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『君と2人で 』
槙原 愛(ea6158)
●社交の場と人の言う
 世界浴場。
 ユグラドラシル学園の学士たちが利用する巨大な浴場は、常に世界樹から湧き出す湯に満ちている。
 温泉というだけで疲労回復、肩こり、神経痛に良く効き、美肌効果も期待に出来そうなイメージがあるのに、「世界樹」などという大層なものから湧き出す湯ともなれば、ご年配の方々などが有り難がって手を合わせ、拝んでいそうだ。
「まあ、確かにいい湯だけどな」
 ぼそりと呟いたのは、雪切刀也だ。
 世界樹が何たるかは分からないが、湯から感じる清浄な気が心と体の疲れを癒してくれている。刀也はそう感じていた。
「ああ、いい湯だ」
「うん。いいよね、ここのお風呂は。僕も気に入っているんだ」
 そんな声と共に、1人の青年が刀也に話しかけて来る。黒髪に紫色の瞳。見た事のない顔だ。
「‥‥誰だ?」
 馴れ馴れしい言葉と態度に、刀也の本能が危険を訴える。けれど、警戒心も顕わな刀也を気にする様子もなく、青年は湯の中で寛いでいた。
「誰だと聞いているんだが」
「無粋だね。この場所では名など必要ない。肩書も名も脱ぎ捨てて素に戻る。‥‥と思わないか?」
「素の自分、に」
 そう、と青年は頷いて、風呂場の一角を指さした。
 そこには、彼の言う所の「何もかも脱ぎ捨てて素に戻った」男達が幾分興奮気味に語り合っている。
「奴らは何をしているんだ?」
「質問ばかりだね、君は。ま、いいか。‥‥あれは、理性という鎧で抑圧されている本能が解放された連中だよ。いつもは高潔の士とか呼ばれ、戒律や、騎士道とか士道とやらに縛られている」
 腰にタオルを巻いただけの状態で、何やらえへえへと笑いながら熱弁を奮う者達の、普段の姿を思い浮かべる事は刀也の想像力の限界を超えていた。
 降参とばかりに片手を挙げた刀也に、巨大な浴槽のへりに凭れかかっていた青年がくすくすと笑う。
「彼らがどこの誰だかは、ここでは関係ないよ。ね、君も話を聞いてきたらどうかな? そうすれば、彼らが楽しげな理由ぐらいは分かると思うよ?」
 青年の言葉に、刀也は考え込んだ。
 一理あるように思えたからだ。
 彼らが何者であるにせよ、風呂場の隅で異様な雰囲気を醸しながらの密談には興味を引かれる。情報を集め、正確な状況を把握しようとするのは、冒険者として身についた習性であろうか。
「‥‥ちょっと行って来る」
「はい、行ってらっしゃい」
 この時、刀也が振り返ってていたならば、ひらひらと手を振った青年の笑みが酷薄なものに変わっていた事に気付いたであろう。だが、刀也の意識は既に青年の上にはなく、怪しげな「高潔の士」達に向かっていた。
「ミイラ取りがミイラにならないでねー。‥‥僕にはその方が有り難いけど」
 喉の奥で笑うと、青年はさらりとした湯を掬った。
「狩りは獲物が多い程楽しいんだからさ」

●賭け
 はふ、と息を漏らして、槙原愛は満足そうに微笑んだ。
 聞きしに勝る良泉だ。世界樹ユグドラシルから湧き出た湯は磨かれた水晶のように透明で、その清浄な力が体に浸透して来る心地がする。
「やっぱり、ここに来て正解でしたねぇ〜」
 秘湯ハンター‥‥もとい、温泉愛好者の勘に従って良かったと、湯の中で手足を伸ばす。
「刀也くんも、ずっと大変でしたもの。このお湯で少しは癒されていると良いのですが」
「刀也くんってどなたですの?」
 不意に声を掛けられて、愛は仰天した。
 つい先程まで、誰も側にはいなかった。いくらおっとりさんと言われようと、愛は冒険者だ。気配にはそれなりに聡い。その愛が近づいて来る者に気付かぬはずがない。
「あの〜?」
「そうですわねぇ‥‥。貴女の恋人。当たりでしょう?」
 金髪の美しい女性だった。愛に向かって茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、湯を揺らして彼女の隣に移って来る。
「あら、もしかして、恋人じゃないとか?」
「え、えーと‥‥、こ、恋人さん‥‥です‥‥」
 見ず知らずの相手に何を照れているのだろう。
 そうは思っても、知らず語尾が小さくなる。
「やっぱり? そうじゃないかと思っておりましたわ」
 くすりと笑って、女性は更に愛へと近づいた。蠱惑的な紫色の瞳が愛の瞳を覗き込んで来る。
「教えて下さいな。貴女の恋人は、どのような方ですの?」
「刀也くんは心が強くて‥‥」
 そんなに長く湯に浸かっていたわけではないのに、頭がぼぅっとして来る。のぼせたかしら、などと思う心と関係なく、愛の口はいつの間にか刀也への想いを滔々と語っていた。
「まあ、ごちそうさま。本当に彼の事が好きなのね。‥‥でも」
 白い指先を愛の口元に伸ばすと、女性は目を細める。
「殿方なんて、皆同じ。肩書も名も忘れて、一皮剥けば、その辺りにいる、ただの男かもしれませんわよ」
「刀也くんは違いますぅ!」
 ムキになって言い返した愛に、女性は驚いたように瞬きをした。そして、再び猫のように目を細めた。
「では、賭けを致しましょうか。貴女の恋人が最後まで戦い抜けたならば、ご褒美を。もしも欲望に負けたならば、貴女を頂くというのはいかが?」
「私を‥‥ですか?」
 そう、と女性は甘く囁いた。
「貴女の‥‥を」
 囁く声が遠くて、彼女が何を言っているのか分からない。急激に遠ざかっていく意識の隅で、愛は刀也の名前を呼んだ。

