脳が解けるまで戦い続けなければならないのだろうか‥‥‥‥
 そう覚悟を決めようとした萌は、微かな違和感を覚えて思考を回転させた。
 女性は、明らかになんらかの術を心得ている。あれほどの力を持った龍だ。萌が始末した魔女に、あれだけのモノを用意出来るとは思えない。何よりこの洋館のメイドの中には、このように術を行使するような者が一人もいなかった。ならばこの龍は、女性自身の能力だと推測出来る。
 どこかで魔女か、特殊な能力者を洗脳したのか‥‥‥‥
 何にせよ、ここまで力を持った相手に、半端な洗脳を掛けるだろうか?
 魔術師や能力者は、洗脳に対しての対策を取る者が多い。実際に萌も、体に対魔術心霊防御の術を付与して耐性を付けている。この女性にも、抵抗力があったとしたら? それを解除してまで洗脳を施せるだろうか?
 女性は実際に洗脳されている。しかし、何らかの補助具があれば、対策を練ったところで上書きすることも可能かも知れない‥‥‥‥

「もしかしてあの格好は‥‥‥‥」

 女性が身に付けている洗脳補助具。見ている分には、一つしか思い付かない。

「――――」

 女性は周囲を見渡し、すぐに萌を発見した。やはり地面に叩き付けられたダメージなど無い。起き上がる動作と龍による攻撃はほぼ同時に行われ、効果ありと判断して突っ込んでいれば死んでいた。
 その場を大きく跳躍し、間合いを離す。放たれた炎に紛れ、光学迷彩を起動させて姿を隠し、突然萌が姿を消した事に驚き、目を走らせる女性に向けて疾走する。

「たぁぁああ!」

 ガツン!
 足音に反応して振り向いた女性に、容赦なく高周波ブレードを叩き付ける。
 体の頑強さは、地面に叩き付けられて無傷なことで確認している。ブレードを叩き付けることに手加減はなく、稲妻の如く走ったブレードは躊躇無く女性の体を殴り付けた。

「――――」

 声も上げずに女性が仰け反る。
 血の一滴も流れ落ちることはない。女性の体には傷一つ付いていないのだ。萌の攻撃など意に介さず、龍の首を巡らせて反撃の体勢を取る。

「たぁぁぁ!」

 しかしそれよりも速く、萌は苛烈に追撃した。二撃、三撃、四撃とブレードを振るい、その体を殴り付ける。依然として傷は付かず、女性が怯むことはない。
 だが、それでも構わなかった。攻めに攻め立て、そして間合いを離す。女性の体はギシリと揺れ‥‥‥‥体に纏っていたボンテージがハラハラと宙を舞い、地面にばらまかれると同時に、その体を冷たい土の上に投げ出していた。

(良かった。正解だった)

 萌は自分の予想が的中していたことに安堵し、ブレードを仕舞い込みながら溜息をついていた。
 魔女が洗脳の補助具として使用しているであろう道具‥‥‥‥そんなモノ、女性が着込んでいるボンテージ以外には見当たらない。そもそも、女性は体を僅かに覆う大胆なボンテージ以外に、ほとんど何も着込んでいないのだ。アクセサリーの類も付けられず、他に何も見当たらないのだから隠されていることもないだろうと踏み、ボンテージを切り捨てる手段に打って出た。
 女性の体が高質化し、萌の攻撃を受け付けなかったのが幸いした。いくら卓越した戦闘時術を誇る萌でも、女性を傷つけずに衣服だけを切り捨てるのは難しい。しかし自分の攻撃が一切通用しないと踏んだ萌は、躊躇うことなく行動を起こすことが出来たのだ。

「う‥‥‥‥」

 倒れ込んだ女性は、まだ意識が残っていた。
 慌てて駆け寄る萌。まさか洗脳が解けると同時に、それまでの反動で傷ついたりするのでは‥‥と危惧したのだが、どうやらその心配はないらしい。石化と洗脳の反動で意識が揺らいでいるのだろう。女性は眠そうに視線を彷徨わせ、弱々しく口を開く。

「あな、たは?」
「私は‥‥茂枝 萌。あなたを助けに来たんだよ」

 危うくIO2所属であることを漏らしそうになった萌だったが、すんでの所で踏み止まってそう言った。
 まだ女性の正体を突き止めたわけではない。もしもIO2に敵対する組織の者だったのなら、萌に攻撃を仕掛けてくるかもしれないのだ。先程までの攻防を思えば、敵に回したい相手ではない。

「もうすぐ医者も来るし、今は眠っていなよ。大丈夫。私が付いてるから」
「う‥‥‥‥待って」

 女性は弱々しく、萌の頬に手を当てる。

「わたしは‥‥‥‥イアル・ミラール」
「うん。イアルお姉さんだね」
「お礼は‥‥‥‥するから‥‥‥‥‥‥ありが、とう」

 イアルはそう言いながら、再び目蓋を落として昏倒した。
 長期の洗脳は、それだけでも本人への負担が大きい。人間でも、二日、三日眠っただけで意識が朦朧として記憶が不確かなものとなる。イアルは二週間もの間洗脳されていたのだ。意識を保つだけでも凄まじい気力を必要としただろう。

「‥‥‥‥何も、そこまで頑張ってお礼を言わなくても‥‥‥‥」

 全裸となったイアルに自らの上着を被せながら、萌は呆れながらも笑っていた。
回収班が訪れるまでジッとその場で待ち続け、イアルを守るように傍らに居続ける。
 ‥‥‥‥夜が近い。
 夕日は沈み、天を仰げば丸い月が顔を出していた‥‥‥‥


Fin



●●後書きのように見えて実はあとがきだった●●

 初めまして、メビオス零です。
 この度は執筆のご依頼、誠にありがとうございます。作品の内容はいかが出来たでしょうか? イアルさんの能力と心情、萌さんとの遣り取りは少し短かったような気もしますが、気に入って頂けたら幸いです。
 イアルさんには、是非とも鞭とかも使って貰いたかったですが‥‥‥‥龍が強かったですからね。必要ないのでした。いや、鏡幻龍は強い。さすがは王国の守護龍です。正攻法では、萌さんでも歯が立ちません。強くし過ぎたかな? とも思いましたが、これはこれで良しと思ってみます。
 では、この辺で‥‥‥‥
 作品に対してのご感想、ご指摘、ご叱責などがございましたら、遠慮容赦なくファンレター機能を使ってお送り下さい。今後の作品に対する参考にし、出来る限りご期待に添える作品を書けるようにと頑張らせて頂きます。
 では、この度のご発注、誠にありがとうございました。(・_・)(._.)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
メビオス零 クリエイターズルームへ
東京怪談
2009年12月28日

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