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『懐中時計ノ針』
葉月 紳一郎0089



 ここに、一つの懐中時計がある。
 櫻の木が庭に一本だけある屋敷の二階、その奥の部屋の机の上に……忘れ去られたように置いてある。
 時を刻む役割を持っているはずなのに、『カレ』はその役目をもう果たせない。
 けれどもそう、この時だけは……櫻の見る夢として時計の針を進めてみようか――。

***

 長年探し続けた実の娘……静。葉月紳一郎は彼女に再会して心の底から喜んだ。だが、これはちょっと……と思う。
 再会した娘との初めての行事が…………娘の結婚式だなんて、悲惨以外のなにものでもないだろう?
 娘の幸せを喜ばない父親はいないが、微妙に腹が立つのも本当で……紳一郎はムスっとする。
「あ、葉月さん」
 穏やかに微笑む青年に廊下で出会い、紳一郎はどういう顔をすべきか少しばかり逡巡した。が、「普段と同じ」が一番だと判断した。
「影築か……」
 タキシード姿の影築は誰が見ても惚れ惚れするほどの美形だ。少し色白な気がするのは、彼の持つ儚い印象が強いせいだろう。
 紳一郎は影築を見遣り、目を細める。
 こいつが娘の夫になるのだ。どれほど顔が良く、性格が良くても……気にいらないのは当然じゃないか?
「あぁ……もう式が始まる時間か。すぐ行こう」
「今日は来てくださってありがとうございます」
 丁寧に頭をさげる影築に紳一郎はフンと言い放つ。
「もしあの子を不幸にしたら……おまえを殺す……。これは冗談じゃない、警告だ」
「心得てます」
 あっさりと笑顔で応える影築の礼儀正しさと穏やかな喋り方にも紳一郎は苛立った。
「……わかったならさっさと子供を作るなりして幸せになれ。こっちのことは気にするな」
 素直に「おめでとう」と言えば楽なのだが……それができないのは性格の為か、それとも……?
 影築は紳一郎の言葉にきょとんとし、何か言いかけたが口を閉じる。彼は少し悩んでいるようだったが、紳一郎は気づかなかった。
 共に花嫁の控え室へ向かう。



 花嫁の控え室では用意が整った静が座っていた。真っ白なウエディングドレス姿の自分が鏡に映っている。それを何度も確かめる。
 大丈夫だよね? 変なところないよね? おなか、目立ってないよね? わからないよね?
 などと、心の中で何度も自分自身に問い掛ける。無論、応えてくれる声はない。
 ドアが開き、入ってきた人物を鏡越しに見て静は顔をほころばせる。
「影築さん……!」
 慌てて立ち上がって振り向く。鏡に映ったとおりの姿で影築が立っている。タキシード姿の彼の姿に静は目を丸くした。
 きちんと整えられた髪と、その姿。
 静は頬を染めてほう、と溜息をつく。
「静さん?」
 影築に声をかけられてハッと我に返り、静は焦って俯いた。
「ごめんなさい……どこに目をやればいいのかわからなくて……」
「え?」
 きょとんとした影築に静は恐る恐る目を向ける。あぁ……やっぱり。
「影築さんのタキシード姿……凄くドキドキします……」
 かっこいい……。
 うっとりするほど影築は男前だ。細身でもあり、少々女性のような綺麗な顔立ちではあるが、彼は誰が見ても素敵な男性だ。
 影築は頬を赤らめて俯く。
「ありがとうございます。静さんも、とても綺麗で素敵です」
 そう言われて静は耳まで真っ赤になった。物凄く嬉しい。顔が、湯気が出そうなほど熱くなった。
「ますますあなたのことが好きになりました。僕のためにウエディングドレスを着てくれて、ありがとうございます」
 穏やかに言う影築は照れ臭そうだった。静は何か応えようとしたが、気持ちが溢れてうまく言葉にならない。どうしよう。ああでも、言いたい。彼に感謝の言葉を。
 何度も言いかけては止める静を彼は根気強く待ってくれる。
「影築さん……私、いま凄く幸せです……」
「はい」
「人を好きになれて……愛せて……赤ちゃんも出来て……。でもこれほど幸せになれたのは、全部影築さんのおかげなんです……ありがとうございます……」
 静は頭をさげた。目の前の影築はぱちぱちと瞬きをし、何か言いかける。その前に静は続けて言った。
「それと、これからも宜しくお願いします……」
 顔をあげて微笑む。照れていたと、思う。
 影築はすぐににっこりと微笑んだ。
「はい……! こちらも、これからもどうぞよろしくお願いしますね」
 えへへと二人は笑い合う。なんという仲睦まじい二人だろうか。
「…………おい、そろそろ時間じゃないのか?」
 低い声に静と影築が同時にある方向を見た。ドアのところに立っている紳一郎に静はいま気づいたらしく、軽く後退した。
「あっ……葉月さ、いえ、お父さ……」
 言い難そうな静を見遣ってから、紳一郎は影築を軽く睨んだ。
「子供がもう出来てるとは聞いてないぞ……!」
 舌打ちし、「最近の若い奴は手が早い……!」と続ける。影築はちらりと静を見る。静も影築を見上げた。
「別に出来たから結婚するわけではないですよ?」
「ええ。結婚が決まってからわかったんです」
 影築の言葉に頷きながら、静も応える。
 静は自身のおなかを見下ろし、軽く撫でた。ここに新しい命がある。大好きな人との、子供だ。彼との愛の結晶である。
(まだまだなお母さんだけど、あなたもよろしくね)