●せめぎ合い
「な、なんと破廉恥な!」
 その頃、刀也は絶句していた。
 腰にタオルを巻いただけのむさ苦しい野郎の集団はあろう事か、女性用の風呂を覗きに行く計画を練っていたのだ。
「あちらの風呂には、愛がいる。そんな事はさせん!」
「知り合いがいるのか。ならば尚のこと、‥‥一緒に、行かないか」
 真面目な顔で口説かれても、内容が内容だ。しかも、格好と言えば腰タオルだけと様にならない。
 がしりと肩を掴まれた手を払い除け、刀也は男達の前に立ち塞がった。
「お前達の計画は、絶対に阻止して見せる!」
「何だと!? 貴様は可愛い女の子達がきゃっきゃうふふと戯れる花園を見たくないと言うのか! それでも男かッ!」
「黙れ‥‥」
 額に青筋を浮かべた刀也と男達の間に、見えない火花が散る。
 そして、彼らの長く熱くむさ苦しい戦いが始まった!

●温泉の片隅で君と
「‥‥ん」
 覚醒はゆっくりとやって来た。浴場の中に置かれた岩に体を預けるようにして眠ってしまっていたようだ。
「‥‥誰かと話していたような気がするのですが‥‥」
 離れた場所できゃらきゃらと笑い合う女の子達はいるが、愛のいる辺りには誰もいない。
「あら? これは何でしょう?」
 岩場の陰に隠されるように、一枚の看板がひっそりと立てられていた。
「えーと、出没注意? 熊でもでるのでしょうか」
 掠れ、消えかけた文字は、立ち上る湯気で見えにくい。立ち上がり、愛は看板の字を読むべく岩場を回り込んだ。
「‥‥覗き出没注意‥‥?」
 看板に顔を近づけ、書かれている文字を読み取った愛の眉間に皺が寄る。
 覗き魔でも出るのだろうか。それならば、熊の方がまだマシだ。
 そんな事を考えていた愛の耳に、押し殺したような野太い罵声と、愛が良く知る者の怒鳴り声とが聞こえたような気がした。
「はら? 一体、何でしょう‥‥?」
 愛が首を傾げたのも束の間、怒声が膨らんだと同時に、めきめきと音を立てて割れた竹垣と肌色の塊が倒れ込んで来た。
 その光景に息を呑んだ愛は、次の瞬間、信じられないものを目の当たりにして驚愕の声を上げる。
「と‥‥刀也くんっ!?」
 肌色の塊‥‥それは腰にタオルだけを巻いた男達の山で、その下敷きになっているのは、愛の恋人たる雪切刀也だったのだ。
「そ‥‥そんな、刀也くんが‥‥」
 呆然とした呟きは、刀也の耳にも届いていた。
 どんな喧噪の中にあっても、最愛の恋人の声を聞き間違えるはずがない。この覗き魔達を防がんと奮戦したものの、数に押されて竹垣ごと倒れ込んでしまったわけだが、この状態だけを見ると、刀也も立派に覗き魔の仲間である。
「ま‥‥待て、これには理由が‥‥ッ!」
「刀也くんにそんな趣味が! 乙女道で噂になっていたっていうのは本当だったのですね〜!?」
ー‥‥乙女道の噂って何?
「い、いや、そんな事よりも、俺に何の趣味があると‥‥ちょっ!」
 体にタオルを巻き付けただけの愛が、ずんずんと近づいて来る。自分の上に乗っかっている連中は覗き等という破廉恥な事を行おうとしていた愚か者達だ。
 まさに狼の前に仔羊が調味料と一緒にやって来た状態!
 刀也は藻掻いた。とにかく、上の馬鹿どもから抜け出し、愛を守らねばならない。
 が。
「駄目です〜! 刀也くんは私の恋人なんですから。あなた方には渡しません〜!」
 火事場の何とか、という力だろうか。
 刀也の上で重なり合っていた男達を、愛はぽいぽいと投げ捨てて、覗き魔の山を崩して行った。
 放り投げられた覗き魔は、他の女性達の間に落ちて袋叩きにされている。
「刀也くん‥‥」
 掘り起こされ、口を開きかけた刀也は、そのまま硬直した。
 そんな彼の様子に気付く事なく、愛は小首を傾げる。