 結婚式は小さな教会でおこなわれた。招待したのは関わりのある少人数だけ。
 バージンロードを紳一郎と共に歩く静は、待ち受ける影築を真っ直ぐ見つめた。
 彼はこちらを見ている。待っている。そう、いつもそうだった。
 どんなに静が焦っても、彼は落ち着いていて、外見年齢よりも大人びていた。
 彼と出会って自分は変わった。変われたと思う。彼に相応しい自分になったとは思わない。けれど、そうなるように努力する気持ちはある。
 自分には勿体無い。けれども彼は言った。
「君でなければダメなんです」と――――。
 信じていい。いいや、信じる。その言葉を。
 妊娠したのではと思った時、本当かどうか確かめるために薬局に一人で行った。結果としては、妊娠していたのだが。
 一人でいたらドキドキした。不安になった。これから先をどうしようか悩んだ。彼とは結婚することになっていたが、大丈夫だろうかと危惧した。
 影築と出会ってから5年の経過。現在の静は二十歳。結婚をするには早いのかもしれない。けれども、結婚する相手は彼以外は考えられなかった。
 影築以外の人なんて、嫌だ。子供っぽい考えなのかもしれない。愛と実際の結婚は結びつかないとよく聞いていたし、頭ではわかっていた。
 それでも……彼とだったら、と思ったのだ。もしかしたら、世の中の多くの女の子はそう思ってしまうのかもしれないけれど。
 実際、影築は金銭面もきっちりしているし、収入もある。少し潔癖なところがあるが、それは病弱だった時の反動によるものだ。優しいし、欠点らしいところはあまりない。
 出来すぎだ、と静の友人はこぞって言う。
 そうだろうか? と静はいつも首を傾げる。
 確かに話を聞く限り、影築は完璧に近い人物だろう。だが彼はそんな人ではない。脆くて寂しがり屋なのだ。
 妊娠したと聞いたら、影築がどんな反応をするか静には想像できなかった。
 嬉しさと不安が混ざってわけがわからなくなりそうだった。
 いつ切り出そうかと悩んだこともあって、影築にはすぐにバレてしまった。ただ、何で悩んでいるかはわかっていないようだったが。
 子供ができたと告げた時、彼は目を大きく見開いていた。そして口を開く。
「……嬉し過ぎて、一瞬心臓が止まりかけました」
 真面目にそう言った彼は何度か深呼吸し、それから照れ笑いをする。
「お父さんかぁ。なんだか照れます」
 そう微笑んで言われた刹那、静は大泣きしてしまった。安心したためだ。
 信じてはいても不安になる。信じてはいても疑ってしまう。真っ正直に信じ続けていられるほど、静は強くない。
 だからひどく安心して、泣いた。嬉しくて、泣いた。
「静さん、お母さんになるの不安ですか? 大丈夫です、安心してください……と言いたいところですが、僕も未熟者ゆえ完全に頼りになるとは思えないので……。あの、僕たち二人、父親母親未満なので一緒に頑張るということではいかがですか?」
 柔らかく言う彼は静の背中を緩く撫でてくれた。こんな人が父親だったらどうなのだろう。幸せに違いない。
 静はちらりと隣を歩く父親の姿を見た。
(……影築さんとは全然違う)
 当たり前だが、そんなことを思って静は小さく笑った。

 紳一郎は静と共に歩きながら、待ち受ける影築を見ていた。
 どんな男が相手なら娘に相応しいか……娘は幸せになってくれるだろうか……。そんなことばかり考える。
(もう子供がいるのか……)
 手が早いとは言ったが、最近では珍しくないのかもしれない。そういえば16歳ですでに結婚して子供がいる者もいると聞く。いや……やっぱり静には早い。
 お腹の状態からすれば赤ん坊が外に出てくるのはまだ先だろう。これからのことを考えれば悩みも増した。
 妊娠している状態だった妻を思い出す。今は亡き、自分の伴侶。
(……娘だから、同じような状態になるかもな……。何かいいアドバイスができればいいんだが……)
 男はこういう時に無力になる。どうすればいいのかわからなくなる。前もって学習していても、落ち着かなくなる。
 あそこで待ち受ける影築も、おそらくは例外ではないだろう。
(しかし………………孫ができるわけか……)
 静を見つけるまでの間、もしかしたらもう娘は見つからないかもと思っていた。きっと見つかると、楽観的な考えは紳一郎はできなかったのだ。
 それが無事に見つかり、結婚し、子供を産もうとしている。
(娘と孫が一度に見つかった……ということか)
 孫……孫か。
 男の子か女の子か……。
(静に似て、可愛い女の子がいいかもな……)
 む?
(…………女の子は父親似がいいと聞く……。てことは、あいつに似るのがいいってことか?)
 影築をついつい睨んでしまうと、影築は困ったような顔をして疑問符を頭の上に浮かべていた。
(……男の子のほうがいいかもしれないな。静に似た子か……)
 というか……。
(おじいちゃんと呼ばれるわけか……。そうか……)
 複雑な表情になった紳一郎は、それでもしっかりと静と歩く。そして、役目を終えた。

 静は影築の隣に並ぶ。誓いの言葉を言い合い、そして――――約束の口付けを交わした。

**

 紳一郎は瞼を開け、それから上半身を起き上がらせる。深い溜息を吐き出す。
「なんだ今の……」
 ん? と、すぐに首を傾げる。
「そういえばどんな夢だったか…………憶えてないぞ」
 疑問符を頭の上に何個も浮かべ、紳一郎は不思議そうにした。



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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【0089/葉月 紳一郎(はづき しんいちろう)/男/35/葉月家筆頭。表ではSP、裏では暗殺者】
【0063/静(しずか)/女/15/高校生】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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 ご参加ありがとうございます、葉月様。ライターのともやいずみです。
 娘さんが見つかって、そして結婚の夢……いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 今回は本当にありがとうございました! 書かせていただき、大感謝です!
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東京怪談 The Another Edge
2007年04月16日

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