「こんな所でどうしましたか〜? まさか覗きに来たとか〜?」
「あ‥‥い‥‥」
 言葉にならない刀也の様子に、愛はくすくすと笑った。
「あはは、冗談ですよ〜? 刀也くん、真っ赤になって可愛いです〜♪」
 笑いながら抱きついてくる愛に、刀也の意識が飛びかける。頭の血管も切れそうだ。だが、ここで倒れたり、鼻血でも噴こうものなら、愛に軽蔑される事は目に見えている。
ーそれだけは避けねばっ!
 その一念で、刀也は何とか意識を繋ぎ止めた。にも関わらず、愛は無邪気に抱きついて来る腕に力を込めて来る。
「そ、その、少し離れ‥‥」
「ぶー。何ですか、刀也くんは、私といるのが嫌なんですか〜?」
「そうじゃなくて!」
 何とか愛に自分に状態を自覚して貰わねば、こちらの身も破滅しかねない。あらぬ方へと視線をさ迷わせながら、刀也は地面を指さす。
「下? 下に何かある‥‥‥‥‥‥‥‥」
 その指先を辿って、愛の動きも止まる。
 先程の騒ぎの際に外れたのだろうか。
 愛の体を覆っていたはずのタオルが無い。
「刀也くん‥‥」
 ぶつぶつ経を唱えていた刀也に、愛が静かに問う。
「‥‥見ましたね〜?」
 刀也の経が、その一言でぴたりと止まる。
 それが、何よりも雄弁に「見た」と語っていた。
「刀也くん」
「ふ、不可抗力というやつだ!」
「刀也くん」
 がしりと刀也の腕を掴んで、愛はにっこりと微笑んだ。
「罰です。お風呂、一緒に入りましょう〜」
「え」
「拒否はしませんよね〜?」
 再び、刀也は固まった。ぎぎぎと不自然に首を動かし、愛と視線を合わせる。
 愛は笑顔だ。
 これ以上ないぐらいに微笑んでいる。
 いるのだが‥‥。
 何故だろう、否やと言わせぬ迫力があるように感じられるのは。
「ささ、体が冷えてしまいます〜」
 腕を掴まれ、刀也はずるずると引き摺られるまま、湯の中に引き込まれた。
 背中合わせに湯に浸かり、ほっと息をつくと、愛にも刀也にも改めて恥ずかしさが募って来た。
「い‥‥いいお湯ですね〜」
「そ、そうだな」
 互いに湯面を見つめながら、ぽつりぽつりと会話を交わす。ただ、それだけの事なのに急激に心拍数が上がり、顔が火照って来る。長湯をする前に逆上せそうだと分かっていても、「出よう」という言葉は、どちらからも発せられる事はなかった。

●防衛機構
「あーあ、負けちゃったかあ」
 阿鼻叫喚、制裁を受けている覗き魔達の断末魔の悲鳴など聞こえぬように、2人だけの世界を作っている愛と刀也に肩を竦めると、女は金色の髪を手で梳いた。
 その髪がみるみる短く黒くなり、青年の姿に変わる。
「あの男も、あいつら同様に流されちゃうと思ったんだけどな」
「最後まで、たった1人で止めようとなさっておりましたね」
 差し出されたタオルで髪の雫を拭いながら、青年は頷いた。言葉ほどは悔しがっていないらしい。それどころか上機嫌だ。
「仕方がないさ。負けは負け。潔く認めるとしよう。魔王の名を持つ者が過ぎた事に拘って、いつまでもうじうじしていたら、あの御方の顔に泥を塗る事になるしね」
「さようでございますね。‥‥ところで我が主、防衛の為とはいえ、女湯に入られるのはいかがなものかと‥‥」
 銀髪の青年の控えめな指摘に、「主」と呼ばれた青年はにこやかに笑って答えた。
「女の姿になってたから、問題はないんだよ」
 そんなわけあるか!
 突っ込みたいが突っ込めない。
 下僕の青年は僅かに口元を引き攣らせながら主の言葉に一礼を返したのであった。
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2010年02月05日

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